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三
三
しおりを挟む町中の、道という道がことごとくアスファルトによって覆われていく。
ひと雨降れば長靴でしか歩けなかった泥道から解放されて、人々は真新しい舗装路の匂いを嗅ぎながら、路上で会うたび口々に賛嘆の言葉を洩らすのが挨拶となった。日々町中のどこかからか聞こえてくるけたたましい工事音も、路面の滑らかな仕上がりを目の当たりにすると、誰も文句を言わなくなった。
りつ子は、家の玄関から直接ハイヒールを履いて出かけられるのを小躍りして喜んだ。
「政治の力ってやっぱりすごいわ。この際だから土のところなんかなくして徹底的にきれいにしちゃえばいいのよ」
「土のなかに棲んでいる微生物は息ができるのかな」
りつ子の夫の孝夫は茨木県の生まれだった。水戸市からさらにローカル線を乗り継いだ、田舎町の材木問屋に四男一女の三男坊として育てられた。生家の家業は山から伐り出した丸太を板材に加工する製材所もろとも一家の長男が引き継ぎ、孝夫だけが東京に上京し、鉄鋼を扱う商社に就職した。幼いころから野山の自然に慣れ親しんでいた孝夫にとって、自宅のまわりから土の香りが消えてしまうことは寂しい気がしないでもなかった。けれども一方で、自分と同じに都会にあこがれ地方から嫁いでくれた妻のりつ子が東京オリンピック以降、目まぐるしい勢いで改修、整備されていく大都会の変貌に、驚きながらも誇らしい喜びを表してくれるのが嬉しくもあった。
車が入れるだけの幅をもった道路はほぼ工事が終了し、ようやく住宅街のなかにまで作業員が姿を見せるようになった。それでもやはり、工事は人の通行量の多い道を優先して進められているらしかった。自分の家の玄関先が真っ平になったとはいえ、まだ工事の手が入っていない裏道や袋小路は町中のいたるところに残されていた。
冷たい秋の長雨が降り続いていた。
どうした理由か、この時分の低気圧はいったん訪れると嫌に長い間日本列島に執着していた。雨降りのあくる朝、土壌から発した蒸気はそのまま町中にこめて、外界は真っ白な霧に包まれてしまう。見通しの利かない霧のなかから雀の鳴き声が洩れていた。何軒か先に食器を合わせるつましい音がして、空の一角に澄んだ青空がかいま見れたと思うや、すぐに白いものに覆われてしまった。
「やあ、すごいガスだな。大丈夫かな、俺の会社はこの方角で合っているのかね」
まだ家のなかにいる子供たちに、聞こえよがしにそんな冗談を言い残して、孝夫は朝霧にのまれていった。東京でも大の大人が家を出た路上で、飾らない気持ちをだれにはばかることなく怒鳴っていられる、近所の人々もそれを当たり前のことにして、皆が高らかに談笑している、そんな時分のことであった。
たて込んだ住宅街に囲まれている物干し台から雨上がりの青空が高く仰がれた。
そこへ短時間だけそそぐ東京の日差しに向かい、濡れたものを振るって水けを切る音が威勢よくとどろいた。洗濯物を抱えたりつ子が二階の物干し台から見下ろすと、狭い裏庭の一隅に、蹲ったまま動かないでいる洋平の姿があった。日脚に浴することのない陰気な庭に、そうしてじっとしている姿は、わが子ながら土中のヒキガエルでも這い出して来たかのような異形に見える。丸い小さな背中はいきなり声をかけるのも気の毒なほど自分ひとりの世界に没入しているらしかった。
「また瓶のなかを覗いている……」
庭に置いた大瓶の前に、次男坊の洋平がそうして蹲っているのをこの頃幾度か見かけるようになった。近所の子供に仲間外れにされたかと心配して慰めてやっても、表に出せばいくらもしないうち、玄関の格子戸をそっと開けて戻ってきてしまう。魅入られたように瓶のなかを覗いている姿を見ていると、せっかく浸っている子供の気分をいたずらに台無しにするのも済まないように思えてくる。りつ子は、しわを伸ばした衣類を干し終えるとチラと下の様子をうかがってから黙って物干し台のサッシ戸を閉めた。
洋平が両腕を差し渡しても抱えきれないほどの水瓶には、十数匹の泥鰌が放してあった。繊細な金魚藻の絡み合う水底には、ヒスイやメノウの光沢を彷彿とさせる快い色合いの砂利石が、黒や白のに交じって敷かれてあった。水の中の石粒は、遠い小さな矩形の空のわずかな光にも映じて独自の色彩を放っている。水底にひしめきながら、分厚い瓶の外には漏れない声でひそかな睦言を交わしているようだった。
洋平には、これだけきれいな石粒が家のだれからも忘れられたまま、陰気な裏庭の一隅に置かれた瓶のなか、こうして息づいていたことからしてひどく不思議に思えてならない。金魚藻の綾なす網目模様やいじらしい光をたたえた石粒は、洋平がこれまでに見た絵本の中のどのページよりもはるかに美しく、上等な世界だった。これらの石粒が一体どこの山から採り出され、どこの河原で磨かれてこの家の瓶中に収まったものか、その由来に思いをはせていると、同じ空想世界でも絵本では味わえぬ現実感があった。瓶のなかの小世界とこれに向き合う心とは、色形が網膜に映るように互いの存在が直截に響き合っていた。
そこここで睦び合う石粒の上に、泥鰌は柔らかな腹を乗せて鎮まっていた。ときおりゆるゆると昇ってきては水面で敏捷に反転し、またゆるゆると沈んでいくのを繰り返していた。沈むときには確かにその口から泡粒ほどの気泡を吐いて捨てた。
水の冷たい中に心ごと沈潜していた洋平が、頭上に母親の物干し台を踏む音を聞いたと思った時、白っぽい水面に周囲の情景と幼い顔がつまらなく映った。再び水底に焦点を合わせようと試みると、いったん外の世界に引き戻された意識に石粒までが白々と映った。それがこちらの気分のせいでなく、石粒自体の意思によるものだとしか洋平には思えない。するとそのことを確かめずにはいられなくなって、一抹の後ろめたさを覚えながらも、洋平は手網をとると腕ごと水の中に突っ込んだ。
瓶のなかの泥鰌は擾乱した。網は石粒のなかでもひときわ透明感を誇っているエメラルドグリーンの一粒を拉っしさっていった。水から取り出された石粒は柔らかな掌の上で子細に眺めつくされ、空気に乾いてしまうとたちまち別の石に化けたように色褪せてしまい、なんとも味気ない、どこの道端にも転がっている白っぽい石くれに成り下がった。
洋平には水底の石粒も、人間やほかの動物と同じに命を秘めている生き物だという頭があったので、てっきり石を殺してしまったと思い心臓がヒリリとした。
幼い頭にも、乾いてしまうのがいけなかったんだと知れるので、暗い罪悪に胸の内を熱くしながら、治してやりたい一心、こわごわ石を口中に含んでみた。舌の上には苦く冷たい重みが感じられるほか、何の変化も起らなかった。本当に石が死んでしまったと思った時、首の裏側にヒリリとつめたい水が走り抜け胸がずしりと痺れたように熱くなった。そうと手のひらに吐き出してみると、気のせいか石肌にかすかにエメラルドの光沢が蘇ったように感じた。瓶の水に戻してやると果たして石粒はびくびく震えて沈みながらとたんに精彩を放ち、水底にふうわり落ち着くや再び意味ありげな微笑をたたえて潤色するのだった。すると胸中にわだかまっていた罪悪は潮の引くように薄らいで、心持が非常に楽になったので、まったく脆弱な生き物に過ぎない石粒は長い間表に出すと死んでしまうのに違いない――洋平はそんなふうに確信した。
泥鰌は先ほどの擾乱を恐れなおも神経質に居場所を変えていた。
やせ細った一匹の鼻面が太った一匹の脇腹に突っ込むと、驚いて跳躍した太ったのに刺激されそばにいた数匹が躍り上がる。頭上を飛んでいく数匹の眺めに下にいた三匹がぞろりと前進するといった具合でいつになっても収束しそうになかった。
洋平の幼い心にも、瓶中の小さい命を脅かせるのはこのくらいにしておいた方がいいという怖れがかすかに生じつつあった。その一方、抵抗ひとつできない石粒に終始翻弄されたままこの場を後にするのも、結局は馬鹿にされたようで面白くないという盛んな気もした。果たして泥鰌もこの瓶の外に出してしまったら、ああして色褪せて死んでしまうんだろうか、そんな小暗い好奇心があった。
石はまるで脱皮したかのように変身し、いったんは死んだように見せかけながら水に戻した途端息を吹き返したではないか。石より自在に動き回る鋭敏で活発な泥鰌であったら、わずかの間なら手に取っても大丈夫なのに違いない――先ほどエメラルドの石を殺してしまったと思った時、頭の芯に冷たい水が走り抜け胸までずしんと熱くなった、その時の痺れた感じはこりごりなので今度は泥鰌を外には出さないでまじかに観たら放してやるつもりだった。
(何が起こるか分からないから)洋平はそう用心した。
青白い腕はふたたび泥鰌の天を侵してくる。
洋平はこれらの者たちが幼い自分の意のままになる弱者であるのを知ってほとんど有頂天になった。試みに、狙いをつけた一尾を網で追い詰めてから思惑通りに捕獲すると、それまで味わったことのない人知れぬ優越感に襲われた。
動きの鈍いひ弱な数匹を簡単に追い詰めて征服者の愉悦を味わうと、手網は小憎らしく太った活発な一尾に狙いをつけ、執拗に迫ってきた。泥鰌は水のかすかな波動にも鋭敏に反応し、瞬時のうちに安全な方角にすり抜けてしまう。網を見て逃げるというより水圧の微妙な変動を体側で感じ取ってから、一瞬のうちに移ってしまうのでいつになっても幼児の網には捕まらない。もはや洋平には、好奇心も、泥鰌の死を用心する気持ちも失せていた。ただどうしても意のままにならない、この一尾を捕まえないことには気が収まらないようになっていた。それも見るからに泰然自若としたこの小太りの一匹にいいように弄ばれた格好だった。
泥鰌はふうわりと浮いた最小の動作で泳いで逃げる。へたをすると網を向けようと力んだ時点でこちらの考えを見抜いた様にふわりと浮いて移動した。
(ぼくよりすぐれている)
泥鰌の神経の過敏なのには舌を巻かずにいられなかった。気持ちの半分方で相手の優位を認めてしまうと、それだけの能力を隠し持っていた泥鰌がさながら偉く思えてくる。
洋平の掌に収まってしまうほどの小さな命でありながら、瓶のなかではすでに老成した知識であったらしいのが実感される。すると先ほどまで捕らえようと躍起になっていた洋平の思念と、荒らされてなお独自の呼吸を繰り返している者との間に、互いの存在を分かついくばくかの距離が生じたようであった。
嫌がる相手を眺めつくしたいといった残忍な欲求は影を潜め、むしろ彼らと一緒になって遊んでいたいという、当たり前の心に帰っていた。けれども泥鰌にはただ泳ぐという行為があるのみだった。そのふくよかな流線型の肢体の片側にいかなる顔形をもっているのか、怒っているのか、悲しんでいるのか、それがどうしてもつかめない。
洋平は右手で手網をとると水中に立てかけるようにして、そのまましばらくは動かさないで置いた。太った泥鰌の様子を見ると、なんということもなく安らっているようなので、そっと左の腕を水瓶のなかに沈めていった。泥鰌は砂利石の隙間や金魚藻の林を縫って懸命に逃れていたが、ついに正体の知れぬ白い膜に覆われてしまった。
(つかまえた)
胸の動悸が妖しい興奮で昂ぶっているのが分かる。洋平は泥鰌の痛がるのを心配し、いったん水際で網を止め、大丈夫そうなのを確かめてから思い切って泥鰌を瓶の外に掬い上げた。
「あっ」
先端に、ぴっとり密集しているひげ面に、湾曲し、のたうちくねる蛇紋のぬめり。
こん棒で弾かれたような痛みが眉間に飛ばしった。洋平は仰天して手網ごと放してしまったが、泥鰌はひどく鷹揚に、「うん」とゆるゆる棲みか目指して没し去っていった。予想外の剣突を喰らわされてめまいのするのを堪えながら、洋平は泥鰌の醜怪な顔立ちと臆病そうな彼らの遊泳をつくづくと見直した。
二階の物干しにふたたびりつ子が洗濯物を抱えて姿を現した時、日脚はすでに向かいの屋根瓦にまで上がってしまっていた。
(ああ。もう……)
たて込んだ住宅街の家並みにあって、立地上の理由で舗道の反対側にしか作らざるを得なかった、、掘りごたつのなかにでもいるような物干し台にはあきれるほどの時間しか日は射してこない。せっかく丁寧にしわを伸ばし袖や襟に気を使って畳んできた洗濯物も、あとは陰干しで乾かすしかないと思うとつくづく情けなくなってくる。頭の上は抜けるような晴天だった。向かいの家の瓦屋根には全面に光があふれかえっていた。気が抜けた思いで下の裏庭に目をやると、小暗い中、両足を踏ん張った姿勢の洋平が前屈みになって瓶の中を覗き込んでいた。
「洋ちゃん。みんなお外で遊んでいるよ」
聞こえているのかいないのか洋平は身動き一つしない。
「どじょうさん、かわいそうだな――ようちゃんにばっかりいじめられて、どじょうさん、可哀想」
「洋ちゃん、何もしてないよ」
洋平は泥鰌を網にとらえて眺めていた時の残忍な心を二階の人に見透かされたかと思い当惑した面立ちで突っ立っていた。
「何もしてないよ」
「嘘ばっかり――。じゃあどうして手編がそんなところにあるの。どうして瓶のまわりが濡れているの」
りつ子は、濡れた洗濯物をパーンとひと振りして水気を飛ばした。
「そんなにひとりでいるのがよかったら、ずうっとそうしていればいいわ。ずーっと、ずーっと泥鰌さんと遊んでらっしゃい。そのうち泥鰌さんの罰が当たったってお母さん知らないから」
絶望的な心持で振り仰いでいる洋平をその場に残し、激しい音を立てて閉めたサッシ戸の向こう側に、母親の姿はぼやけたままいなくなってしまった。
洋平には、ばちの意味が解らない。なんだか不吉な響きを持つ『ばち』というものがどういった形で自分に襲い掛かってくるのだか、それの見当すらつかないが、ひどく恐ろしい宣告を受けたのだということは間違いなさそうだった。罰が当たるというその時に誰も助けてくれないのだと思うと、両ひざから力の抜ける思いがした。
「ばちってどんなの」
夕刻、台所で総菜を刻んでいるりつ子に、ばちの意味をいくらねだって聞いてみても知らない、というきり相手にしてもらえない。かといって一人ほかの部屋にいたのでは、いつばちが当たってしまうのかわからないので母親のそばを離れるわけにもいかなかった。
「ああっ、うるさいわねえ」そういって邪険にされたとき、洋平は癇癪を起して泣き出してしまった。
「何事かね」
今から新聞を手にして出てきた父親にも洋平はばちの意味を繰り返し尋ねたが、今日家で何があったのか事情を知らない孝夫は笑って子供の顔を覗き込み、
「ばちって?。神様のばちのことかな。何の話だか分からないね」そう洋平に尋ね返した。
「どじょうさんのばち」
「どじょうさんの?。ははあ今日は柳川鍋か。やっと出てきたね」
「ちょっとお父さんは黙っててください。いいんです、今ちょっと懲らしめてるんですから」
苦悶の色を浮かべ、顔形を崩していた洋平はずしん、と頭をりつ子の腰に押し付けて、エプロンをぐいぐい引っ張りながらわめきだした。
「ばちってなに」
「これがばち」
言うとりつ子は子供の眉間の中心を人差し指でしたたかに弾いた。てっきり言葉で教えてくれるものと油断していた洋平は自分がどうして叩かれたのか分からないまま、ぼんやり母親を見返すと鬼のように目をむいてこちらを見据えている。にわかに叩かれた部分の痛みが蘇ってくる。
洋平はとっさに悟った。それは昼間泥鰌を網で掬い上げたとき洋平が喰らわされた突かれたような痛みとまるで同じものであった。あのとき洋平が裏庭でしていた一部始終を母親はどこからかひそかに見ていて、泥鰌をすくい取ったとき念のような力で洋平の眉間を叩いたのかもしれない。あるいは眉間を打ったのは泥鰌の方で、水から引き上げるような酷いことをされたから子供に天誅を加えてやった。そのことは洋平の知らないうち母親に密告されていたのかもしれない。母親の、はかりしれぬ大きさと泥鰌の底知れぬ不気味さ。この両者がどこかでつながっているということは、洋平がどこで何をしていてもすべては筒抜けになっているということだった。そういう能力がまだ自分にはないのだと思うと、降参するより仕方がなかった。
洋平はひどく惨めな気分になっていた。
(じゃあいままでしてきたいたずらも、お母さんはみんな知っているんだろうか。ほんとうにそうなのだろうか)
一体いつの間に、泥鰌は庭の水瓶をはいずりだして台所にいた母親のところまで行ったのだろう、洋平はその情景をにわかには想像することができなかった。それでひょっとしたらと思い、洋平はりつ子に打診した。
「……どうして知っているの?」
「どじょうさんに聞いたから」
洋平はふたたび深い奈落に突き落とされた。
夜が更けて、子供部屋の二段ベッドに優一と別れて寝入ったのちも、今は深い闇に吞まれてしまっている裏庭の様子が気になって、洋平はなかなか眠りにつくことができずにいた。洋平は闇の中で押し黙っている一個の瓶を思った。その中で十数匹の泥鰌たちが何を密談していることかと思うとみるみる恐ろしくなってきた。
あのか細いものたちは、時折りゆるゆると昇ってきては粟粒ほどの球を吐いてすてた。昇ってきたところを狙いすまし手をかざすと影におびえた泥鰌たちは息をのむのもあきらめて、水底に虚しく引き返すのだった。そうして沈んでいった彼らの無念の面立ちを、ふたたび意を決して昇ってくるまでの間、洋平は意地悪くねめつけていたのだった。泥鰌はきっと仕返しに、今夜あたり自分を水底までひきさらい十数匹全部の力でもって浮かばないよう縛り付けてしまうのではないか――。
洋平は枕に顔をうずめ、頭から布団をひっかぶって輾転としながら、二階への階段を上りつめてくる気配や、常夜灯の光のなかにヌラリと現れる泥鰌の化身に脅かされた。
その時頭の上で壁板がコン、と鳴る音がした。
「洋ちゃん。まだ起きているの。今日なんか悪いことしたんだろう。だから、お母さんに𠮟られたんだろ」
「しらない」
「うそついたって、『こうしん様』にバレちゃうよ。あのね、人の身体って虫が三匹棲んでいるんだ。悪いことすると、その虫が寝ている間に身体から抜けて『てんてい』に全部しゃべっちゃうんだ。だからバチがあたるんだ」
洋平はうら悲しさのあまり目の先がふっと暗くなった。
「じゃあ、どうしたらいいの」
「しらない」
優一に気短にあしらわれてしまうと、激しい破滅に見舞われて気分が悪くなってきた。眼を見開くこともできずにいるうち身体全体が冷え冷えとして、水瓶に吸い込まれていくような悪寒がした。そこで布団を握る手に力を込めてみたり、掛布団の裾をほんのわずか持ち上げて光を取り入れ、自らの足や胴がきちんとそこにあるかどうか、薄目を開いて確かめなければいけなかった。下半身ばかりに気を取られていると、覗き込んでいる上半身が本体から浮上がってしまっている。あわてて上体を戻して薄目を開くと、小暗い子供部屋のなか、誰のものとも知れぬ下半身ばかりがしゃにむに横行しているようなことがあった。
ギッ、と床板のきしむ音を耳にしたとき洋平の恐怖は絶頂に達した。閉じている瞼に力を込めて、こみ上げてくる悲鳴と吐息の荒くなるのを懸命に堪えた。石地蔵のように身を固くしていると、遠い所から呼びかけてくるものの声があった。
「どじょうさんに誤ればいいのよ」
耳打ちしている丸顔が濡れた瞳に現れた時、日中、有頂天になっていた洋平はすっかり叩きのめされた。その人の勧めるままに詫びを入れ、掛け布団を頭からすっぽりとかむり長い間嗚咽していた。
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