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第三章【青の月の章】16歳
第60話「歩む道が交わらない」
弥生の下旬、戦の足音は大きくなりまずはじめに鬼狩りが招集された。
距離を置きたがっていた桃も例外ではなく、強制収集に頭を悩ませていた。
「姫様ぁ! 一晩、一晩だけですからぁ!」
「大丈夫よ。明日、ね」
「うあああああんっ!」
桃はずいぶんと情緒不安定だ。
もう安定期に入っている頃だろうが、まだまだ落ちつきがない。
浅葱が迎えに来ても嫌だいやだと駄々をこねていた。
ようやく桃が泣き止むと、鼻をスンスン鳴らしながら襟元から小さな木の笛を取り出す。
「笛?」
「特別な笛です。鬼狩りにしか聞こえない音を出します」
そう言って桃は涙目に「何かあれば必ず笛を吹くこと」と念を押す。
たった一晩、されど一晩と桃の心配は絶えず、泣く泣くと浅葱といっしょに出かけていった。
(久しぶりの一人ね)
いつも芹がいて、桃がいて、彼が探してくれた。
あたたかいことに慣れすぎて一人の寒さに腕を擦った。
「夜に招集なんて。……本当に普通の兵士と扱いが違うのね」
引き止めたくても私の声は届かない。
私と彼の道はあの日に途絶えた。
もう交わらない平行線とわかっているのに、彼を失わない道を考えて考えて……無力を知った。
「芹……。私、あきらめていいのかな?」
”姫でいる必要があるのかな?”
答えの返ってこない空に呟く。
もう間もなく月が満ちて大きく輝きだすだろう。
去年の春は笑顔にあふれていた。
どうしてこうも崩れてしまったのか。
私が何一つ決断できず、ぬるま湯につかっていたからだ。
あれほど鬼に対して憎しみを抱いていたのに。
あれほど父に見つけてほしいと抗っていたのに。
彼らを失う方がよっぽど嫌だ。
ほんの少しだけでも指先が触れ合えばきっと……私は”私”を捨てるだろう。
「……もう寝よう。今は私しかいないのだから」
(私はどうすれば緋月を止められる? 浅葱さんも桃さんを守るには?)
たくさんたくさん考えて、それでも私に導き出せる道は簡単に見つからない。
時間がないのにと焦りながらも、なんとか頭を休めようと家屋に戻って布団で丸くなる。
「緋月……」
夜に声を溶け込ませ、枕を濡らして目を閉じた。
***
――パチパチパチ……。
「ん……」
息苦しさに咳をしながら目を開けば、暗いだけの視界に赤色が揺れている。
見覚えのあるうねりにトラウマが引き出される。
「はっ……はっ……!」
”いやだっいやだああああっ! 芹っ! 芹ぃいいいいっ!!”
「逃げなきゃ……。逃げないと……!」
――バキッ!!
「キャアアアッ!?」
火の広がり方が早い。
畳を這いながら逃げようとするが、頭の片隅に追いやった箱が過ぎって腕を伸ばして背中を反らした。
(緋月からもらったもの……!)
藍染の髪飾り、木彫りの兎――私の宝物。
失いたくないと這って手を伸ばす。
小さな木箱に手が届きそうになって、ふいに鉛のような感情がのしかかってきた。
”疲れた”
ゴォゴォとした火が部屋を燃やし、私の手が畳に落ちる。
煙が充満して喉が焼けるほどに痛くなり、襲いかかる心細さに視界が上下した。
(お母さまと芹、いっしょに暮らした場所……)
命が宿るのを見て、私は遠のこうとしている。
失いたくない場所で、大好きな二人が首を横に振る幻覚を見た。
頭にモヤがかかり、煙で涙がとまらなくなる。
炎の音が鳴っているはずだが、消え入りそうな息づかいしかわからない。
(よかった、桃さんがいないときで)
煙なんて吸ったら子どもにどんな影響があるか。
(子ども……か)
帝である父に忘れられた娘。
私の命はどれほどの重みがあるのだろうか。
この家がなくなれば私と母が生きた証がなくなってしまう。
いつまでもいつまでも捨てられない父への願い。
一言でいい。
名前を呼んでほしい。
母がいたことを認めてほしい。
それが実れば私はもうすべてをあきらめることが出来るのに……。
首にさげた笛が肌着の合わせから落ちる。
桃から受け取ったそれを手に取り、口にくわえて弱々しく息を吹き込んだ。
「緋月……」
こんなにも大きく燃える火は怖い。
この響きだけは独占したいほどに捨てたくない。
「時羽っ!!」
かすむ世界、私の身体が浮いて腕がだらんと落ちる。
たくましい胸に頭を寄せて、情緒をかきむしられて涙があふれ出す。
ガラガラと崩れ出す家屋から飛び出すと、彼の苦々しい表情に息を吐いて目を閉じた。
***
次に目を開けば、緋月が泣きそうな顔をして私を見下ろしていた。
私は細い呼吸を繰り返し、身体中に酸素をめぐらせる。
息がしやすいよう、彼が寝間着の前を緩めてくれていた。
私はボーッとしながら煤で汚れた指先を伸ばし、彼の輪郭をなぞりだす。
「助けてくれてありがとう」
その言葉に彼は私の手を掴み、首を横に振る。
「俺は何度でも駆けつけます。俺がそばでお守りしたいのは時羽姫だけですから」
「そんなこと。……軽々しく言っちゃダメだよ」
「軽い気持ちで言ったことはありません」
どちらの意味でそう語るの?
私と彼はすでにすれ違い、歩む道が交わらなくなった。
彼に鬼狩りをやめてほしいと願うのに、姫をやめようとしない。
ついに大切なものを燃えて失えば、胸をかきむしるしかなかった。
身体を起こすと肩を押し、私は見知らぬ部屋に四つん這いで入り込む。
障子扉を閉め、肌着をかきよせて小さく丸まった。
距離を置きたがっていた桃も例外ではなく、強制収集に頭を悩ませていた。
「姫様ぁ! 一晩、一晩だけですからぁ!」
「大丈夫よ。明日、ね」
「うあああああんっ!」
桃はずいぶんと情緒不安定だ。
もう安定期に入っている頃だろうが、まだまだ落ちつきがない。
浅葱が迎えに来ても嫌だいやだと駄々をこねていた。
ようやく桃が泣き止むと、鼻をスンスン鳴らしながら襟元から小さな木の笛を取り出す。
「笛?」
「特別な笛です。鬼狩りにしか聞こえない音を出します」
そう言って桃は涙目に「何かあれば必ず笛を吹くこと」と念を押す。
たった一晩、されど一晩と桃の心配は絶えず、泣く泣くと浅葱といっしょに出かけていった。
(久しぶりの一人ね)
いつも芹がいて、桃がいて、彼が探してくれた。
あたたかいことに慣れすぎて一人の寒さに腕を擦った。
「夜に招集なんて。……本当に普通の兵士と扱いが違うのね」
引き止めたくても私の声は届かない。
私と彼の道はあの日に途絶えた。
もう交わらない平行線とわかっているのに、彼を失わない道を考えて考えて……無力を知った。
「芹……。私、あきらめていいのかな?」
”姫でいる必要があるのかな?”
答えの返ってこない空に呟く。
もう間もなく月が満ちて大きく輝きだすだろう。
去年の春は笑顔にあふれていた。
どうしてこうも崩れてしまったのか。
私が何一つ決断できず、ぬるま湯につかっていたからだ。
あれほど鬼に対して憎しみを抱いていたのに。
あれほど父に見つけてほしいと抗っていたのに。
彼らを失う方がよっぽど嫌だ。
ほんの少しだけでも指先が触れ合えばきっと……私は”私”を捨てるだろう。
「……もう寝よう。今は私しかいないのだから」
(私はどうすれば緋月を止められる? 浅葱さんも桃さんを守るには?)
たくさんたくさん考えて、それでも私に導き出せる道は簡単に見つからない。
時間がないのにと焦りながらも、なんとか頭を休めようと家屋に戻って布団で丸くなる。
「緋月……」
夜に声を溶け込ませ、枕を濡らして目を閉じた。
***
――パチパチパチ……。
「ん……」
息苦しさに咳をしながら目を開けば、暗いだけの視界に赤色が揺れている。
見覚えのあるうねりにトラウマが引き出される。
「はっ……はっ……!」
”いやだっいやだああああっ! 芹っ! 芹ぃいいいいっ!!”
「逃げなきゃ……。逃げないと……!」
――バキッ!!
「キャアアアッ!?」
火の広がり方が早い。
畳を這いながら逃げようとするが、頭の片隅に追いやった箱が過ぎって腕を伸ばして背中を反らした。
(緋月からもらったもの……!)
藍染の髪飾り、木彫りの兎――私の宝物。
失いたくないと這って手を伸ばす。
小さな木箱に手が届きそうになって、ふいに鉛のような感情がのしかかってきた。
”疲れた”
ゴォゴォとした火が部屋を燃やし、私の手が畳に落ちる。
煙が充満して喉が焼けるほどに痛くなり、襲いかかる心細さに視界が上下した。
(お母さまと芹、いっしょに暮らした場所……)
命が宿るのを見て、私は遠のこうとしている。
失いたくない場所で、大好きな二人が首を横に振る幻覚を見た。
頭にモヤがかかり、煙で涙がとまらなくなる。
炎の音が鳴っているはずだが、消え入りそうな息づかいしかわからない。
(よかった、桃さんがいないときで)
煙なんて吸ったら子どもにどんな影響があるか。
(子ども……か)
帝である父に忘れられた娘。
私の命はどれほどの重みがあるのだろうか。
この家がなくなれば私と母が生きた証がなくなってしまう。
いつまでもいつまでも捨てられない父への願い。
一言でいい。
名前を呼んでほしい。
母がいたことを認めてほしい。
それが実れば私はもうすべてをあきらめることが出来るのに……。
首にさげた笛が肌着の合わせから落ちる。
桃から受け取ったそれを手に取り、口にくわえて弱々しく息を吹き込んだ。
「緋月……」
こんなにも大きく燃える火は怖い。
この響きだけは独占したいほどに捨てたくない。
「時羽っ!!」
かすむ世界、私の身体が浮いて腕がだらんと落ちる。
たくましい胸に頭を寄せて、情緒をかきむしられて涙があふれ出す。
ガラガラと崩れ出す家屋から飛び出すと、彼の苦々しい表情に息を吐いて目を閉じた。
***
次に目を開けば、緋月が泣きそうな顔をして私を見下ろしていた。
私は細い呼吸を繰り返し、身体中に酸素をめぐらせる。
息がしやすいよう、彼が寝間着の前を緩めてくれていた。
私はボーッとしながら煤で汚れた指先を伸ばし、彼の輪郭をなぞりだす。
「助けてくれてありがとう」
その言葉に彼は私の手を掴み、首を横に振る。
「俺は何度でも駆けつけます。俺がそばでお守りしたいのは時羽姫だけですから」
「そんなこと。……軽々しく言っちゃダメだよ」
「軽い気持ちで言ったことはありません」
どちらの意味でそう語るの?
私と彼はすでにすれ違い、歩む道が交わらなくなった。
彼に鬼狩りをやめてほしいと願うのに、姫をやめようとしない。
ついに大切なものを燃えて失えば、胸をかきむしるしかなかった。
身体を起こすと肩を押し、私は見知らぬ部屋に四つん這いで入り込む。
障子扉を閉め、肌着をかきよせて小さく丸まった。
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