土の魔法使い

前田有機

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第20話 魔女の過去その4

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「この街、魔女がいるな?」
「は? いやいや、そんなわけあるはず……」
「お前らが目の敵にしてる薬屋。あれは魔女だぜ?」
「…………それは本当ですか」
「ああ。俺の勘は必ず当たるんだ」
 そこは街を治める領主の邸宅の中にある書斎。黒いコートを纏った男は領主と密談を交わしていた。フードを外し見えるその顔に彫られた刺青が特徴的な男だ。
 男はニヤリと笑い、言った。
「国にバレるとヤバい案件だろ? 俺が代わりにあの魔女を消してやるよ」
 街に禁忌を犯す者がいたことに脂汗を浮かべる中年の男はハンカチで垂れる汗を拭った。
「あなたがやってくれると仰るのであれば大変ありがたい。こちらとしてもぜひ頼みたいと思います」
「クク…………。そうか、んじゃあ、朗報を待ってな」
 男はそういうともうここに用は無いと言うように書斎から出て行った。

「ふぅぅ………、全くよくわからん男だ。あれに恩さえなければ決して関わることはないのだが……」
 領主は革張りの椅子に体重を預け天井を仰ぐ。
 コートの男をこの街に逗留することに許可を出したのは領主である。彼の出世にコートの男の存在が不可欠であったことから彼は男に逆らうことができなかった。ただ一つわかることはこちらが彼を害さない限りこちらに損になることを彼は決してしない、ということだった。

 * * *

 久し振りだろう。こんなにも研究に没頭したのは。
 しかし、はじめてのことだ。現実から遠ざかるために研究を進めるのは。
 レムナの脳裏から黒いコートの男のフードの下から見えたあの残忍で薄気味の悪い笑みが張り付いて消えない。
 彼は自分が魔法の知識と技術を持っていることに一瞬で気付いていた。しかしそれはレムナも同様である。
 ジャンに重傷を負わせた男は魔法使いだ。恐らく風と火の魔力を用いたのだろう。何か鋭利なもので切り裂かれてからそれと同時に焼かれたような傷は、誰の目にも人間業でないことは明らかだった。そして、もしそれが黒衣の男の魔法によるものであったのなら、合点がいく。
 しかし、レムナが恐怖したのはそこではない。男の笑みには底知れぬ深い悪意が満ちていた。それは国家に対して自らの正義の下、抵抗する人々とは全くの異質。むしろそれに乗じて人を殺めることに快楽を得た、殺人鬼のような雰囲気に恐怖したのだ。
 ただそう感じたのであればきっとすぐに忘れることができただろう。しかし、その感覚は妙に確信めいており、意識せずにはいられなかったのだ。

 研究にすら集中出来ず、何もかもが手持ち無沙汰になってきた時、ジャンが帰ってきた。
 ジャンの様子など構わずに、レムナは珍しく衝動的に動いた。日が暮れると共に増大していった不安が彼女にそういった行動をさせた。
 帰るや否や自らの胸に飛び込んで来た女性をジャンは多少、不意をつかれたために驚きはしたものの優しく抱きとめた。

「今日、街で奴に会ったんだ…………」
 ジャンの胸に顔を埋めたままのレムナが話し始める。その声は彼女の不安がそのまま溢れていくようにか細く、けれど止めどない。
「君に重傷を負わせたあの男に。私は一度も見たことはなかったけど、一目でわかった。あれが、あの男がそうだって。奴は私にすぐに気付いた。そしてこっちを見て笑ったんだ。とても、それはもう恐ろしさをそのまま絵に描いたように残酷な笑みだった。怖くなったから私は急いで逃げたよ。…………怖かったんだ」
「そう…」
 ジャンはそれきり何も言わない。ただレムナに温もりを与えるだけだった。

 それから半刻が経ち、ようやくレムナはジャンから離れた。途中、立ちっぱなしは辛い、と二人は椅子に座った。彼女にとってこれほど濃密な時間は研究が順調に進んだ時のほか、経験がなかった。
「ありがとう、ジャン。お陰で落ち着けた。さ、夕食にしよう」
「そうだね。俺も流石に腹が減ったよ」
 そうして二人は夕食の支度を始めたのだった。

 * * *

 外の異変に気付いたのはジャンだった。
「店の方の、様子がおかしい」
 そう言ってジャンは家と廊下で繋がっている薬屋の方へ向かっていった。レムナはジャンの戻ってくるのをリビングで待っていた。
 そして、程なくして、
「レムナ! 大変だ!」
 ジャンが大慌てで戻ってきた。
「町の人たちが、ここを取り囲んでる!君が魔女だって話が出回ってるらしくて………」
 レムナはすぐにそれがなぜか、を察した。
「ジャンはすぐにここから、逃げて。私は大丈夫だから」
 レムナは静かに立ち上がると、ジャンにそう声を掛けた。
「しかし………」
「大丈夫。むしろ、これは有難い状況だよ。じゃあ、行ってくる」
 引き止めようとするジャンの制止を無視してレムナは店の方へ出向く。
 ジャンの言う通り、店先には大勢の民衆が集っており、怒声や罵声が飛び交い、店の窓ガラスは投げられた石などによって粉々になっている。
「これは、酷いな」
 レムナは床に散ったガラスは気にせずに、パリパリと音を立て店の出入り口へと歩く。
 ドアを開け、外に出る。
 レムナの姿をその目に捉えた民衆はさらに激しさを増し、最早一種の暴動の様を呈していた。

 民衆の圧に一瞬ばかり気圧されたが、レムナは一度深呼吸をして、声を張り上げた。
「こんな時間に君たちは何をしている?私の店がめちゃくちゃじゃあないか。私が魔女? どこに証拠がある! さあ、教えてくれたまえよ!」
 すると、民衆の声を手で制し前に進み出る者がいた。
 黒衣の男だ。
 彼がここまで登場することは想定外だったが、嬉しい誤算だった。
「君は……昼間会ったな」
「そうだな、魔女よ」
「はっ、なぁにが魔女だ。魔法使いの癖に何やってんだい」
「俺が、魔法使いか。面白い冗談だ」
 男が笑うと背後の民衆たちはそうだそうだ、と一斉に声を上げる。
「それはそうと、魔女」
「私にはレムナって名前があるんだ。魔女なんて呼ばないでくれるかな」
 どこからか魔女は魔女だろうが! 人振るんじゃねえぞ! 怒声が聞こえ、石が飛んでくる。
 山なりに大した速さもないそれをあえてレムナは避けずに受ける。
 ガツっと額から鈍い音がして、生暖かいものが垂れてくる。
「………………。ここじゃあ裁かれる前に死ぬなぁ。魔女、付いて来い」
「はいはい、魔女って呼ぶなってんのに……」
 黒衣の男の後をレムナは付いて行く。
 その後ろをゾロゾロと民衆がさらに後をつける。

 * * *

 着いたそこは街の中心の広場。街の造り上全ての通りが集まるためかなりの広さを誇る。

 その広場にレムナと黒衣の男を中心に民衆が取り囲む形となる。そこでレムナは違和感を覚えた。
 こいつが先導しているのはわかる。けれど、この動きは少し意図的なものすぎないか?
 一度、疑うと全てにそれが行き渡っていく。
「ほう、気付いたみたいだな」
 男は言う。レムナの仮説は当たっているらしい。
「お前、街の人たちに何かしたな」
「ちょっとばかり、幻覚を見せてるだけだ基本的なやつだろ?」
 男は言った、基礎だと。幻覚は火と水と風の三種類の魔力を複合させて発動させる魔法だ。こんなもの基本でもなんでもない。
 男の言葉でレムナは相手のレベルの高さを感じた。
 それと同時に高揚感を覚えた。それは久しく忘れていた魔法への熱意と意欲が再び燃え上がったためだ。
 これまでの研究は小規模でかつ一人だったために試す機会がなかったし全て資料と自らの行使したものしか目にする機会がなかった。
 そのため、初めて目の当たりにした他人の魔法は彼女の好奇心を掻き立てるのに十分すぎる効果を発揮した。
「あんたは危険人物だ」
「魔女、お前も同類だがな」
「危険人物は排除しなきゃ」
 男は笑った。
「思い切ったことを言うな、素人が!ククっ………クッ、ハハハハ! ならば、存分にその魔力、試してみろ!」
 男の足元に紫に輝く魔法陣が浮かび上がる。レムナも魔法を行使するため、魔法陣を形成した。
 そしてここに、後世に語り継がれる禁忌を犯した者同士の大規模な戦闘が切って開かれることとなった。
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