《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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28.契約破棄※

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「か、は――ッ!」
 
 壁に叩きつけられ、衝撃が全身を襲う。風の巨弾をぶつけられたのだ。
 オルトスから離れたことにより、ルーチェにかかっていた空間転移魔法は解除され、纏っていた光が消える。

「ルーチェ!」

 友を呼ぶ悲痛な声だけが残り、オルトスただひとりが光となって消えていった。

「有益な情報を得ましたね」

 シーナが指を鳴らし魔法を解除する。

「人間たちが攻め込んでくるのなら迎え撃たなければなりません。――私は、準備を進めますので」

 シーナは魔王に一礼すると、足早に去っていった。
 治まらない痛みにうずくまるルーチェの前に、黒い影が指した。

「話は全て聞かせてもらった」

 ソティラスが静かな声で続ける。

「……はじめは無理やり嫁にした。それでも、少しずつ信頼を得られているのだと思った。共存する道を模索できていると、希望を抱くようになっていた。……すべて、私の思い上がりだったようだな。やはり、無理だったのだ。希望は打ち砕かれる」
「――……ッ」

 なにも言い返せない。否定したい。しかし聞かれたばかりだ。自分は勇者であり、魔王を倒すのだと。
 今でも人間界の平和のために、勇者としての役目を果たさなければならないと思っている。しかし、魔王を傷つけたいわけでも、悲しませたいわけでもないというのに。

(違う、そんなことが言いたいんじゃない、もっと、別の伝え方があるはずなのに……!)

 相反する気持ちが伝わらなくて、かみ合わなくてもどかしい。結局、本当に伝えたい気持ちは喉元で詰まって出てこない。

「なにも言い返せないか。……そうだな、私は魔王で、お前は勇者だ。嫁などと……、そんなもの、一時的な契約に過ぎん」

 今まで聴いたことのない冷たい声だった。別人のような突き放す態度に、ルーチェの胸は貫かれたように痛んだ。

(あいつが散々言ってたじゃないか。裏切られることはつらいって知ってたはずなのに、俺は……俺はなにをやってんだよ……っ)

 目頭が熱くなるのをぐっと堪える。

(でも、俺は、勇者であり続けることを選んだ。もう心を痛める資格すらないだろ……)

 呆然としているルーチェの腕を、ソティラスが強く掴んだ。

「痛――ッ、お、おいっ、何すんだ、放せ!」  

 ルーチェの言葉を無視し、ソティラスはルーチェを軽々と抱えて進む。連れてこられたのはソティラスの自室だった。部屋に入るなりベッドの上に投げ捨てられる。目を剥くルーチェが反論する前に、ソティラスは手のひらでルーチェの口を覆った。

「……こうなるのなら、シーナが言うように、始めから監禁して手元に置いておけばよかったな」

 投げ捨てられた言葉にショックを受ける間もなく顎をつかまれ、口に噛みつかれる。キスなどという甘く優しいものではない。尖った牙があたり、ルーチェの唇が切れる。傷などお構いなしに強引に口をこじ開けられ、長い舌が口内に侵入した。
 なにかにせき立てられるような早急な交わりは、相手を気遣う優しさなど微塵もなかった。ただ口内を激しく蹂躙するのみだ。

「っ……く、うう……ぅ」

 うごめく舌に嗚咽がこみ上げ、じわりと涙が滲む。充足感などなく、身体から熱が奪われていくような不快感がある。抵抗し、ソティラスを押し返そうとする手の力は次第に弱まり、無駄な行為に終わる。

「契約が破棄されたのなら、嫁に対する生ぬるい優しさなど必要ないな」

 鋭い爪がルーチェのシャツに引っかかる。絹の裂ける音に、克服したはずの、襲われたときの記憶が蘇った。体が強張り、指先は冷たく震えている。
 ソティラスは乱暴に身体をまさぐりながら、首筋に吸い付き、牙を立てた。その力強さに、今まで手加減されていたのだと気付く。消え失せた優しさに、痛みや不快感や恐怖よりも、悔しさや悲しみがルーチェを襲った。

(目の前にいたのは誰だ……。別人、みたいだ……)

 次第に体の力が抜けていく。
 今まで怪我をすることはあった。旅の道中、激しい戦闘に骨を折るような怪我も一度や二度だけでもない。与えられる噛み痕やひっかき傷は軽い怪我のはずなのに、そのときよりもっと痛かった。胸は痛み、息が苦しい。
 ルーチェの瞳からはぼろぼろと涙が溢れた。
 無力で、悔しくて、つらくて。
 抵抗する気も起きず、すがるようにシーツを掴む。
 ソティラスがルーチェの下穿きに手をかける。ぞわりと、身が竦む。

(……いや、これもソティラスを傷つけ続けた罰なら、受け入れなくちゃいけないのか……)

 諦めた途端、体が急に重くなる。あらがえない眠気に襲われるように、意識が遠ざかっていく。いっそのこと、このまま眠ってしまったほうが楽かも知れない。
 鉛のような身体で抗うことすら放棄した途端、ソティラスが唐突に手を止めた。

「……?」

 ルーチェはおそるおそる、ソティラスの表情を窺った。
 別人のようで怖くて見られなかったソティラスの顔は、複雑にゆがんでいた。
 泣き出しそうにも、痛みを堪えているようにも見える表情は、極悪非道の魔王が浮かべる表情ではなかった。

(ソティラス……?)

 顔が見えたのは一瞬だった。ソティラスがルーチェの胸元に顔を伏せる。

「……私と出会ったことで、お前が人間に迫害されるのではないかと危惧していた。ずっとお前を見てきた。遠くから無事と幸せを祈っていた。それだけだったはずなのに……それでも、目の前にすると離れがたくなり、無理やり側に置いた。……我を通した結果がこのざまだ」

 消えかける、朦朧とした意識の中で、ルーチェはソティラスの言葉を聞いた。

「再会に運命を感じた。私の長年抱いていた夢が間違っていないと教えてくれた相手を、無理矢理にでも側に置いておきたかった。お前ならわかってくれると、私は間違っていないと、ずっと思っていたかったのだ……」

 静かに独白する声は、微かに震えていた。

「その私を、魔王である私を殺しにきたのが勇者となったお前だとは、随分皮肉なものだな。……傷つけてすまない……。このような方法しか選べなくてすまない。……愛している、なによりもお前が大切なんだ、ルーチェ――」

 撫でたいと思った。無性にこの腕で抱きしめたいと。
 魔王が、誰にも見せない――ルーチェにしか見せない弱みを見せているのに……。
 しかし限界だった。腕に力は入らず、すぐにルーチェの意識は途切れた。
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