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第三章【青の月の章】16歳
第64話「帝の呼び出し」
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彼がいなくなってずいぶんと時間が過ぎた。
私は軟禁状態から解放され、寝殿の敷地内にある家屋を与えられる。
側室・徳子との接触がないように警備体制が敷かれ、私は片隅で見慣れぬ景色を眺めていた。
(憎い気持ちは変わらない。だけど疲れちゃった)
どれだけ願っても母も芹も生き返らない。
徳子を殺したところで誰一人幸せにならない。
こんな気持ちを抱えるくらいなら、私は未練なんて捨てて心穏やかに生きたかった。
(弱いなぁ。今の私、正直好きじゃない。緋月は……)
それでも言葉をくれるだろうか?
まるで彼を逃げ道にしているかのようで気味が悪い。
約束を果たしたい。
この気持ちを全部吐き出して彼の胸に飛び込みたい。
(好き、緋月が大好き。……好きな人のとこに行くんだもの。これ以上は贅沢よ)
欲しいものを余すことなくこの手で守るなんて出来ない。
どうしたって私は無力だ。
鬼だらけの世界は怖くて、嘆くばかりで、夜に涙するしか出来なかった。
彼の存在は暗闇に灯るやさしい月明かり。
愛さずにはいられない私のただ一人の方だ。
「姫様。よかったらお茶でも飲みませんか?」
桃が茶のセットを手に縁側をトタトタと足早に歩いてくる。
「桃さん! お茶くらい自分でするわ! 安静にしていないと……」
「少しは動かないと身体が鈍りますから。姫様のお世話をするくらいがちょうどいいです」
誇らしげに笑う桃に私は胸をなでおろす。
そして桃と並んで小さな庭を眺めながら会話に花を咲かせた。
「あたし、自信がなかったんです。鬼狩り一族だと落ちこぼれでしたから」
「それ、変よ。桃さんほど強くて心配りの出来る人はそういないもの」
「……姫様がそう言ってくださるからあたし、自分がどうしたいか見つけることが出来ました」
桃は見かけによらずしたたかで、自分の意志で行動の出来る人だ。
はじめて会ったときはおとなしい印象だったが、今は前向きに頑張る母の顔になってきた。
このまま順調にいけば桃は赤子を産み、浅葱と家庭を築くだろう。
その時、私は彼らの幸せな笑顔を見られるだろうか。
桃と浅葱は私にとって希望そのものだから、幸せになってほしいと心から願う二人であった。
(桃さんには言っておかないとね……)
「桃さ……」
「失礼します! 時羽姫様に帝より言伝を預かっております! 侍女の方はいらっしゃらぬか!?」
家屋の入り口から届いた声にぞわっと身体が冷え、全身に鳥肌がたつ。
心臓が頭にいってしまったかのように痛みが走り、顔だけやたらと熱がこもっていた。
「姫様、ここでお待ちください」
警戒して強い目つきになった桃が、懐にクナイを潜ませて戸口へと向かう。
桃が戻ってくるまでの短い時間が恐ろしく長く感じた。
(帝って……。聞き間違いじゃないよね? だって、今まで一度も……!)
会いに行っても会えない人だったのに。
諦めたようなものだったのに、その単語一つで私の心臓が握られてしまう。
帝、一度も会ったことのない、一度でも母を愛した遠い人――私のお父様。
「姫様。その……お支度をさせていただいてもよろしいですか?」
桃が青ざめた顔をして戻ってくる。
私は慌てて立ち上がり、桃の肩を支えて動揺に震えそうな声をなんとか振り絞る。
「帝って……何があったの? お父様がなにを……!」
「帝が姫様にお会いになると申しているそうです」
言っている意味を瞬時に理解できなかった。
グラグラする思考でわかったような顔をして笑顔を取り繕う。
「なんで今さら……。会うってなに? 今まで一度も会ってくれなかったのに」
いや、これは長年私が望んできたことだ。
父に会いたいと願い、母と私がたしかに生きていることを証明したかった。
愛情なんて求めていない。
ただ一言、母のことを父の口から聞いてみたかっただけだ。
このタイミングで会うとなるのはあまりに卑怯だ。
諦めかけていた心がまた期待して、傷つく未来に安心を求めている。
やっぱり、と傷つくことですべてを納得させたいなんて歪な想いを……私は捨てられない。
「わかった。ちゃんと正装しないとね。しっかりした格好が久しぶりだから緊張しちゃう」
「姫様……」
ここで泣いたら桃を困らせる。
私は姫なのだから気丈に振る舞わなくてはならない。
無力だとしても、私は姫として生きてきた。
その誇りが私の中にある怯えを奥へ奥へと引っ込ませた。
私は軟禁状態から解放され、寝殿の敷地内にある家屋を与えられる。
側室・徳子との接触がないように警備体制が敷かれ、私は片隅で見慣れぬ景色を眺めていた。
(憎い気持ちは変わらない。だけど疲れちゃった)
どれだけ願っても母も芹も生き返らない。
徳子を殺したところで誰一人幸せにならない。
こんな気持ちを抱えるくらいなら、私は未練なんて捨てて心穏やかに生きたかった。
(弱いなぁ。今の私、正直好きじゃない。緋月は……)
それでも言葉をくれるだろうか?
まるで彼を逃げ道にしているかのようで気味が悪い。
約束を果たしたい。
この気持ちを全部吐き出して彼の胸に飛び込みたい。
(好き、緋月が大好き。……好きな人のとこに行くんだもの。これ以上は贅沢よ)
欲しいものを余すことなくこの手で守るなんて出来ない。
どうしたって私は無力だ。
鬼だらけの世界は怖くて、嘆くばかりで、夜に涙するしか出来なかった。
彼の存在は暗闇に灯るやさしい月明かり。
愛さずにはいられない私のただ一人の方だ。
「姫様。よかったらお茶でも飲みませんか?」
桃が茶のセットを手に縁側をトタトタと足早に歩いてくる。
「桃さん! お茶くらい自分でするわ! 安静にしていないと……」
「少しは動かないと身体が鈍りますから。姫様のお世話をするくらいがちょうどいいです」
誇らしげに笑う桃に私は胸をなでおろす。
そして桃と並んで小さな庭を眺めながら会話に花を咲かせた。
「あたし、自信がなかったんです。鬼狩り一族だと落ちこぼれでしたから」
「それ、変よ。桃さんほど強くて心配りの出来る人はそういないもの」
「……姫様がそう言ってくださるからあたし、自分がどうしたいか見つけることが出来ました」
桃は見かけによらずしたたかで、自分の意志で行動の出来る人だ。
はじめて会ったときはおとなしい印象だったが、今は前向きに頑張る母の顔になってきた。
このまま順調にいけば桃は赤子を産み、浅葱と家庭を築くだろう。
その時、私は彼らの幸せな笑顔を見られるだろうか。
桃と浅葱は私にとって希望そのものだから、幸せになってほしいと心から願う二人であった。
(桃さんには言っておかないとね……)
「桃さ……」
「失礼します! 時羽姫様に帝より言伝を預かっております! 侍女の方はいらっしゃらぬか!?」
家屋の入り口から届いた声にぞわっと身体が冷え、全身に鳥肌がたつ。
心臓が頭にいってしまったかのように痛みが走り、顔だけやたらと熱がこもっていた。
「姫様、ここでお待ちください」
警戒して強い目つきになった桃が、懐にクナイを潜ませて戸口へと向かう。
桃が戻ってくるまでの短い時間が恐ろしく長く感じた。
(帝って……。聞き間違いじゃないよね? だって、今まで一度も……!)
会いに行っても会えない人だったのに。
諦めたようなものだったのに、その単語一つで私の心臓が握られてしまう。
帝、一度も会ったことのない、一度でも母を愛した遠い人――私のお父様。
「姫様。その……お支度をさせていただいてもよろしいですか?」
桃が青ざめた顔をして戻ってくる。
私は慌てて立ち上がり、桃の肩を支えて動揺に震えそうな声をなんとか振り絞る。
「帝って……何があったの? お父様がなにを……!」
「帝が姫様にお会いになると申しているそうです」
言っている意味を瞬時に理解できなかった。
グラグラする思考でわかったような顔をして笑顔を取り繕う。
「なんで今さら……。会うってなに? 今まで一度も会ってくれなかったのに」
いや、これは長年私が望んできたことだ。
父に会いたいと願い、母と私がたしかに生きていることを証明したかった。
愛情なんて求めていない。
ただ一言、母のことを父の口から聞いてみたかっただけだ。
このタイミングで会うとなるのはあまりに卑怯だ。
諦めかけていた心がまた期待して、傷つく未来に安心を求めている。
やっぱり、と傷つくことですべてを納得させたいなんて歪な想いを……私は捨てられない。
「わかった。ちゃんと正装しないとね。しっかりした格好が久しぶりだから緊張しちゃう」
「姫様……」
ここで泣いたら桃を困らせる。
私は姫なのだから気丈に振る舞わなくてはならない。
無力だとしても、私は姫として生きてきた。
その誇りが私の中にある怯えを奥へ奥へと引っ込ませた。
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