2 / 28
第二話
しおりを挟む
事の起こりは、アストリッドが見た”夢”からだった。
アストリッドは幼い頃から奇妙な白昼夢を見続けていた。
気が付いたのはいつのことだったかもう覚えていないが、外で両親とピクニックに出かけたときに見た一匹の青カエルだったり、屋敷の自分の部屋にある鏡台の上の小さな額縁の割れを見つけたときだったり、新しく買ってもらったドレスのさらさらとしたリボンの感触を楽しんでいた時に、これらの出来事がどこか昔に同じことを体験したことがあったはずと思い返した時からそれは始まった。
なにかしら。これって前にあったことのような気がするのだけれど、初めてのことよね?
アストリッドは真新しい中に奇妙な懐かしさを抱く不思議さに頭をかしげていた。
そしてその奇妙な懐かしさをどうして感じるのかと何度も何度も記憶の中をひっかきまわしてみたが、わかったことは「おかしい」ということだけ。
なぜ、初めての出来事を”知っている”のか。
そうして知らなかったことを”理解している”のか。
初めのうちは「これ、知っているわ」と口に出していたアストリッドだったが、言葉にするたび初めは微笑ましく見ていた大人たちがだんだんと得体のしれないような目で見るようになってくることに気が付いた。
屋敷の使用人たちから不気味な娘だと噂されようがなんとも思わなかったが、実の母親から気持ちの悪いモノを見る目を向けられ、触ろうとした手を弾かれたときにこれは言ってはいけないことなのだわと”知っていた”ことを黙っているようになった。
アストリッドが”知っていた"と言わなくなったことで、屋敷の者も母親も故意に忘れるようにしたのか、戸惑いは残るものの言葉に出す以前の”普通”の接し方に戻っていった。
それからはできる限り”知っていた”とはは言わず、初めての体験だろうことはそれらしく振舞うことで時折見せる大人たちの疑惑に満ちた視線を回避するようになった。
それに加え、生まれたばかりの愛らしい弟をかまうことで、優しい姉という位置づけを得る努力もした。
弟は可愛い。
弟が生まれてすぐ母親の部屋に行ったときには、母親の腕の中で絵本で見た猿のように真っ赤でくしゃくしゃとした生き物が眠っているだけで、父親は母親がいう「かわいい弟」というモノではないと思っていたアストリッドだったが、すぐにその思いは撤回することとなった。
寝ていた赤ん坊が何かを探しているようにふよふよと手を泳がせているのを見てアストリッドが手を差し出すと、きゅっと小さな手がアストリッドの指を握りしめ離さない。
そのくせもう片方の指は口元に持って行き、ちゅぱちゅぱとお乳を吸うように吸い始める仕草に、アストリッドはきゅんとなってしまった。
それからは時間があれば弟の部屋に行き、ベッドの上からのぞき込んで幸せそうに眠る弟をじっと見ていたり、起きているときはガラガラを鳴らしてあげたり、ちょっとした動きをするたびに「いいこね」と褒めてあげたりしていた。
屋敷の中の誰よりもアストリッドは弟といる時間が長いと自負していたら、よちよちと歩く頃にはアストリッドの後を追い、眠るときはアストリッドの手を握り、アストリッドが淑女となるべく勉強に勤しんでいるとその横でおとなしく絵本を読み、食事をとるときもアストリッドの手からでないとグリーンガーネットの大きな瞳を潤ませて泣いてしまうほどの懐かれてしまった。
かわいくない訳がない。
アストリッドはよりいっそう弟を可愛がり、弟はさらに姉を慕った。
どこからどう見ても仲のよい姉弟を侯爵夫妻は温かい目で見守っていた。
優しい姉を演出するまでもなく、アストリッドは弟にメロメロだった。
だが時折、無垢な弟の吸い込まれそうなほど透明な瞳を見ていると、いいようのない不安で胸が痛くなる。
急に動きを止めたアストリッドを心配そうに見上げる小さな弟に、なんでもないのよと髪を優しくなでる手が、かすかに震えるのを止められない。
アストリッドにはわかっていた。
弟を初めて見たあのとき、またいつもの”知っている”ことが次々と湧いて出た。
いつもであればそのときの出来事を”知っていた”だけだったのが、おかしなことに生まれたばかりの弟を見てからは未来の出来事が見えるようになった。
その中でアストリッドは大きくなった弟に煮え湯を飲まされ、人生を奪われ若くして死ぬ運命を見てしまう。
五歳のアストリッドにはその映像の意味がわからなかったが、だんだんと弟が”知っている”ことと同じように成長するにつれ、あの日に見たものが自分自身に降りかかる現実になっていくのだと理解するようになった。
アストリッドは大人になった弟に苦渋を舐めさせられ、両親からも夫からも見捨てられ、失意のうちに人生を終えるのだ。
舌っ足らずの言葉で「おねえたま」と呼ぶかわいらしい弟は、愛おしい存在であるとともに恐怖を与える存在でもあった。
大好きよ。
今はその言葉に嘘はない。
けれどもその言葉をいつまで言い続けることができるのか、アストリッドにはわからなかった。
アストリッドは幼い頃から奇妙な白昼夢を見続けていた。
気が付いたのはいつのことだったかもう覚えていないが、外で両親とピクニックに出かけたときに見た一匹の青カエルだったり、屋敷の自分の部屋にある鏡台の上の小さな額縁の割れを見つけたときだったり、新しく買ってもらったドレスのさらさらとしたリボンの感触を楽しんでいた時に、これらの出来事がどこか昔に同じことを体験したことがあったはずと思い返した時からそれは始まった。
なにかしら。これって前にあったことのような気がするのだけれど、初めてのことよね?
アストリッドは真新しい中に奇妙な懐かしさを抱く不思議さに頭をかしげていた。
そしてその奇妙な懐かしさをどうして感じるのかと何度も何度も記憶の中をひっかきまわしてみたが、わかったことは「おかしい」ということだけ。
なぜ、初めての出来事を”知っている”のか。
そうして知らなかったことを”理解している”のか。
初めのうちは「これ、知っているわ」と口に出していたアストリッドだったが、言葉にするたび初めは微笑ましく見ていた大人たちがだんだんと得体のしれないような目で見るようになってくることに気が付いた。
屋敷の使用人たちから不気味な娘だと噂されようがなんとも思わなかったが、実の母親から気持ちの悪いモノを見る目を向けられ、触ろうとした手を弾かれたときにこれは言ってはいけないことなのだわと”知っていた”ことを黙っているようになった。
アストリッドが”知っていた"と言わなくなったことで、屋敷の者も母親も故意に忘れるようにしたのか、戸惑いは残るものの言葉に出す以前の”普通”の接し方に戻っていった。
それからはできる限り”知っていた”とはは言わず、初めての体験だろうことはそれらしく振舞うことで時折見せる大人たちの疑惑に満ちた視線を回避するようになった。
それに加え、生まれたばかりの愛らしい弟をかまうことで、優しい姉という位置づけを得る努力もした。
弟は可愛い。
弟が生まれてすぐ母親の部屋に行ったときには、母親の腕の中で絵本で見た猿のように真っ赤でくしゃくしゃとした生き物が眠っているだけで、父親は母親がいう「かわいい弟」というモノではないと思っていたアストリッドだったが、すぐにその思いは撤回することとなった。
寝ていた赤ん坊が何かを探しているようにふよふよと手を泳がせているのを見てアストリッドが手を差し出すと、きゅっと小さな手がアストリッドの指を握りしめ離さない。
そのくせもう片方の指は口元に持って行き、ちゅぱちゅぱとお乳を吸うように吸い始める仕草に、アストリッドはきゅんとなってしまった。
それからは時間があれば弟の部屋に行き、ベッドの上からのぞき込んで幸せそうに眠る弟をじっと見ていたり、起きているときはガラガラを鳴らしてあげたり、ちょっとした動きをするたびに「いいこね」と褒めてあげたりしていた。
屋敷の中の誰よりもアストリッドは弟といる時間が長いと自負していたら、よちよちと歩く頃にはアストリッドの後を追い、眠るときはアストリッドの手を握り、アストリッドが淑女となるべく勉強に勤しんでいるとその横でおとなしく絵本を読み、食事をとるときもアストリッドの手からでないとグリーンガーネットの大きな瞳を潤ませて泣いてしまうほどの懐かれてしまった。
かわいくない訳がない。
アストリッドはよりいっそう弟を可愛がり、弟はさらに姉を慕った。
どこからどう見ても仲のよい姉弟を侯爵夫妻は温かい目で見守っていた。
優しい姉を演出するまでもなく、アストリッドは弟にメロメロだった。
だが時折、無垢な弟の吸い込まれそうなほど透明な瞳を見ていると、いいようのない不安で胸が痛くなる。
急に動きを止めたアストリッドを心配そうに見上げる小さな弟に、なんでもないのよと髪を優しくなでる手が、かすかに震えるのを止められない。
アストリッドにはわかっていた。
弟を初めて見たあのとき、またいつもの”知っている”ことが次々と湧いて出た。
いつもであればそのときの出来事を”知っていた”だけだったのが、おかしなことに生まれたばかりの弟を見てからは未来の出来事が見えるようになった。
その中でアストリッドは大きくなった弟に煮え湯を飲まされ、人生を奪われ若くして死ぬ運命を見てしまう。
五歳のアストリッドにはその映像の意味がわからなかったが、だんだんと弟が”知っている”ことと同じように成長するにつれ、あの日に見たものが自分自身に降りかかる現実になっていくのだと理解するようになった。
アストリッドは大人になった弟に苦渋を舐めさせられ、両親からも夫からも見捨てられ、失意のうちに人生を終えるのだ。
舌っ足らずの言葉で「おねえたま」と呼ぶかわいらしい弟は、愛おしい存在であるとともに恐怖を与える存在でもあった。
大好きよ。
今はその言葉に嘘はない。
けれどもその言葉をいつまで言い続けることができるのか、アストリッドにはわからなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる