45 / 83
第4章 二十三番めの呪縛
1.
しおりを挟む
ヴァンフリーが凪乃羽を連れ、遥か高い断崖からアルカヌム城を臨む城下町へと降りるのにそう時間はかからなかった。子供たちの“悪戯”のもと、道なき道に導かれて森のなかを難なく抜けられた。
ウラヌス邸は大きいだけではなく、欧州の古い街並みに残ったような重厚な趣を放つ。さながら中世といった様相だ。ゆえに町というものが、凪乃羽が生まれ育った環境とは違うとは承知している。まるで想像がつかず、好奇心を抱きつつも心底からわくわくしているかといえば、そうではない。
森と城下町の境を仕切るように設けられた水路は大きく、そこに架かった橋を渡ってまもなく、ふたりは広場に差しかかった。
車ではなく小さな馬車であったり手押し車であったり、それらが人を掻き分けるようにしながら石畳の上をゆっくりと走る景色は、人通りが多いなかでも凪乃羽からすると長閑に感じられた。
広場では市場が開かれ、いろんな露天が並ぶ。
「いい匂いがする」
歩きながら鼻を利かせてつぶやくと、ヴァンフリーは凪乃羽を見下ろした。
「やっと笑ったな。おれといても不機嫌なくせに、食べるものでそうなるなど到底、納得はいかないが」
凪乃羽は足を止めてヴァンフリーを覗きこむ。手を繋いでいるから必然的にヴァンフリーも立ち止まった。
「わたし……笑ってない?」
不思議そうに首をかしげると、ヴァンフリーは先刻、口にしたとおり納得できないことを首をひねるというしぐさで、あらためて示した。
「昨日、森から帰って以来、何か考えこんでいる。違っているか?」
ヴァンフリーは凪乃羽をよく見ている。
昨日、ヴァンフリーが探しているハングと遭遇したことも、そうして何を云われたかも、凪乃羽はヴァンフリーに打ち明けられていない。
ハングは黙っていろとも秘密だとも云わなかった。ヴァンフリーに相談してもいいはずが、ヴァンフリーに関したことだけに凪乃羽はためらったのだ。もしかしたら、そうなると見越して、口止めをする必要はないとハングが判断したのか。それとも、話すか話さないか、そこで凪乃羽の器が量られているのか。
「考えこんでいない、疲れてたんだと思う。昨日、出かけるまで、ヴァンにずっと部屋に閉じこめられたから」
「そんなに連れまわされたのか」
ヴァンは顔をしかめた。
「だから、子供たちのせいじゃなくてヴァンのせいって云ってるの。自分の非を認めなくて、子供たちに責任転嫁しようとしてる? それが無意識だったら最悪です」
わざと責めるように云ってみると、ヴァンフリーはわずかに目を見開き、それから苦笑した。
「そんなつもりはなかった」
「愚者が“フリ”だって云うなら、実際は賢いって云ってるのと同じなのに、正しく理解できないなんてあり得なくない?」
「やけに絡むな」
ヴァンフリーはゆったりと首をひねった。
確かに、いまの凪乃羽はしつこかった。ハングが植えつけた、疑惑とまではいかないものの疑いのせいであり、不安だからこその反応かもしれない。
「ここは山の頂と違って、にぎやか。シュプリムグッドは穏やかじゃないって云ってたけど、そんなふうには見えない。ヴァンがわたしをウラヌス邸に閉じこめようとして嘘を云ってるんじゃないかって、ちょっと怒ってるかも」
それは口先だけで、凪乃羽が怒っていることはなく、“不機嫌”を追求される危うさから逃れるための口実にすぎない。ヴァンフリーが凪乃羽の言葉を真に受けて心外だといったふうに首を横に振ると、内心でほっとした。
「閉じこめたいのはやまやまだが、こうやって連れだしているだろう。この国が不穏なのは事実だ」
「アルカナ・ハングを探しているのもそのせい? 見つけないとどうなるの?」
「皇帝を倒すための唯一の手段をハングが探し当てて利用するまえに、確かめたいことがあるからだ」
「確かめたいことって?」
「呪いが真実か否か、だ」
「呪いって何? それをハングが知ってるの?」
「呪いを預言したハーミットは見つけようと思っても見つからない。ハーミットが出てくるのを待つよりはハングを探したほうが早い。ハングの脱走を手伝ったのがだれか、おれの想像に間違いがなければ、知っているはずだ。だが、その想像は迂闊に話せることじゃない。特に凪乃羽、おまえはボロを出しやすそうだからな」
「そんなことはない」
「だとしたら、自分をわかってない。いまのは褒め言葉だ」
「褒め言葉?」
「凪乃羽には人に対して悪意という裏がない」
「わたしの裏側なんて、ヴァンにはわからないと思うけど」
「やっぱり突っかかる。まずは美味しいものでも食べさせて機嫌をとったほうがよさそうだ」
肝心の呪いについては、結局はごまかされた。つまり、呪いが鍵なのだ。
「美味しいもので機嫌が直るのはわたしだけじゃないから。ヴァンもコーヒーを飲むときは、すごく油断してる」
ヴァンフリーは片方の眉を跳ねあげ、おどけて肩をすくめる。
「飲めなくなったのは本当に残念だな」
と、ため息交じりで云ったヴァンフリーは凪乃羽の手を引いて広場のなかへと歩きだした。
ウラヌス邸は大きいだけではなく、欧州の古い街並みに残ったような重厚な趣を放つ。さながら中世といった様相だ。ゆえに町というものが、凪乃羽が生まれ育った環境とは違うとは承知している。まるで想像がつかず、好奇心を抱きつつも心底からわくわくしているかといえば、そうではない。
森と城下町の境を仕切るように設けられた水路は大きく、そこに架かった橋を渡ってまもなく、ふたりは広場に差しかかった。
車ではなく小さな馬車であったり手押し車であったり、それらが人を掻き分けるようにしながら石畳の上をゆっくりと走る景色は、人通りが多いなかでも凪乃羽からすると長閑に感じられた。
広場では市場が開かれ、いろんな露天が並ぶ。
「いい匂いがする」
歩きながら鼻を利かせてつぶやくと、ヴァンフリーは凪乃羽を見下ろした。
「やっと笑ったな。おれといても不機嫌なくせに、食べるものでそうなるなど到底、納得はいかないが」
凪乃羽は足を止めてヴァンフリーを覗きこむ。手を繋いでいるから必然的にヴァンフリーも立ち止まった。
「わたし……笑ってない?」
不思議そうに首をかしげると、ヴァンフリーは先刻、口にしたとおり納得できないことを首をひねるというしぐさで、あらためて示した。
「昨日、森から帰って以来、何か考えこんでいる。違っているか?」
ヴァンフリーは凪乃羽をよく見ている。
昨日、ヴァンフリーが探しているハングと遭遇したことも、そうして何を云われたかも、凪乃羽はヴァンフリーに打ち明けられていない。
ハングは黙っていろとも秘密だとも云わなかった。ヴァンフリーに相談してもいいはずが、ヴァンフリーに関したことだけに凪乃羽はためらったのだ。もしかしたら、そうなると見越して、口止めをする必要はないとハングが判断したのか。それとも、話すか話さないか、そこで凪乃羽の器が量られているのか。
「考えこんでいない、疲れてたんだと思う。昨日、出かけるまで、ヴァンにずっと部屋に閉じこめられたから」
「そんなに連れまわされたのか」
ヴァンは顔をしかめた。
「だから、子供たちのせいじゃなくてヴァンのせいって云ってるの。自分の非を認めなくて、子供たちに責任転嫁しようとしてる? それが無意識だったら最悪です」
わざと責めるように云ってみると、ヴァンフリーはわずかに目を見開き、それから苦笑した。
「そんなつもりはなかった」
「愚者が“フリ”だって云うなら、実際は賢いって云ってるのと同じなのに、正しく理解できないなんてあり得なくない?」
「やけに絡むな」
ヴァンフリーはゆったりと首をひねった。
確かに、いまの凪乃羽はしつこかった。ハングが植えつけた、疑惑とまではいかないものの疑いのせいであり、不安だからこその反応かもしれない。
「ここは山の頂と違って、にぎやか。シュプリムグッドは穏やかじゃないって云ってたけど、そんなふうには見えない。ヴァンがわたしをウラヌス邸に閉じこめようとして嘘を云ってるんじゃないかって、ちょっと怒ってるかも」
それは口先だけで、凪乃羽が怒っていることはなく、“不機嫌”を追求される危うさから逃れるための口実にすぎない。ヴァンフリーが凪乃羽の言葉を真に受けて心外だといったふうに首を横に振ると、内心でほっとした。
「閉じこめたいのはやまやまだが、こうやって連れだしているだろう。この国が不穏なのは事実だ」
「アルカナ・ハングを探しているのもそのせい? 見つけないとどうなるの?」
「皇帝を倒すための唯一の手段をハングが探し当てて利用するまえに、確かめたいことがあるからだ」
「確かめたいことって?」
「呪いが真実か否か、だ」
「呪いって何? それをハングが知ってるの?」
「呪いを預言したハーミットは見つけようと思っても見つからない。ハーミットが出てくるのを待つよりはハングを探したほうが早い。ハングの脱走を手伝ったのがだれか、おれの想像に間違いがなければ、知っているはずだ。だが、その想像は迂闊に話せることじゃない。特に凪乃羽、おまえはボロを出しやすそうだからな」
「そんなことはない」
「だとしたら、自分をわかってない。いまのは褒め言葉だ」
「褒め言葉?」
「凪乃羽には人に対して悪意という裏がない」
「わたしの裏側なんて、ヴァンにはわからないと思うけど」
「やっぱり突っかかる。まずは美味しいものでも食べさせて機嫌をとったほうがよさそうだ」
肝心の呪いについては、結局はごまかされた。つまり、呪いが鍵なのだ。
「美味しいもので機嫌が直るのはわたしだけじゃないから。ヴァンもコーヒーを飲むときは、すごく油断してる」
ヴァンフリーは片方の眉を跳ねあげ、おどけて肩をすくめる。
「飲めなくなったのは本当に残念だな」
と、ため息交じりで云ったヴァンフリーは凪乃羽の手を引いて広場のなかへと歩きだした。
0
あなたにおすすめの小説
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる