夏のお弁当係

いとま子

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21.お盆

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 お盆になると一気に町の人口が増えたように感じる。他県のナンバープレートも多く、それを発見するのは面白い。
 小嶋マートもにぎわっているらしく、僕は久しぶりに小嶋マートを手伝うことになった。
 涼しいクーラーの風をあびながら、さやかちゃんと並んでレジに立つ。

「雨恵さーん、ありがとー。すっごい助かる」
「こちらこそ。賢治くんのところはクビになったから」
「あはは、なにそれ」

 賢治くんたちは稲刈りをしているのでそっちを手伝おうとしたが、断わられた。この前、稲刈りを終えた後、賢治くんと穂高くんと一緒に海に行ったら体調を崩したからだ。賢治くんは以前にも増して頑なに手伝いの申し出を拒否するようになった。自分の体力のなさが恨めしい。
 小嶋マートは開店直後から人が途切れなかった。
 一人ひとり買うものの量も多く、客人が来るのか飲み会をするのか、ビールやジュースを箱で買う人もいる。お客さんが持てない分は僕が車まで運ぶ事もあった。外に出て暑さに辟易し、店に戻って冷気に安堵することを繰り返した。さやかちゃんと小嶋さんだけでは大変だっただろう。クビにされてよかったかもしれない。

「ああ、雨恵くん。ちょうどよかった」

 お客さんが少し減り始めたころ、バックヤードに行っていた小嶋さんが店に飛び込んできた。

「雨恵くんにちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」

 小嶋さんに連れられて来たのは、隣の農協だった。窓口は締まっており、それより先の資材置き場はシャッターが半分ほど開いていた。賢治くんがたまに寄って、農薬やら肥料やらを買っている。
 シャッターをくぐって中に入る。肥料などが積んである室内は薄暗く、ひんやりとしていた。お盆は休みなので従業員は見当たらない。小嶋マートに比べずいぶんと静かだった。
 奥に進むと、スチール製の机が並んだ事務所があった。初老の男性がひとり座っている。職員の戸田さん、と紹介された。
 小嶋さんが早口で尋ねる。

「雨恵くんパソコン使える?」
「はい。簡単な作業なら大丈夫です」
「よかったあ。これなんだけどね」

 小嶋さんはノートパソコンの画面を指差す。表計算ソフトだった。

「この資料をまとめてほしいんだよ」

 小嶋さんが紙の束を出す。

「いじってたら勝手にデータが消えちゃったらしくて、お盆明けたら使うんだったらしいけど、戸田さん、パソコンは苦手なんだって」
「すまないね」
 と、戸田さんが頭を下げる。

「いつもやってくれる若い子が旅行行っちゃっていなくてね。電話で聞いてもさっぱりで。よかったら手伝ってくれないかな?」
「いいですよ」

 前の会社ではよく使っていたし、経験が役に立ってよかった。営業で駆けずり回るよりは、資料を作っているほうが好きだった。勝手に消えたというデータも多くはなく、難しい作業ではなかった。戸田さんと協力しながら、一時間ほどで終わった。

「ああ、ありがとう。ほんとに助かったよ」

 戸田さんは何度もお礼をいい、お詫びに、と箱詰めされた洗剤のセットをくれた。お中元だろうか。缶コーヒーもおごってもらって二人で飲みながら談笑していると、小嶋さんもやってきた。

「おっ、もう終わったのかい。さすが雨恵くん、大きな会社に勤めてただけあるよ」

 小嶋さんはしきりに頷いた。そうなのかい、と戸田さんが眉を上げる。

「そういえば、リストラされたんだっけ?」
「いやいや、自主退職です。お恥ずかしい話ですけど。今、夏休み中で、帰ったら仕事探さないといけないんですけどね」
「じゃ、夏休み終わったら、うちに来てくれないかな。ほら、この前、カンちゃんが都会に住む息子夫婦のとこに世話になるっつって、辞めたからさあ」

 戸田さんは笑う。本気か冗談かは分からないが、簡単に仕事内容を説明してくれた。

「田舎だし、給料も高くはないけどね、休みは多いし、のんびりしてるし、結構楽しいよ」

 こっちで働くなんて考えたことがなかった。夏休みが終われば実家に帰り、就職活動をしようと思っていたが、選択肢のひとつにいいかもしれない。
「うちで働いてくれるのも大歓迎だよ」と小嶋さんも言う。「さやかちゃんも同じことを言っていましたよ」と言うと、「親子だなあ」と小嶋さんは嬉しそうに笑った。
 のんびりと働いて、休みの日は賢治くんのお手伝いでも出来たらいいかもしれないな、と考える。料理を振る舞ったり、穂高くんと遊んだり、おじいさんおばあさんと話したり。今のような時間がずっと……、なんて、甘い考えだとはわかってる。
 いつか賢治くんに彼女が出来て、結婚したら、笑ってお祝いできる自信がない。
 賢治くんが幸せそうに笑う姿を側でずっと見ていたい。でも、それはきっと賢治くんが新しい家庭を築いていくときなんだと思う。

「ありがとうございます。考えてみます」

 僕は二人に言う。「前向きに検討してみてよ」と嬉しい言葉をもらえた。
 ただ、この町で働いて暮らしていくならば、この気持ちは封印しなくては。
 賢治くんが僕の知らないお嫁さんと幸せになっていくのを、祝福していく覚悟を決めないと。
 


 テレビでは、帰省する人や旅行に行く人で高速道路が渋滞しているというニュースばかり流れている。この町にいると忘れがちだが、日本に車は多い。
 お盆になっても賢治くんは休むことがなかった。稲刈りで忙しいらしい。おじいさんとおばあさんも稲刈りに行くので、僕は三人分の弁当を作った。
 卵焼き、鶏の唐揚げ、ひじきの煮物、ブロッコリーやほうれん草は茹で、かぼちゃやサツマイモ、ピーマンは素揚げにして甘辛いタレをつける。おじいさんとおばあさんには唐揚げのかわりにサバの塩焼きを。おにぎりは痛まないように、おばあさんが作った梅干を入れている。多めにつくって、僕と穂高くんの昼ご飯にする。
 直接労働力にはなれないので、せめて働く元気を与えられるようにと、僕が作れる精一杯のものを詰められるだけ詰めている。
 おやつにはそうめんを持って行く、とおばあさんが言っていたので、時間に合わせて僕が茹でて持って行った。水筒に氷水も持って行く。「冷えたそうめんを外で食べられるなんて」とみんな喜んでくれた。
 他にすることがない僕は、おばあさんに頼まれて、家の掃除をやって、布団を干し、穂高くんと一緒に団子を作った。団子はお盆に欠かせないらしい。米粉でできたものと、ホットケーキの粉でできたものの二種類。中に粒あんが入っている。
「世界一おいしい!」と、穂高くんに太鼓判を押してもらった自信作だ。味見しすぎたので、追加でもう一度つくった。
 日が暮れはじめると、稲刈りを終えた賢治くんたちが帰ってきた。いつも通りすばやく風呂から上がった賢治くんだったが、今日は珍しくTシャツを着ていた。

「どこか行くの?」
「墓に。先祖さんたちをお迎えに行きます。雨恵さんも行きましょう」

 以前賢治くんが買っていたピンク色の提灯を持って墓へと歩いて行く。墓は賢治くんの家からさらに上ったところにあった。穂高くんは元気に上り坂を駆け上がっていく。
 賢治くんのお父さんとお母さんもここに眠っているのだろう。
 急な坂道に息を切らせながら、僕は賢治くんに尋ねた。

「寂しくない?」

 僕はこの時期があまり好きではない。どんなに青空に入道雲が映えていても、なんとなく暗い感じがする。僕のうちの墓に眠っている人は、僕が生まれる前から故人ばかりなのだが、それでも僕は寂しくなった。大切な行事なのはわかるが、わざわざ悲しみを掘り返しているように感じるのだ。
 賢治くんは困ったように眉を下げた。

「少しは寂しいですよ。でも、穂高もじいちゃんもばあちゃんもいますし」

 賢治くんは照れたような笑みを浮かべて続けた。

「命日の日って、丁度忙しい時期だから感傷に浸っている暇はないし、こういう行事は駄目ですね。どうしても考えちゃいます」

 やはり賢治くんもつらいと感じるんだ。僕でさえそうなのだから、賢治くんは余計に寂しく思うだろう。
 賢治くんは、「ああ、でも」と、声の調子を上げて続けた。

「大切なことなんでしょうね。故人を偲ぶこと、っていうんですかね。残された人は、忘れないようにしなくちゃいけないんですよ、多分。それに、うちに帰ってきてくれてるなら、やっぱ嬉しいです」
「賢治くん……」
「あはは、少し湿っぽくなっちゃいましたね」
「けんじー、うけいー、はやくー」
「ほだかー、そこでストップなー。さ、雨恵さん。穂高のとこまで競争、負けた方がアイスおごりで。はいスタート!」
「ちょ、僕、絶対勝てないじゃん!」

 笑いながら墓の前につくと、三人で墓前に手を合わせた。僕は隣に立つ賢治くんを盗み見る。さっきまで明るく笑っていたけど、手を合わせ、目を瞑るその横顔がひどく悲しそうに見えた。

「僕がいるよ」

 顔を上げた賢治くんに思わず言っていた。取り消すことも出来ず、僕は慌てて目を逸らした。

「……なんて言っても、意味はないけど」

 本当に意味はない。僕がいたとしても、なにが出来るわけではないのに。
 賢治くんは笑った。

「そんなことないですよ。嬉しいです。ありがとうございます」

 穂高くんが「おれもいるよ!」手を上げる。

「そうだな、ありがとな」

 賢治くんはわしゃわしゃと穂高くんの頭をなでる。笑い声が墓地に響いた。
 提灯に火をつけて家まで持って帰るらしい。ご先祖様たちが火をたどって僕たちのあとをついてくるのだそうだ。明かりの灯った提灯を持つ穂高くんが慎重に動いていたので、僕たちはゆっくりと坂を下った。
 家に帰ってきてから団子を食べた。調子に乗ってつくりすぎた団子を次々と口へ運びながら、「美味しいです」と賢治くんが笑う。その表情がいつも通りで、ただ少し寂しそうにも見えて、もっと甘くすれば良かったのかなと、少し後悔した。
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