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5.うちの子の弁当作ってください!
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明日は、賢治くんの家に手伝いに行く日だ。
お弁当を作っていったほうがいいかな、と考える。賢治くんのうちには、おじいさんとおばあさんもいると言っていたから、賢治くんと僕の分を合わせて四人分、いつもの量の倍は作らなければならない。
ご年配の方ってなにを食べるんだろう。僕は料理本をぱらぱらとめくる。肉より野菜のほうがいいのだろうか。力仕事だから肉がいいのか。だが硬いのは食べられないかもしれない。おばあさんの卵焼きは辛いって賢治くんは言っていたから、味付けは辛めのほうがいいのだろうか。
うーんと唸りながら僕は冷蔵庫を開けた。四人分となると、前に賢治くんにもらった野菜や買い置きの食材だけでは足りないだろう。買い出しに行かないと。
早速、財布を持って、容赦なく日差しが照りつける外へと出た。すぐに汗が噴き出る。
この町には、小嶋マートの他に、小嶋マートより少し大きいスーパーがある。しかし、スーパーは僕のうちから少し離れているので、いつも通り、潮の香りを感じながら橋を渡って、小嶋マートへと向かった。
「らっしゃいませぇ」
がたがたと自動ドアが開くと同時に、女の子の声が聞こえた。彼女がさやかちゃんだろう。レジカウンターに肘をついていたが、僕が店に入るなり、ぱっと身体を起こした。
髪ははじめて見たときと同じ金髪だったが、後ろで一つにまとめられており、挨拶もきちんとしていた。服装も普通のTシャツにジーンズ姿だ。あれだけ小嶋さんに反発していたので少し心配していたのだが、杞憂だったようだ。
「あれっ、もしかして雨恵さん?」
「はい、雨恵です。お父さんにはお世話になりました」
丁寧に頭を下げると、「やめてよぉ」とさやかちゃんは笑った。
「こっちこそすいません、雨恵さんの仕事、とっちゃった」
さやかちゃんはぺろりと舌を出す。その仕草が可愛らしかった。
小嶋さんに、もうこなくていいよと言われた後、今までのバイト代と退職金代わりの食用油のお中元セットをもらって、本当に辞めさせられてしまった。二度目の無職に少しへこんだが、経営側の事情もある。
「いいや、気にしないで。エプロン似合ってるね」
僕のぎこちない褒め言葉に、さやかちゃんは腰に手を当てて胸を張った。
「褒めてくれたから安くしたげる。二割引でいいよ。だからたくさん買ってってね」
「商売上手だけど、勝手なことしたらまた怒られちゃうよ」
と、苦笑しながら食材を選び始めた。夏野菜がたくさん並んで安くなっている。が、賢治くんに大量にもらっているので、それ以外を吟味する。特売の人参を手に取る。煮しめがいいかな。
「ねえ、雨恵さん。賢治兄ちゃんのお弁当つくってるってほんと?」
レジカウンターに両肘をついたさやかちゃんが声をかけてくる。
「うん、ほんとだよ。結構楽しい」
「すごーい、冷食とかじゃないんでしょ? めっちゃ大変じゃない?」
「まだ慣れないけど、それが楽しいんだよね。つくるのは簡単なものばっかりだし、自分の分もつくるついでだから、そこまで大変でもない」
「ほんと? じゃあさ、じゃあさ、今度あたしにも作ってよ」
「駄目だ!」
声に驚いて顔を上げると、自動ドアががたがたと開き、賢治くんが飛び込んできた。汗だくで、息を切らしている。僕とさやかちゃんは固まって賢治くんを見る。
「ど、どうしたの?」
何とかそれだけを言うと、賢治くんは僕の元に歩み寄り、両肩を掴んだ。
「雨恵さん、さやかの弁当よりうちの子の弁当つくってください!」
「え」
うちのこ……? うちの子って、賢治くんの子どもっ?
僕が混乱している間に賢治くんは材料を適当にカゴに入れ、さっさと会計を済ませた。さやかちゃんが賢治くんを質問攻めにしているようだが、内容は耳に入らない。賢治くんも慌てているのか、おざなりに応えている。
僕は賢治くんに手を引かれて外に出た。「ありがとうございましたぁ」というさやかちゃんの声と同時に、むわっとする熱気と眩しい光に我に返った。
お客さんが入ってくると邪魔になるので、駐車場の隅の木陰へと向かう。
「……え、えっと、賢治くん……うちの子、って……」
「ああ、まだ紹介してませんでしたっけ」
賢治くんは苦笑しながら頭をかく。
「うちには穂高っていうガキがいるんすけど――あ、小一の。今度学校の行事で海行くんですけど、弁当持たせなきゃいけないらしくて。でも、ばあちゃんが丁度、老人会の旅行に行くのとかぶってんの、みんなすっかり忘れてたんですよ。ばあちゃんとじいちゃんもう出発しちゃったし、だからすごく困ってて」
早口で説明すると、賢治くんは頭を下げた。
「良かったらつくってくれませんか? 勝手なこと言ってすみませんけど。簡単なやつでいいんで!」
小嶋マートで買ってもいいんじゃないかと、一瞬頭によぎったが、すぐに打ち消した。周りの友達が手作りのお弁当なのに、自分だけ店のお弁当っていうのは寂しいはずだ。
賢治くんの奥さんも料理ができないのだろうか、と考えて気付いた。賢治くんは二十一才なのに小学校一年生の子どもはおかしいじゃないか。いや、出来ないことはないのだろうが……歳の離れた弟なのかもしれない。
「お願いします、雨恵さん」
賢治くんは頭を下げた状態で僕の表情を窺う。眉尻を下げて見つめられると犬のちゃまるを思い出す。頼まれたらもちろん断われない。いや、これは断われたとしても断わらない。
「僕のお弁当でよかったら、頑張ってつくるよ」
「ありがとうございます!」
賢治くんは勢いよく顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。犬だったら全力で尻尾を振ってそう。そんなに喜ばれたらこっちも嬉しくなる。
「それで、弁当がいる日っていつなの?」
賢治くんは笑みを浮かべたまま言った。
「明日です」
「明日!」
驚いて声を上げると、賢治くんは安堵したように胸に手を当てた。
「いやあ、ここに来て正解でしたね。雨恵さんを探してたんですけど、家の場所も連絡先も知らないし、小嶋さんにでも聞けばわかるかなと思ってきたら、雨恵さんがいてくれたからちょうど良かったです」
賢治くんは白い軽トラックを指さした。
「今からうち来ます? 何か予定はありますか?」
「いや」最近暇を出されたばかりだから。「ないけど」
「だったら来てくださいよ。多分うちに穂高もいると思うんで」
僕が頷くと賢治くんは笑った。笑顔が逆光でまぶしい。
賢治くんの白い軽トラックの助手席に乗り込み、僕は賢治くんから受け取った、先ほど買ったお弁当の材料を膝の上に載せた。賢治くんがたくさん買ったからかずっしりと重い。肉なのか豆腐なのか、ひやりとして気持ちよかった。
賢治くんの家は山の上のほうにあった。木々に挟まれた、曲がりくねった細い道を登り続ける。日差しは遮られているので道中は涼しかったが、本当にこんなところに家なんかあるのかと失礼ながら疑い始めたところだった。
木のトンネルを抜けると、魚の肋骨のようなビニールハウスの骨組みと、古い民家を改装したシャッターのついた小屋が見えた。
左手にみかん畑、右手には水田が見える真っ直ぐな坂道を登りきると、開けた場所に出た。広い駐車場なのか、庭なのか、その突き当たりに大きな家が構えていた。
お弁当を作っていったほうがいいかな、と考える。賢治くんのうちには、おじいさんとおばあさんもいると言っていたから、賢治くんと僕の分を合わせて四人分、いつもの量の倍は作らなければならない。
ご年配の方ってなにを食べるんだろう。僕は料理本をぱらぱらとめくる。肉より野菜のほうがいいのだろうか。力仕事だから肉がいいのか。だが硬いのは食べられないかもしれない。おばあさんの卵焼きは辛いって賢治くんは言っていたから、味付けは辛めのほうがいいのだろうか。
うーんと唸りながら僕は冷蔵庫を開けた。四人分となると、前に賢治くんにもらった野菜や買い置きの食材だけでは足りないだろう。買い出しに行かないと。
早速、財布を持って、容赦なく日差しが照りつける外へと出た。すぐに汗が噴き出る。
この町には、小嶋マートの他に、小嶋マートより少し大きいスーパーがある。しかし、スーパーは僕のうちから少し離れているので、いつも通り、潮の香りを感じながら橋を渡って、小嶋マートへと向かった。
「らっしゃいませぇ」
がたがたと自動ドアが開くと同時に、女の子の声が聞こえた。彼女がさやかちゃんだろう。レジカウンターに肘をついていたが、僕が店に入るなり、ぱっと身体を起こした。
髪ははじめて見たときと同じ金髪だったが、後ろで一つにまとめられており、挨拶もきちんとしていた。服装も普通のTシャツにジーンズ姿だ。あれだけ小嶋さんに反発していたので少し心配していたのだが、杞憂だったようだ。
「あれっ、もしかして雨恵さん?」
「はい、雨恵です。お父さんにはお世話になりました」
丁寧に頭を下げると、「やめてよぉ」とさやかちゃんは笑った。
「こっちこそすいません、雨恵さんの仕事、とっちゃった」
さやかちゃんはぺろりと舌を出す。その仕草が可愛らしかった。
小嶋さんに、もうこなくていいよと言われた後、今までのバイト代と退職金代わりの食用油のお中元セットをもらって、本当に辞めさせられてしまった。二度目の無職に少しへこんだが、経営側の事情もある。
「いいや、気にしないで。エプロン似合ってるね」
僕のぎこちない褒め言葉に、さやかちゃんは腰に手を当てて胸を張った。
「褒めてくれたから安くしたげる。二割引でいいよ。だからたくさん買ってってね」
「商売上手だけど、勝手なことしたらまた怒られちゃうよ」
と、苦笑しながら食材を選び始めた。夏野菜がたくさん並んで安くなっている。が、賢治くんに大量にもらっているので、それ以外を吟味する。特売の人参を手に取る。煮しめがいいかな。
「ねえ、雨恵さん。賢治兄ちゃんのお弁当つくってるってほんと?」
レジカウンターに両肘をついたさやかちゃんが声をかけてくる。
「うん、ほんとだよ。結構楽しい」
「すごーい、冷食とかじゃないんでしょ? めっちゃ大変じゃない?」
「まだ慣れないけど、それが楽しいんだよね。つくるのは簡単なものばっかりだし、自分の分もつくるついでだから、そこまで大変でもない」
「ほんと? じゃあさ、じゃあさ、今度あたしにも作ってよ」
「駄目だ!」
声に驚いて顔を上げると、自動ドアががたがたと開き、賢治くんが飛び込んできた。汗だくで、息を切らしている。僕とさやかちゃんは固まって賢治くんを見る。
「ど、どうしたの?」
何とかそれだけを言うと、賢治くんは僕の元に歩み寄り、両肩を掴んだ。
「雨恵さん、さやかの弁当よりうちの子の弁当つくってください!」
「え」
うちのこ……? うちの子って、賢治くんの子どもっ?
僕が混乱している間に賢治くんは材料を適当にカゴに入れ、さっさと会計を済ませた。さやかちゃんが賢治くんを質問攻めにしているようだが、内容は耳に入らない。賢治くんも慌てているのか、おざなりに応えている。
僕は賢治くんに手を引かれて外に出た。「ありがとうございましたぁ」というさやかちゃんの声と同時に、むわっとする熱気と眩しい光に我に返った。
お客さんが入ってくると邪魔になるので、駐車場の隅の木陰へと向かう。
「……え、えっと、賢治くん……うちの子、って……」
「ああ、まだ紹介してませんでしたっけ」
賢治くんは苦笑しながら頭をかく。
「うちには穂高っていうガキがいるんすけど――あ、小一の。今度学校の行事で海行くんですけど、弁当持たせなきゃいけないらしくて。でも、ばあちゃんが丁度、老人会の旅行に行くのとかぶってんの、みんなすっかり忘れてたんですよ。ばあちゃんとじいちゃんもう出発しちゃったし、だからすごく困ってて」
早口で説明すると、賢治くんは頭を下げた。
「良かったらつくってくれませんか? 勝手なこと言ってすみませんけど。簡単なやつでいいんで!」
小嶋マートで買ってもいいんじゃないかと、一瞬頭によぎったが、すぐに打ち消した。周りの友達が手作りのお弁当なのに、自分だけ店のお弁当っていうのは寂しいはずだ。
賢治くんの奥さんも料理ができないのだろうか、と考えて気付いた。賢治くんは二十一才なのに小学校一年生の子どもはおかしいじゃないか。いや、出来ないことはないのだろうが……歳の離れた弟なのかもしれない。
「お願いします、雨恵さん」
賢治くんは頭を下げた状態で僕の表情を窺う。眉尻を下げて見つめられると犬のちゃまるを思い出す。頼まれたらもちろん断われない。いや、これは断われたとしても断わらない。
「僕のお弁当でよかったら、頑張ってつくるよ」
「ありがとうございます!」
賢治くんは勢いよく顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。犬だったら全力で尻尾を振ってそう。そんなに喜ばれたらこっちも嬉しくなる。
「それで、弁当がいる日っていつなの?」
賢治くんは笑みを浮かべたまま言った。
「明日です」
「明日!」
驚いて声を上げると、賢治くんは安堵したように胸に手を当てた。
「いやあ、ここに来て正解でしたね。雨恵さんを探してたんですけど、家の場所も連絡先も知らないし、小嶋さんにでも聞けばわかるかなと思ってきたら、雨恵さんがいてくれたからちょうど良かったです」
賢治くんは白い軽トラックを指さした。
「今からうち来ます? 何か予定はありますか?」
「いや」最近暇を出されたばかりだから。「ないけど」
「だったら来てくださいよ。多分うちに穂高もいると思うんで」
僕が頷くと賢治くんは笑った。笑顔が逆光でまぶしい。
賢治くんの白い軽トラックの助手席に乗り込み、僕は賢治くんから受け取った、先ほど買ったお弁当の材料を膝の上に載せた。賢治くんがたくさん買ったからかずっしりと重い。肉なのか豆腐なのか、ひやりとして気持ちよかった。
賢治くんの家は山の上のほうにあった。木々に挟まれた、曲がりくねった細い道を登り続ける。日差しは遮られているので道中は涼しかったが、本当にこんなところに家なんかあるのかと失礼ながら疑い始めたところだった。
木のトンネルを抜けると、魚の肋骨のようなビニールハウスの骨組みと、古い民家を改装したシャッターのついた小屋が見えた。
左手にみかん畑、右手には水田が見える真っ直ぐな坂道を登りきると、開けた場所に出た。広い駐車場なのか、庭なのか、その突き当たりに大きな家が構えていた。
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