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幕間 食堂4
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職場である、公衆の面前である、見た目小学生高学年にキスをされるという、もしもし警察ですかと電話したくなるような光景に、六波羅の背筋が凍りつく。
ただ問題はそれだけにとどまらず、強引に口の中に舌をねじ込まれ口の中に人肌のぬめりを持ったぼそぼそのものを流し込まれる。驚き固まり、突き飛ばすまでの数秒でその殆どを移し替えられ、
「――いったー!」
「ちょっと、突き飛ばすなんて何考えてんの!?」
「……そこじゃないだろ」
床に尻もちをつく少女を一瞥して、辛が手に持ったスプーンを投げる。弩弓のように真っ直ぐ眼球を狙ったそれを、六波羅は首を捻り、避けきれずこめかみの薄皮1枚が裂けて、背後から弦を弾くような音が響いていた。壁に突き刺さったスプーンの柄が震えている。
流血はなく、火傷のようなピリピリとした痛みよりも気になることがあり、六波羅は口元を押さえる。普通では考えられない行動の数々に息を飲んで、ついでに舞の吐瀉物すらも飲み込んで、今胃が逆流するほどの吐き気がない。後味は相変わらずの不味さではあるものの、先程までと比べ随分と薄れているようで、
「何をした?」
降り注ぐ視線はお尻を押さえて立ち上がる少女に向けられていた。
「口移しですよ。というか大雑把に言えばなんにもしてません。ただ部長が思ってる枷を外しただけです」
「枷?」
「ダンジョンだって自然のもの、人間だって自然のもの。そこを忘れて変に壁を作るから不味いものって先入観が生まれるんですよ。異物だって考えるから喉を通らない、食材と作ってくれた人に感謝の意を込めていただきますってすれば部長だってもう大丈夫です」
「……」
言っていることは滅茶苦茶なただの精神論で、しかし六波羅は匙を持つ。
……異物か。
そう考えるのも当然だ、つい10年前まで影も形もなかったものが突然生まれ、そこから這い出たものが人を襲う。それが異物でなくてなんだと言うのだろうか。
人は鉄を食えず鉛を食えず、口にすれば喉を通らない。しかし調理され害はなく栄養があると保証されているものは鉄でも鉛でもないのだ。
匙はスープを掬い、口に運ばれる。見た目は最悪極まる青で、立ち上る湯気は野菜と魚肉の溶けだした芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
1口。果てしなく遠かったはずのそれが今では手が届くところにあるようで、たかだか料理に対しておどおどとしていたことすら馬鹿馬鹿しく思えてくる。まさか噛み付いてくる訳でもあるまいし、腹に入れば他と同じ、恐れる理由などあるはずもない。
「……」
スプーンを咥え、咀嚼し飲み込む。驚くほどスムーズに食事し、六波羅は食器を置いた。
そして、
「……不味いな」
口から飛び出したのは他愛のない使い古された感想だけで嘔吐も怨嗟の声でもない。喉に残る感じはまだあれど、完食も不可能ではないと分かり、
……ん?
目の前が暗いことに気付く、鼻に当たるのは柔らかくそして硬い、ただ心安らぐ温かさと陽だまりのような香りで、
「ほら。せっかく受け入れられたんだから泣かないの。皆に見られたら恥ずかしいでしょ」
頭上から降る声に目を閉じる。あぁなるほど、今自分は泣いているのか、理由は別としてやけにすっとした、心に風が通る。
今ようやく理解した。足りなりなかったのは――。
「舞」
「ん?」
頭を抱えていた胸が離れ、鼻先に微風が涼しい。
「付き合ってくれ」
「……?」
「俺はお前のことが好きなんだ」
「あ、ありがとう?」
言って、胸の内に炎が灯る。この気持ちに嘘はなく、六波羅はまっすぐに困惑気味の少女を見る。
到底無理だったのだと、自身の今の立場を振り返り考えていた。人を導くことは不得手で、不器用、仏頂面で臆病。だからこそ人に憚らず、我が物顔で邪魔するものは蹴とばし、道がなければどんな手を使ってでも直進、目的地まで最短距離以外考えられない性格が美しい。
つまり六波羅は――正気ではなかった。恋心のようなものを抱いていたのは確かだが、少なくとも公衆の面前でする話ではなく、いい大人なのだから告白する前にある程度の手順を踏むべきであった。それら全てを細切れにしてゴミ箱へ投げ捨て、こんな短絡的な行動に出たのは長年役付きとしての重圧、部下の犠牲、そして今回の食事と、理性を保つことすら限界で、それを解決に導いてくれる存在に全幅の信頼を置いてしまっただけのことだった。
だから盲目になる、六波羅の目には告白が成功したかどうかすら映っておらず、精神は気持ちを伝えられた自己満足の快楽の海を漂っている。行動の段階で目的を達成してしまったがゆえ、それ以上先のことまで考えが及ばず、次に何をするかもない。
だから彼が正気に戻るまで皆正しい反応がわからず、待つほかなかったのだが、問題はもう1人正気ではない人間がいたことだった。
「――ふっざけんな! そんなこと私が許しません」
果たしてなんの権利があってそんなことを言うのだろう、度々口を挟もうと力を入れては舞に視線で制され鬱憤をこめかみに浮かばせていた辛は、とうとう我慢の限界だと声を上げる。怒りが火山の噴火よりも熱を持ち、目から光線が出るのではないかというほど強く六波羅を睨みつける。
他人の怒っている様子を見るとむしろ冷静になるというのはよくある話で、しかし数年積み重ねてきたストレスはそう簡単には溶けることはない。怒声を聞いた六波羅は1度舞の頬に手を当て、それがなんの意味を示すかは分からないが満足そうに頷いた彼は立ち上がり、視線を交差させる。
「……何故だ」
「社内恋愛は禁止よ」
「明文化されていない内輪のルールだ、それに交際している職員も数名だがいることは確認済みだ」
さすが、部長ともなれば社内のことには詳しく、こういう時だけ饒舌になるのは傍から見ていて気持ち悪い。辛は、それでも言い負けず、吐き捨てるように鼻を鳴らすと、
「ロリコン、変態、幼女趣味!」
「彼女は成人だろう」
「見た目の話をしてるの!」
「人を見た目で判断するのはよくないぞ」
真っ当なことを言っているようで、ここが真っ当なところならばそれでも良かったのだろうが、再三確認している通り食堂、好奇の目が集まるところでする話ではない。特に話題の中心である少女は完全に置いてけぼりを食らって、どちらの味方をすればいいのかすら理解出来ていない。
龍虎背負うようにヒートアップしていく2人、話は崖を転がるよりも早く脱線していく。
「舞ちゃんはあなたのものじゃないわ」
「お前のものでもないだろう」
「私は命を救われるほど愛されているし、私も愛しているわ」
「女同士だろ。愛情の大小なら負ける気はしない」
「性的マイノリティーに対する差別発言よ」
互いの発言の中に正論を織り交ぜていくが、終着点の見えない論争に痺れを切らしていく。普通の会社なら口論になってもそれ以上の醜い争いになることは滅多にないことだろうけれど、この会社、肉体労働者よりも切った張ったが当たり前になっているのである、振り上げた拳が向かう先は容易に想像出来て、しかしもっとも自制しなければならないことでもあった。
「……どうやら殴ってでも分からせないといけないみたいね」
「お前がか? 勝負にならんだろ」
「舐めてかかると溶かすわよ」
どうやら2人に今はどんな言葉も無意味なようで、もっとも近くにいる舞が振り返るも、ギャラリーは一様に横を向いて我関せずを貫く。
そこへ何も知らない新堂が、胃を押さえて悠長な足取りで戻ってくる。不審な顔をして状況判断に努めるが、まさか舞の取り合いになっているとはどんな名探偵でも推測出来ず、なにかと渦中にいる舞の横に立ち、
「……何この状況?」
「私も解説して欲しいくらいなんですよねぇ……」
覇気、殺気で空間が歪む程の意気込みを見せる2人を眺めながら、舞は大きくため息をついていた。
ただ問題はそれだけにとどまらず、強引に口の中に舌をねじ込まれ口の中に人肌のぬめりを持ったぼそぼそのものを流し込まれる。驚き固まり、突き飛ばすまでの数秒でその殆どを移し替えられ、
「――いったー!」
「ちょっと、突き飛ばすなんて何考えてんの!?」
「……そこじゃないだろ」
床に尻もちをつく少女を一瞥して、辛が手に持ったスプーンを投げる。弩弓のように真っ直ぐ眼球を狙ったそれを、六波羅は首を捻り、避けきれずこめかみの薄皮1枚が裂けて、背後から弦を弾くような音が響いていた。壁に突き刺さったスプーンの柄が震えている。
流血はなく、火傷のようなピリピリとした痛みよりも気になることがあり、六波羅は口元を押さえる。普通では考えられない行動の数々に息を飲んで、ついでに舞の吐瀉物すらも飲み込んで、今胃が逆流するほどの吐き気がない。後味は相変わらずの不味さではあるものの、先程までと比べ随分と薄れているようで、
「何をした?」
降り注ぐ視線はお尻を押さえて立ち上がる少女に向けられていた。
「口移しですよ。というか大雑把に言えばなんにもしてません。ただ部長が思ってる枷を外しただけです」
「枷?」
「ダンジョンだって自然のもの、人間だって自然のもの。そこを忘れて変に壁を作るから不味いものって先入観が生まれるんですよ。異物だって考えるから喉を通らない、食材と作ってくれた人に感謝の意を込めていただきますってすれば部長だってもう大丈夫です」
「……」
言っていることは滅茶苦茶なただの精神論で、しかし六波羅は匙を持つ。
……異物か。
そう考えるのも当然だ、つい10年前まで影も形もなかったものが突然生まれ、そこから這い出たものが人を襲う。それが異物でなくてなんだと言うのだろうか。
人は鉄を食えず鉛を食えず、口にすれば喉を通らない。しかし調理され害はなく栄養があると保証されているものは鉄でも鉛でもないのだ。
匙はスープを掬い、口に運ばれる。見た目は最悪極まる青で、立ち上る湯気は野菜と魚肉の溶けだした芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
1口。果てしなく遠かったはずのそれが今では手が届くところにあるようで、たかだか料理に対しておどおどとしていたことすら馬鹿馬鹿しく思えてくる。まさか噛み付いてくる訳でもあるまいし、腹に入れば他と同じ、恐れる理由などあるはずもない。
「……」
スプーンを咥え、咀嚼し飲み込む。驚くほどスムーズに食事し、六波羅は食器を置いた。
そして、
「……不味いな」
口から飛び出したのは他愛のない使い古された感想だけで嘔吐も怨嗟の声でもない。喉に残る感じはまだあれど、完食も不可能ではないと分かり、
……ん?
目の前が暗いことに気付く、鼻に当たるのは柔らかくそして硬い、ただ心安らぐ温かさと陽だまりのような香りで、
「ほら。せっかく受け入れられたんだから泣かないの。皆に見られたら恥ずかしいでしょ」
頭上から降る声に目を閉じる。あぁなるほど、今自分は泣いているのか、理由は別としてやけにすっとした、心に風が通る。
今ようやく理解した。足りなりなかったのは――。
「舞」
「ん?」
頭を抱えていた胸が離れ、鼻先に微風が涼しい。
「付き合ってくれ」
「……?」
「俺はお前のことが好きなんだ」
「あ、ありがとう?」
言って、胸の内に炎が灯る。この気持ちに嘘はなく、六波羅はまっすぐに困惑気味の少女を見る。
到底無理だったのだと、自身の今の立場を振り返り考えていた。人を導くことは不得手で、不器用、仏頂面で臆病。だからこそ人に憚らず、我が物顔で邪魔するものは蹴とばし、道がなければどんな手を使ってでも直進、目的地まで最短距離以外考えられない性格が美しい。
つまり六波羅は――正気ではなかった。恋心のようなものを抱いていたのは確かだが、少なくとも公衆の面前でする話ではなく、いい大人なのだから告白する前にある程度の手順を踏むべきであった。それら全てを細切れにしてゴミ箱へ投げ捨て、こんな短絡的な行動に出たのは長年役付きとしての重圧、部下の犠牲、そして今回の食事と、理性を保つことすら限界で、それを解決に導いてくれる存在に全幅の信頼を置いてしまっただけのことだった。
だから盲目になる、六波羅の目には告白が成功したかどうかすら映っておらず、精神は気持ちを伝えられた自己満足の快楽の海を漂っている。行動の段階で目的を達成してしまったがゆえ、それ以上先のことまで考えが及ばず、次に何をするかもない。
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「――ふっざけんな! そんなこと私が許しません」
果たしてなんの権利があってそんなことを言うのだろう、度々口を挟もうと力を入れては舞に視線で制され鬱憤をこめかみに浮かばせていた辛は、とうとう我慢の限界だと声を上げる。怒りが火山の噴火よりも熱を持ち、目から光線が出るのではないかというほど強く六波羅を睨みつける。
他人の怒っている様子を見るとむしろ冷静になるというのはよくある話で、しかし数年積み重ねてきたストレスはそう簡単には溶けることはない。怒声を聞いた六波羅は1度舞の頬に手を当て、それがなんの意味を示すかは分からないが満足そうに頷いた彼は立ち上がり、視線を交差させる。
「……何故だ」
「社内恋愛は禁止よ」
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さすが、部長ともなれば社内のことには詳しく、こういう時だけ饒舌になるのは傍から見ていて気持ち悪い。辛は、それでも言い負けず、吐き捨てるように鼻を鳴らすと、
「ロリコン、変態、幼女趣味!」
「彼女は成人だろう」
「見た目の話をしてるの!」
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真っ当なことを言っているようで、ここが真っ当なところならばそれでも良かったのだろうが、再三確認している通り食堂、好奇の目が集まるところでする話ではない。特に話題の中心である少女は完全に置いてけぼりを食らって、どちらの味方をすればいいのかすら理解出来ていない。
龍虎背負うようにヒートアップしていく2人、話は崖を転がるよりも早く脱線していく。
「舞ちゃんはあなたのものじゃないわ」
「お前のものでもないだろう」
「私は命を救われるほど愛されているし、私も愛しているわ」
「女同士だろ。愛情の大小なら負ける気はしない」
「性的マイノリティーに対する差別発言よ」
互いの発言の中に正論を織り交ぜていくが、終着点の見えない論争に痺れを切らしていく。普通の会社なら口論になってもそれ以上の醜い争いになることは滅多にないことだろうけれど、この会社、肉体労働者よりも切った張ったが当たり前になっているのである、振り上げた拳が向かう先は容易に想像出来て、しかしもっとも自制しなければならないことでもあった。
「……どうやら殴ってでも分からせないといけないみたいね」
「お前がか? 勝負にならんだろ」
「舐めてかかると溶かすわよ」
どうやら2人に今はどんな言葉も無意味なようで、もっとも近くにいる舞が振り返るも、ギャラリーは一様に横を向いて我関せずを貫く。
そこへ何も知らない新堂が、胃を押さえて悠長な足取りで戻ってくる。不審な顔をして状況判断に努めるが、まさか舞の取り合いになっているとはどんな名探偵でも推測出来ず、なにかと渦中にいる舞の横に立ち、
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