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第七章 悪役令嬢と誰でもない男神
禁じられた遊び
しおりを挟むわたしは混乱しながら呟いた。
「ピピン……」
ピピンは胸を刺されて乾いた地面に倒れ、ハチワレが猫そのものの声で叫び、刺した冒険者に飛びかかる。彼は冒険者の首に噛みつき、攻撃属性ならすべて使えるはずのわたしが使えないスキルを使った。
〈——毒茸流:腐敗の牙——〉
それは魔術ではなく体術で、ハチワレに噛まれた冒険者の首は即座にカビに覆われた。青や緑の胞子は冒険者の首や胴体に広がり、冒険者は腐りながら死んだ。
ハチワレが口に入った冒険者の血を吐き捨て、倒れたピピンに駆け寄る。目には涙が浮かんでいた。
「——畜生! おれが羽で守る! 中に隠れて蘇生させろ!」
黒竜ギータが怒鳴り、左右の羽でピピンの体を包んだ。外より少し薄暗い竜の羽の中でわたしたちはピピンを取り囲み、15歳の子兎が必死に詠唱しようとする声を聞いた。
「……神様、かみさま……」
ピピンは回復スキルを持っている。しかし気管支を血に阻まれて詠唱できず、口元から血を溢れさせ、刺し貫かれた胸にじわりと血が広がった。
わたしは混乱していて、しどろもどろに言った。
「ねえ、回復薬……薬を……」
「無い! もう全部使ってしまった!」
15歳のクワイセが絶叫する。
ピピンと同い年の子ねずみは半狂乱で涙を流していて——わたしとハチワレは、クワイセが隠していた気持ちを知った。
わたしとハチワレは莫大なMPを持つが、どちらにも回復呪文の適正が無かった。それはクワイセも同様で、死神に愛された倉庫持ちには回復スキルが無い。
ピピンはもう詠唱すらできず、喉に溜まった血に咳込むだけだ。
わたしは頭が真っ白になって、地球の病院で聞いた薬品の英語名を無意味に思い出したりしていた。
「にゃ——ドライグのところにいる騎士たちに、薬をもらってくる!」
ハチワレが冷静に告げた。
この子猫はわたしやクワイセより何倍も賢く、目に浮かんだ涙を拭ってギータの羽を抜け出した。
わたしとピピンもすぐに追いかけて、わたしはクワイセの手を引っ張り、前を走るハチワレに、抱きつくように飛びついた。
「——反撃しろ!」
わたしたちが竜の羽から出た瞬間、周囲に居た悪魔どもや大量の弓がわたしたちを襲ったが、負けるか!
(ノー・ワン!)
〈任せろ〉
『『 絶対防御……!? 』』
青白い光の壁がわたしはもちろんハチワレたちを完全に防御し、悪魔どもがツイウス語でたじろいだ。そのわずかな隙を、ハチワレの魔術とクワイセの〈倉庫〉が襲う。
「チチッ……」
クワイセは舌打ちするだけで悪魔たちの足元に倉庫を開き、
「チ」
の舌打ちで倉庫を閉じた。
クワイセが冒険者らを倉庫に閉じ込めた瞬間、ハチワレが悲痛な声でギータに怒鳴る。
「竜よ、火を吹け! 頼むから早く!」
ギータは羽の下からわたしたちが飛び出すのを見て戸惑っていたが、すぐに火属性のブレスを吐き出し、
「——チ! なるほどナ!」
クワイセは、灼熱のブレスの真ん前に〈倉庫〉の入り口を開いた。
庫内の悪魔どもは竜の吐息の直撃を受けツイウス語で「たすけて」と絶叫したが、わたしたちは一切同情しなかった。
クワイセが雑に舌打ちすると倉庫の床が迷宮に開かれ、吐息で焼かれた冒険者の遺体が投げ出される。
子犬のわたしは人間が焼ける臭いを嗅いでしまったが、足は止めない。ドライグたちの陣に近づいて、
「——騎士ども、誰か回復薬をわけてくれ! ピピンが死にかけているんだ!」
男爵令嬢のわたしは叫んだ。
ハチワレも同じことを叫んでいたし、クワイセはほとんど絶叫していたが、2人は身分の低い獣人だ。
この2人より男爵のわたしが命じることが重要なはずだと、黒い子犬は思い込んでいた。
……わたしは、その時の貴族たちの目を永久に忘れない。
赤竜のドライグは氷結の呪いで左の羽を失っていたが、今すぐ死ぬほどの怪我ではなかった。実際、ドライグは痛みに耐えつつも右の羽や尾で仲間を包み、守っていて、頑丈な竜の皮膚や骨格は冒険者たちの攻撃を跳ね返していた。
ドライグは死なない——ピピンは死にかけている。
わたしは当然回復薬をわけてもらえると思ったが、
「……はあ? 身分をわきまえろよ子犬。ウサギなんてどうでも良いだろ」
最初に魚人のアダルが口を開き、
「リンナ様、俺の薬をお使いください! これが最後の1瓶です!」
自分に配給されたポーションをリンナに手渡した。夜刀の姫君は額から角を生やしてそれを受け取ると瓶のキャップを開き、
「待ってリンナ、それをピピンに——」
リンナは、慌てるわたしに言い捨てた。
「馬鹿なのニョキシー? ウサギより竜でしょ!?」
リンナはドライグの左羽に回復薬を振りかけてしまい、肉が沸き立ち、羽がわずかに再生し始める。アダルが魚の鱗に覆われた手を叩いて喜び、自分の功績を主張した。
「ドライグ様、竜様! ロコック領のアダルが御身に薬を献上しました!」
わたしとハチワレ、そしてクワイセは、貴重な薬がドライグに振りかけられるのをただ見ているしかなかった。
「——お前らは馬鹿か!? 本気か!?」
言葉を失ったわたしたちを代弁してくれたのは、叡智持ちの兄だけだった。
「アダル、どうして渡した!? 回復持ちのピピンに使うほうが明らかに合理的だろ!?」
兄の隣には女騎士のルッツがいて、女は半笑いだった。
「……はあ? でもハッセ様、たかがウサギよ? あなた妹が犬だからって……」
「~~~~もう良い! この騎士団には馬鹿しかいないのか!?」
激情にかられたわたしはアニキと一緒にリンナを罵倒したかったのだが、わたしが着ている革鎧をひっかく爪の感触を感じる。
「……ニョキシー、戻ろう。ピピンが死んでしまう」
ハチワレだけが冷静だった。
「クワイセも泣くのをやめろ。泣いても解決しにゃい」
白黒柄の子猫は真っ青な顔でクワイセにも言い、わたしたちを真っ黒な猫の目で見つめた。
「ニョキシー、おれたちにはもう選択肢が無い。……禁じられた遊びに賭けよう」
子猫の言葉を聞いた瞬間、わたしとクワイセはわずかな希望を取り戻した。
◇
ドライグ側の陣地を離れ、ギータの元に戻る。
黒い竜は全身に大量の矢を受けていたがブレスを吐き散らし、尾を振り回して近づく冒険者たちをなぎ倒していた。
「ニョキシー! 薬は……」
ギータはわたしたちが戻ると嬉しそうに叫んだが、顔色を見て結果を知った。
「早く翼の中に入れ」
黒竜は素早く翼を上げるとわたしたちを隠し、周囲を囲む冒険者につぶやいた。
「……クソどもが。おれは一瞬、あえて理性を失ってやるぞ」
竜の羽に守られてもなお、ギータがなにをしたのかがわかった。
「ッおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
意味をなさない竜の吠え声が聞こえ、悪魔たちがツイウス語で悲鳴を上げるのが聞こえた。
羽の合間から赫灼の閃光が差し込み、その光だけでわたしたちは焼かれそうだった。
「クワイセ、描いて!」
ギータが守る羽の中、わたしたちには時間が無かった。
「チ……ピピンはもう、息を……」
「にゃ! 良いから描け!」
涙が止まらないクワイセにハチワレが怒鳴り、わたしは「禁じられた遊び」の準備を始めた。
わたしとハチワレは、同じ無名の神から加護を受けている。
誰でもない神ノー・ワンは、わたしたちに生命の神レファラドが統べる土地ではわたしたち2人きりであろう特別なスキルを与えてくれている。
——ノー・ワン属性の極大魔法を使うしかない。名無しの神の極大魔法を使う。
同じ図形を何度も描いているクワイセが泣きながら指を地面に突き立てた。指で地面に小さな魔法陣を描き、もう息をしていないピピンを寝かせる。
他の属性はともかく、ノー・ワンの術の行使はダラサ王国の法律で禁止されている。
貴族のわたしでも知られれば禁固刑をくらうし、使用人のハチワレたちは死刑もあり得る重罪だ。
だからわたしたちは義父アクラの書斎や村外れなど、誰もいない場所でしかこの「遊び」をしてこなかった。
「ピピンが息をしてねぇ……ギータ様に知られても仕方がにゃい……!」
ハチワレが断言し、わたしと子猫、そして子ねずみクワイセは、ギータの羽の下で詠唱を始めた。
「……おい、お前らおれの羽の下でなにをしている? それは……それって……死刑になりたいのか?」
黒い竜は羽の下から溢れた邪悪な気配に怯えたが、それでもわたしたちを守ってくれた。
「……いいさ、だけどあと5分だぞ? さすがのおれもそれ以上は耐えられない……」
羽の下に強い魔法の気配を感じたのだろう。悪魔たちはギータへの攻撃を激しくしたが、黒い竜は火を撒き散らしてわたしたちを守ってくれた。
祈りは届き、寂しそうな顔をしたひとりの男神が迷宮に顕現した。
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