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舞が壊れた日7
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「た、助け……」
単色の瞳を向けられ這いずり回りながら男性は掠れた声を上げる。逃げようという意思は空回りを続け、立ち上がることすらおぼつかない。
産まれたての子鹿の如く七転八倒する男性を嘲笑うかのように、肉の怪物はゆっくりといびつに歪んだ手を伸ばしていた。
万事休すかと思われたさなか、男性の目の前を黒い影が通り過ぎる。それが業務に何の役にも立たないであろうとされていたお偉いさんの書いた草書を閉まっていた額縁だとわかった時には、無駄に頑丈な作りのおかげで怪物の腕を両断することに成功していた。
「大丈夫か!?」
「ろ、六波羅部長ぉ」
そこへ現れたのは長身の偉丈夫、六波羅だった。エントランスから走ってくる彼は黒い耐火グローブを手にはめて状況の整理に努めていた。
ビルの高さほどあるそれの根元を見る。まだ下があることを確認して、大体の検討をつけていた。
「な、なんなんですかあれ……」
「知らん。調査部呼んでこい」
ぶっきらぼうに、端的に告げる。それだけ余裕のない証拠でもあった。
しかし傍から見ればその堂々としたいでたちは頼もしさにあふれており、本人の本音とは相違あるにしても尊敬の念を集めるにたやすい。並みの雑兵をいくら集めたところで被害が増えるだけと考えた六波羅はこの状況を打破する材料集めを優先することとしていた。
「……お前をモンスターとして駆除する。言い訳は聞かん、相手が悪かったと諦めてくれ」
構える。そこに慢心はない。
先手をとったのは間違いなく六波羅であったがだからといってそれだけで押し切れるような簡単な相手ではなかった。切り落ちた手首から先は下水のような不快な臭いを出して肉が焼けるようにくすみ縮んでいく。その代わりと言ってはなんだが、無くなったはずの手首はぼこぼこと肉の泡を吐いて、何事も無かったように新品の手が生えてきていた。
厄介である。ただそれだけだと六波羅は強く踏み込んでいた。
2歩目には最高速、空気を置き去りにして一瞬の間に間合いを詰めた彼は渾身の一撃を叩きつける。ただの大振りの殴打ですら、避けきれない程の速さと十分なウエイトさえあれば一撃必殺、それ以上必要のない技となる。
もちろん、効く相手であればの話だが。
……むっ?
肉塊に深く突き刺さった拳はそのまま貫通する勢いであった。しかしあまりに厚すぎる肉の壁は飲み込むように腕まで包み込み、噛んで離さない。
じわりと六波羅の額に汗がにじむ。本能で危機的状況を理解した身体は、考えるより早く引き抜き、絶死の間合いから離脱することを選択していた。
「酸、か」
ついでとばかりに握り、引きちぎった肉を投げ捨てながら呟く。薄桃色の肌からはかすかに煙が立ち上り、好ましくない臭いが鼻につく。男性にしては薄い腕毛も今では見る影もなくなり、昨今の美容ブームにちょうどいいかと言われれば肌まで焼けてしまって納得のしにくいところ。
最近似たような相手と戦っていることもあり、たいして慌てず構えを変える。対処法がないわけではない、むしろ人としての知性がない分だけやりやすいとまで感じていた。
そこへ1人の女性が近づいていた。
「六波羅部長、大丈夫ですか?」
「辛か。どこかの馬鹿がやらかしたらしい。人事部の仕事がないなら手伝ってくれ」
「いいですよ。どうせ電話番くらいしかやることがなかったんですもの。さぁ、置いていかれた鬱憤晴らしでもさせてもらおうかしら」
そういうと辛は持ってきた武器を構える。
それは武器というにはあまりにお粗末なものだった。長さ2メートルをゆうに超える鉄の棒は所々サビが浮き、元々は白かったであろう面影はほとんど残っていない。竹槍のように先端は尖り、中が空洞なのは軽さを意識して作られたものだからであろう。
振り回せば六波羅にも当たる、それを辛は投槍のように肩に抱えてその時を待っていた。
「……クロスバーか?」
六波羅が聞く。視界の端に小学校時代の残り物だったゴールが映るが、その上部の棒が半分ほど切り取られていた。
「ん? ゴールポストじゃないんです?」
「ゴールポストは縦の方だ。横はクロスバーと言うんだ」
敵を前にして余計な雑学を披露する。余裕の現れでもあった。
なるほどと頷いた辛が前を向く。浮かべた笑みは獲物を狩る猛獣のそれで、力こぶができるほど腕を力ませていた。
一投。
狙いは眉間、人体の急所である。はたして怪物にまで適応されるかは未知数であったが、何らかの反応はあると踏んでの行動だった。
しかし。
重力などものともせず、光のように真っ直ぐと風に乗る即席の槍は確かに届き、そして突き刺さることなく真ん中からぽきりと折れてしまう。鉄板に爪楊枝を押し込もうとしたような、そんな無理を感じさせる。
「あら、見た目に反して案外硬いのね」
作戦が功を奏さなかったことへ辛は微塵も驚きを含ませず、淡々と感想を述べる。予想外などダンジョンの、特に深層へと向かえばありふれたことである、いちいち驚いてなどいられず、その立ち直りが早いか否かが業務1部と2部の大きな差であった。辛自体は人事部であるけれども。
単色の瞳を向けられ這いずり回りながら男性は掠れた声を上げる。逃げようという意思は空回りを続け、立ち上がることすらおぼつかない。
産まれたての子鹿の如く七転八倒する男性を嘲笑うかのように、肉の怪物はゆっくりといびつに歪んだ手を伸ばしていた。
万事休すかと思われたさなか、男性の目の前を黒い影が通り過ぎる。それが業務に何の役にも立たないであろうとされていたお偉いさんの書いた草書を閉まっていた額縁だとわかった時には、無駄に頑丈な作りのおかげで怪物の腕を両断することに成功していた。
「大丈夫か!?」
「ろ、六波羅部長ぉ」
そこへ現れたのは長身の偉丈夫、六波羅だった。エントランスから走ってくる彼は黒い耐火グローブを手にはめて状況の整理に努めていた。
ビルの高さほどあるそれの根元を見る。まだ下があることを確認して、大体の検討をつけていた。
「な、なんなんですかあれ……」
「知らん。調査部呼んでこい」
ぶっきらぼうに、端的に告げる。それだけ余裕のない証拠でもあった。
しかし傍から見ればその堂々としたいでたちは頼もしさにあふれており、本人の本音とは相違あるにしても尊敬の念を集めるにたやすい。並みの雑兵をいくら集めたところで被害が増えるだけと考えた六波羅はこの状況を打破する材料集めを優先することとしていた。
「……お前をモンスターとして駆除する。言い訳は聞かん、相手が悪かったと諦めてくれ」
構える。そこに慢心はない。
先手をとったのは間違いなく六波羅であったがだからといってそれだけで押し切れるような簡単な相手ではなかった。切り落ちた手首から先は下水のような不快な臭いを出して肉が焼けるようにくすみ縮んでいく。その代わりと言ってはなんだが、無くなったはずの手首はぼこぼこと肉の泡を吐いて、何事も無かったように新品の手が生えてきていた。
厄介である。ただそれだけだと六波羅は強く踏み込んでいた。
2歩目には最高速、空気を置き去りにして一瞬の間に間合いを詰めた彼は渾身の一撃を叩きつける。ただの大振りの殴打ですら、避けきれない程の速さと十分なウエイトさえあれば一撃必殺、それ以上必要のない技となる。
もちろん、効く相手であればの話だが。
……むっ?
肉塊に深く突き刺さった拳はそのまま貫通する勢いであった。しかしあまりに厚すぎる肉の壁は飲み込むように腕まで包み込み、噛んで離さない。
じわりと六波羅の額に汗がにじむ。本能で危機的状況を理解した身体は、考えるより早く引き抜き、絶死の間合いから離脱することを選択していた。
「酸、か」
ついでとばかりに握り、引きちぎった肉を投げ捨てながら呟く。薄桃色の肌からはかすかに煙が立ち上り、好ましくない臭いが鼻につく。男性にしては薄い腕毛も今では見る影もなくなり、昨今の美容ブームにちょうどいいかと言われれば肌まで焼けてしまって納得のしにくいところ。
最近似たような相手と戦っていることもあり、たいして慌てず構えを変える。対処法がないわけではない、むしろ人としての知性がない分だけやりやすいとまで感じていた。
そこへ1人の女性が近づいていた。
「六波羅部長、大丈夫ですか?」
「辛か。どこかの馬鹿がやらかしたらしい。人事部の仕事がないなら手伝ってくれ」
「いいですよ。どうせ電話番くらいしかやることがなかったんですもの。さぁ、置いていかれた鬱憤晴らしでもさせてもらおうかしら」
そういうと辛は持ってきた武器を構える。
それは武器というにはあまりにお粗末なものだった。長さ2メートルをゆうに超える鉄の棒は所々サビが浮き、元々は白かったであろう面影はほとんど残っていない。竹槍のように先端は尖り、中が空洞なのは軽さを意識して作られたものだからであろう。
振り回せば六波羅にも当たる、それを辛は投槍のように肩に抱えてその時を待っていた。
「……クロスバーか?」
六波羅が聞く。視界の端に小学校時代の残り物だったゴールが映るが、その上部の棒が半分ほど切り取られていた。
「ん? ゴールポストじゃないんです?」
「ゴールポストは縦の方だ。横はクロスバーと言うんだ」
敵を前にして余計な雑学を披露する。余裕の現れでもあった。
なるほどと頷いた辛が前を向く。浮かべた笑みは獲物を狩る猛獣のそれで、力こぶができるほど腕を力ませていた。
一投。
狙いは眉間、人体の急所である。はたして怪物にまで適応されるかは未知数であったが、何らかの反応はあると踏んでの行動だった。
しかし。
重力などものともせず、光のように真っ直ぐと風に乗る即席の槍は確かに届き、そして突き刺さることなく真ん中からぽきりと折れてしまう。鉄板に爪楊枝を押し込もうとしたような、そんな無理を感じさせる。
「あら、見た目に反して案外硬いのね」
作戦が功を奏さなかったことへ辛は微塵も驚きを含ませず、淡々と感想を述べる。予想外などダンジョンの、特に深層へと向かえばありふれたことである、いちいち驚いてなどいられず、その立ち直りが早いか否かが業務1部と2部の大きな差であった。辛自体は人事部であるけれども。
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