《勇者》兼《魔王の嫁》

いとま子

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29.無駄な足掻き

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 父は村で一番美味しいリンゴを作っていた。
 その傍ら、人間界に奴隷として連れてこられた魔族を、祖国に帰す仕事を秘密裏に行っていた。
 どんな方法だったのか詳しいことは知らない。ただ、『魔族は悪いやつばかりではない』と言う父の言葉は覚えていた。
 魔族の暮らすゲーティア国に来てから、魔族を恐れなかった理由はそれだ。他の人間よりも魔族は身近な存在で、魔族に慣れていただけのこと。

『知らないから怖いと思うんだ。知ってしまえば、彼らが怖くないものだと分かる。みんな優しいやつばかりだよ。人間と同じだ』

 そう言って笑った父は、しかし魔族に殺された。
 一緒にいた母も殺された。
 両親を殺した魔族は、父が助けようとした魔族だった。
 理由は分からない。ただ魔族を憎むきっかけになった。魔王を倒す動機が生まれた。
 両親を亡くした時の悲しみを、他の人に味わって欲しくない。
 きっかけは単純で明快、一生拭い去ることのできない、魔族に対する深い憎悪だった。
 父の言葉は忘れたことがない。幼い頃に出会った『まおー』が優しいくていいやつだということも知っている。
 それでも。ルーチェは人間で、両親を殺された恨みをもっていて。
 人々の希望を託された――勇者だった。



 どのくらい寝ていたのか定かではない。本当に寝ていたのかさえも分からないほど、身体は憔悴しきっていた。カーテンの隙間からは光の筋が床に伸び、舞い上がる埃を照らしていた。
 静かだった。いつもの爽やかな朝となんら変わりはない。違うのはここが、魔王の自室ということだけだ。しかしソティラスはいない。
 身体を動かすのに苦労した。深い泥沼の中にいるかのように身体が重い。無理矢理動かすと鈍い痛みに襲われた。

(痛いってことは、あれは、夢じゃないってことだよな……)

 苦しげな表情で襲いかかるソティラスの姿を思い出し、ルーチェはしばらく放心した。

(今まで騙してて、結果、裏切った俺が悪い。……わかってても、拒絶されることが、こんなにつらいなんて……)

 絶望感と喪失感に苛まれる。
 体にはいたるところに傷が残っている。ソティラスの噛み痕、ひっかき傷。夢ではない、現実なのだと何度も突きつけられる。
 何か服を着なければと、重い身体をなんとか動かし、身を起こして気付いた。ベッド横のテーブルに置かれているのは見覚えのあるものだった。ルーチェが魔王を倒しに来たときに着ていた服だ。
 激しい戦闘によりぼろぼろになっていた服は、綺麗につくり直されていた。旅の最中、ずっと身に纏っていた、青い衣と白い外套は勇者を現す装束となっていた。
 これを着ろということだろう。取り上げられていた封魔の剣も揃えて置かれていた。

(これを着て、人間側に戻れということか)

 今までのここでの生活は全てなかったことだと、拒絶されているように感じた。
 ルーチェは静かに袖を通し、鏡に自分の姿を映した。これが本来あるべき姿なのだ。
 希望の象徴を目に焼き付け、勇者に戻ったルーチェは部屋を出た。

「ルーチェ様!」

 部屋を出た途端、近くにいたレイルが叫んだ。勇者に戻った姿を見てはっと息をのむが、

「大変ですっ、人間たちがネグロ=ヴァルトを越えてこちらに大挙しています!」
「なっ!」

 信じがたい言葉だった。

「ネグロ=ヴァルトを、どうやって……?」

 強力な魔力に包まれる黒き森ネグロ=ヴァルトを通ることは非常に困難だ。長年、魔力が少ない人間には無理だと言われていた。そんな無茶をする前例が、と考えて気付く。
 レイルも察したのか深く頷いた。

「偵察隊からの報告だと、どうやらルーチェ様たちが通ったルートを辿っているようで……」

 もう人類にとって前人未踏の魔境ではない。ルーチェたちがネグロ=ヴァルトを抜け、魔王の元までたどり着いたという前例がある。ゲーティアまで来ることが不可能ではないと立証されているのだ。ハイリヒ国には魔王の元までたどり着いた仲間たちもおり、作戦参謀であったオルトスならルートを完全に把握しているだろう。

「でも、あのルートを通るのは時間がかかる。すぐには攻めてこられないはずだろ」

 ルーチェの言葉にレイルは目を伏せた。

「……ルーチェ様は、もうずっと眠っておられたので……」
「っ、……俺は、そんなに長く眠ってたのか」

 罪悪感に襲われるが、しかし思い悩んでいる暇はない。頭を振って切り替える。

「人間たちはどうなってる。シーナさんは、魔王はっ」
「……魔王様たちは森でハイリヒ軍を迎え撃つと、兵を整え出て行かれました」

 魔王の嫁になれば人間の平和を約束するという契約は破棄された。
 魔王に、人間に危害を加えない理由はない。
 人間との共存を望んではいるが、ソティラスは一国の主で自国の民を守らなければいけないのだ。領土に足を踏み入れ、平和を脅かすものは排除する。
 それがたとえ、自らの望みを絶つことになるとしても。
 ハイリヒ軍と対峙し、どうするのかは分からない。しかしこのままだと全面戦争になりかねず、魔王が出れば、それ以前にゲーティア軍と正面からぶつかれば、ハイリヒ軍に、人間側に勝ち目があるとは思えない。
 歯噛みする。ルーチェが捕らわれたことに、この現状を招いた一因があるのだ。
 ルーチェはレイルの両肩を掴んだ。

「今すぐここを立つ、行って魔王を止める! そこに案内してくれッ!」
「無理です!」

 レイルが悲痛な声を上げた。

「ここから森までどのくらいの距離があると思ってるんですかッ」

 ゲーティア城からネグロ=ヴァルトまでは大分離れており、今から普通に行っても相当時間がかかる。最悪、ルーチェがたどり着いたときには全てが終わっている可能性もある。

「それに危険です。体調も万全ではありませんよね。僕はルーチェ様を守るために側にいるんです。そんな戦場になんて、」
「こんなときに守るも何もあるかッ! 勇者の俺が魔王を止めなきゃ誰が止めるんだよ!」

 肩を掴んだまま揺さぶり必死に訴えた。今頼れるのはレイルしかいない。

「頼む、頼むよレイル。方角さえ教えてくれれば、後は自分で何とかするから」

 そうは言ったものの考えなど何一つなかった。それでもこのままじっとしているわけにはいかない。

(何か、何か現状を打破する方法はあるはずだ。諦めたら終わりだ。絶対に、俺があいつを止めないと……っ)

 唇を噛み、逡巡するレイルだったが、やがて、

「……分かりました」
 と、力強く頷いた。

「魔王様の元まで、空間転移魔法を使います」
「は?」
 
 レイルの提案に、ルーチェは首を振った。

「無理だ。そりゃあ一気に森まで飛べれば間に合うけど、空間転移魔法には相当の魔力が必要だろ、レイル一人じゃ!」

 オルトスが魔王城まで来るのにも、ハイリヒ国中の魔道士の協力が必要だったのだ。ハイリヒ国からゲーティア国までの距離より近いとはいえ、レイル一人で行うのは無謀すぎる。
 しかし、レイルは笑った。

「ネグロ=ヴァルトに住んでますから、他のひとよりも魔力は多いんですよ」

 そしてレイルが詠唱を始める。やがてルーチェの身体が光り始めるが、オルトスのときよりも光が弱い。次第にレイルの顔が歪み、尋常じゃない汗が流れ始めた。

「レイル無理だ!」
「む、無理じゃ、ないです……ッ」

 レイルは内から搾り出すように魔力を込め続ける。

「僕だって、人間と魔族が争うのなんて、見たくないっ。止められるのは……ルーチェ様、しか……っ」
「案内さえしてくれればいい。魔王の元へは俺一人で行く。これ以上はレイルの身体が――」
「何をやっているのです」

 突如割り込んできた声に、ルーチェは目を見開いた。いるはずのない者が立っていた。

「……なんで、ここに……」
「短絡的な誰かが無茶をしないかと見張るために」

 シーナはルーチェを見て淡々と言った。

「それと、魔王様に城の留守を任されました。向こうは魔王様おひとりで十分でしょうしね」
(まずい……!)

 絶望的な状況だった。ルーチェは奥歯を噛む。シーナがここにいることは想定外である。

(――ッ、まさかここで足止めされるのかよ。一刻も早くあいつのもとに行かないといけないのに!)

 空間転移魔法が成功すると仮定しても、ルーチェひとりを送るのが精一杯の現状では、シーナがルーチェの身体に触れられているだけで空間転移魔法は失敗し、ルーチェは戦地へ向かうことができなくなる。
 この危機的状況の中でもレイルの体力はどんどん削られていく上、一度シーナには完膚なきまでに叩きのめされている。勝てる確率は限りなく低い。
 しかし、負けるわけにはいかない。絶対に倒す。

「何をしているかと思えば、あまりにも浅はかではありませんか?」
「ま……待ってください、シーナ様。僕は、なんとしてでも……ルーチェ様を、魔王様のもとへ、送り届け、たいんです……だから、」

 レイルの訴えには答えず、シーナが静かに歩み寄ってくる。

「邪魔すんなっ、俺が絶対に魔王を止めるんだよ!」

 ルーチェはレイルをかばうように立ち、封魔の剣を構える。
 動揺することもなく、応戦することもなく、ただ静かに歩み寄り、シーナは間合いに入った。

「――ッ!」

 ルーチェは剣を振った。

「そんなことをしてもなんの意味もありませんよ」

 ルーチェの斬撃をかわし、シーナは淡々と告げた。

「無駄な足掻きはやめなさい――レイル」

 思いがけない言葉にレイルもルーチェも目を見開いた。
 シーナはレイルの肩に手を置き、ため息をついた。

「一人で空間転移魔法なんて無茶をして……レイルが倒れたら誰が好き好んで勇者様のお世話なんかするんですか」
「……シーナ、様?」

 困惑する二人をよそに、シーナが詠唱を開始する。すぐさまルーチェをまとう光量が増し、辺りまで眩しく光り輝いた。
 ルーチェは未だ戸惑いを残したままシーナを見る。

「いい、のか……?」
「いいわけないでしょう。魔王様のご命令にも逆らっていますし、私としては人間を駆逐するいい機会なんですがね。魔王様には城の留守と、貴方のことも任されましたので」

 シーナは口元を歪めた。笑っているようにも見える。

「魔王様は、勇者が戦場に立たないようにと、貴方の力を奪っておられる。戦いを有利に進めるためではない、貴方が傷つかなくて済むようにと、それほど大切に想われています。魔族と人間の共存という夢を、もう一度見せてくれた貴方を」

 裏切られたあとに抱かれたのは、力を奪うためだった。ショックだったはずなのに、そんなときでも考えていたのは、ルーチェのことだった。

「私は長年、魔王様の一番近くで仕えて参りました。魔王様の悲願も知っています。魔王様が貴方を大切に想っていることも。そして、貴方を側に置いておきたい、戦禍に巻き込みたくないと思っていながらも、貴方の選択を尊重したいであろうことも」
「シーナさん……」

 シーナは再び表情を引き締める。

「私も、魔王様の悲願を、このようなかたちで終わらせたくはありません。阻止できるとしたら、貴方しか――勇者様しかいない」

 シーナの言葉に、ルーチェはぐっと剣を握る手に力を込める。

「貴方には荷が重いとは思いますが、諦め悪く無様に足掻く勇者様がどうするのか、見物させてもらいますよ」
「ああ」
「……シーナ様、ありがとう、ございます……」
 と、レイルは消え入りそうな声でいい、その場に膝を突いた。やはり限界だったのだ。シーナがそっとレイルを支える。

「また貸しができましたね、勇者様。この借りは大きいですよ」
「後が怖いな」
「絶対に返してください」

 シーナに苦笑を残し、決戦の場へと向かう。

(勇者だと呼ばれようが、人間ひとりにできることなんてないかもしれない。今さら、無駄な足掻きかもしれない。でも、俺は――!)

 青と白の装束に包まれた勇者ルーチェは、光となって虚空に消えた。
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