轟町ヒルサイト ―― On Her Majesty 's Private Service ――

甘野正雪

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第四章 ピアスはきっと、自分で刺した方が痛くない…と思う

第四章―07

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「お、お前っ、カーミラなのかっ!?」
「あらあら、まあまあ、これはこれは、まったく驚いたものね。一寸の豚にも五分の脳髄とは、よく言ったものだわ」
「あの、虫と魂がお留守になっちゃってるんですけど!」
 それに一寸の豚ってなんだっ。3cmの豚がいるのかっ?
「とにもかくにも、『豚』でも奇跡は起こせるのだと、そう驚いたフリをしてみせただけのことよ」
「軌跡なのかっ。これだけベタな情報が揃っていて、それで気がつくのが軌跡なんですか!」
 しかも、フリかよっ!
「つまり、ピンポ~ン…ということかしら」
「わかりずらいよ、お前のそれっ。それって、正解って意味なのか?」
「なかなか良い反応を見せてくれるわね。それでこそ、わたしが『蒼頭そうとう』に指名しただけのことはある…と、そうあなたは知らしめたいのかしら?」
「『ソウトウ』ってなんだよ!」
「またまた。そんな気づかぬふりをして照れを隠すところなど、まったく女王陛下のヒールを舐めつけるようでいて気持ちが良いわ」
「いや、ホントにわからないんですけど!」
「そう? いいわ。今回だけは教えてあげる。せっかくの儀式なのだから。『蒼頭』というのはね、下男のことよ。あと下部しもべ下僕げぼく下郎げろう奴僕ぬぼく折助おりすけ使い奴つかいやっこ…といったそれと置換えられる言葉は様々あるのだけれど、私としては『奴婢ぬひ』という言葉を強く推すわ」
「そんなもん推すな! っていうか、全部、奴隷じゃないか!」
「違うわよ。『奴隷』というのは権利や自由を剥奪されて一方的に支配されることをいうのよ」
「どこが違うんだ!」
「『蒼頭』というのはね、元々は兵卒のことで、彼らが青い頭巾を被った古事に由来しているのよ。兵卒――つまりそれは、支配する側と支配される側との間に契約が介在している、ということを表わしているわ。それは『奴婢』とて同じこと。不文律でも、そこには契約といったものが存在していて、支配される側はそれを享受しているということなのよ。凸凹坂くん、ここまではついて来れたかしら?」
「ああ、なんとなく」
 あれ? 何か優しくされたような気がする?
「そう。わざわざ説明した甲斐があったわ。わたしとしても、凸凹坂くんには、それをしっかり理解した上で、自ら意志を持ってわたしにかしずく『豚』になって欲しい…と、そう思っているのよ」
 裏切られました!
 いや、くんじゃなかった!
 結局、豚じゃないか!?
「そもそも、俺は一体、いつ、そう指名されたんだっ!」
「記憶にないと?」
「ない!」
「なら、一番最初にチャットした、その一行目の記録を調べなさい。そこにハッキリ断言しているはずよ」
「そんな記憶も、記録も、残ってねえよ!」
 だいたい、それって開口一発ってことじゃないかっ!
「お前は人に、挨拶代わりに下僕指名してるのかよっ」
「心外だわっ。誰がそんな良識のないことをするものですかっ。そんなことをするのは、あなたにだけよ!」
「今、ものすごく傷つけられたような気がする!」
「いえ、喜べることなのよ。なぜならあなたは選ばれたのだから。たとえば一匹の豚がいたとして、やがてさばかれてその肉を市井しせいの食卓に並べるのと、その身をそのまま神殿の生贄として捧げるのと、いったいどちらを選ぶと思うかしら?」
「たぶん逃げ出すことを選ぶと思う!」
 ていうか、どっちも殺されるんじゃねえかっ。
「あなたはわたしにその身を捧げることで、単なる『豚』から崇高な『豚』に生まれ変われるのよ」
「異議あり! 『』の位置をせめて『崇高な豚』と、そこでひとくくりにしてくれないかっ」
「あら? わたしはまた、『どうせ生まれ変われるのなら、せめて人にしてくれないか』…と、そう言われるのを期待していたのだけれど…」
「あ………………」
「まあ良いわ。あなたの来世なんて、どうせ何万回、人に生まれ変わったとしても、また『豚』みたいに、わたしにひれ伏し続けるのだから」
「それって、未来永劫ってことじゃねえかよっ」
 つまり、それが言いたかったんだな!
「そもそも、お前、何歳まで生き続けるつもりだっ」
「太陽が膨張して、この銀河系を半分ぐらい呑み込むまでよ」
「それって50億歳ってことですかっ」
「あら? わたしとしては永遠を例えたつもりだったのだけれど、凸凹坂くんにも知能といったものが備わっているのね。まあいいわ」
「良くないっ」
 もっと俺の知能を検証しろっ。
「でもね……」
 と、小春井巻は『象さんの鼻』を見つめたまま、その細く整った眉を険しく寄せてみせる。
「こんな屈辱を受けたのは、17年間生きてきて初めてよっ」
 たった今、50億年を語った人が僅か十七年の短い時間に固執した!
 そんなことより。
「俺が何をしたと言うんだっ」
「よくもぬけぬけとっ。盗っ人猛々しいとは、このことだわっ」
「僕は、何を盗んだんでしょうか!?」
「いえ……。今のはあえて訂正するわ。忘れて……。でも、これだけは覚えておきなさいっ」
「はい?」
 まったく忙しい女だ。
「あなたは、わたしの優しい誘いを辞退した初めての人間、ということよっ」
「それって、あの『デートの誘い』のことを言ってんのか? …痛てぇッ!」
 ようやく麻痺しかけていた『象さんの鼻』に再びチクリッ…と刺痛が走った。
「凸凹坂くん。表現というものは大切よ。それじゃあまるで、わたしがあなたに振られたみたいに聞こえるじゃない」
「くゥッ、わ、わかったから、やめろっ!」
「凸凹坂くん。これは『躾け』という名の鍛錬なのよ。耐えなさい」
 ――嘘つけっ? 『復讐』という名の虐待だろうが!
「ぐァッ……も、もう、刺さっちまってんじゃねえのかッ!」
「それはどうかしら? もうちょっと押して、確かめてみる?」
「押すなッ、緩めろッ」
「あら…。今、わたしに命令するような声が聞こえたような気がするのだけれど、きっと空耳よね。それとも、凸凹坂くんにも、それは聞こえたのかしら?」
「お願いですっ、緩めてください!」
「誰に…が、抜けているわよ。誰に、お願いしているの?」
「こ、小春井巻……さ、様?」
「惜しいわねっ」
「痛てッ! さ、さっきより刺さってるだろっ! 絶対、さっきより深く刺さってるって!」
「人は、惜しい、って思うとき、自然とその手を握りしめてしまうものなのよ」
「じゃ、じゃあ、なんて言えば良いんだッ」
 などとうなりながら、彼の頭の中ではチャットにおけるカウンティス・カーミラとのやりとりが恐ろしい勢いで渦巻いていて、その中から正解に足る言葉を必死に検索していた。
 ――女王様。
 いや、これは違う。
 …あれ?
 そう、初めて気づく。
 小春井巻、いやカウンティス・カーミラはこれまで一言も自分のことを『女王様』と言ったことがない……。
 長いことチャットしてきたにも関わらず初めて気づくその事実に、いかに彼女に対し無関心であったか…ということを改めて噛み締める彼だった。
 ――小春井巻様。
 いや、これも違うんだ。
 ――あづき様?
 いや違うっ。そもそもチャットにその名など登場していないっ。
 ――カウンティス?
 違うっ。
 ――カーミラ?
 違うっ!
 ――公爵夫人?
 違う違うっ!
 じゃあ、何だ!
 ――わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない、わからない…………。
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