最終死発電車

真霜ナオ

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19:因果応報

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「このくらい平気、大した怪我じゃないよ」

「でも……」

 高月さんの右の足首から下が、落下した拍子に扉の向こうへ沈んでしまったらしい。
 幸いなのは、すぐに引き上げることができたからだろう。靴が溶けて火傷を負ってはいるものの、足を失うような状態にはなっていない。

「っ、そうだ、桧野さん……!」

 そこで僕は、同じように扉の向こうへ落下しかけていた桧野さんのことを思い出す。
 慌てて振り返った先で、扉の脇の手すりに逆立ちするような形でバランスを保っている彼女の姿を見つけた。その下半身を、喜多川が支えている。

「琥珀ちゃん!」

「喜多川、いま手を貸すから……!」

 僕は車内案内表示装置のある壁の上部を踏みつけて、二人のもとへ急ぐ。
 支えるのに精一杯だった喜多川と力を合わせて、二人がかりで桧野さんをロングシートの上に引き戻すことができた。

「桧野さん、もう大丈……」

「……清瀬先輩、ひどいです」

「え?」

 まずは目の前の危険を脱したことに安堵しかけた僕は、小さく落とされた言葉に首を傾げる。

「あたしより、真っ先に高月先輩を助けに行った……」

「そ、それは……桧野さんの方には喜多川がいたから、咄嗟に……」

「あたしは清瀬先輩のことを呼んだのに」

 急に僕のことを責める桧野さんに戸惑うが、実際にあの状況では冷静に考えている余裕なんてなかった。
 どちらを助けるべきかなんて考える前に、身体が動いていたのだ。

 結果論でしかないが、僕が向かわなければ高月さんはあのまま闇の中に落ちていってしまっただろう。
 だからこそ、僕の判断は正しかったはずなのに、桧野さんは恨みがましげな瞳で僕を見ている。

「オイ、揉めるのは助かってからにしたらどうだ」

 僕らのやり取りを遠目に見ていた幡垣さんが、先を促す言葉を投げかけてくる。
 桧野さんにとっては不満の残る形だったのだろうが、全員が生きているのだから、これ以上彼女の感情を受け止めている時間はない。

「すいません。……桧野さん、ごめん。脱出したらちゃんと聞くから、今は先頭車両に急ごう」

「…………」

「足場、不安定だし背負うのはかえって危ないかも。桧野さん、歩けそうかな?」

「……歩きます」

 車体が横倒しになっている状態である以上、何が障害になるかわからない。
 喜多川の提案に頷いた桧野さんは、よろよろとした足取りで先頭車両を目指し始めた。

「高月さんも、大丈夫ですか?」

「うん、痛いけど歩けるよ。清瀬くん、なんだかごめんね」

「何がですか?」

 高月さんから謝罪を受ける理由が見当たらず、僕は彼女に手を差し出しながら疑問符を浮かべてしまう。
 その手を取った高月さんは、右足を庇いつつ車両の壁の上を歩いていく。

「私が落ちたりしたから、清瀬くんに余計な負担をかけちゃった。琥珀ちゃんのこと、喜多川くんと二人で助けられたのに」

「いや、高月さんは何も悪くないですよ。桧野さんには申し訳ないけど、全員無事だったんだし。あ……怪我はさせちゃったけど」

 無事という言い方は語弊があったかもしれない。そう思って高月さんの足元へ視線を落とした僕は、心臓がドクリと脈打ったのを感じる。
 手を取るだけだった高月さんの身体が、僕の腕に寄り添うようにして距離を詰めてきたからだ。

「怪我くらい、どうってことないよ。清瀬くんが助けてくれなかったら、私は今こうして喋ってない。……なんだか今日は、清瀬くんにいっぱい助けられてるね」

「そんなこと……高月さんの役に立ててるなら、嬉しいです」

 足場が不安定で、怪我もしていて、他に理由がないことなんてわかっているはずなのに。
 こんなにも近い距離にいると、高月さんが僕に好意を抱いてくれているように錯覚してしまう。

「清瀬くんって、そういう人だよね」

「え? そういうって、どういう……?」

「ううん、なんでもない。早く行こう」

 はぐらかされてしまったが、それ以上を追及している場合ではない。
 先へ進もうと前を向いたところで、僕はその異変に気がついた。

 開かれた乗降扉から見える闇、そこが盛り上がっている。そう感じた瞬間、その闇は一気に車内へと溢れ出した。

「うわっ……!? 次はなんなんだよ!?」

 左手側――僕たちから見た頭上――の手すりに掴まりながらそれを見下ろしていた福村は、慌てて移動するための体勢を取ろうとしている。

 溢れた闇の中から現れたのは、巨大な顔だった。
 あまりにも大きすぎて、見えているのは鼻から顎の辺りまでなのだが、黒い液体を纏うそれは肉や骨が剥き出しになっている。

「うそだろ、雛橋さん……?」

「え……?」

 手前から三つ目の扉の近くまで移動していた喜多川が、思わず足を止める。
 どうやら僕の目の前にある二つ目の扉と同じく、他の場所からも同様の怪異が顔を出しているらしい。

 ぐぱりと音を立てて開かれた口の中を見て、高月さんが短い悲鳴を上げた。

 上下にびっしりと並ぶ歯のようなものは、よく見ればすべてが人の頭の形をしている。
 その奥に舌があると思ったのだが、這い出してきたのは雛橋さんの面影がある人間の上半身だった。

 長く伸びた胴体はどこまで続いているのかわからないが、背骨が無いのかぐにゃぐにゃと不気味な動きをしている。

「デカいな……さすがに入ってはこられねえみたいだが」

 幡垣さんの言う通り、頭ですら電車の外にはみ出している怪異は恐らく車内に侵入してくることはできないのだろう。けれど、口の中の胴体は別だ。

「なんなんだよ気持ちワリィ! 大人しく死んどけよ雛橋!!」

 網棚に掴まった福村は、うんてい・・・・でそうするみたいに、腕を交互に入れ替えて前方へと移動している。
 その前を行っている幡垣さんも車両の端で網棚にぶら下がっているので、おそらく彼の移動を真似たのだろう。彼らの足元は、黒い液体に沈んでしまっている。

「桧野さん、掴まれる? 俺が手伝うから」

「……はい、っ」

 一番奥の扉の辺りを歩くことはできないと判断した喜多川が、桧野さんに手を貸しながら移動しようとしている。
 喜多川は力があるから任せておけば大丈夫だろうが、僕たちも急がなければこちら側も沈んでしまう。

 だが、怪異が獲物を前に簡単に移動させてくれるはずがない。
 一番奥の扉から出現した怪異は、突如としてその胴体を長く伸ばしたのだ。その先には、ぶら下がる福村の脚がある。

「っ、福村……!!」

 前に進むことに意識を向けていた福村は、まさか怪異が自分に向かって飛びついてくるなんて想像もしなかったのだろう。
 左脚に抱き着く形で福村を捕らえた怪異が、彼を巨大な口の中に引きずり込もうとしている。

「ヒッ、ぎゃああああああ!!!! 離せクソ!! っがああああああ!!!!」

 汚い悲鳴を上げた福村の左脚から、ジュウジュウと肉の焼ける音がする。
 怪異を振り解こうともがいているが、網棚にぶら下がった状態でできる抵抗など限られているのだろう。

 自由な右脚を使って蹴り落とそうと試みるが、その足先すら黒い液体によって溶かされているのがわかる。

「は、幡垣さん! 福村を助けてください……!!」

「助けろって、無茶言うな。こんな状態でどうしろって……」

「いいから早く助けろよジジイ!! みっ、見殺しにすんのか役立たずがあ!!??」

 僕の位置からは距離がありすぎて、すぐにはそこまで辿り着けない。
 咄嗟に一番近い幡垣さんにそう言葉を投げてしまったのだが、次いで飛び出したのは福村の暴言だった。
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