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第8話 Love Call
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航は実那都から加純に目を転じた。眼鏡をかけていてもだれかすぐにわかったようで、おっと、と思いがけない様子はありつつも、妹がいることにさほど驚いた様子はない。航はわずかに首を傾けて加純に応じた。
「航くん、お姉ちゃんを迎えにきたの?」
「まあ、そんなとこだな」
「なんだか曖昧」
傍に立った航を見上げて、加純は不思議そうに首をかしげた。そのしぐさがキュートに見えるのはモデルならではなのか、意識してのことなのか。航がそれにときめいたふうでもなく、首をひねるという単純ないつものしぐさを見せると実那都は安心する。
「迎えにきたっつうよりは、実那都と一緒に帰ろうと思って来たんだよ。今日はスタジオに出てたし。加純ちゃんは? わざわざおれに電話してきてここにいるってことは、実那都に急用でもあったのか?」
航が話しているのを聞くうちに、航が加純を見ても驚かなかった訳がわかった。最後の『急用』という言葉に限っては、実那都は一瞬、両親に何かあったのかと思ってしまう。
実那都から両親と連絡を取ることはめったにないし、もともと実那都に関心のない両親のことだ、反対を押しきって東京に来たせいでよけいに向こうから連絡が来ることもない。加純から、訊いてもいない様子を聞かされるくらいで、ひょっとしたらこのまま疎遠になりそうな気もしている。
「べつに用事があったわけじゃなくて、お姉ちゃん、わたしから連絡しないと会えないし、ついでにドーナツを買おうかなって思っただけ」
よくよく考えると、大事があれば加純がのん気にデートしているはずもない。両親のことは好きじゃないのに、加純ののん気な言葉に実那都は気が楽になった。
「加純ちゃん、ドーナツってモデルやってんのに大丈夫なのか」
「そんなに太る体質じゃないよ。お姉ちゃんもそうでしょ」
加純が応じると、航は実那都に目を向けた。なぜかニヤリとした航は、実那都がそのなぜという疑問を解決できないうちに加純に目を戻した。
「そうかもな。てか、もう十時になるけど、女子高生が独りでブラブラしてて大丈夫なのか」
「航くん、お姉ちゃんと同じこと云ってる。マンションは駅から近いし、ここも駅に近いし、全然問題ないよ」
「なら、実那都がバイト終わるまでの時間潰しにもなるし、おれが駅まで送ってっちゃる」
「ほんと? ラッキー」
「ドーナツはどうする?」
「航くん、選んでくれる? 航くんはドーナツ好きだからお勧めあるよね?」
「任せとけ。何個? 苦手なのは?」
「三個! シナモンは苦手かも」
オケ、と云って航はショーケースのほうへと歩きだす。
航は実那都の横を通りがてら、肩にぽんと手を置いた。見上げると、伏せがちにした流し目で実那都を見やりながら、からかうようにくちびるを歪めて笑みを浮かべた。
航がそうしたのは、励ますというよりはなだめるためだ。加純がわかっているように、実那都が加純と連絡を取ることさえ――控えめにいえば、消極的なのを知り尽くしている。その理由もはっきり説明はできないけれど、航ははっきりではなくても、なんとなくわかっているのだと思う。
「轟木さん、お疲れさまです」
「藍岬くん、いらっしゃい」
と、実那都の背後で航と轟木が挨拶を交わしていると、お姉ちゃん、と再び加純が呼んだ。
実那都が振り向くと加純は距離を詰めてきて、声をひそめて話しだす。
「わたしね、ボーイフレンドは何人もいるけど……さっきの子なんて、同じ事務所のファッション系モデルだよ。それなのに、航くんに敵わないんだよね。最初に会ったときから思ってたんだけど。なんでだろう?」
加純の発言は言葉以上に何かを露骨に訴えている。その“何か”は、勘違いでもなんでもなく、実那都はわかっている気がする。
例えば、加純が航ではなく祐真や良哉とさきに会っていたら、“敵わない”立場になるのは違っていただろうか。いまとなっては不毛な想像だ。たぶん、中学生になったばかりという、まだ幼かった加純の中で航は神格化しているのかもしれない。なぜ、それに、どこが加純にとってそうなったのかはわからないけれど、実那都にとっても航はそんな存在だ。
「それは加純の好みとか気分の問題だから、わたしに訊いても答えはわからないよ。わたしは、さっきの男の子が航に敵わないなんて思わないし……っていうより、航とだれかを比べたことないし。好きな人が欲しいならそういう気持ちになる人が現れるまで待つだけだと思う。お互いのタイミングみたいなのがあるんじゃない? これから女優になるんなら、会う人も違ってくるでしょ」
「お姉ちゃんと航くんが付き合い始めたのもタイミングってこと?」
「うん、そう。中学二年まではまともに話したこともなかったし、高校に入った頃はこんなふうに東京にいるなんて思ったこともなかったし」
「ふーん……じゃあ……タイミングを待つしかないってことね」
加純は納得していないのかと思えば、俄に何やら思いついた面持ちになり、最後にはうなずきながら云った。
「ほらよ」
航の声がして、同時に実那都と加純の間にドーナツの入った紙袋が割りこんだ。
「わ、ありがとう。いくら?」
「野暮なこと云うんじゃねぇ。おれの奢り。実那都の妹なら特別だ」
「そこ、素直に喜ぶには微妙な感じだけど、ほんとにありがとう」
その言葉どおり、加純は曖昧な表情で二度めのお礼を航に伝えた。
実那都のおまけ扱いが加純は気に入らないのだろうけれど、航はそれに気づかないのか無関心なのか、「んじゃ、行こう」と加純を促した。
「じゃ、お姉ちゃん、またね」
「うん、またね」
加純に合わせて応えたけれど、心がこもっていないことは航に筒抜けで、加純が出口に向かって背を向けたとたん、航は実那都を見て可笑しそうにする。
「じゃあ、送ってくる。あとちょっと、がんばれよ」
「うん。加純のことよろしく」
「任せとけ」
航は実那都の頭の天辺に手を被せた。目がまわらない程度にぐるっと動かしたあと放した手を軽く上げ、航は加純のあとを追った。
「航くん、お姉ちゃんを迎えにきたの?」
「まあ、そんなとこだな」
「なんだか曖昧」
傍に立った航を見上げて、加純は不思議そうに首をかしげた。そのしぐさがキュートに見えるのはモデルならではなのか、意識してのことなのか。航がそれにときめいたふうでもなく、首をひねるという単純ないつものしぐさを見せると実那都は安心する。
「迎えにきたっつうよりは、実那都と一緒に帰ろうと思って来たんだよ。今日はスタジオに出てたし。加純ちゃんは? わざわざおれに電話してきてここにいるってことは、実那都に急用でもあったのか?」
航が話しているのを聞くうちに、航が加純を見ても驚かなかった訳がわかった。最後の『急用』という言葉に限っては、実那都は一瞬、両親に何かあったのかと思ってしまう。
実那都から両親と連絡を取ることはめったにないし、もともと実那都に関心のない両親のことだ、反対を押しきって東京に来たせいでよけいに向こうから連絡が来ることもない。加純から、訊いてもいない様子を聞かされるくらいで、ひょっとしたらこのまま疎遠になりそうな気もしている。
「べつに用事があったわけじゃなくて、お姉ちゃん、わたしから連絡しないと会えないし、ついでにドーナツを買おうかなって思っただけ」
よくよく考えると、大事があれば加純がのん気にデートしているはずもない。両親のことは好きじゃないのに、加純ののん気な言葉に実那都は気が楽になった。
「加純ちゃん、ドーナツってモデルやってんのに大丈夫なのか」
「そんなに太る体質じゃないよ。お姉ちゃんもそうでしょ」
加純が応じると、航は実那都に目を向けた。なぜかニヤリとした航は、実那都がそのなぜという疑問を解決できないうちに加純に目を戻した。
「そうかもな。てか、もう十時になるけど、女子高生が独りでブラブラしてて大丈夫なのか」
「航くん、お姉ちゃんと同じこと云ってる。マンションは駅から近いし、ここも駅に近いし、全然問題ないよ」
「なら、実那都がバイト終わるまでの時間潰しにもなるし、おれが駅まで送ってっちゃる」
「ほんと? ラッキー」
「ドーナツはどうする?」
「航くん、選んでくれる? 航くんはドーナツ好きだからお勧めあるよね?」
「任せとけ。何個? 苦手なのは?」
「三個! シナモンは苦手かも」
オケ、と云って航はショーケースのほうへと歩きだす。
航は実那都の横を通りがてら、肩にぽんと手を置いた。見上げると、伏せがちにした流し目で実那都を見やりながら、からかうようにくちびるを歪めて笑みを浮かべた。
航がそうしたのは、励ますというよりはなだめるためだ。加純がわかっているように、実那都が加純と連絡を取ることさえ――控えめにいえば、消極的なのを知り尽くしている。その理由もはっきり説明はできないけれど、航ははっきりではなくても、なんとなくわかっているのだと思う。
「轟木さん、お疲れさまです」
「藍岬くん、いらっしゃい」
と、実那都の背後で航と轟木が挨拶を交わしていると、お姉ちゃん、と再び加純が呼んだ。
実那都が振り向くと加純は距離を詰めてきて、声をひそめて話しだす。
「わたしね、ボーイフレンドは何人もいるけど……さっきの子なんて、同じ事務所のファッション系モデルだよ。それなのに、航くんに敵わないんだよね。最初に会ったときから思ってたんだけど。なんでだろう?」
加純の発言は言葉以上に何かを露骨に訴えている。その“何か”は、勘違いでもなんでもなく、実那都はわかっている気がする。
例えば、加純が航ではなく祐真や良哉とさきに会っていたら、“敵わない”立場になるのは違っていただろうか。いまとなっては不毛な想像だ。たぶん、中学生になったばかりという、まだ幼かった加純の中で航は神格化しているのかもしれない。なぜ、それに、どこが加純にとってそうなったのかはわからないけれど、実那都にとっても航はそんな存在だ。
「それは加純の好みとか気分の問題だから、わたしに訊いても答えはわからないよ。わたしは、さっきの男の子が航に敵わないなんて思わないし……っていうより、航とだれかを比べたことないし。好きな人が欲しいならそういう気持ちになる人が現れるまで待つだけだと思う。お互いのタイミングみたいなのがあるんじゃない? これから女優になるんなら、会う人も違ってくるでしょ」
「お姉ちゃんと航くんが付き合い始めたのもタイミングってこと?」
「うん、そう。中学二年まではまともに話したこともなかったし、高校に入った頃はこんなふうに東京にいるなんて思ったこともなかったし」
「ふーん……じゃあ……タイミングを待つしかないってことね」
加純は納得していないのかと思えば、俄に何やら思いついた面持ちになり、最後にはうなずきながら云った。
「ほらよ」
航の声がして、同時に実那都と加純の間にドーナツの入った紙袋が割りこんだ。
「わ、ありがとう。いくら?」
「野暮なこと云うんじゃねぇ。おれの奢り。実那都の妹なら特別だ」
「そこ、素直に喜ぶには微妙な感じだけど、ほんとにありがとう」
その言葉どおり、加純は曖昧な表情で二度めのお礼を航に伝えた。
実那都のおまけ扱いが加純は気に入らないのだろうけれど、航はそれに気づかないのか無関心なのか、「んじゃ、行こう」と加純を促した。
「じゃ、お姉ちゃん、またね」
「うん、またね」
加純に合わせて応えたけれど、心がこもっていないことは航に筒抜けで、加純が出口に向かって背を向けたとたん、航は実那都を見て可笑しそうにする。
「じゃあ、送ってくる。あとちょっと、がんばれよ」
「うん。加純のことよろしく」
「任せとけ」
航は実那都の頭の天辺に手を被せた。目がまわらない程度にぐるっと動かしたあと放した手を軽く上げ、航は加純のあとを追った。
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