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第六章 スリー・オン・スリー
新しい加護 2
しおりを挟むムサは周囲を見回し、不審に思った——誰も見当たらない。
(……誰すか)
〈——月の叡智、ジビカである〉
酒を飲みすぎて酔った頭に透き通った男の声が響く。
心臓の鼓動が一気に跳ね上がったが、ムサはできるだけ冷静に答えた。
(……へえ、〈月〉ね。噂には聞いてますよジビカ……それで、月のクソアホが俺になんの用です? 最初に断言しておきますが、俺はあんたら悪魔の戯言なんて——)
〈いや、なに、君に我が眷属たるマキリンの近況を教えてやろうと思ってね〉
ムサは足から根が生えたように立ち止まった。首吊りの木のように寝を張った青年に月の悪魔がささやく。
〈叡智たる私はあこれまで多くの理性ある命を見守ってきたが……マキリンは、実に可哀想な少女だな。あれは邪神の不出来な霊薬を飲んでしまったせいで背中に足が生えてしまったのだが、さすがにその程度の事情は知っているだろう?〉
ムサは心臓を破裂させそうにしながら邪神の声に聞き入った。知ってはいたが——「霊薬」「背中」「背に生えた足」……という単語が何度も心に木霊する。
彼はカオス少年からある程度の真実を聞いてはいたが、カオスは所詮、アクシノの眷属だ。少年は「俺が知ってる範囲でよければ」と教えてくれたが、それは本当に言葉通りで、
〈君もアクシノから聞いているはずだろう? 邪悪な薬によって羽虫のようにされた彼女が美しい姿を取り戻せたのは、生命の神、レファラド様のおかげだ。かの神は死にかけている哀れな女性に力を与え、古傷を消し去り、失った足を蘇らせる力を持つ〉
ジビカはムサの知らない情報を教えてくれた。
〈君は生命様の土地を知っているか? 君らの暮らす大地の夜空には、本当は〈月〉と呼ばれる惑星があり、それは遥かな昔からエルフが〈聖地〉と語り継ぐ「レファラド様の土地」なのだ。君もその末裔なら聞いたことがあるだろう〉
正直初耳だったが、わざわざ悪魔に教えてやるほどムサは愚かではなかった。
〈そうとも。エルフの子なら知っているはずだ〉
ジビカは無言のムサに構わず神託を続けた。
〈そして、その聖地を統べる「神」がせっかく助けてくださった女性に今、歌の邪神による「天罰」の危機が迫っている〉
——邪神が誰かは、わかるだろ……?
ジビカはムサの耳元でささやいた。
〈できればマキリンを助けてやりたいものだ。きみの惑星の神々と違って、私を含む〈月〉の神々は命をとても大切にする。しかし月の叡智に過ぎぬ私はあまりに弱く……君の惑星を支配している女神どもは強い。私では歌の魔女に勝てないし、悔しいが、我が眷属たるマキリンを守ってやることができない……!〉
ムサは返事をしなかった。それでもジビカは黙らない。
〈頼むよ、ムサ……私の眷属マキリンを救ってくれないか……!?〉
ジビカは悲痛な声で〈神託〉を叫んだ。
〈君の盾で私の娘マキリンを守ってくれ! このままでは私の眷属が殺されてしまう。歌の魔女ファレシラが「天罰」とつぶやけば、それだけで彼女は世界から消されてしまう! 二度と蘇ることもなく消えてしまう!〉
ムサは聞こえないふりをして階段を登り、地上に逃げ出そうと思った。自分の頭に響いている声は、この世界の敵たる「月」の声だ。すべて信じてはいけないし、すべてが嘘に決まっているし、なにも聞かないのが一番だと「村の大人たち」に教わっていた。
〈頼む、ムサ……! マキリンを助けてやってくれ!〉
しかしジビカは泣きそうな声を上げ、ムサは階段の途中で立ち止まった。
〈君が暮らしている世界について〈月〉の叡智たる私は全知とは言い難いが、しかし、君はあの愚かな騎士団のについては知っているだろう? そうとも。あれは月の眷属だ。しかし月の叡智として断言しよう——マキリンは、あの子だけは月の眷属ではない! 騎士団の他の連中はともかく、あの子は天罰を受けるべきではないのだ!〉
ムサは誘惑に耐えられなくなった。
(……どういうことすか)
〈ハッセだ!〉
月のジビカは即座に流暢なレテアリタ語を返し、
〈きみはこの名を知っているか? ——騎士団長の「ハッセ」のせいで、マキリンが死にかけている!〉
ムサは「ハッセ」の名を聞いた瞬間、心の中にどす黒い感情を覚えた。それは半月の騎士団のリーダーの名前であり、裁判の後、マキリンが腕を取って抱きついていた青年の名前だ。
ジビカは言った。
〈君がどれだけハッセを知っているかは知らないが、あの愚かな青年は今、嫌がる部下を引き連れて竜と共にラーナボルカ市を破壊しようと企んでいる。無論我々は君たちの星の敵であるからそうしようとしているのだが……叡智として断言しよう。あまりに愚かな企みだ。成功するはずのない計画だ!
全滅するに決まっているのに、マキリンを含む騎士団は今、なにも知らずに世界神ファレシラに挑もうとしている!〉
(……どうしてそんなことを?)
〈君も見ただろ? 竜がいるからさ! あの愚かな騎士団長は、竜さえ居れば〈歌〉に勝てると信じ切っているし——くそ、これ以上は言えぬ! 言いたくないのではないぞ。隠したいわけでもない! 佞智アクシノが私の神託を妨害している! しかし私は言ってやるぞ……!〉
ジビカからの神託に雑音が混じった。ムサはつい両耳を覆い、ジビカの声を聞こうとしたが、神託は途切れ途切れでうまく聞こえない。
激しい雑音の中でジビカはなにかを叫び、それに対して耳慣れた女の声が激しく反論しているのだけはわかった。アクシノの声だ。
〈黙れ……もう黙れよジビカ……〉
〈……おのれ、女神め……貴様らには慈悲の心が無いのか? 騎士団の他の連中はともかく、マキリンはお前らの星で生まれた少女だろう!?〉
急に雑音が消え、再びムサに神託が響く。深酒もあり、ムサは脳内に鳴り響く男の声にくらくらした。
〈ふん。なら、良いさ……マキリンは生まれつきそういう女だ。少女の頃から誰にもまともに愛してもらえず……ずっと当たり前だったことが、この先も続くだけさ〉
ジビカは急に突き放すように言い、ムサが抗議する前に神託を続けた。
〈それでもあいつは今日まで必死に生きてきたし、私は今後も彼女の小さな命に加護を与え続ける……悪かったな、ムサ。私の言葉は忘れてくれ。マキリンは、私や〈月〉のレファラド様が守る〉
「待って!」
ムサは上り階段の中頃で耳を塞ぎながら吠えた。
「おい、どうしたんです? ……神託の続きは!?」
ムサは両手で耳を抑えながら怒鳴った。
「——続きは!?」
〈——おい、おい……よしてくれ。神託はもう終えただろ? 君にはよくわからないだろうが、我々にはMPに似たSPという値があって、こうして異なる星の生命に神託するというのは、私の力を大きく奪うのだ。私はもう、ほとんど語れない……〉
ムサの脳内に再びジビカの声がした。ほっとしたが、その声は小さくノイズ混じりだった。
月の叡智ジビカは寂しそうにぽつりと神託した。
〈……すまぬ。忘れてくれムサ。私の考えが足りなかった。つまり、そう……きみも邪神アクシノから聞いているだろ? 私の言葉は「月の悪魔の戯言」だ。そうだとも! 君の星の叡智が言う通り、私の言葉は全部デタラメに決まってる……。
——忘れてくれ。全部ウソさ。マキリンはこの後もずっとハッセと一緒に幸せに暮らすから、心配するな。
私は君を傷つけるつもりはなかった。君は強力な鑑定阻害の防具を持っているから、私は君に加護を与えてでもマキリンを助けようとしたのだが……ダメだ。今はアクシノが強すぎる〉
「~~~~なんすかそれ!? 待ってくださいよ! 勝手に答えを決めてんじゃねえ!」
いつの間にかムサは脳内に響く声に怒鳴っていた。最初は月の悪魔になんぞ、ろくに返事をしてたまるかと考えていたのに——。
「——それじゃ、マキリンはどうなるんです!?」
ムサは迷宮に声を響かせて怒鳴った。酒を飲み過ぎたらしい。強い吐き気がする。
〈……よせよ。私のような「悪魔」の加護なんて要らないだろ? ——月にも本物の戦士はいる。他の男を頼るから、君はもうマキリンのことなんて忘れたまえ〉
「ふざけんな……」
月の悪魔は耳元でささやき、ムサは大声で吠えながら受け入れてしまった。
「他の男とか、ふざけんなよ!」
ムサのステータスに、新しい加護が加わった。
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