55 / 100
47.バカみたいに好き
しおりを挟む
京吾は鼻にしわを寄せ、人差し指を立てて眼鏡の位置を正した。気に喰わないようなしぐさにも見える。
「智奈は“堂貫”のほうが好きみたいだな」
智奈の読みは合っていたらしく、不平たらたらといった口調で京吾は驚くようなことを云った。
「……一緒でしょ」
「智奈にとっては違っただろう。どれだけ甘やかしても、おれが“堂貫”とわかるまで、智奈は完全になびくことはなかった」
「……やっぱりバレバレだった? わたしの気持ち……」
智奈はおずおずと訊ねた。
「いまだにそうだって、いまの智奈の言葉で確定した」
したたかにもそう云って、京吾は歪んだ笑みを浮かべる。
グリーングラス越しだから目の輝きがぼやけていて、表情はうまく読みとれない。やはり気に喰わなそうだ、と感覚でわかるのは同棲しているからだろう。
「京吾? 不機嫌になる意味がわからないんだけど……」
「智奈が“堂貫”に惹かれているのは、おれがその本人だし、そうなるように謀ったところもあるし、自意識過剰だとは思っていなかった。けど、最大限リラックスしてるおれよりも、全うな側でデキる男を気取っている“堂貫”のほうがいいって納得いかない」
半ば呆気に取られてキョウゴの云い分を聞き、それから智奈はプッと吹きだした。いまの京吾は拗ねた少年だ。
「云ってることが子供っぽくない? 社長には似合いません」
「それでも釈然としない」
「どっちも本当だって云ったでしょ?」
智奈の言葉に京吾はため息をついた。
「どんどん智奈は生意気になる」
「そんなことない。逆の発想で、わたしは独りだけど、京吾はふたりだった。わたしはどちらか選べなかったし、だから二倍の気持ちをもらってたことにならない?」
立ち止まって考えこむ。そんな瞬間ののち、京吾は満更でもないといった気配で、くちびるに笑みを形づくる。
「あり、だ」
「……何?」
「そういう解釈もありだな。選べないほど、智奈はおれが好きだって?」
「バカみたいに好き」
「バカみたいに軽く云う」
京吾は云い返して、再び智奈のくちびるをふさいだ。罰みたいに乱暴で、京吾が不満なのは丸わかりだ。けれど、激しくありながらも、求愛するような熱があって、智奈は京吾とは逆に満ち足りる。
それが伝わって癪に障ったのか、キスは出し抜けに終わった。あまつさえ、お姫様抱っこの恰好のまま床におろされて、京吾の手が頭の天辺に被さった。
直後――
「すみません、社長……」
「謝ることはない。ここはいい」
補佐の長友、それに応じる京吾の会話が聞こえると、智奈の思考はフル回転し始めておよその状況を察した。来訪者がいるのだ。ドアのノック音も開閉音もわからなかったけれど、いま足音が聞こえて、智奈の鼓動が痛いほど大きくなる。頭にのった京吾の手の甲に手を重ねると、大丈夫、というその合図は伝わったようで、京吾の手は離れていく。
同時に立ちあがって、京吾はデスクから離れていった。
「いいかげん、息子のオフィスにアポなしで、我が物顔で突撃訪問するのはやめてくれませんか」
驚きの声が漏れそうになって、智奈は慌てて自分で自分の口をふさいだ。
「同じ都内にいて半年も顔を合わせない親子っているかしら」
「普通にいますよ」
その会話からはっきりした。京吾の母であり、長年、父の愛人だと思いこんでいた堂貫悦子がそこにいるのだ。
それで? と、用件を訊ねた京吾の声は素っ気ない。
「あの人がまた記者に狙われてるの」
「それが? 政治家だ、いつものことでしょう」
「政治的な取材じゃないわ。スキャンダルを狙ってるのよ。衆院選になるかならないかっていう話が出てるし」
「だからなんですか」
「ボンシャンホテルには記者が入れないようにしてくれない?」
京吾の薄笑いが聞きとれる。智奈も自分の母に対して容赦なかったけれど、京吾にも情けがない。
「もちろん、記者を特定することも出禁にすることもできますが、それをやったら認めたのと同じですよ。これまでのとおり、部屋で待ち合わせて、チェックアウトの時間をずらせばいい話です。それとも、立岡に頼まれたんですか。その記者を始末してほしいなら、直接、おれにそう云えと伝えてください。交渉次第です」
「交渉って、京吾、あの人は……」
「おれになんの義理があるんですか、他人ですよ。おれは暇じゃない。さっさと帰ってくれ」
足音がして、それは京吾のもので、智奈のほうへと近づいてくる。
「七海さんのところに行ってきたのよ」
悦子はあきらめきれないらしく、出し抜けにそう云った。
「だから?」
京吾はデスクに戻ってくると、椅子に座った。智奈はそっと京吾の膝に手をのせる。その手に大きな手が重なった。
「女がいるらしいじゃない?」
思わせぶりな質問に、京吾はせせら笑う。智奈は、自分のことだ、と思ってひっそりと身をすくめた。
「もとホストですよ、いまさらなんですか。七海さんから噂話を聞くまでもない。母さんもわかってのとおり、おじいさんの思う壺だ。頼まれていたことは片が付いています。以降、関わるつもりはない」
京吾はきっぱり云いながら少し前のめりになったかと思うと、用件はすんだ、と、おそらく内線を使ったのだろう、だれにだか告げた。
「追い払わなくても帰るわ。でも、あなたがおじいさんの後釜になりたいなら、立岡の後釜たちとうまくやったほうがいいってことは忠告しておくから」
捨て台詞のあと息をひそめていると、やがてドアの開閉音が聞きとれた。少し間を置いたのち、深いため息が頭上に漂う。智奈は様子を窺いつつ顔を上げた。
「この状況にはかなりそそられる。智奈がデスクの下に潜りこむって嫌らしさ極まりない」
不機嫌かと思えば、京吾のほうこそが嫌らしさたっぷりな口ぶりで智奈をからかった。
「智奈は“堂貫”のほうが好きみたいだな」
智奈の読みは合っていたらしく、不平たらたらといった口調で京吾は驚くようなことを云った。
「……一緒でしょ」
「智奈にとっては違っただろう。どれだけ甘やかしても、おれが“堂貫”とわかるまで、智奈は完全になびくことはなかった」
「……やっぱりバレバレだった? わたしの気持ち……」
智奈はおずおずと訊ねた。
「いまだにそうだって、いまの智奈の言葉で確定した」
したたかにもそう云って、京吾は歪んだ笑みを浮かべる。
グリーングラス越しだから目の輝きがぼやけていて、表情はうまく読みとれない。やはり気に喰わなそうだ、と感覚でわかるのは同棲しているからだろう。
「京吾? 不機嫌になる意味がわからないんだけど……」
「智奈が“堂貫”に惹かれているのは、おれがその本人だし、そうなるように謀ったところもあるし、自意識過剰だとは思っていなかった。けど、最大限リラックスしてるおれよりも、全うな側でデキる男を気取っている“堂貫”のほうがいいって納得いかない」
半ば呆気に取られてキョウゴの云い分を聞き、それから智奈はプッと吹きだした。いまの京吾は拗ねた少年だ。
「云ってることが子供っぽくない? 社長には似合いません」
「それでも釈然としない」
「どっちも本当だって云ったでしょ?」
智奈の言葉に京吾はため息をついた。
「どんどん智奈は生意気になる」
「そんなことない。逆の発想で、わたしは独りだけど、京吾はふたりだった。わたしはどちらか選べなかったし、だから二倍の気持ちをもらってたことにならない?」
立ち止まって考えこむ。そんな瞬間ののち、京吾は満更でもないといった気配で、くちびるに笑みを形づくる。
「あり、だ」
「……何?」
「そういう解釈もありだな。選べないほど、智奈はおれが好きだって?」
「バカみたいに好き」
「バカみたいに軽く云う」
京吾は云い返して、再び智奈のくちびるをふさいだ。罰みたいに乱暴で、京吾が不満なのは丸わかりだ。けれど、激しくありながらも、求愛するような熱があって、智奈は京吾とは逆に満ち足りる。
それが伝わって癪に障ったのか、キスは出し抜けに終わった。あまつさえ、お姫様抱っこの恰好のまま床におろされて、京吾の手が頭の天辺に被さった。
直後――
「すみません、社長……」
「謝ることはない。ここはいい」
補佐の長友、それに応じる京吾の会話が聞こえると、智奈の思考はフル回転し始めておよその状況を察した。来訪者がいるのだ。ドアのノック音も開閉音もわからなかったけれど、いま足音が聞こえて、智奈の鼓動が痛いほど大きくなる。頭にのった京吾の手の甲に手を重ねると、大丈夫、というその合図は伝わったようで、京吾の手は離れていく。
同時に立ちあがって、京吾はデスクから離れていった。
「いいかげん、息子のオフィスにアポなしで、我が物顔で突撃訪問するのはやめてくれませんか」
驚きの声が漏れそうになって、智奈は慌てて自分で自分の口をふさいだ。
「同じ都内にいて半年も顔を合わせない親子っているかしら」
「普通にいますよ」
その会話からはっきりした。京吾の母であり、長年、父の愛人だと思いこんでいた堂貫悦子がそこにいるのだ。
それで? と、用件を訊ねた京吾の声は素っ気ない。
「あの人がまた記者に狙われてるの」
「それが? 政治家だ、いつものことでしょう」
「政治的な取材じゃないわ。スキャンダルを狙ってるのよ。衆院選になるかならないかっていう話が出てるし」
「だからなんですか」
「ボンシャンホテルには記者が入れないようにしてくれない?」
京吾の薄笑いが聞きとれる。智奈も自分の母に対して容赦なかったけれど、京吾にも情けがない。
「もちろん、記者を特定することも出禁にすることもできますが、それをやったら認めたのと同じですよ。これまでのとおり、部屋で待ち合わせて、チェックアウトの時間をずらせばいい話です。それとも、立岡に頼まれたんですか。その記者を始末してほしいなら、直接、おれにそう云えと伝えてください。交渉次第です」
「交渉って、京吾、あの人は……」
「おれになんの義理があるんですか、他人ですよ。おれは暇じゃない。さっさと帰ってくれ」
足音がして、それは京吾のもので、智奈のほうへと近づいてくる。
「七海さんのところに行ってきたのよ」
悦子はあきらめきれないらしく、出し抜けにそう云った。
「だから?」
京吾はデスクに戻ってくると、椅子に座った。智奈はそっと京吾の膝に手をのせる。その手に大きな手が重なった。
「女がいるらしいじゃない?」
思わせぶりな質問に、京吾はせせら笑う。智奈は、自分のことだ、と思ってひっそりと身をすくめた。
「もとホストですよ、いまさらなんですか。七海さんから噂話を聞くまでもない。母さんもわかってのとおり、おじいさんの思う壺だ。頼まれていたことは片が付いています。以降、関わるつもりはない」
京吾はきっぱり云いながら少し前のめりになったかと思うと、用件はすんだ、と、おそらく内線を使ったのだろう、だれにだか告げた。
「追い払わなくても帰るわ。でも、あなたがおじいさんの後釜になりたいなら、立岡の後釜たちとうまくやったほうがいいってことは忠告しておくから」
捨て台詞のあと息をひそめていると、やがてドアの開閉音が聞きとれた。少し間を置いたのち、深いため息が頭上に漂う。智奈は様子を窺いつつ顔を上げた。
「この状況にはかなりそそられる。智奈がデスクの下に潜りこむって嫌らしさ極まりない」
不機嫌かと思えば、京吾のほうこそが嫌らしさたっぷりな口ぶりで智奈をからかった。
0
あなたにおすすめの小説
デキナイ私たちの秘密な関係
美並ナナ
恋愛
可愛い容姿と大きな胸ゆえに
近寄ってくる男性は多いものの、
あるトラウマから恋愛をするのが億劫で
彼氏を作りたくない志穂。
一方で、恋愛への憧れはあり、
仲の良い同期カップルを見るたびに
「私もイチャイチャしたい……!」
という欲求を募らせる日々。
そんなある日、ひょんなことから
志穂はイケメン上司・速水課長の
ヒミツを知ってしまう。
それをキッカケに2人は
イチャイチャするだけの関係になってーー⁉︎
※性描写がありますので苦手な方はご注意ください。
※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※この作品はエブリスタ様にも掲載しています。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。
甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・
希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!?
『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』
小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。
ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。
しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。
彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!?
過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。
*導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。
<表紙イラスト>
男女:わかめサロンパス様
背景:アート宇都宮様
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる