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(三)
しおりを挟むまさに、山田屋の御主人のちょっとした「用心」で難を逃れた同氏の妻と子供達であったが、その妻は当時の様子をこう語ってくれた。
・・・・まったく主人の言う通り、早くに家を出て命拾いをしたしました・・・。
はい、なんと言っても30年振りの大祭でございますから、お祭りの当日は大変に人が出ると思いまして、主人の言う通り、眠い目をこすっている子供達を起こして支度をさせて、六つ(午前6時)頃に家を出立いたしました・・・。
なにせ、一番下はまだ8つになったばかりの4人の子供を連れてのお祭り見物ですから、人混みで迷子になりやしないかと、私はそちらの方が心配でございました、娘達には迷子札をしっかり付けて、決して母のそばを離れないようにと念をおして家を出たのでございますよ・・・。
朝早く家を出たのですが、永代橋に近づくにつれて、もう道はお祭り見物に行く人達で思いの外混んでまいりました。
その時、ああ主人のいう通り早く出て良かった・・・と思いました。
こんな早朝でもこれほど人が多いのですから、普通に出ていたらもう芋の子を洗うような混雑になって難儀していたことでしょう・・・。
私は、子供達の手を引いて、なるべく足早に知り合いの家へと急ぎましたので、五つ(午前8時)ころには、永代橋を渡ってしまいました。
・・・・その数刻後にあの橋が崩れ落ちたなんて・・・・今思い返しても冷や汗が出るようでございます・・・・。
そうして、知り合いが待っている桟敷に着きまして、そこでお祭りを見物しておりました。
四つ半頃(11時頃)だったでしょうか・・・鶴屋さんの通い番頭さんが、知り合いの座っている桟敷に上ってきまして、
「永代橋が落ちたようですぞ!一番に渡ったものは無事だったが、あとから渡った者が大川に転落したと、あちこちで噂しております」
と話すのを聞きました。
私は、まだその時はあんなに大きな事故だとは思いませんでしたのでそれほど驚かずに、そのまま知り合いと祭りを見物しておりました。
祭りを終いまで見物いたしまして帰る頃に、あちこちから噂が聞こえてまいりまして、永代橋が落ちて、数千人が流されて、たくさん死者が出ていると聞きまして・・・その時初めて事故の大きさに驚愕いたしました・・・。
私は、主人達がさぞ心配しているだろうと思いまして、慌てて知り合いの方々に暇乞いをいたしまして、家路を急ぐことにいたしました。
娘達を連れて道を歩き出しますと、もう通りでは永代橋が落ちて死者が大勢出ているという噂があちこちから聞こえてまいりました。
私は、寺町通りはもう人で一杯だろうと思いまして、木場まで回りまして冬木町を横切って、開運橋、高橋まで行ってそこを渡りました。
それらの橋ももう群衆で埋まっておりまして、橋はユラユラと揺れ始めます。
誰かが、「この橋も落ちるぞ!」と怒鳴りましたので、もう私は生きた心地もしませんでした。
橋を渡り切って、辛うじて両国橋まで辿りついては、初めて人心地ついたのでございます・・・・。
妻が話し終わると、山田屋の御主人が口を開いた。
私も、まさか本当に永代橋が落ちるとは夢にも思いませんでしたが、先ほどお話したとおり、安政の頃に朽ちた欄干を押し倒して人が転落した事故を知っておりましたので、何気なく、妻には混雑をさけて早く出るよう言ったのでございますが・・・後から思い返しますと、そこまで用心して本当に良かったと思います。
最後に、永代橋崩落の瞬間を目撃したという、大橋のほとりに店を構える茶屋の女房の証言をご紹介しよう。
この茶屋からは、永代橋が一望のもとに見渡せるので、茶屋の女房も普段から永代橋には愛着があるという。
・・・・その時私はお客様と世間話をしていたのですが何気なく永代橋の方を見ますと、橋の中ほどからモヤモヤと白い煙のようなものが立ちあがりました。
私は最初、船火事だと思いまして、お客様とも
「・・・あの白い煙・・・あれは船火事でございますかねぇ・・・・」
「いや・・・船火事とは違うようだが・・・・いったい何だろう」
などと話して首をかしげながら、その不思議な煙をしばらく眺めておりました。
しばらくしまして、橋の方から駆けてきた方から、永代橋が崩れて人が沢山押し流されている、と聞きまして胸が潰れる思いがいたしました。
私たちが見たあの白い煙は、橋から落ちた人達が驚いて吐いた息だったのでございましょうか・・・。
茶屋の女房が落ちてゆく人々の息だと思ったのは、恐らく長年橋の上に溜まっていた土や砂が、崩落によって舞い上がった土煙であろう。
永代橋崩落事故の翌日、お船通りや大橋のほとりから、永代橋の南詰めまでの道のりは、死者を入れた早桶を担いで行き来するものが絶えなかったという。
その中には市ヶ谷の者だという事だが、兄弟三人で祭を見物に行ったが三人共溺死してしまったと嘆いている親族の姿もあったという。
冒頭にも記したが、この事故による水死者は四百八十余人、これは奉行所に届けがあり実際に確認できた死者の数であり、沖まで流された者など、それ以外の死者、行方不明者はこの数には含まれていない。
事故の後、品川、上総、房州の各浦々に流れ着いた水死体も相当の数に上ったという事だ。
これらも含めると、死者は数千人に上るかもしれないが、真相は未だ解明していない。
享和年間、京都の四条河原で勧進猿楽の見物の桟敷が崩壊して、多数の死者が出たという記録が太平記にあるが、この永代橋崩落事故は、それにもまさる大参事というべきであろう。
事故の後、夜になると事故現場付近では水中に鬼火が燃えるのが目撃されたという。
また、風にのって犠牲者の慟哭する声も聞こえることもあり、南の詰所に板塀の小さな小屋を作って一人の法師が日々鐘を打ち鳴らして常念仏を唱えたということだ。
永代橋が架け替えられた際、この小屋は無くなってしまった。
また、事故の翌年の八月、地元の豪家が回向院で事故の犠牲者の一周忌を弔う大施餓鬼を執り行った外、人々は思い思いに河施餓鬼を営んだという。
冒頭に書いた通り、永代橋は幕府から廃橋とされたのち、町側で維持費を負担することになり、町が雇った番人が南北詰所に常駐して、笊に長い竹の柄を付けたものを持って、武士、医師、出家以外の物が通ると、その笊を差し出し一人頭銭二文ずつ徴収して管理維持費としていたが、それだけの収入ではとても橋の維持管理や架け替えが出来るものではない。
大掛かりな修繕が必要な個所もその為に、仮橋を作って抜本的な工事を先延ばしにしていたこともあり、それが今回の大事故に繋がったのではないかと指摘する者も多い。
その後、今回の事故の重大さ、また交通の要所としての永代橋の必要性を認識した幕府によって永代橋は架け替えられることになった。
橋の維持管理については、今回の教訓から町人の内から願い出て、江戸に入ってくる船から荷揚げされる荷物に一定の基準で水揚げ運上金を徴収して橋の維持管理費の資金とすること、永代橋に限らず両国橋、新大橋、永代橋の三大橋については、それを資金として破損する前に架け替えをすることが公儀によって認められた。
永代橋の崩落事故は、幕府の公共工事の有り方にも一石を投じたのである。
~ 完 ~
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