70 / 83
終章 赤裸の戀
1.
しおりを挟む
「捕らえよ」
混乱した凪乃羽はその気持ちのままに足がもつれてしまう。つまずいた刹那、非情な言葉によって腕を取られて、かろうじて転ばずにすんだ。
逸早く皇帝の命に従ったのはデヴィンであり、捕らえた腕を強引に引っ張って凪乃羽をローエンのほうへと連れていく。動揺がおさまるのはおろか隠すことさえできないまま、玉座の前にたどり着くと、敬礼せよ、とデヴィンが腕を放して床を示した。
ヴァンフリーがアルカナを前にすると民はひれ伏すと云っていた。どうにか敬礼の仕方を思いだし、凪乃羽はひざまずいた。床に手をつこうと身をかがめる間際、ローエンが腰を上げた。それに気を取られたすえ、玉座の前にある二つの段差を素早く、なお且つ悠然とおりてくる姿に圧倒されて、凪乃羽は退きたい気持ちを必死にとどめることしかできなかった。
金の鎧と、金の刺繍を施した白いチュニックに深紅のマントを羽織っている姿は、やたらと大きく映って圧迫感がある。いかにも戦闘モードといった風貌は普段からそうなのだろうか。
すぐ目の前に来たローエンの手が伸びてくるのが視界に入り、身をすくめてしまうのはどうしようもなかった。
ローエンは上体を折り、緩く鉤形にした人差し指で凪乃羽の頤をすくい上げ、刺すように双眸を注ぐ。凪乃羽は呪縛という役目を負っていながら、逆に呪縛されたようにその瞳に捕らえられる。
最初は漆黒に見えた眼は、よく見れば、あの地球の終わりの日に見た、空を覆う雲のような消炭色をしている。未来を暗示しているように感じてしまうのは、心細いせいだろう。
ヴァンフリーがいてくれたら――と思ったとき、ロード・タロが永遠の子供たちに向かい、伝言を託していたことを思いだした。『アルカヌム城で会おう』というのはヴァンフリー宛の伝言だった。それならきっとここにやってくる。
すると、安堵する傍らで新たな不安も芽生える。
タロの真意は少しも理解できない。凪乃羽をローエンに差しだし、ヴァンフリーが現れることで何が起きるのだろう。タロに企み事があるのは疑いようがない。
ローエンの無表情だった顔貌に苦みが走る。美味しいと勧められて食してみたものの、思った味とはかけ離れていた、とそんな気配だ。
間近で薄いくちびるが開いていく。上人が食事をしないことは知っている。食べられることはないとわかっていながら、凪乃羽の躰がこわばった。
「おまえは何者だ」
それをわかっていながらローエンは訊ねている。そう感じたとおり、凪乃羽の返事を待つ気はさらさらないといったふうに、ローエンは凪乃羽の頤から手を放し、躰を起こしながら目を転じた。正確には、凪乃羽は当てにならないと踏んで、手っ取り早く、事を知るワール――タロに向かったのだ。
「“娘”だと――?」
「私が嘘を吐いているとでも?」
タロはローエンの問いともつかない曖昧な言葉に疑問で返した。はぐらかしているのではなく、挑んでいる。くちびるに浮かんだ笑みには、見る人を凍りつかせてしまうような冷淡さがあった。
「“知っているなら”、その娘を見ればすぐさま見当もつくだろう。一つ、“皇帝陛下”に気休めを与えてやろう。呪縛の力はまだ目覚めてはいない」
タロの言葉は思わせぶりであり、『皇帝陛下』という言葉には嘲りもあった。
「ワール、おまえは……」
ローエンは眉をひそめ、タロを睨めつける。果たしてワールがローエンに対してどんな口の利き方をしていたのか、ローエンはいまはっきりと正面にいる“ワール”に違和感を抱いている。
「そのとおり、ワールはいない。私はタロだ」
その瞬間、ローエンのもとに集っていた上人たちがどよめいた。肝心のローエンは驚いた素振りはなく、あるいはそれを隠したのか、悠然と胸に片手を当て、そして尊大な様でうなずくようなしぐさをした。
「懐かしいことだ。ロード・タロ、久しく話す機会を逸していた」
「おまえが聞く耳を持たなかった、それだけだ。出会った頃に軍を率いていた指揮官ローエンは卑怯さも傲慢さもなく、正々堂々としていた。少なくとも、無抵抗な者にも弱者にも鞭を打つような非情は行わなかった」
「まるでいまは卑怯で傲慢だと聞こえるが」
ふ、とタロは鼻先で嗤い、ローエンの言葉を冷やかにあしらった。
「そのとおりでしょう。少なくとも私はそういう皇帝しか存じません」
ともすればローエンを侮辱するような赤裸な発言は、タロでもハングでもデスティでもない。突然、侵入した声は紛れもなくヴァンフリーの声だった。
ぱっと声のしたほうへ顔を向けると、やはりヴァンフリーが現れていた。
「ヴァン!」
無意識下で駆け寄ろうとした瞬間。
「デヴィン」
と、ローエンの声が轟き、直後に凪乃羽は腕をつかまれて、ヴァンフリーのもとに向かうことを阻まれた。
混乱した凪乃羽はその気持ちのままに足がもつれてしまう。つまずいた刹那、非情な言葉によって腕を取られて、かろうじて転ばずにすんだ。
逸早く皇帝の命に従ったのはデヴィンであり、捕らえた腕を強引に引っ張って凪乃羽をローエンのほうへと連れていく。動揺がおさまるのはおろか隠すことさえできないまま、玉座の前にたどり着くと、敬礼せよ、とデヴィンが腕を放して床を示した。
ヴァンフリーがアルカナを前にすると民はひれ伏すと云っていた。どうにか敬礼の仕方を思いだし、凪乃羽はひざまずいた。床に手をつこうと身をかがめる間際、ローエンが腰を上げた。それに気を取られたすえ、玉座の前にある二つの段差を素早く、なお且つ悠然とおりてくる姿に圧倒されて、凪乃羽は退きたい気持ちを必死にとどめることしかできなかった。
金の鎧と、金の刺繍を施した白いチュニックに深紅のマントを羽織っている姿は、やたらと大きく映って圧迫感がある。いかにも戦闘モードといった風貌は普段からそうなのだろうか。
すぐ目の前に来たローエンの手が伸びてくるのが視界に入り、身をすくめてしまうのはどうしようもなかった。
ローエンは上体を折り、緩く鉤形にした人差し指で凪乃羽の頤をすくい上げ、刺すように双眸を注ぐ。凪乃羽は呪縛という役目を負っていながら、逆に呪縛されたようにその瞳に捕らえられる。
最初は漆黒に見えた眼は、よく見れば、あの地球の終わりの日に見た、空を覆う雲のような消炭色をしている。未来を暗示しているように感じてしまうのは、心細いせいだろう。
ヴァンフリーがいてくれたら――と思ったとき、ロード・タロが永遠の子供たちに向かい、伝言を託していたことを思いだした。『アルカヌム城で会おう』というのはヴァンフリー宛の伝言だった。それならきっとここにやってくる。
すると、安堵する傍らで新たな不安も芽生える。
タロの真意は少しも理解できない。凪乃羽をローエンに差しだし、ヴァンフリーが現れることで何が起きるのだろう。タロに企み事があるのは疑いようがない。
ローエンの無表情だった顔貌に苦みが走る。美味しいと勧められて食してみたものの、思った味とはかけ離れていた、とそんな気配だ。
間近で薄いくちびるが開いていく。上人が食事をしないことは知っている。食べられることはないとわかっていながら、凪乃羽の躰がこわばった。
「おまえは何者だ」
それをわかっていながらローエンは訊ねている。そう感じたとおり、凪乃羽の返事を待つ気はさらさらないといったふうに、ローエンは凪乃羽の頤から手を放し、躰を起こしながら目を転じた。正確には、凪乃羽は当てにならないと踏んで、手っ取り早く、事を知るワール――タロに向かったのだ。
「“娘”だと――?」
「私が嘘を吐いているとでも?」
タロはローエンの問いともつかない曖昧な言葉に疑問で返した。はぐらかしているのではなく、挑んでいる。くちびるに浮かんだ笑みには、見る人を凍りつかせてしまうような冷淡さがあった。
「“知っているなら”、その娘を見ればすぐさま見当もつくだろう。一つ、“皇帝陛下”に気休めを与えてやろう。呪縛の力はまだ目覚めてはいない」
タロの言葉は思わせぶりであり、『皇帝陛下』という言葉には嘲りもあった。
「ワール、おまえは……」
ローエンは眉をひそめ、タロを睨めつける。果たしてワールがローエンに対してどんな口の利き方をしていたのか、ローエンはいまはっきりと正面にいる“ワール”に違和感を抱いている。
「そのとおり、ワールはいない。私はタロだ」
その瞬間、ローエンのもとに集っていた上人たちがどよめいた。肝心のローエンは驚いた素振りはなく、あるいはそれを隠したのか、悠然と胸に片手を当て、そして尊大な様でうなずくようなしぐさをした。
「懐かしいことだ。ロード・タロ、久しく話す機会を逸していた」
「おまえが聞く耳を持たなかった、それだけだ。出会った頃に軍を率いていた指揮官ローエンは卑怯さも傲慢さもなく、正々堂々としていた。少なくとも、無抵抗な者にも弱者にも鞭を打つような非情は行わなかった」
「まるでいまは卑怯で傲慢だと聞こえるが」
ふ、とタロは鼻先で嗤い、ローエンの言葉を冷やかにあしらった。
「そのとおりでしょう。少なくとも私はそういう皇帝しか存じません」
ともすればローエンを侮辱するような赤裸な発言は、タロでもハングでもデスティでもない。突然、侵入した声は紛れもなくヴァンフリーの声だった。
ぱっと声のしたほうへ顔を向けると、やはりヴァンフリーが現れていた。
「ヴァン!」
無意識下で駆け寄ろうとした瞬間。
「デヴィン」
と、ローエンの声が轟き、直後に凪乃羽は腕をつかまれて、ヴァンフリーのもとに向かうことを阻まれた。
0
あなたにおすすめの小説
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳の主婦・加恋。冷え切った家庭で孤独に苛まれる彼女を救い出したのは、ネットの向こう側にいた二十歳(はたち)と偽っていた17歳の少年・晴人だった。
「未成年との不倫」という、社会から断罪されるべき背徳。それでも二人は、震える手で未来への約束を交わす。少年が大学生になり、社会人となり、守られる存在から「守る男」へと成長していく中で、加恋は自らの手で「妻」という仮面を脱ぎ捨てていく…
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる