魔法帝国の守護伝説

秋草

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しのぶる恋

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 グラシエルの笑みは何を示していたのか。それは早くも翌日に判明した。
「さあイリーシャ、お稽古を始めましょうか」
 キラキラと笑みを輝かせて訓練場に現れたのは、一つも武器を持たない王妃だった。
「お母様がお稽古をつけてくださるのですか?」
 前日の訓練でグラシエルとの時間が憂鬱になっていたイリーシャの表情が、ぱあっと明るくなる。ルーシェアは聖母の如き王妃だ。グラシエルよりはずっと優しいに違いない。しかし、グラシエルの方をちらりと見ると、彼はこちらに憐れみの微笑みを向けていた。
「頑張ってくださいね」
「え……」
「ほらほら、早く始めましょう。リード隊長、あとの二人は頼みますよ?」
 にこやかな王妃に急かされ、グラシエルがクライドとフォルティカを連れて訓練場を移動する。ここには他に二つの訓練場があるらしいから、そのいずれかに向かったのだろう。
「――それでは改めて、よろしくお願いします」
 イリーシャが一礼し、ルーシェアと真っ直ぐに向き合う。
 ルーシェアは口許に優しい笑みを湛えたままだ。それ故に、このときはまだ予想もしなかった。彼女が、天使の顔をした悪魔であることを。


*****


 その日の晩餐では、いつも埋まるはずの席が一つだけぽっかりと空いた。
「イリーシャは……?」
 ぼんやりとした目でフォルティカが問い掛ければ、王妃から苦笑が漏れた。
「自分の部屋で熟睡中よ。魔術を多用し過ぎたようね」
「魔術? あいつ、もう使えるように?」
 クライドは驚きつつも悔しさの滲む顔だ。彼とフォルティカも今日一日魔術発動の訓練を受けていたが、共に成功とはならなかった。グラシエル曰く、幼少の頃より鍛練を積んでいない者がすぐに魔術を使えるようになることは、まずないらしい。
「イリーシャはどこまで使えるようになりましたか?」
 兄妹への対抗心を露にするクライドを、ルーシェアは優しい眼差しで見つめた。
「まだ水飛沫を防ぐ程度の防御魔術だけよ。それに、今日あの子が使ったもののほとんどは自発魔術、いわゆる絶対防御魔術だったわ」
 絶対防御と聞いたクライドとフォルティカの脳裏に、旅の道中に自分達を守った青い膜が浮かぶ。あのときの魔術を数回使ったのだと分かり、クライドは眉間に皺を寄せた。
「その魔術……一回使っただけで腰が砕ける類いのものですよね?」
「そうよ。私とイリーシャのみが持つ防御能力の一つで、あらゆる攻撃を本人の意志に関わらず退ける魔術。けれど魔力の消費が激しすぎるから、本来は頼ってはいけない力」
「それを多用したとなれば、食事を忘れて眠るのも頷けますね」
 呆れ気味に言ったクライドの隣で、フォルティカは友を想い憂い顔になっている。
「イリーシャは頑張り屋さんですもの…。大丈夫でしょうか」
「ただ熟睡しているだけならば、何も心配はいらない。明日の朝には目を覚ますさ」
 そう言ってニヤリと口の端を上げるギルオスだったが、娘たるフォルティカの目は据わっていた。
「……父上の『大丈夫』は世界一信用できませんね」
 レイズの街に住みながら度々行われた武術の鍛練の際、一晩中剣を振ったところで何日も腕の痛みが残ることはない、と自信たっぷりに言われて言われた通りにした結果、一週間ほど鈍痛に悩まされた。またあるときは、疲れぬうちに隣国に着くと言われた道程を失神しかけながら歩かされた。いずれもギルオス自身には真実だったのだが、凡人には嘘にしかならない言葉だったのだ。もっとも、少しの疑いもなく従ったフォルティカもフォルティカなのだが。
「イリーシャが目を覚ますのは明後日ですね……」
 フォルティカのため息混じりの呟きは、そのまま現実となった。イリーシャは翌日も目を覚まさず、ずっとスヤスヤと心地よさそうな寝息を立てていたのだ。
 さらにその翌日にようやく目を覚ましたイリーシャは、幸福に満ち足りた顔をしていた。
「なんだか幸せそうね。いい夢でも見たの?」
 微笑を浮かべるフォルティカに顔を覗き込まれ、上体を起こしていたイリーシャが肩をびくつかせる。いい夢には違いないが、親友にも明かせぬ夢を見ていた。実は眠っている間、ずっと彼といたのだ。


 彼がイリーシャの前に現れたのは、ルーシェアとの鍛練の後、ベッドに倒れ込んですぐのことだった。
『――てくれ、イリーシャ』
 薄れた意識の中で呼び掛けられ、はっとしたときには、イリーシャは知らない部屋のベッドに寝ていた。
『ここは……』
『お前の夢の中にある、私の城だよ』
 枕元から答えが返り、そちらに目を向ける。そこではリウスが椅子に腰掛け、身を乗り出すようにしてイリーシャを見つめていた。
『り、リウス……』
 彼を認識した途端、顔の熱が一気に上がったのがわかる。
 リウスはイリーシャの髪を撫で、そのまま彼女の頬に手を添えた。
『ようやく目覚めた。ずっと会いたかったよ、イリーシャ』
『そ、そんな、前に会ったときからほんの数日しか経っていないのに……』
『ほう、イリーシャは平気なのだね。ほんの数日でも私は耐えがたいというのに』
『っ!』
 リウスの甘い囁きには毎度のことながら悩殺されてしまう。
 イリーシャは一度布団を頭まで引き上げ、中でもぞもぞと動いたあとで目だけを出した。
『私、も、会いたかった……』
『そうか、よかった』
 イリーシャを見守るようなリウスの優しい笑みに、確かな喜色が混ざる。
 それから二人はとりとめのない話を続け、城の庭を散歩したりもしながら、長い夢の時間を満喫した――。


 長くも短い逢瀬を思い出し、イリーシャは知らぬうちに頬を紅く染めていた。それをフォルティカに指摘され、さっと頬の熱が冷める。
「なあに、もしかして、想い人との逢瀬でも夢に見たの?」
 にやにやと口の端をつり上げたフォルティカの勘の鋭さは、このときばかりは心臓に悪いものだった。
「ま、まさか。想い人なんかいないよ……」
「あら、残念。リード隊長に惹かれているかと思ったのに」
「は!?」
 突拍子もない話にイリーシャは目を剥いた。
「な、なぜそこでリード隊長が出てくるの?」
 グラシエルは顔は良いが、魔術指導初体験の少女を徹底的に扱いて笑っている鬼だ。憎みこそすれ恋愛感情を抱くなどあるはずがない。もっとも、王妃の方が鬼より恐ろしいのだが。
「冗談はよしてよ。リード隊長にはときめくポイントが皆無なのに、好きになんてならないって」
「あら、そう。……ときめくポイント、ねえ」
 そう呟きながら渋面を作って訴える親友を見つめていたフォルティカは暫し目を宙に向けた。そして何かを思い出した様子でイリーシャに目を戻した。
「そういえば、今の時間は親衛隊が訓練をしているそうよ。観に行ってみない?」
 イリーシャを思ってというよりは個人的な興味故の提案らしく、フォルティカの瞳がキラキラと輝いている。期待を覗かせる彼女を前にして断る勇気もなく、イリーシャは半ば項垂れながら承諾した。
 魔術を使い慣れている軍人の訓練を見学するのもいい勉強かもしれない。
 そう思い直しただけで、少しだけ気が軽くなった気がした。
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