【完結】桜便り~十年越しの教師と生徒~

上条左腕

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第七十五話【たかり】

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 ほんの一瞬だけだったが、彼女の視線の異変に気付いたのは俺だけではなかったようだ。川崎先生と小春さんも心なしか顔が引き攣っているように見える。

「あれ?今、腕組んでませんでした?」
「いや、違っ……」
「そうなんですよー!でも、お兄さん、恥ずかしいみたいで……」
「いつの間にそんなに仲良くなったんですか?」

 私は何とも思っていませんよという風に俺の前に戻って来て、さくらは水割りを飲む。まだグラスに結構な量残っていた水割りを一気に飲み干すと「お代わり頂きます」と再びグラスにウイスキーを注ぐ。
 俺は隣のネイリストに絡まれているだけで、何も悪いことはしていない筈。しかし、やはりこの状況はさくらにとっては嫌だろう。俺が彼女の立場なら嫉妬でおかしくなるかもしれない。いや、確実になる。

「お姉さんはどう思います?」
「何がですか?」
「お兄さんたちの彼女の話」

 俺たちの彼女は今目の前と厨房にいる。そんなことを知る由もなく、女性客はさっきの話をさくらに振る。

「彼女さんに満足してないから、こういうところに癒しを求めに来るんじゃないかって私は思うんです」

 ネイリストがどんどんこっちに寄って来るので、俺は川崎先生にどんどん寄って行く。彼女の問いに、さくらは少し考えると俺と川崎先生を見て口を開いた。普段と何ら変わらない優し気な笑顔だが、俺にはどうもそれがお面のように張り付いて見えて仕方がない。

「先生方は恋人に満足していらっしゃらない?」

 背筋が凍るようだった。川崎先生は思わず俺の腕をギュッと掴む。

「そ、そんなわけない!俺はさく……じゃない、彼女のことを世界で一番愛してるし、満足とかそういうレベルの話じゃないくらい一緒にいれて楽しいし嬉しい!これから先もずっと一緒にいたいと思ってるし、俺は……」
「も、もう、大丈夫です……」

 思わず立ち上がり、さくらに向かって必死に思いの丈をぶつけた。彼女は最初、きょとんとしていたが、段々と恥ずかしそうに目線を逸らした。女性客二人は若干引いている。良いぞ。もっと引け。

「川崎先生は?」
「俺だって宮内先生と同じだよ……満足とかそういう話じゃないんだ。幸せなんだよ。一緒にいると」

 川崎先生の言葉に、俺とさくら、小春さんは一斉に口を押え、ときめいた。今、厨房にいるママはいったいどうなっているのだろう。また赤くなっているのではないか。あぁ、この言葉を真正面から聞いていて欲しかった。

「まあ、恋人や奥さんに満足していない人も当然来るだろうけど、皆が皆、そうじゃないってことだね。カップルや夫婦で来る人だっているしね」
「ふぅん……」

 自分たちの思っていた展開ではなかったのか、小春さんの言葉に女性客二人は急に興味のなさげな態度になった。そして、俺たちが自分たちに靡かない腹癒せに、今度はその毒牙をあろうことかさくらに向けた。

「お姉さんは彼氏いるんですか?」
「私?いま……」
「いたら、そんな恰好しないか」
「え?」

 あぁ、花園先生が悪魔だった頃の地獄を思い出すな。言われ慣れているからか、さくらも小春さんも大して動じることもなく、互いに顔を見合わせ苦笑していた。その時、出入り口のドアが勢い良く開き、ドアベルがけたたましく鳴った。

「いらっしゃいませー」
「こんばんはー!」

 入って来たのは、さっき俺が思い出していた人物。花園先生と新保先生だった。

「あ、先生方もいらしてたんですね!こんばんは!」

 花園先生はいつも通りだが、後ろの新保先生は店の中の異様な空気を察したらしく、きょろきょろとしていた。そして、珍しく彼が口を開く。

「……あの、先生方がよろしければボックスで四人で飲みませんか?」
「俺たちは別に良いけど、二人は良いの?デートなんじゃ……」
「それ、今更、気にします?いつも結局一緒に飲んでるじゃないですか」

 地獄に仏とはこのことか。花園先生と新保先生の同意を得た俺たちは逃げるようにそそくさとボックスへ向かった。元地獄の創造主がまさか救いの神になろうとは……俺は拝む勢いで彼らに心の中で精一杯感謝した。

「……お会計で」

 俺たちが移動した後、残された女性客二人は会計をし、帰る支度をしていた。そして、会計を持って来た笑顔のママと何か話し、顔を真っ青にして足早に帰って行った。これまたさくらが笑顔で見送りに行こうとしたが、食い気味に断られていた。

「……結局、何だったんだ」
「あの女の子たち?」

 俺の呟きに、酒を作りながら小春さんが答える。

「たかりですよ」
「たかり?」

 花園先生が聞き返す。

「居酒屋や飲み屋で男性客に声を掛けて、その気にさせて奢らせる……そういう輩のことです」
「あ!思い出した!俺たち、前にそういう目に遭ったことあるよな!?」
「さっき、それ思い出して、ずっと引っかかってたんですよ……」

 まさかとは思うが、川崎先生、全く気付いていなかったわけではないだろうな。俺だって少しはそういう気配を感じていたのに……心配になる。大丈夫か?

「川崎ちゃん、気付いてなかったの?」

 カウンターの片付けを終えたママとさくらも合流する。ママは呆れたように川崎先生を見た。

「い、いや、気付いてたよ!そうかなぁ……みたいな感じしたもん!」
「どうだか……」

 ママもさくらも小春さんも、あの二人が俺たちに絡み始めたところでおかしいと思ったらしい。最近、この近辺で女性客二人によるたかりが多発しているということで、ママも警戒していたところだったという。

「まさか、うちの店に来るなんてさー……」

 ママの知り合いのスナックのママが、連日、女性客二人に店でたかり行為をされ、その二人を出禁にしたばかりだという。さっきの女性客二人は特徴からしておそらく同一人物だろうということだ。

「ああいう人たちは一度成功すると味を占めて、同じところに何度か通うらしいです」
「なるほど」

 そう言うさくらは、いつものさくらだ。あの怖い目をしたさくらではない。俺は安堵し、思わず彼女に触れてしまいそうになるのを必死に耐えた。

「でも、向こうもたかろうとした男性客二人が、まさかママと従業員の彼氏だなんて思わなかったでしょうね」

 小春さんがそう言って笑う。確かにそうだ。俺たちじゃなくて他の客だったら、どうなっていたのだろう。そう考えるとやはり怖い。悪質だ。

「でも、新保先生のおかげで助かったよ」
「本当ですよ……あのままだったらと思うと……俺は耐えられなかったかも」
「いや、何だか変な空気だったので……先生方、あそこに居づらいのかなって……」

 俺と川崎先生の褒めちぎりに照れる新保先生。今回のMVPは間違いなく彼だ。

「まあ、たかりも撃退したことだし、皆で乾杯しましょ」

 ママの言葉に皆、頷く。喉を通り抜ける酒は、さっきの何倍も美味かった。
 ……ママは、あの二人組に帰り際、何を言ったのだろう?少し気になったが、今は黙っていた。
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