皇子は愛を秘匿できない~抱き溺れる愚者~

奏井れゆな

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第3章 恋に秘された輪奈

8.

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 サンが放った言葉を穿てば、いまの皇帝は親切でもないし、やさしくもないということになる。
「いまは違うの?」
 念のために凪乃羽が訊ねてみると、三人はしゅんと表情を陰らせて一様に首を横に振った。
「皇帝はもうずっと森に来てないんだ」
「ずっとまえはよく来てくれたの。ちっちゃな水晶の玉をくれたり」
「滝の綱渡りができるようにしてくれたり……でも、もう皇帝の顔を忘れちゃいそうだ」
「違う。僕たちが忘れられたんだ。飢え死にしなくてもいいようになるって、皇帝は永遠の命をくれた。それだけじゃない。僕たちを蔑む者も罵る者も、見て見ぬふりをする者もいなくなった。反対に、子供の僕たちを見たらかしずいて、ご機嫌取りばかりだ。なんの不安もなくなった。だから皇帝に不満は云えない。でも……」
「フィリルがいなくなったの!」
 締め括るようなスターの訴えに、ヴァンフリーは手を軽く上げたかと思うと小さく払うようなしぐさをして、シッと声にならない声で制した。
「ヴァンフリーはさみしくないのか? ずっとフィリルに――」
「サン、黙れ」
 横柄に云いかけたサンをヴァンフリーが鋭くさえぎった。
 サンは、だから大人は嫌いなんだ、と不満そうにしながら凪乃羽を見上げた。すると、何やら思い立った様子で、それからおもむろにヴァンフリーに目を戻すしぐさはもったいぶって見えた。
「ヴァンフリー、危ない橋を渡ってるんじゃないのか。だれのためだ?」
 子供らしからぬ挑発ぶりだ。ヴァンフリーはそれを生意気と受けとめているのか、ゆったりと笑う。
「だれのためか。それはそのときのそれぞれの主観による」
 サンは顔をしかめて、だから大人は嫌いだ、と先刻と同じことを云い――
「それがヴァンフリーの思うとおりに伝わればいいけどな」
 できるのか、といわんばかりにサンはやはり挑戦的に顎をつんと上げた。
「何があるんだ?」
「べつに。面倒に巻きこまれるのは御免だ。だから永遠に子供でいることを選んだんだからな」
「僕たちは見守るだけだ」
「違うわ。楽しむのよ」
 先刻のけんかは戯れにすぎなかったのだろう、ムーンに続いてスターが、サンに同調して結託している。これが大人の発言なら無責任だけれど、子供だけに無邪気に映る。その実、邪気がないとはいえない。子供の無邪気さと残酷さは相対している。
「ひとつ警告しておく。巻きこまれたくなければ、見守って楽しめばいい。それ以上によけいなことはするな」
「わあ、皇子ってば皇帝にそっくりで怖ぁぁい」
 スターが手を頬に当てて怯えたふりをすると、サンとムーンが凪乃羽の両脇に来て、それぞれに手を取った。
「凪乃羽、逃げよう!」
 と、いきなり手を引っ張られ、それは思いのほか力強くて凪乃羽は足を踏みだしたものの、もつれそうになった。
 小走りになりながら体勢を立て直してどうにか余裕ができると、凪乃羽は後ろを振り向いた。ヴァンフリーこそが余裕を持ち、距離が開こうが悠然と歩いてくる。どこにいても、思う場所に移動ができるせいだろうか。
 そんなヴァンフリーを置きざりにして、スターが凪乃羽たちに追いついた。
「わたしね、滝の綱渡りができるようになったの! 凪乃羽に見せてあげる!」
 凪乃羽ははしゃいだ声に追い立てられる。久しく走っていないせいで――それどころかシュプリムグッドですごすようになって躰を動かすことがあまりなく、必死に駆けているわけでもないのに子供たちが立ち止まったときは、景色が目に留まらないほど喘いでいた。
 案の定、ヴァンフリーは凪乃羽の息が整わないうちに現れた。
「体力不足だな。凪乃羽を閉じこめたおれが反省するべきところか」
 からかうのでもなく、凪乃羽のせいにもせず、ヴァンフリーは至って反省している様子だ。――と見直したのはつかの間。
「それとも、閨事ねやごとをもっと激しく――というのも一手だ」
「ヴァン! 子供の前で云うなんて……!」
 抗議しかけた凪乃羽の言葉はその子供たちの悲鳴によってさえぎられた。
「ふざけるのはいまはやめて、サン! 凪乃羽に見てもらうんだから」
 何事かと慌てて声のしたほうを見れば、そこには半円の滝があった。その端と端を一本の木で架け渡していて、スターがその上でバランスを取っていた。スターの前を行くサンが邪魔をしたらしく、その躰はゆらゆらとして危なっかしい。
「スター、気をつけて!」
「大丈夫だよ、高い滝じゃないし、僕たちは不死身だから! スターは怖がってない」
 滝の淵に立ったムーンが振り返って叫んだ。そのとおり、スターは文句を云っているだけで、怖がっている様子ではない。
 よかった、とひとまず安心すると、凪乃羽はあらためて周囲を見まわした。
 木々のなかを駆けてきたけれど、ここはすっぽりと空へと突き抜けた空間になっている。幅が狭くはあっても川と滝がそこを陣取っていれば当然、背の高い木がのさばることはない。
 凪乃羽は、似ている、とそう思った。
 いや、雰囲気はまったく違う。ただ、川と川を取り囲む岩場と、そして滝が共通点としてあるだけだ。
「凪乃羽」
 ヴァンフリーに目を戻すと、窺うような様で凪乃羽を見つめてくる。
「なんでもない」
 呼ばれただけなのにそんなことを云ってしまえば、何かしらあると暴露しているようなものだ。知られてもまずいことでは全然ないけれど、凪乃羽はさっきもヴァンフリーに絡んでうんざりさせる要素をつくっている。うんざりしているようには見えなくても、ずっとさきに積もり積もってそうさせるかもしれない。母とは本当に会えないの? とそんな叶わない望みを口にしても、同じ答えが返ってくるだけでなんにもならないのだ。
 凪乃羽に向けたヴァンフリーの笑みは静かで、口にしなくても伝わっているのだろう。
「怒ったのか?」
「……? なんのこと?」
「男と女の話は確かに子供の前でするべきじゃない。気分が萎える」
 静かな笑みの気配そのものの声でなんのかまえもなく聞き遂げたけれど、その意味を把握すると、凪乃羽は呆気にとられた。
「ヴァン!」
 咎めるように名を呼び、すると、静けさから本当に興じていそうな笑い方に変わった。
「凪乃羽、ちゃんと見てて!」
 凪乃羽が文句を云うよりさきにスターの声が割りこんだ。
「見てるから、ちゃんと前を向いて!」
 水流の音に負けないよう、凪乃羽が声を張りあげると、はぁーい、というのんびりした返事が来た。
 心配しなくていいとわかっていても、見ていればハラハラする。自分が木の橋を渡っているわけでもないのに、凪乃羽はヴァンフリーの腕につかまった。ヴァンフリーがその手を見下ろして、それから凪乃羽と目を合わせると可笑しそうにする。
「みかたが増えたな」
「みかた?」
「永遠の子供たちだ。気に入らないと見れば、大人は彼らから悪戯を仕掛けられる。悪戯というよりはたちの悪い悪さだ。例えば、ひと晩中、道に迷わせたり、落とし穴をあちこちに用意したり、荷物を散らかしたり」
「……よかった」
 ついつぶやいてしまうと、凪乃羽は可笑しくなった。ヴァンフリーもまた、古尾万生だった頃よりもずっとやわらかくなった笑みをこぼした。
「云っておけば、いまの凪乃羽よりもおれのほうが安心している。異常があれば、彼らが教えてくれるだろう」
 みかたにならないほうがどうかしているが、とヴァンフリーは独り言のように続けた。
 安心と相対するのは不安だ。
 出会った直後の子供たちの会話を聞いていたさなか、ヴァンフリーのこれまでの発言からいくつかの言葉が脳裡に浮かびあがってきて、凪乃羽には考えついたことがある。
「もしかして、ヴァンを警戒してる人って皇帝のこと? お父さん?」
 この国で目覚めた日、絶対的な存在があるとヴァンフリーは云っていた。絶対という存在はロード・タロだろうし、“絶対的”というならそれは皇帝しかいない。裏に操縦者がいるのなら話はまたべつになるけれど。
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