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第三章【青の月の章】16歳
第58話「あの日、叶わなかったやさしい祈り」
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***
子どもたちと別れて桃と二人、薄暗い夕闇の中を歩いた。
「寒いね……」
白い息が大気に溶け込んでいく。
空からしんしんと雪が降りだし、これから地面に雪化粧を施していくだろう。
子どものときにはキラキラと宝石のように見えていた雪。
真っ白でキレイなのに、私が歩けば土に混じって色を黒く染めていった。
「桃! 時羽ちゃん!」
「! 浅葱さん!」
浅葱が長柄傘をさして駆けてきて、八重歯をみせて晴れやかに笑うと傘で私と桃を雪から守った。
「雪が降りそうだったから。さすがに夜道に女二人はあぶねーよ」
「ありがとう。助かっちゃった」
何一つ変わらない浅葱の明るさは安堵する。
異性ではあるが、心から良き友人として浅葱はつかず離れずといてくれた。
「……桃さん? どうしたの?」
「いえ……。なんでもないですよぉ」
陰りのある表情をしていた気がする。
それを吹き飛ばすような笑顔で桃は冷えた指先を擦り合わせた。
気づいたことを口にするのは怖かった。
桃が隠したいのもわかっていた。
「桃さん」
私は桃の冷えた指先を包み、ささやかな喜びの兆しに涙を浮かべて笑いかけた。
「赤ちゃん、いるの?」
私の問いに桃がひゅっと息をのみ、返答に悩んで目を反らす。
「えっ……えっ?」
唐突な会話に浅葱は狐につままれたような顔をする。
「時羽ちゃん、何言って……。赤ちゃんって、桃が?」
キュッと口を固く結び、頬を赤らめる桃に浅葱は呆然と立ち尽くす。
思い当たる節があるようで、傘を握る手が震えだし、はた目にもわかるほど顔が真っ赤に染まった。
「本当に? えっ……オレの子ってことだよね?」
「ばかっ! 他に誰がいるっていうのぉ!」
間抜けた浅葱の言葉に桃は躍起になってあっかんべーと舌を出し、私にしがみついて顔を隠す。
私は桃の背を撫でながら、甘くやさしい香りに目を閉じる。
(匂い袋、ずっと持っててくれてる。大丈夫かな?)
「桃さん、無理してない? 香りがきつかったら外してもいいのよ?」
「これはいいんですぅ。……これがないと落ち着きません」
傷ついた心があたたかさに震える。
あの日、芹が叶わなかったやさしい祈りが桃に宿っている。
それで芹が報われるわけでもないが、失うばかりの私にはかけがえのない愛しい命だった。
「……桃。オレ、桃が大事だ! めちゃくちゃ大好きだ!」
「知ってるよぉ。でもあたし、姫様のそばにいたいのぉ」
「わかった。桃がそうしたいならそうすればいい」
そう言って浅葱は私に傘を受け渡し、冷えた砂利道に手をついて頭を垂れた。
「時羽ちゃん。いや、姫様。どうか桃の望み通りにさせてください。……父親として強くなります。桃と子を、ちゃんと守れる父になります」
「はい。桃さんのこと、絶対に守ってください。お子も、健やかに育ててね」
私は桃から手を離すと、浅葱の手を引き二人を並ばせて傘をさす。
「桃さん、元気なお子を産んでね」
「はいぃ……。お約束します。絶対に、絶対に……!」
粉雪が熱くなった頬や鼻をくすぐる。
涙のにじむ視界にやさしい光を見た。
(お母さま、芹……)
命が宿ったよ。
見送ってばかりの私にとって、何よりも尊い命が両親から愛情を向けられる姿を見ているよ。
「うっ……」
「……姫様?」「時羽ちゃん……」
この子はどんな顔をしているのかな。
浅葱に似るのか、桃に似るのか。
きっとどちらでもかわいいだろう。
(ねえ、生まれるんだよ。失うばかりの私に、命を見せてくれるんだって)
「うあああああんっ! あああああん!!」
苦しいこと、悲しいこと、悔しいこと、たくさんあった。
憎しみに駆られて一番守りたい幸せを忘れていた。
私はこの愛おしい命を守りたくて、意地を張り続けた。
少なくとも今は、絶対に守りたいと思う命が芽生えたと感極まってわんわんと泣き叫んだ。
そして幸せを噛みしめて、寒さから守ろうと私は桃に寄り添った。
氷のように冷たい冬に、やさしい雪明りが灯った。
子どもたちと別れて桃と二人、薄暗い夕闇の中を歩いた。
「寒いね……」
白い息が大気に溶け込んでいく。
空からしんしんと雪が降りだし、これから地面に雪化粧を施していくだろう。
子どものときにはキラキラと宝石のように見えていた雪。
真っ白でキレイなのに、私が歩けば土に混じって色を黒く染めていった。
「桃! 時羽ちゃん!」
「! 浅葱さん!」
浅葱が長柄傘をさして駆けてきて、八重歯をみせて晴れやかに笑うと傘で私と桃を雪から守った。
「雪が降りそうだったから。さすがに夜道に女二人はあぶねーよ」
「ありがとう。助かっちゃった」
何一つ変わらない浅葱の明るさは安堵する。
異性ではあるが、心から良き友人として浅葱はつかず離れずといてくれた。
「……桃さん? どうしたの?」
「いえ……。なんでもないですよぉ」
陰りのある表情をしていた気がする。
それを吹き飛ばすような笑顔で桃は冷えた指先を擦り合わせた。
気づいたことを口にするのは怖かった。
桃が隠したいのもわかっていた。
「桃さん」
私は桃の冷えた指先を包み、ささやかな喜びの兆しに涙を浮かべて笑いかけた。
「赤ちゃん、いるの?」
私の問いに桃がひゅっと息をのみ、返答に悩んで目を反らす。
「えっ……えっ?」
唐突な会話に浅葱は狐につままれたような顔をする。
「時羽ちゃん、何言って……。赤ちゃんって、桃が?」
キュッと口を固く結び、頬を赤らめる桃に浅葱は呆然と立ち尽くす。
思い当たる節があるようで、傘を握る手が震えだし、はた目にもわかるほど顔が真っ赤に染まった。
「本当に? えっ……オレの子ってことだよね?」
「ばかっ! 他に誰がいるっていうのぉ!」
間抜けた浅葱の言葉に桃は躍起になってあっかんべーと舌を出し、私にしがみついて顔を隠す。
私は桃の背を撫でながら、甘くやさしい香りに目を閉じる。
(匂い袋、ずっと持っててくれてる。大丈夫かな?)
「桃さん、無理してない? 香りがきつかったら外してもいいのよ?」
「これはいいんですぅ。……これがないと落ち着きません」
傷ついた心があたたかさに震える。
あの日、芹が叶わなかったやさしい祈りが桃に宿っている。
それで芹が報われるわけでもないが、失うばかりの私にはかけがえのない愛しい命だった。
「……桃。オレ、桃が大事だ! めちゃくちゃ大好きだ!」
「知ってるよぉ。でもあたし、姫様のそばにいたいのぉ」
「わかった。桃がそうしたいならそうすればいい」
そう言って浅葱は私に傘を受け渡し、冷えた砂利道に手をついて頭を垂れた。
「時羽ちゃん。いや、姫様。どうか桃の望み通りにさせてください。……父親として強くなります。桃と子を、ちゃんと守れる父になります」
「はい。桃さんのこと、絶対に守ってください。お子も、健やかに育ててね」
私は桃から手を離すと、浅葱の手を引き二人を並ばせて傘をさす。
「桃さん、元気なお子を産んでね」
「はいぃ……。お約束します。絶対に、絶対に……!」
粉雪が熱くなった頬や鼻をくすぐる。
涙のにじむ視界にやさしい光を見た。
(お母さま、芹……)
命が宿ったよ。
見送ってばかりの私にとって、何よりも尊い命が両親から愛情を向けられる姿を見ているよ。
「うっ……」
「……姫様?」「時羽ちゃん……」
この子はどんな顔をしているのかな。
浅葱に似るのか、桃に似るのか。
きっとどちらでもかわいいだろう。
(ねえ、生まれるんだよ。失うばかりの私に、命を見せてくれるんだって)
「うあああああんっ! あああああん!!」
苦しいこと、悲しいこと、悔しいこと、たくさんあった。
憎しみに駆られて一番守りたい幸せを忘れていた。
私はこの愛おしい命を守りたくて、意地を張り続けた。
少なくとも今は、絶対に守りたいと思う命が芽生えたと感極まってわんわんと泣き叫んだ。
そして幸せを噛みしめて、寒さから守ろうと私は桃に寄り添った。
氷のように冷たい冬に、やさしい雪明りが灯った。
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