20 / 28
第二十話
しおりを挟むそれにしても、とアストリッドは学院から与えられた研究室の椅子に深く腰を掛けながら考えた。
テーブルの上にはアッペルクヴィスト女史から引き継いだ学生カードが積み上げられている。
アストリッドは体を起こし、カードを取り上げると目当てのカードを数枚引き抜き、机の上に一枚一枚確認するように並べだした。
アストリッドにとっては頭痛の種と言って過言でないカードの主たちは、その実、アストリッドの受け持ちの学生はただ一人で、その学生が最も頭を悩ませる存在となっている。
彼女・・の存在は担当の中でも履修困難な学生というだけでなく、自分の将来を破滅へ導く存在としても認識しているため、”物語”で知りえる彼女の性格を少しでも正そうと、そして…できればご遠慮被りたいが…”物語”のままであれば将来の侯爵の横に並び立つ存在として教養や気品を身に着けて”物語”の中の散財癖を直そうと他の学生よりは目にかけてきた。
彼女は他の教科においては学年でも上位、それもほとんどの教科が十番以内の成績を収めているというのに、こと教養においては尊敬するアッペルクヴィスト女史も音を上げるほどの問題児だった。
いくら女史のお墨付きとはいえまだ年齢の若いアストリットでは舐められるのか、どれほど努力をしても彼女には響かず、このまま及第点すら取ることが難しければ他の教科が優れていようとも基本履修科目の欠落で卒業はできない。
彼女が憎くて指導が厳しいのではない。
ただどうしようもなく自分が無力に思えて仕方がないのだ。
他の学生たちからは講師として信頼されていると感じる分、余計に虚無感に襲われる。
その彼女がカードに記載されている通りに、こともあろうか上位貴族の子息たちと共にいることに違和感しか覚えない。
アストリッドの担当が女子学生ということもあって授業で彼らと会う機会はないが、休憩時間毎に外に出て逢瀬を重ねているのか校舎間の移動のたびに目の端に彼らの姿をとらえることが多い。
芝生の上で座っている彼女を取り囲むように立っていたり、彼女を中央に据え道幅いっぱいに広がって話しながら歩いている姿だったり、講堂の入口を塞ぐようにして談笑していたり。
余りにも頻繁に遭遇するため、わざわざ見せびらかしているのかと疑いたくなるところだが、一講師であるアストリッドにそれを行ってとしてどのような意味があるというのだろう。
芝生の上に直接座るというのは淑女として決して褒められた行為ではないがまだましな方だ。
だがその他の行動は迷惑行為としか言い様がなく、横柄な態度は貴族社会に出ると嘲笑の的になる。
輪の中に王族に連なる者がいることで、笠に着ているのならばたちが悪い。
教養の講師としての義務と責任がそのまま見逃すことを許さず、公共の場所で我が物顔で闊歩する彼らに、彼らと遭遇すると知らずと出るため息を押し殺しながら注意を促した。
「あなた方はここをどこだとお思いですか。楽しく談笑していることはとても喜ばしいことですが、道いっぱいに広がって他の学生の通行の妨げになることは非常に迷惑な行為でしょう」
「扉の前に立たれると他の学生が講堂に入りづらくなります。もうすこしだけ横にずれると他の方もとおりやなるでしょう」
弟がいる集団に声を掛けることはある種の勇気がいったのだが、弟は名が変わり変装をして口調も変えたアストリッドに気づかず、問題の学生は首を何が悪いのかわからないと首をかしげた。
「まあ、先生。少しの間のことではないですか。
そんなに目くじらを立てなくても、ほら、誰も気にもしていませんわ」
「今は教養の時間ではないのですから、先生に指導していただかなくても結構ですのに」
その通りだと周りにいる学生たちが頷きあう。
中には理不尽だとばかりに睨み付けてくる学生もいる。
唯一人、弟だけがアストリッドに頭を下げるが、集団の一番後ろに立ち位置があるためアストリッド以外の誰もそれに気づかない。
「注意は致しました。それを実行するかどうかはあなた方の判断に任せますが、ただ一つだけ言わせていただくと、講義外だからといってもあなた方の行動は学院の監視下にあるということです。この学院に在籍している間は学院の規則に則るのが正しい学生のあり方であり、規則外のことにおいても学院で学んでいることを遂行すべきことであることは明白です。それが学院の外でどのような経歴、どのような背景を持つにしても、ということを付け加えておきましょう」
最後に一人一人の名を彼らの目を見ながらつげ終えると、アストリッドはその場を後にした。
背後から「いけ好かない」だの「誰だと思って」だの、あろうことか「金目当ての後家のくせに」「これだから夫に捨てられてたんだ」「傷物が」だのと誹謗中傷を投げつけられる。
若い貴族夫人が俗界と隔離される学院にいるのだから噂の一つや二つはあると思っていたアストリッドだったが、まさかここまで着色されているとは驚きだった。
噂話を平然と本人に投げつける浅ましいこの集団に弟がいることが情けない。
彼の声が聞こえてこないことは幸いだが、その集団に属しているだけでも品位を疑いそうになる。
――――彼女のことを想っているのならば居続けなければ機会がないのだろう。
貴族としても人としても成長を見せない彼女にどうして惹かれるのかと思うが、恋は理性を殺してしまうということか。
玄人ではないアストリッドの変装はよくみてみれば姉だとわかりそうだというのに、姉を慕っていたはずの弟は目の前で苦言を呈する講師を姉だと見極められず、テレーシアは弟の親族とは知らずアストリッドに取り繕わない自分を見せつける。
彼女の本性をより知るために弟と血縁であることを隠すことにしたアストリッドだったが、彼女の貴族として人としての行いを知ると、弟になぜ分からないのかと言いたくなる。
いや、言っているに等しい行為をしていると思うのだが、彼女にそれが届かないように弟やあの集団にも届くことがない。
前途多難とはこのことね、とアストリッドは椅子の背に体重を預けて天を仰いだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる