荊棘の道なぞ誰が好んでいくものか

れんじょう

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第十四話

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空はどこまでも高く遠く澄んでいた。

アストリッドはその日、アンブロウシス・ラーゲルブラードと結婚をした。
”物語”の結末を知っていてもなお恋い焦がれた相手だ、嬉しくなかったといえば嘘になる。
左手の薬指に輝く指を隠すほどに大きな貴石は、アンブロウシスが満足いくまで何度も宝石商を呼び寄せて選んだ一品だ。
デザインにもこだわり、指輪が王冠のように形付いている。
その下には結婚指輪にしては少し地味だが婚約指輪に連なるようにぐるりと貴石がはめ込まれている。
アンブロウシスの思いが詰まった指輪に、アストリッドは言いようのない思いが湧き上がってくる。
その横ではアンブロウシスが当然のようにアストリッドの腰に手を回し、連れ添っている。
手の力がいつもより少し強いのは、独占欲の表れかもしれない。

二人の見つめ合った姿は、披露パーティの会場のあちこちで目撃され、招待客から微笑ましく見守られていた。



新しい生活が始まってしばらくは目の回るような忙しさだった。
結婚して一週間の休暇を与えられていたアンブロウシスとアストリッドはその間ほとんど夫婦の部屋から出ることはなかったが、休暇が明けると名残惜しげにアンブロウシスは仕事に戻った。
侯爵家同士の結婚とあって結婚式前夜の晩餐会から始まり、結婚式に披露パーティと、三日にわたって繰り広げられた結婚式に出席いただいた方々にお礼の手紙を書き、贈り物をくださった方々には内祝をカードを添えて返した。
頼るべきラーゲルブラード侯爵夫婦はすでにタウンハウスを後にして、領地へと戻っている。
アストリッドは自身の裁量で乗り切らなければならないと気を張っていたが、実家から結婚とともに付き添ってきた侍女が心を砕いていてくれたおかげで乗り切ることができた。

嵐のような忙しさが過ぎると、安穏とした日々を迎えることとなった。
二交代勤務のアンブロウシスに合わせて生活のリズムを作ってしまえば、後は未来の侯爵夫人としての務めを果たすだけだ。
手紙を書き、お茶会を開き、招かれ、交流を図る。
緩やかに過ぎる日々に、ふと思い出したことがあった。

そういえば、結婚式の前にお母様が何か言いたげに言葉を掛けてきてはいなかったかしら。

控え室でドレスを着付けているアストリッドのもとにわざわざやってきて、娘の姿を褒め称えた後、言いにくそうに言葉を濁していたのではなかったか。
その後すぐに使用人から声を掛けられたのでそちらに気をとられている間に母は控え室からいなくなっていた。
当日の忙しさに紛れてすっかり忘れていたが、あのとき母は何を言いに来ていたのだろう。

気になり始めたらいてもたってもいられず先触れを出し実家を訪れたのは、若葉の瑞々しい青さがまぶしい初夏の日のことだった。
タウンハウスに着くなり来客用の居間ではなく家族専用の居間に案内され、ソファの腰を掛けていた母親が立ち上がってアストリッドのもとにやってきた。

「結婚式から一ヶ月しかたっていないというのにすっかり落ち着きを身につけてしまったわね」
「それは褒め言葉として受け取ってよろしいの?」
「まあ、もちろんのことよ。貴女はもともととても優秀ですからね、あちらにすぐ馴染むと思っていましたよ」

話しながら三人掛けのソファに腰を掛け、アストリッドが隣に座るように促した。
いつにない親密さに驚いたが、学院に行くことと娘を嫁にやることでは母の心情が違うのかもしれないと思い、腰を下ろして母に向き合う。
近況を話し合い、他愛のないことで笑い合ったりしていたが、しばらくすると母親があの控え室で見せたような言い苦しい表情をしては思い直したように笑いかけたりするようになった。

「まあ、お母様。一体どうされたというのです。何か私にお話があるのではなくて?」
「…………いいえ、貴女を煩わすことではないのです」
「お母様。けれどとても言いたげにされていらっしゃるではないですか。私でよければお話を伺うことはできましてよ」

何度か同じやりとりをすると、母はぐったりと項垂れて、はらりと落ちてきた髪をかき上げた。

「ええ、本当に貴女にいうことではないと思うのです。ですが、私ではどうにもならないともわかっているのよ。
あの子の、…………貴女の弟のことよ」
「まあ!彼がいったいどうしたというのです?この前の休暇のときには何もかわりはなかったかと」
「最近、急激に成績を落としてきていると学院から連絡を受けました。
よほどのことがない限り…………そうね、貴女なら知っているでしょうけれど、学院から成績の件で連絡がくるというのは落第する可能性が高いということ。あの子、たった数ヶ月で成績をそこまで落としているというのよ。
あまりのことに何度か手紙を書いてもなしのつぶてで、ほとほと困っているの。
貴女は卒業してまだ一年たっていないでしょう?ですから、かの学院にどうにか伝手を得ることが出来ないかと…………」
「お母様。学院の伝手など、私ではどうしようもできないことですわ。私はただの卒業生です。それでいうとお母様もお父様もそうではないですか。同じ立場にお立ちですのに、どうして私に伝手が出来るなどとお考えになるのです」
「…………ええ、そうね。その通りよ。わかっているのよ、貴女にも誰にもどうにもできないことを。
なぜあの子がいきなり成績を落とすことになったのか、原因は自分自身にあるのでしょうし、手助けをしようにもこちらから連絡を拒んでいるようすで。
ああ、どうしたらいいのかしら」

打ちひしがれる母親の背中をさすりながら、アストリッドはどうしようもない焦燥感に捕らわれそうになった。

それから何度か母の元を訪れ、愚痴を聞き、慰め、労ったが、話は何一つ進展することがなかった。

そんなある日、驚くべき人から面会を願う連絡が入った。
まさかこの訪問がアストリッドの悩みを一掃してくれるとは露ほども思いもしなかった。


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