荊棘の道なぞ誰が好んでいくものか

れんじょう

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第十三話

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アストリッドがタウンハウスに戻ってきた年、今度は弟がスコー学院に入学した。
入学前に少しだけ同じ時間を過ごすことが出来たが、相変わらず姉思いの優しい弟だった。

「首席で卒業した姉様の恥にならず、後に続けるよう努力して参ります」

トランクを持って家を出るときに言われた言葉が少しだけ誇らしかった。


家に戻ってからは少しは休めるかと思っていたアストリッドだったが、学院にいたときではないものの忙しい毎日を送っている。
ラーゲルブラード侯爵のタウンハウスに日々通っているせいもある。
結婚と同時に下げ渡される予定のタウンハウスを新婚に相応しいように改装をしようと言い出したのは将来の母親である夫人で、アストリッドは言われるがまま日参してやれ壁紙の色はだとか、カーテンの布の織はどこの工房のものがいいだとか、ソファやベッドの配置はなどと、夫人とともに頭を悩ましながら選定していった。
家に帰れば帰ったで今度は母親がまっていましたとばかりにアストリッドの手を引き、輿入れに必要なドレスや下着、銀食器や白磁の見本がずらりと並ぶ部屋まで引きずり込んで選び始める。
ほっと息をつけるのはバスタブに深く潜った夜だけで、侍女に起こされるまでそのまま寝入っていることもままだった。

その合間にアンブロウシスがやってきて、どんなにささやかれても慣れることのない甘い言葉をまき散らしていく。

「ああ、やっと僕の元に来てくれるのかと思うと、あと数ヶ月くらい我慢できるというものだよ。
君のこの白魚のような美しい指に僕の物だという証を嵌めることが出来るだなんて、なんて僕は幸せな男なんだろう。
指輪と言えば、婚約指輪にする予定だった君の胸にあるペンダントヘッドの石はそのままにしてよかったのかい?」
「ええ、もうずいぶんと胸ここにありますでしょう?ここにあることで貴方に守られているとずっと思っていたものですから、もしなくなってしまえばとても、とても不安になりますわ」
「…………あ、ああ。そうだね。
それほど思ってくれていたとは、嬉しい限りだよ。
では早急に君と僕に相応しい貴石を探して作らせるとしよう」
「ありがとうございます、アンブロウシス様。わがままを言ってごめんなさい」
「わがままなど!このようなわがままならいくらでも受け付けるよ。君はそれだけの価値があるのだから」

それはどうかしら。

アンブロウシスに握られた手は熱く熱を持ち、恥ずかしさで顔を赤らめるが、一方で心が冷めていく。
自分の二面性に空恐ろしくなったアストリッドは、引き寄せられるままアンブロウシスの胸の中に体を預けた。


気がつけば時が過ぎ、弟が長期休暇のためタウンハウスに戻ってきた。
育ち盛りの弟はまた少し身長が高くなったようだが、アストリッドを見つけると嬉しそうにやってきて、入学してから知った姉の功績を称え、そのことがどれほど難しく自分に出来ないことを嘆いた。

「姉上はどうしてこうまでストイックに物事に取り組むことができるのでしょうか。
雑念の多い私はなかなか自分をそこまで追い込むことができないのです」
「ストイックなど、そのようなつもりはないのですけれど。
ただ、これからは貴族の女性といえど多様な知識は必要と考えていただけですわ。
それにこれは私の癖みたいなもので、昔からそうでしょう?」
「たしかに。
姉上はいつだって片手に本をお持ちになられていたし、数名の講師を招いて学ばれていた。
見習わなければと思いましたが、思い通りには身につきませんね」

弟は決して出来ないわけではない。
アストリッドが必要に駆られて必死になっているだけだ。
欲というのは深ければ深いほど叶えようと努力をする。
逆にいうと、欲が浅ければ浅いほど無関心になる。
つまりは弟は勉強に対しての欲がアストリッドに比べると浅いということだ。

だってあなたは何かに縋らないと息が止まるほどの”未来”がないでしょう?

十五歳になって少年から青年へと移り変わろうとする弟に、未来の彼が重なって見える。
死ぬ間際に水を欲した自分の前で嗤いながら水を床に流した弟が。
『姉様、ありがとう。あなたのおかげで助かったよ』
にぃぃとあがった口端が、細められた目が忘れられない。
タウンハウスに戻ってから見続ける”物語”が、今までの努力など意味がないのだと蔑んでくる。

だけど、いつからかしら。

アストリッドは目の前の弟と”物語”の弟との小さな違いを見つけてしまった。
”物語”の弟はアストリッドのことを『姉様』と呼んだが、今目の前にいる弟は『姉上』と呼ぶ。

「ねえ、あなた。いつから私のことを姉上と呼ぶようになったのかしら?」

首をかすかにかしげて弟に問うた。
その瞬間、まるでいたずらを見つけられた子供のように顔を真っ赤に染めた弟は、いくらか瞳をさまよわせた後、足下を見ながら呟いた。

「……その、学院では先の学生会会長であった姉上の話をあちらこちらで知ることができるのですが、姉上の弟である私に興味を持たれて話しかけられることがあるのです。
そこでつい姉上のことを姉様と言ってしまって………」
「まあ。それは少し恥ずかしいですわね。そういうときは姉と言わなければ」
「そうなのですが、その、そのときは少し感情的になってしまってつい言ってしまったのです。
するとその言い方が幼児のようだと言われてしまって。
まだまだ未熟なことは承知していますのでまた感情的になって口を滑らせる可能性を考えて姉上のお呼びの仕方を変えたのです…………おかしいでしょうか」
「いいえ。姉様も悪くはなかったのですが……そうですね、貴方に姉上と言われるとくすぐったいですわ。ですがすぐに慣れることでしょう」

そうなのね、やはり少しずつ変わってきているのね。

アストリッドは眼を剥いたが、弟はそれに気づくことなく学院での話を続けている。
何度か頷いて何度かたしなめて、そして話を聞いているうちに彼の話の中で何度かでてくる女学生の名が妙にひっかかった。

「テレーシア・ステュルビョルン嬢…………?」
「ああ、姉上はご存じでしたか?かの方は姉上の再来といわれているほど素晴らしい令嬢で、首席ではないものの学力や話術が優れ、殿下も珍しく気に入られているご様子でした。女性にして初めて殿下のそば仕えに許されるほどです」
「…………まあ、それほどなの?」
「ええ!本当に素晴らしい方で、またとても可愛らしい方でもあります」

少し頬が赤いのは、弟が彼女を憎らしく思っていない証拠だろう。
とてもいやな予感がする。
弟に近づく女性全てがシーラではないと思いつつ、アストリッドの手の届かないところで知り合った女性ということが心にある傷を疼かせるのだ。

姉に促されるままその女性の話をし続ける弟はとても楽しそうだった。
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