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『黒猫の魔法』

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 一哉がアパ―トに帰ると、いつもより遅い帰りを怒ってるのか、黒猫が頭の上を踏みつけてタンスの上に跳び乗った。

「いてぇ~、ごめんってば~」

 一哉がタンスの下で猫を呼ぶ。

「おいで、クロ」

 すると黒猫は、「にゃ~」っと鳴いて一哉の腕の中に降りてきた。
一緒に暮らしている内に定着してしまったあだ名だ。

「よしよし。今、餌をやるからな」

 クロは、待ってましたと言わんばかりに、一哉の出した餌にありついた。
 クロが来て、一哉は変わった。
他人と関わる事を受け入れ、自分をも受け入れた。
そして、すばらしい出会いを運んできた。

『黒猫って、魔女の使いだったの、知ってる?
 きっと、わずかでも魔力を持ってるのよ』

 そう言って結未は悪戯っぽく笑った。

(本当に魔法が使えるのかもな)

 一哉はそう考えて、ふっと笑った。
ふと気が付くと、スト―ヴに火が点いていない。
今日の部屋は、なぜか妙に暖かい。

 一哉は、机の上に並べて立ててある問題集や参考書の束を見つめた。
そして、その一冊を手に取り、ペ―ジをめくる。

(こりゃあ、大変だぞ。一からやり直しだ)

 1年前の予備校で大変だった時期を思い出して、笑った。
今なら何でも出来そうな気がする。
 一哉の心は、確実に時を刻み始めていた。
 その時だった。携帯の着信音が鳴った。

「はい、もしもし」

『あ、すみません。
 黒猫をもらってください、っていうポスタ―を見た者なんですが』

 一哉の心臓がどきりと跳ねた。

『まだ飼い手はいらっしゃいませんでしょうか?』

『パパ~、猫ちゃん飼える? ねえ、ねえ』

『こら、静かにしてなさい。
 パパが今聞いてくれてるんだからね』

 電話の向こうで、娘と奥さんらしき人達の会話が聞こえた。

「あ、はい。大丈夫ですよ」

『本当ですか? 良かった~。
 出来れば、明日にでも受け取りたいんですが、いいでしょうか?』

 一瞬の間があった。

「……はい。こちらは、全然かまいません」

 その後、明日会う時間と場所を決めた。
電話を切る前に丁寧にお礼まで言われた。

(いい家族じゃないか。
 あの家族に飼われるなら、こいつも幸せだろう)

 クロは、お腹がいっぱいになったらしく、うとうと、布団の上で眠りかけていた。
 一哉は、ふっと微笑んだ。いつの間にか、こんなにも簡単に笑える自分がいる。

「よしっ、今日は晩餐で豪華にやるか!」


 約束の場所は、ファミレスから少し歩いた所にある小さな公園にした。
黒猫を渡した後で、そのまま午後のバイトに向かえるからだ。

 その家族は、約束の時間より十分も早く来た。
一哉の予想していた通り、感じの良さそうな家族だ。
 女の子は十歳になるかならないかぐらいだろう。
猫をもらえるのがよほど楽しみだったのか、待ちきれないというように車の中から跳び出てきた。
 お父さんは、優しそうで頼りがいのある大黒柱。
お母さんは、跳びはねる子供を叱りながら笑っている、優しい人なのだろう。

(この家族だったら、こいつも幸せになれるよな)

 交渉は、簡単だった。
クロを抱えて持ってきた一哉は、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねる女の子にクロを渡してやった。

「きゃ~♪ かわいい黒猫ちゃん。
 お名前は、もう決めてあるんだよ。
 “エリザベス”って言うの」

 両親は、すみません落ち着きのない子で、と謝った上で改めてお礼を言った。
 黒猫は、初めて見る女の子に抱かれて、なんとか逃れようともがいている。
でも、時間が経てば慣れるだろう。自分みたいに……っと、一哉は考えた。

 それでは、と言って去って行く3人の家族を一哉は見送った。
クロが「にゃ―にゃ―」鳴いて、一哉に助けを求めているように聞こえた。

 これでいいんだ、あいつのためなんだ、と一哉は自分に言い聞かせた。
これから勉強で忙しくなれば、クロの面倒を見るのも難しくなるだろう。
自分には、医者になるという夢があるのだ。

 3人と一匹は、どんどん一哉から離れて行く。
お父さんが車のキ―を開けた。

「にゃ~……」

 今にも消え入りそうなか細い声。
生きる事をあきらめかけていた、ちょっと前までの自分と同じだ。

 クロと過ごした短い日々が一哉の脳裏をよぎった。
それは、結未と過ごした真っ白な時間を、いつの間にか黒く染めていた。

 1年前のあの日、大切なモノを失った真っ白な世界。
でも、今一哉がいるのは、黒い世界だ。
どんな傷や汚れも全て塗り潰してしまう、真っ黒な世界――――。

「クロ!」

 思わず一哉が叫んだ次の瞬間、クロが女の子の腕をすり抜け、一哉の元へと走って来た。
 あっ、と叫んで追いかけようとした女の子の肩を父親が優しく抑える。
黒猫は、自分で自分の帰る場所を知っているのだ。

 一哉は、しゃがんで両手を広げた。
クロが勢い余って、一哉のお腹にぶつかる。
その心地良い勢いに身を任せ、一哉は後ろへと倒れた。

 冬の空を背景に、一匹の黒猫が一哉の視界を覗く。

「お前、俺なんかと一緒でいいのかよ?」

 すると黒猫は答えた。

「にゃ~」

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