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4.失意と相違

7.

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庭は、すっかり梅雨の季節に様変わりしていた。
咲きかけていた紫陽花は見頃を迎え、ヒメシャラの木には、ツバキに似た白い小さな花が咲いている。
ちょうど池の畔に差し掛かった時、凛とした佇まいで咲き並ぶ紫色の花を指さし、ラムファが言った。

「あの花は、お義父さんが作った竹の中で咲いていた花かな」

 それが〈百花展〉で良之が生けていた作品のことを言っているのだと気付き、麗良はふっと息を漏らした。

「あれは、花菖蒲よ。おじい様が竹の中に生けていたのは、杜若。
 似ているけど、違う花よ」

そう言って麗良は、ラムファに杜若と菖蒲の違いについて説明した。
杜若は水の中、菖蒲は水辺、あと同じようによく間違われるアヤメは、陸で育つ。
どれも見た目はよく似ているが、花の付け根に白い筋があるのが杜若、黄色い筋が菖蒲、そして網目状の模様があるのがアヤメ。
花びらの質感もよく見ると違っている。

「それに、咲く時期も少しずつ違うのよ。
 杜若は五月中頃に咲くけど、菖蒲は六月から七月にかけて咲く。
 アヤメは、杜若と少し被るかな。でも、杜若よりは長く咲いてる」

 ラムファが眩しいものを見るような顔で麗良を見る。

「すごい、レイラは花のことをよく知っているね。
 お義父さんに教わったのかい?」

 麗良は俯き、首を横に振った。

「おじいさまは、あまりそういうことは教えてくれなかった。
 誰に教わったかは覚えてないけど、私が庭で遊んでいたら、よく青葉や庭師さんが色々なことを教えてくれたの。
 あとは、自分で本を読んでとか」

 麗良の脳裏に、幼い自分とマヤが庭でかくれんぼをして遊んでいる光景が浮かんだ。
たくさんの樹々や花々に装飾されたこの広い庭は、子供にとって未知のジャングルへ挑むような冒険心と好奇心を触発させると同時に、見えないものへの想像力すら掻き立ててくれた。
背の高い木の上には、小人たちの住む家があり、ユキヤナギの下には《妖精の国》へ通じる階段がある――そんなことを夢想しながら遊んだ日々を思い出し、麗良は幸せな気持ちで目を閉じた。

「レイラも、〝いけばな〟というのをやるのかい?」

 ラムファの思いがけない一言が麗良を現実の世界へ呼び戻した。
麗良の表情が変わるのを見て、ラムファは自分が言い間違えたのだろうかと首をひねった。

「確か……花を器に飾ってことを〝いけばな〟と言うと聞いたんだが……何か間違ったかな。
 ほら、お義父さんが竹を使って作っていた――〝かぐや姫〟だったっけ。
 あれも〝いけばな〟というんだろう」

 語尾を上げて確認するようにラムファが問うと、麗良は、少し間を置いて口を開いた。

「切り取られて死んでしまった植物たちを、再び生きているかのように器に飾る――だから〝生け花〟――そう、私もおじいさまから教わった」

 でも、と麗良は橋の上で足を止めて続けた。

「本当は、ただ自分たちが観賞したい為だけに植物たちを殺している……殺人と同じよ」

 麗良の口調からは、嫌悪感を超えて憎悪すら感じさせる感情が滲み出ていた。

「華道家なんて、大嫌い」

 池のどこかで水の撥ねる音がした。
鯉が泳いでいるのだろう。

「あなたも〝妖精〟なら、植物を傷つけることを何とも思わないの?」

 突然麗良に矛先を向けられて、ラムファが戸惑いながらも答えた。

「確かに妖精は、植物を何よりも大事に思っている。自分の命と同じくらいにね。
 妖精は、自然の中で生まれて、自然の中でしか生きられない。
 だから、木や花を傷つけることは、自分の身を傷つけられることと同じなんだ。
 レイラが百貨店で花たちが傷つけられるのを見て取り乱したのは、妖精の血がそうさせているんだろうね」

 初めて聞く、自分のさがについての答えが呆気なく得られたことに麗良は驚き、目を見開いた。
自分でも異常に思うほどの植物への執着心に、これまでずっと悩んできたのだ。
それが妖精の血の所為であったと言われ、腑に落ちる気がした。

「パパは、〝いけばな〟のことをよく知らない。
 でも、人間も自然の一部だろう」

 麗良は、ラムファの言っている意味がよく理解できなかった。
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