華ある恋と神のみ知る意志

秋草

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愛しの

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 華夜乃と飛神が仲直りをした翌日、二人は肩を並べて高校へ行き、帰路についた。
「ねえ、飛神、森の中にある池で、釣りでもしてから帰らない?」
 嬉々として提案した華夜乃に、飛神の据わった目が向けられる。
「拐われて間もない中で、拐われた場所によく行けるな」
「飛神が一緒なら、何も怖くないもの。ねえ、行こうよ」
「反対だ。ついさっき、依保に叱られたばかりだろ」
「うっ……」
 そう言われては、返す言葉がない。
 実は今日一日、華夜乃は依保にこっぴどく叱られて過ごした。
 登校直後、梨里が華夜乃に感謝及び謝罪の言葉と涙と共にタックルを仕掛けてから、その場で梨里から事情を聞いた依保の怒りが収まらず、ついに下校の直前まで叱る以外に口をきいてもらえなかったのだ。
『危険を承知で森に行くだなんて、一体何を考えているの? 梨里ちゃんのためというのは善意であっても、命を棄てる行為は全く善行とは言えないわよ!』
『ご、ごめんなさい……』
『謝って済むことではないでしょう!』
 何故自分だけ怒られるのかとふて腐れもしたが、それを口にして依保の逆鱗に触れるのは恐ろしかった。
「わかったよ、真っ直ぐ帰るよ……」
 行きたかった、と肩を落とした華夜乃を暫し見下ろし、飛神は彼女の髪をグシャグシャと掻き乱した。
「なっ何するの!?」
 華夜乃が髪を手櫛で整え、泣きそうな顔で飛神を睨む。
 睨まれた方はというと、彼女の反応を面白がるような顔でいた。彼女の睨みなど、飛神には仔犬の威嚇ほども恐ろしくないのだ。
「お前が落ち込むと調子が狂う。それに」
 飛神は上空に目を向け、一点を指差した。華夜乃も彼の視線を追って上を見上げる。
 空の低い位置で、一羽の鷹と思われる鳥が円を描いていた。
「あいつがいるということは、家に客が来ている」
 このタイミングでの客人といえば、大方憲兵だろう。件の取締強化のため、華夜乃に会いに来たに違いない。華夜乃の予想より早く、少し驚いた。
 どの道、森などに寄っている場合ではなかったようだ。
 そうと決まれば、早く家に帰りたくなる。
「急ごう!」
 タッと軽やかに駆け出した華夜乃を、飛神は呆れ半分可笑しさ半分といった様子で追いかけた。


***


 春日野宅に二人が到着すると、家の前には五頭の馬が留めてあった。殆どの馬が濃い茶色の毛並みだが、一頭だけは漆黒だ。おそらく、あれが隊長騎だろう。
 馬の世話をしつつ、絶えず警戒の目を辺りに向けている二人組は、どう見ても憲兵だ。
 彼らは華夜乃と飛神の接近に早くから気がつき、華夜乃達が間近まで迫ると行く手を塞いだ。
「一体何の真似だ、憲兵」
 飛神の低い声にも憲兵は怖じ気づくことなく、むしろ目付きを鋭くして飛神を見据えた。
「身元の判らぬ者を通すわけにはいかない。名乗れ」
「……なるほど。さてはこの訪問、指揮者は憲兵隊長などではないな? もっと高貴な身分の、たとえば……」
「この国の皇太子、かな?」
 飛神の言葉を引き継いだ声は、憲兵の後ろから聞こえた。
 低く穏やかなその声に、一瞬で憲兵が直立の姿勢になる。
 華夜乃はにわかに胸が高鳴るのを感じた。一度だけ聞いたことのある声、もう一度聞きたかった声だ。
 声の主がこちらに歩み寄ると、憲兵は二人同時に横に逸れた。宛ら人間の扉のようだ。
 彼らが退いたことで現れた人物に、華夜乃は頬を紅潮させてにっこり笑った。
「志良斗殿下!」
 志良斗は彼女の笑顔に目を細め、穏やかに微笑んだ。
「やあ、華夜乃。君に会いたくて、憲兵の訪問に同行させてもらったよ。元気そうで何よりだ」
「もうすっかり! 私に会いに来てくださっただなんて、言い表せない程の喜びです!」
 すっかり志良斗に夢中の華夜乃の頭を優しく撫で、彼は飛神に目を移した。
 視線を受け、飛神は直ぐ様片膝をついて軽く頭を垂れた。
「春日野飛神、だったね? 最高裁判長の息子は大層な賢者だと聞いたが、確かなようだ」
「……恐れ多いお言葉にございます。しかし、私はその様に仰っていただける程のことをした覚えがございません」
「謙虚だな。だが、私が華夜乃と出逢ったあの日、そなたは私の正体を見抜いていただろう? なぜ、私が志良斗と判った?」
 華夜乃に対してとは異なる、王子としての威厳に満ちた口調で問われ、飛神は少し考えてから口を開いた。
「あの日、殿下はご休息中ながら、数名男性を連れておいででした。私が今までに目にした限りですと、並の貴族ならば、休息日に連れているのはせいぜい二人。それに、姿勢や目の配り方を見れば、たとえ一般的な護衛服を身に纏っていても、彼らが軍人であることはすぐに判ります。軍人を護衛に付けるということは、被護衛者は大臣以上の要人です。もっとも先日の場合は、被護衛者が未成年者のため、要人の子息だろうと考えておりました」
 ここで飛神が一旦息をつき、志良斗は興味津々の様子で続きを促した。
 それに対し飛神が、まだ言うのか、とでも言わんばかりの表情を浮かべたのを、華夜乃は見逃さなかった。
「……あとは、殿下自身の装いと華夜乃の服、殿下の目の色が手掛かりでした」
「目の色、か。なるほど、そなたは父王を見たことはあるのだな? 私と父は目がそっくりだと、よく言われる。……しかし、服が手掛かりになったというのは、一体何故だ?」
「服の紋です。王室は御用達の仕立て屋を五件ほど抱えていると聞いたことがあります。そのうちの一件は、よく店の紋を裾に縫い込むそうです。あの日殿下がお召しになっていたものには、その紋がありました。そして、華夜乃が羽織っていたものにも」
「それだけか? 王室が贔屓にする店とはいえ、他の貴族がその店の品を持っていないとは限らないが」
 華夜乃には志良斗の見解が正しく思えたが、飛神の表情に陰りはなかった。
「王室の方々が好んでいらっしゃるものに手を出せる貴族は、そう多くはございません。彼らは、王室と同じものを着ることを、恐れ多いと思っているようですので。たとえ同じ店の品を持っていたとしても、血縁の者以外にも買い与えるとは考え難い。……つまり、“王室御用達の服”をご自身が着用なさるだけでなく、出会って間もない華夜乃にも与えるなどという行為に及ぶのは、歳を考えれば殿下くらいのものです」
「……やはり、大した聡明さだな」
 心底感心したらしい志良斗は、飛神に顔を上げるように命じた。
「そなたのことは、中々に気に入った。今後は軽い礼のみで良い」
 それだけ言い、甘い笑みを華夜乃に向ける。
「さて、そろそろ話を聞いてもいいかな、華夜乃?」
「話? ……あ、はい!」
 今日彼らが現れた本来の理由を、華夜乃はすっかり忘れていた。ちらりと横に目をやると顔を上げた飛神が目の奥で笑っている気がした。絶対華夜乃を馬鹿にしている。
「い、家に入りましょう!」
 華夜乃がしかめっ面で志良斗の手を引けば、志良斗は少しも抵抗せずについてきた。ただ、家に入る前に飛神に目を向けた。
「そなたも同席してくれ。彼らの証言を確認したい」
 彼ら、とは、十中八九牙流と牙炉のことだろう。
 志良斗が彼らの存在を口にするということは、二人はあのまま捕らえられたに違いない。
 めんどくさい、と言いかけたのをなんとか押し留め、飛神は腰を上げた。
 ただし、心のうちでは言ってしまった。

 ああ、本当にめんどくさい。


***


 由菜特製の紅茶と焼菓子を堪能しつつの華夜乃達への聴取はものの十分程で終わり、志良斗は隣に控える憲兵から調書を受け取った。
「森で捕らえられ、金になると言って名散村に連行されそうになった。そして、道中酷い目には遭っていない、と。……牙兄弟にしては丁重な扱いだな」
「えっ、牙流達のこと、以前からご存知だったのですか?」
 一国の王子に存在を覚えられている程の悪党だとは思わず、華夜乃は目を丸くした。
 志良斗は紙面を見るともなしに見ながら、微かに眉を寄せた。
「残忍な盗賊だからね。時には仲間を増やして街を襲い、金を奪い、誇りを奪い、命を奪う……そんな卑劣極まりない者共だよ。まったく、君が無傷でいたことは奇跡としか言いようがない」
 志良斗の視線が上がり、華夜乃のそれと合う。
「本当に、君が無事でよかった」
 彼が浮かべた表情は、安堵しながらもどこか陰があった。
 昨日憲兵隊舎の様子見中に憲兵が、牙兄弟らしき男達に少女が拐われたと駆け込んで来たとき、通報者が飛神だったことから、志良斗は少女とは華夜乃のことだと察した。居ても立ってもいられず、憲兵隊に混ざって馬を走らせたが、その時彼がどれ程の不安に駆られ、華夜乃のそばにいられないことを悔しく思ったかは、他人には分からないだろう。
「……さて、そろそろ失礼するよ」
 笑みから陰を拭い去り、明るい調子で言ってから、志良斗は腰を上げた。
 すぐに華夜乃と飛神も立ち上がると、彼は飛神に声をかけた。
「この家は、居心地が良くて気に入った。また遊びに来てもいいか?」
「……はい。お待ちしております」
 飛神が本音を隠して頭を下げると、隣で華夜乃が歓喜の声をあげた。
「またお越しいただけるのですか? わあっ、お待ちしています!」
「ああ、すぐ会いに来るよ」
 華夜乃に優しい眼差しを向け、由菜とも少し言葉を交わしてから、志良斗は家を出た。
 漆黒の馬に馴れた身のこなしで跨がり、軽く歩かせる。そして最後にもう一度だけ華夜乃に視線を送り、憲兵達を引き連れて馬を駆った。
 志良斗を見送りながら、飛神は華夜乃を一瞥した。志良斗の背中を見つめる華夜乃の眼差しは、恋人を見送るような甘さと熱を帯びて輝いている。彼女のその表情に、胸がちくりと痛んだ気がしたが、飛神にはその理由が分からなかった。
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