轟町ヒルサイト ―― On Her Majesty 's Private Service ――

甘野正雪

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第二章 銫はセシウムの意味をもつ

第二章―06

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 まるで――品性養成ギブス――だ。
 涼包すずしげは優しく接しているがその鉗鎚けんついには余念がない。
「で、なんなの?」
 だから優柔不断のままでもいさせない。
「ああ、そうそう。ゴールデンウィークの休みっていつだっけ?」
 カゲロウは話をすり替えた。いや、これはカゲロウにとっても重要なことだった。しかし。
凸凹坂あいさかくん、ほんとうに、しっかりしてよねっ」
 涼包にしては珍しく顔をしかめてみせる。
「ゴールデンウィークは4月29日の昭和の日から始まって…」
「違う違うっ。俺がいたのは、補助委員の休みのこと」
 そう。ゴールデンウィーク中も大学の図書館は開放されている。
「…? そうだよね。ごめん」
 さすが涼包といったところで理解は早かったけれど、しかし、自分の頭をコツンと小突こづいて舌を出してみせた仕草はどうなのだろうか(やっぱりするのかよっ)。少なくとも涼包に限って、これは、早合点ではないと言い切れるのだから。つまり、カゲロウの日頃の言動を彼女が正確に判断したに過ぎないのだ。カゲロウにしても、いつもであれば、その日その日と、日めくりカレンダーを千切りぎるように明日の休みを確認して過ごしたに違いない。
 しかし今年は違うのだ。
「うーと、そうだねー…」
 と、涼包は虚空こくうにカレンダーをうつしみる。そしてそのカレンダーの日付を指差しながら話しつづけた。
「29日と5日。その二日でどうかなあ。凸凹坂くんは、それでいい?」
 例によって『魅惑の微笑』だ。
「ああ、わかった。29と5日な」
 カゲロウが背を向けて再び返却作業にいそしんだのはいうまでもない。
 ――デートでもするの?
 とは訊かれなかった。
 ――なにか用事でもあるの?
 とさえ問われない。確かにそうかれればカゲロウも困るところはおおいにあった。しかし、それを問われないというのも寂しいものがある。
 いや、これでいいんだ。
 あの春のことを除いてしまえば、これが涼包 銫と付合う上でごくあたりまえのかたなのだから。
 そう――あの春のことさえなければ。
 しかし……と思う。
 これはまったく別の疑問だった。
 ――涼包は休まないのじゃないか?
 この涼包のことだ。補助委員のスケジュールなんてとっくに立ててるはずだろうに。それが、今、流れにまかせて決めました…みたいな、そんな休みの決め方なんて彼女にはあり得ない話だ。カゲロウが休みの日を訊いたということは、カゲロウが休みをほっしているのと同義であり、それを簡単にさっしてしまえる彼女だからこそ、何気なにげに休みを決めたフリをしてみせた……に違いない。
 図書館が開いてる以上、図書の返却が無い日なんてない筈だ。
 では、その返却整理を誰がする……。
 そんなの――決まってるじゃないか。
 少なからず葛藤が生じた。だってそうだろう。
 涼包 銫は――天使なんだから。
 天使を見捨てて、ひとり欲望に走る背徳といったもを、このときカゲロウは感じていた。
 ――俺は地獄に落ちるのかな。
 しかし、そうは思っても、すでに、欲望という名の列車は走り始めていたのだ。モクモクと白い煙を吐いて、烈風をり裂いて激走する。もうあらがいようもないほど、一直線のベクトルを描いて。
 ――いやっ、地獄に落ちても、この際は、やむを得ん。
 涼包を前にしてもそう思えるほど、彼にとってそれは、ギリシャ神話に聞く『黄金の羊毛衣』のように、キラキラときらめいていた。
 そうっ、たった今、決まった。
 4月29日は、彼、凸凹坂あいさか陽炎かげろうにとって、人生で、初☆デートの日なのだ。
「凸凹坂くんっ」
 それでも涼包の声が背中を撫でつける。
「なんだ……」
「なに笑ってるの?」

 ――べつに……。
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