轟町ヒルサイト ―― On Her Majesty 's Private Service ――

甘野正雪

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第四章 ピアスはきっと、自分で刺した方が痛くない…と思う

第四章―02

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「な、なんでお前がここにいるんだっ!?」
 ――現実なんて、陳腐ちんぷなもんだ。
 それはわかっていた。
 それはじゅうぶんにわかっていることだった。
 しかし、この非現実的状況にあって、咄嗟とっさに口をついた言葉がこれではあまりに陳腐で、これまで小説を書くうえで状況設定における台詞を、あーでもない、こーでもない…と模索してきた自分がまるで道化のように思えてならないじゃないか……、しかし、そんな自分を哀れに思ったり、嘲笑ちょうしょうしたりする余裕がないのも事実で、カゲロウにできたことは、ただただ、目を丸く見開いて、相変わらず無表情という名の表情をたたえている小春井巻を見つめることだけだった。
「なんで…?」
 と、小春井巻はそう復唱すると、やや上向うわむいて漆黒の宙空ちゅうくうにその回答を検索する。
「方法……ということについてなら、凸凹坂あいさかくんがいつも覗いているトイレの窓から……かしらね」
 ――トイレ?
 いや、それよりもッ!?
「覗いてるって、なんだよッ!?」
「トイレの窓から見えるものって、隣のアパートの浴室以外にあったのかしら」
「知らないよっ!?」
「あら、不思議。凸凹坂くんたら、いつもトイレで用を足すフリをして、ハアハア息を荒げながら、実は違う用を足しているのじゃなくて?」
「な、なに言ってるんだ…」
「隣に住んでいる若い女が決まって同じ時間にシャワーを浴びるのを良いことに、その女の白い柔肌にシャワーの雫がほとばしるのを覗いては、凸凹坂くんもまた、白い雫を迸らせている……と、わたしはそう読んでいるのだけれど」
「なに勝手に読んでんだっ」
「え!? なら、なにをしていると言うのっ!?」
 驚愕、といった感じなのか、小春井巻の目が大きく見開かれる。
「お前の思考には、シッコやウンコといった選択肢はないのかっ!」
「そう。なら、それも含めたとして、どうなのかしら?」
「………………」
 ――いや、図星だった。
 返す言葉がないぐらいに、小春井巻は見事に事実を読み切っていた。
 カゲロウの家の裏側、これは通りに面してる方を表と言った場合だけれど、その裏側、つまり2階のトイレのある側がアパートに面している。
 マンションではない。
 二階建ての襤褸ぼろアパートだ。
 そのアパートもまた入口側ではなく、その側面を接していて、その接し方というのが、これは建坪率けんぺいりつを無視して建ててんじゃねえか? っていうぐらい、みごとにピタリと接している。それはトイレの窓から手を出せば、腕を伸ばす間もなく届いてしまうぐらいに。
 そして、その手が触れるものは壁ではなく、窓ガラス。
 そう、バスルームの窓ガラスだ。そのガラスは透明ではあるのだけれど平らではなく、ボコボコとまだら模様が浮き立ったような表面をしているから、中の様子を判然とうかがうことはできない。しかし、夜ともなって内側に明りがともれば、それは、まるでモザイクを透かし見るかのような効果をはなち、中の様子、つまり入浴の様子を窺えるのだった。
 そこには、たぶん女子大生だろう、若い女が住んでいて、その女はいつも8時ころ、まるで決まり事のように入浴し、その事実を知って以来、カゲロウもまた、気づけば夜の8時ころ、暗いトイレのりガラスをそっとズラすのが、いつしか日課となっている(←良い子のみんなは止めましょうねっ)。
 その女が、また大胆に入浴するものだから、ガラスのモザイク越しにも白くしなやかな裸体に漆黒の陰毛が浮きたっているのがクッキリ確認できない夜はなく、その入浴行為は彼に至福の妄想を与えてくれている。
 ときにはバスタブの縁に腰かけたりなんかして、そうすると背中が窓ガラスにピタリとくっついて生々しい白い柔肌をリアルに確認することもできる。
 さらには浴室の窓をそっと5cmぐらい開けて外気を取入れたりするものだから、そのシャンプーや石けん、入浴剤、といった甘い香が彼の鼻先にまで漂ってきて、なぜか鳥肌が立つほど興奮してしまうと、もうたまらない。
 そう。
 小春井巻の言うとおり……。
 彼は隣のお姉さんが入浴時、その1mと離れてない場所で、リアルタイムに白い雫を迸らせているのだった。
 ――しかし……?
 と思う。
 ――なぜ、小春井巻が、そんな事実を知ってるんだっ?
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