すべてを捨てても君だけを 〜魔女の贖罪 PROLOGUE〜

秋草

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出会いの日

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 その人と出会ったのは、人生の分岐点なんて予兆も何もない、大雨の日だった。突然の雨に傘もなく、買い物帰りのスーパーで雨宿りをしていたとき、彼もまたそこにいたのだ。面倒そうに雨を睨む彼が手にしていたのは、大福のような可愛らしいぬいぐるみ。典型的な不良のなりをしている彼が、そんな可愛いものを持っている姿に気を取られて、不意に目が合ってしまった。

「何」
「す、すみません! ぬいぐるみが気になっただけで」
「は? ……別に、好きで持ってるんじゃねえよ、勘違いするな。ダチとゲーセンに行ってノリでやったら獲れちまっただけだ」
「そ、そうでしたか」

 いいなあ、かわいいなあ。

「欲しいの」
「へっ、いやいやいや、そんなつもりでは!」
「やる。持って帰っても置き場に困るだけだからな、むしろお前が持って帰れ」
「えぇ……」

 見知らぬ不良からの突然の譲渡、怖すぎる。でも断るのも怖いし……と思い受け取ったそれは、棄てるのも憚られた結果、部屋の片隅にひっそり隠されることとなった。


**********


 後日、友人の陽奈(ひな)と二人で出かけた先で、私達は恐ろしい事件を目撃してしまった。それは夕方、まだ人通りもあるような街でのこと。威圧的な大声が響き、誰もがそちらに目を向けた。複数名の不良達がぐるりと誰かを取り囲み、到底聞くに堪えない罵声を浴びせている。聞いているだけでも恐ろしいのにあの真ん中にいる人はどうなってしまうのだろう、と思った矢先、わずかに人が避けたところから中の人が見え、思わず口を覆った。
 あの人、ぬいぐるみをくれたあの不良だ。あの人がなんで……。
 でも、私の心配など余計なものだったようで、そこからの展開はあっという間だった。喧嘩を売った不良の集団は、悉く彼の足元に転がったのだ。

「うわ、容赦ない」

 陽奈が呟いた通り、その人には情けというものがないようだった。殴りかかってきた者は全て拳と足技で圧倒し、一度ねじ伏せた相手が少しでも起きあがろうとすれば容赦なく踏みつけ、蹴飛ばした。ここまでやった本人にはほとんど怪我はない。そして、その目は前に会った時よりもずっと暗くて、ずっと恐ろしかった。
 人が殴られ蹴られているのは初めて見たし、こんな暴力を前に誰も口出しをできないこの状況も初めてだ。そう思った時に首をもたげたのは、私の中の僅かな正義感。絶対に関わるなと叫ぶ恐怖心と、見て見ぬふりをするなと訴える道徳心と……様々な思考が混ざり合った私からは正常な判断を下す余裕など消えていた。そしてきっと、ぬいぐるみをくれたというだけで、どこか知り合いに対してのような気の緩みがあったと思う。
 だから、やってしまったのだ。

「あのっ!!」

 血の匂いがかすかに漂う空間に、私の裏返った声が響く。彼は呻く不良の頭上で片脚を上げたまま、静か視線を向けてきた。

「……何」
「こ、こんなことを街中でやるの、やめてください!」
「は?」

 暗く冷えた目が細められ、以前聞いたよりも数トーン低い声で睨まれる。そこでようやく我に返り、自分の馬鹿さに青ざめた。
 人を平気で殴るのだ、こんなひ弱で生意気な人間など簡単にへし折られるに違いない。
 死を覚悟して立ち尽くす私を見据えていた目はしばしの間留まり、ゆっくり彼の足元に向けられた。そして寸の間何かを思案した後で下ろされた足は、人を踏むことなく地面についた。

「おいお前、名前は、」
「あそこだ! おいお前達、そこまでにしなさい!」

 再び視線を私に戻した彼の言葉を遮るように、離れたところから制止の声が飛んできた。見れば青服の一団……警察官だ。騒ぎを聞いて駆け付けたに違いない。

「に、逃げるよ!」

 彼の気が警察側に逸れたその一瞬が狙い目と踏んだのだろう。足がすくんで動けなくなった私の腕を引き、友人が全速力で駆け出す。私の足がもつれて転ばなかったことが奇跡くらいには速かったが、そのおかげで無事に駅まで辿り着いた。
 その後友人に全力で怒られこってり絞られた挙句、機嫌取りのために自宅の最寄り駅のカフェでケーキをご馳走する羽目になったのは、まあ仕方ないことだと思う。


 そんな一日を終えた布団の中。思いがけず怖い思いをしたな、なんて呑気に考えながら眠りについたことを、私は数日後に深く後悔することとなる。
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