26 / 46
第一部:第5章(グーサノイドとある屋敷)
26.その頃-魔術師と騎士
しおりを挟む「お買い上げありがとうございます!」
ニコ・キヴィサロは輝かしい笑顔だった。
見かけはタバコ屋、中身もタバコ屋の魔術師協会支部を預かる、若き魔術師である。クロエ・モーリア襲来に調子を乱されがちだが、この国での彼はご機嫌が常だった。…それにしても、今日の笑顔はとびきりだが。
元より繊細な顔立ちをし、冷たくも理知的と評判のニコだ。優しくされたい、笑顔が欲しいと、吸いもしないタバコを求めにくる娘も、一人や二人ではない。もし居合わせたのが彼女たちなら、有り金すべてを吐き出していたに違いない。それほどに、混じりけのない、極上の笑みであった。
運命は非情だ。受取人は赤毛の大男であり、ニコの笑顔なんぞは、もっとも必要としない人間なのだから。
「おう。こんなにおもしれえ店ならもっと早くに来れば良かったな。またダチ連れてくるからそん時は頼むぜ!」
「それはもう、是非とも! 今後とも! 御贔屓に!」
ニコの商うタバコ屋は、城下の一等地に位置している。そもそも魔術師協会の支部なのだから、当然である。立地が良いので客入りは十分なのだが、客はあくまで平民、品はまごうことなく嗜好品。物の単価も安い以上、それほどの売り上げは見込めない。血の騒ぐままに仕入れた逸品珍品の数々と採算が合わず、常に収支は鮮やかな赤。魔術師協会からの給料で、なんとか補填しているのが現実だ。
そこに今日、颯爽と現れたのが、この柄の悪い騎士っぽい服装の男だ。始めはすわ殴り込みかと身構えたが、話してみれば気の良い客で、それにまして金払いが良い。その上、仲間に紹介までするという。完璧な上客だ。笑顔もはち切れようというものだ。
「邪魔したな」と荷物を担ぐジャック――ジャック・フラヴィニー団長。
そこで、何かを忘れていると気が付いた。湿った綿埃に絡みつかれた心地になった。この気持ち悪さは何だろう。考え、足を止める。結果、扉を塞ぐ。ニコは鉄壁の営業スマイルを崩さず、見上げている。
「どうかなさいましたか?」
「なんてこった!」ついに目的を思い出し、自分の頭を思い切り殴りつける。「俺ぁ師匠の苦境も忘れて、なんてことをしてやがんだ!」
一方ニコは、脈絡のない自傷行為に走る、明らかに膂力の強そうな相手を前に、接客技能ではカバーし切れない恐怖を感じ始めていた。不本意なことに、対抗できるとすれば魔術しかない。クロエに褒められる程の腕前とはいえ、魔術には詠唱時間が必要だ。とにかく、万一の事態に備え距離を稼ぐべきだ。そう決めた直後、おい、と距離を詰められたのだから息を飲む。獰猛な目つきに射すくめられ、逃げられないと、本能ばかりが冷静だ。
嫌な汗を流しつつ、最期の抵抗とばかりに睨みつける。その敵の目じりが潤むのを見て、度肝を抜かれる。怯えればいいのか、呆れればいいのか、さては狂人か。唾を飲み、気力を総動員する。
「な、なんのつもりですか。危害を加えるつもりなら――」
「俺ってやつは馬鹿野郎なんだ! お前に会いに来たのに、すっかり忘れてタバコばっかり見てよ」
男泣きせんばかりの勢い。恐怖は砕け、困惑が深まる。
「一体、なんのつまりです。あれですか。私の生き別れの兄弟だとか言い出すんですか」
「兄弟? おうおう、こんな薄情者を兄弟と呼んでくれるのか。おめえはなんていいやつなんだ!」
「おの…お客様…」
「水臭ぇぞ兄弟! ガタイで言えば兄貴分は俺か!」
「いえその、そういうことでは…」
「もちろんそうだ。どっちが上かなんて野暮だ。俺たちはただ兄弟なのさ」
「…すいません。本当に話が見えないんですけど…一旦落ち着きません…? お茶でも入れるので…」
ニコは改めて恐怖を抱え直し、この状況から逃れたい一心なのだが、ジャックは純然たる善意と受け取った。
「いや、そこまで好意に甘えるわけにはいかねえ。それに、俺には仕事があるんだ。だから気を確かに聞いてくれ」
お前こそ気を確かにしてくれと叫びたいが、ニコは狂人を刺激したりはしないのだ。
「師匠が消えたんだ!」
この世の終わりのように告げられる。これですべて明白と言わんばかりだが、言うまでもなく混迷は増す。念のためじりじりと後退していく。
「それ、は、実に…その、お気の毒なのですが。私に言われましても…」
「なんだと、師匠だぞ!?」
「あなたの師匠と私に、一体なんの関係が」
「何!? お前は師匠の知り合いなんだろう? だから確認してこいってノアに言われたんだ」
学業成績という意味で言えば、ニコは優等生として生きてきた。天才とは言えないまでも、秀才の評価には値する。滅多な人間に会話の主導権は握らせないし、含意を見逃したりもしない。そんなニコが、今、頭を抱えようとしていた。
一度息をつく。冷ややかな見た目にも似合わず、根は大変律儀なニコである。意思疎通の概念に齟齬があるらしき人間にも、最善を尽くそうと努力はする。――とにかく、この男は自分に用があるらしい。男とは初対面だ。男の師匠が消えたらしい。その師匠と自分が知り合いだと、ノアとやらが伝えたとか。ノアって誰だ。
そこで一つの可能性に思い当たり、ニコは今度こそ頭を抱えた。
「…もしかして、ノアというと…ノア・バルティルス国王陛下のことですか?」
「それ以外誰がいるってんだよ」
「…だとするとまさか、師匠というのは、クロエ・モーリアのことを指しているんですか?」
「だからそう言ってんだろ!」
「全く、一度も、確実に、言っていません! …え、意味がわかっても意味がわからないんですが。クロエさんが消えた? それは国に帰ったということですか? 私は自由と叫べばいいんですか…?」
「ちげえよ、誘拐されたんだ」
ニコはよろめいた。「ますます意味がわからない。どうやってあの人災人間を攫うんですか。敵は神か悪魔ですか」
「ばっきゃろう! 神だろうが悪魔だろうが師匠は負けねえ!!」
いい加減頭痛がしてきた。「一旦前提を受け入れましょう。クロエさんが誘拐されたと。それで、あなたは何をしにきたんです?」
「そうだった。お前、師匠見なかったか?」
しばし押し黙る。「…何日も見ていませんね」
「そうか、邪魔したな!」
自称兄弟は、秋風よりもそっけなく、走り去っていった。
ニコは、自分がへたりこんでいることに、気が付いていなかった。だから無論、それがどれくらいの時間だったかなど、分かるはずがない。強く呼びかける声で、はっと我に返った。常連の男が、心配そうに覗き込んでくる。
「気分悪いのか? 無理せず休めよ」
「いえ…いえ、違うんです。大丈夫です。ただ、赤毛の大男の悪夢を見ましてね…」
「赤毛の大男? ジャック団長のことか?」
「…お知合いですか?」
「んなわけあるか。向こうが有名人なのさ。特殊騎士団のジャック団長…赤騎士様と言やあ子どもでもわかる」
「騎士様って…」
「強くてえらい人ってことさ。あちこちの村に行って、魔獣退治をしてるのさ。だから滅多に王都にはいないらしいが、今は帰ってきてるんだな」
一挙に負荷がかかり、ニコの精神は儚く散ってしまいそうだ。いろいろと言いたいことはあったが、一応、本業に関わりところを優先する。
「…魔獣が出るんですか?」
「山近くだと結構でるらしいぞ。わざわざ行ったりしねえから、俺はみたことないけどな」
「…つまり、山脈に魔力だまりがある可能性が…」うめくようにささやく。この場は聞かなかったことにする。「…おそらく、先ほど来たお客様が『ジャック団長』だと思うんですが…びっくりするほど話が通じなくてですね…。私は今、こうしてまともに言葉で交流できることが嬉しすぎて…泣きそうです…」
男は瞬いたが、堪えきれずに吹き出した。「じゃあホントの話だったんだな。てっきり、やっかみだと思ってたんだが、あんたの様子を見ると…」
「なんです? 気になるじゃないですか」
「赤騎士様には、別の二つ名があってだな…」
「なんです? 笑ってないで教えてくださいよ」
男は必至に震えを押さえ、深呼吸して、真顔を取り繕った。
「アホ騎士様、っていうんだ」
「はい…?」
「赤騎士様はアホ騎士様って歌まであるぞ。聞いたことないか?」
二人は黙って見つめあい、どちらからともなく笑い出した。転げるほどに目いっぱい笑い、ニコは涙をぬぐう。
「元気になったか?」
「はい」と答える声も、笑いの残滓につっつかれている。「ありがとうございます。すっかり元気です」
「そりゃよかった。それじゃあいつもの、貰ってくよ」
ニコは親切な常連を見送り、心の中で穏やかにつぶやいた。
――クロエ・モーリアを誘拐なんて、アホのジョークは奇抜がすぎるな。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
はじめまして、私の知らない婚約者様
有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。
見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。
けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。
ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。
けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。
この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。
悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに?
※他サイトにも掲載しています。
冴えない建築家いずれ巨匠へと至る
木工槍鉋
ファンタジー
「建築とは、単なる箱を作ることではない。そこに流れる『時』を設計することだ――」
かつてそう語り、伝説の巨匠と呼ばれることになる男も、かつては己の名前に怯えるだけの冴えない二級建築士だった。
安藤研吾、40代。独立したものの仕事はなく、下請けとして「情緒のない真四角な箱」の図面を引き続ける日々。そんな彼が恩師に教えられた座標の先で迷い込んだのは、昭和初期を彷彿とさせる、魔法のない異世界だった。
現代の建築知識、そして一釘一釘を大切にする頑固大工との出会い。 「便利さ」ではなく「住む人の幸せ」を求めて、研吾は廃村に時計台を建て、水路を拓き、人々の暮らしを再生していく。
異世界で「百年の計」を学んだ研吾が現実世界に戻ったとき、その設計は現代の建築界をも揺るがし始める。 これは、一人の男が仕事への誇りを取り戻し、本物の「巨匠」へと駆け上がるまでの、ひたむきな再建の記録。
いつか優しく終わらせてあげるために。
イチイ アキラ
恋愛
初夜の最中。王子は死んだ。
犯人は誰なのか。
妃となった妹を虐げていた姉か。それとも……。
12話くらいからが本編です。そこに至るまでもじっくりお楽しみください。
帰国した王子の受難
ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。
取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。
大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ
鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。
それが約50年前。
聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。
英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。
俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。
でも…英雄は5人もいらないな。
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
愚者による愚行と愚策の結果……《完結》
アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。
それが転落の始まり……ではなかった。
本当の愚者は誰だったのか。
誰を相手にしていたのか。
後悔は……してもし足りない。
全13話
☆他社でも公開します
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる