死にたがりの皇帝と後宮の暴食妃

ハルアキ

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1 空腹の後宮妃

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 くうぅ、と腹の虫が鳴く。
 盧蘭宵らんしょうは、窓の外を眺めながらため息をついた。

「足りないわ……」

 ここは後宮妃である蘭宵に与えられた、月華宮の一室である。他の宮に比べれば手狭で、前の主は悲惨な目に遭ってここを去ったそうだが、そんな事情は全く蘭宵の心を曇らせなかった。これまでの境遇を考えれば、むしろ大変恵まれている。
 何せつい最近まで、すきま風が肌を刺す、土がむき出しの牢の中で過ごしていたのだ。夜ごと背中に回り込んできた冷気を思えば、ここは天国のような場所だった。
 蘭宵を悩ませることといったら、やはりこの異様なまでの空腹感なのだった。

 侍女の桃笙とうせいが、山盛りの饅頭マントウをのせた器を持って部屋に入ってきた。

「蘭宵様、今日の分はこちらでおしまいになります」
「そう……。とても美味しいのだけれど、量が……」

 まともな食事にありつけているのだから文句は言えない。蘭宵が大食いという話は予め尚食局にも通っているらしく、かなり配慮はされている。普通の妃は、一日に器三杯分の饅頭など口にしない。この量でも用意する側からは相当引かれているだろう。
 しかし、これでも全く満足できない。

「大変申し上げにくいのですが、後宮ではすでに蘭宵様のお噂がいろいろ広まっておりますわ」

 と桃笙が言う。大量の食べ物が運ばれてくるからだろう。桃笙一人では間に合わずに、他の者の手を借りて運んでくることもあった。女性というのは噂好きであるから新参者の蘭宵についての話も、あることないこと、好き勝手に囁かれているそうだ。

「誰かを匿っているのではないか、とか、あとはその……ご懐妊なさっているのではないかと」
「陛下のお渡りもないのに?」

 子を宿すと食欲が増すことがあるそうだが、無論、蘭宵は妊娠などしていない。大体、まだ後宮に来て一ヵ月も経っていないのである。

「別の男の子供を身ごもっているという疑惑を抱いている者がいるのです」
「それが本当だったら私はとんでもない悪女だし、重い罪で裁かれるでしょうね」

 蘭宵は妃嬪の一人であり、皇帝陛下のものなのである。他の男と不義密通など許されない。とんでもない話だが、こういった閉鎖的な場所では、刺激的な話の方が喜ばれるのだろう。

「どなたかにお願いして、噂の出所を突き止めてまいりましょう。あまりにも酷いです」
「いいのよ、桃笙。全くの嘘なんだし、放っておいても平気よ」

 桃笙は主想いの侍女なのでありがたいが、「どなたかにお願いして」と言っても自分も彼女もこれといった後ろ盾があるわけでもないし、噂を流した相手がかなり高貴な身分であればどうにも出来ないはずだ。しらばっくれられるかもしれない。
 噂は事実無根の嘘なのだから、いつかは沈静化するだろう。

「しかし、噂であっても陛下がお聞きになれば、蘭宵様の印象は悪くなるかもしれませんわ。蘭宵様だって、陛下の御子を身ごもるために……」

 と桃笙が言い出すので、蘭宵は思わず笑ってしまった。

「あり得ないわ! 桃笙、陛下は私の『事情』を承知されているのよ? 化け物のところに来られることなんて、ないでしょう」

 悲観的になっているのではなく、どう考えてもそうなのだから、事実として蘭宵は述べているのだ。しかし、桃笙は悲しげに目を伏せている。実は桃笙は宮廷で働くようになる前は、蘭宵の叔父の店で下働きをしており、蘭宵のこの体質についても知っていた。

「あなたのようにお美しい、うら若き乙女が、誰にも見向きもされないまま、朽ちていくなんて……」

 蘭宵の髪は特殊な銀色で、長きに渡る軟禁生活のために、肌は透き通るように白い。後宮入りする前にみっちりと作法の稽古をされ、身綺麗にしてきたので、少しは見目良くなっただろう。
 やはり自分も女なので、着飾ると多少は気分が高揚する。自分の顔の美醜についてはよくわからないのだが、桃笙は美しいと褒めてくれていた。

「いいのよ。私、とても恵まれてるわ。今ここにいられることを、心から感謝しているの」

 皇帝に見向きもされなくても、変な噂を流されても、痛くも痒くもなかった。少しは人間扱いをされて、綺麗な服を身につけ、暖かい寝具で眠れる。
 問題は、食べ物なのだ。
 蘭宵は、柔らかい饅頭を次々に手にとって口へ運んだ。胡餅フービンといい饅頭といい、やはり宮廷で作られる料理というのは、美味である。が、蘭宵はどちらかというと、質より量だ。

 身分に相応しく、上品な手つきで食べ終えた蘭宵は、目をきょろきょろと動かし始めた。腹の虫はおとなしくなったが、まだまだ、満腹にはほど遠く――。

 蘭宵の落ち着きない視線が意味するものに気づいた桃笙がぎょっとして、てのひらを主人へ向ける。

「いけませんよ。わかっておいでですよね? 蘭宵様、後宮ではくれぐれも、『普通』にしていただきませんと……」
「……わかってるわ」

 蘭宵は頬に手をあて、どうしたら自分へ割り当てられる食事の量をさらに増やしてもらえるか、真剣に考え始めるのだった。

 ――なるべく、普通に、大食いをすることは可能なのだろうか?
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