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第〇章 刀の巻 プロローグ
0-02 追憶:外祖父
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俺は、日本列島の生まれではない。沖縄よりもさらに南に位置する、九州よりやや小さな島が故郷だ。そこには四季という明確な区切りはなく、蒸し暑い日々が延々と続き、台風の襲来も珍しくなかった。大小さまざまな虫たちがそこかしこに生息していたことも、今となっては懐かしい記憶だ。この独特の環境が影響したのだろうか、島の住民は概して活発で、エネルギーに満ち溢れていた。ポジティブに捉えれば情熱的で人情深いと言えるが、ネガティブに言えば短慮で喧嘩っ早く、図々しい上に平気で嘘をつき、欲望に弱く臆病なくせに、いざとなるとヒーロー気取りで癇癪持ちという具合だった。また、身を守るためか、常に群れて行動する傾向があった。
人間なんて、どこへ行っても大体こんなものだろうと、若い頃は漠然と思っていた。外祖父の温かい膝に寄り、道場の庭に悠然と枝葉を広げる巨大なガジュマルの葉擦れの音が、夕暮れの静寂に響く中で、ふとそんな言葉が心に落ちてきた。そのガジュマルは、米軍が駐留していた頃に兵士が植えたものだと聞かされた。外祖父は、その木陰に置かれた涼み台に腰を下ろし、紫煙をくゆらすのが何よりも好きだった。
「彦人、お前は、この島の連中とは少し違う。繊細で、優しくて、そして少しばかり気が弱い。このままでは、人生で苦労が絶えないだろう。わしが、鍛えてやる。」——低いけれど、深く響く声が耳元で囁き、皺だらけの温かい手が、俺の幼い肩をそっと叩いた。まだ外の世界のことなど何も知らない八歳前の俺にも、その言葉は不思議なほど鮮明に胸に突き刺さり、深く刻まれた。
貧しさが、若き日の両親を追い詰めていた。特に母が強く決意したのだ。俺を、古武術の道場を営む外祖父に預け、育ててもらう、と。汗と埃の匂いが染み付いたその古い建物は、遠い昔、日本人がこの島に流れ着いた時に建てられたと伝えられている。一番弟子であった外祖父が、長年の修行の末に免許皆伝を受け、その道場を受け継いだのだ。
鋭い金属音が空気を切り裂き、刀が鞘から滑り出る。薙刀が風を巻き起こし、槍の穂先が床を力強く突く。使い込まれた棒が手に吸い付くように馴染み、鍛えられた空手の拳が虚空を打ち砕く。柔術では、二つの体が絡み合い、呼吸すら忘れるほどの緊張感が漂う。研ぎ澄まされたナイフが、まるで生き物のように指先で舞い、冷たい光を放つ手裏剣が、寸分の狂いもなく標的を射抜いた。外祖父の大きく温かい手が、まだ力の弱い俺の腕を取り、正しい型へと導いてくれる。稽古に励むうちに、汗が畳の上にぽたりと落ちた。
稽古の合間の休憩時間や食事の時、外祖父はよく俺と一緒にテレビで時代劇やチャンバラ番組を見ていた。画面の中では、刀と刀が激しく火花を散らし、役者の熱のこもった叫び声が部屋に響き渡る。
「ねえねえ、爺ちゃん、この中で一番悪い人は誰なの?」
「将軍様って、いつも正義の味方なんだよね!」
「悪いお代官様は、斬っちゃってもいいんだよね!」
子供らしい素朴な疑問にも、外祖父はいつも真剣な眼差しで、丁寧に、そして時には少し説教じみた口調で答えてくれた。
「彦人よ。チャンバラは、あくまでも物語の世界のことじゃ。暴力で誰かを屈服させれば、全てが丸く収まるなどと、決して思ってはならん。」
「真の強者とは、己自身を守る力を持つ者、そして、その力で自分よりも弱い者を守る義務を負う者のことじゃ。誰かを一方的に悪と決めつけ、裁こうとするのは、わしらのような一般の者の仕事ではない。」
「己こそが正義であると、驕り高ぶってしまったら、人はどんな恐ろしい悪魔にだって成り得るのじゃ。いかに強大な力を手に入れたとしても、その一線だけは、決して越えてはならんぞ。肝に銘じておけ。」
幼い日の俺は、外祖父のこれらの教えを、完全に理解できていたわけではなかった。悪者を打ち倒すことこそが、武術を身につける唯一の理由だと、単純に考えていたのだ。しかし、外祖父の繰り返し語る言葉は、時を経て、俺の心の奥底に深く根を下ろすことになった。暴力や力で相手をねじ伏せるのが、常に正しい解決方法ではないということ。そして、独りよがりの正義感ほど、人を危険な道へと誘うものはないということ。外祖父は、まだ幼い俺にも理解できるように、根気強く、何度も同じことを言い聞かせてくれた。
しかし、振り返ってみると、そんな外祖父と外祖母との質素な共同生活こそが、俺にとって何よりもかけがえのない時間だった。他の子供たちと比べれば、毎日四時間以上に及ぶ厳しい鍛錬は決して楽ではなかったけれど、不思議と心から楽しみながら取り組んでいた。外祖父と一緒に時代劇を見ては、「余の顔を見忘れたか」という悪役のセリフに笑い、「上様と太刀交えるは武門の誉れ」という武士の誇りに胸を熱くしながら、 純粋な心で物語の世界に浸っていた。
だが、そんな穏やかな日々は、突然終わりを告げた。両親が、成長した俺を引き取りに来たのだ。庭のガジュマルの枝葉が風に揺れる優しい音は遠ざかり、俺の周りの全てが、音を立ててひっくり返った。
人間なんて、どこへ行っても大体こんなものだろうと、若い頃は漠然と思っていた。外祖父の温かい膝に寄り、道場の庭に悠然と枝葉を広げる巨大なガジュマルの葉擦れの音が、夕暮れの静寂に響く中で、ふとそんな言葉が心に落ちてきた。そのガジュマルは、米軍が駐留していた頃に兵士が植えたものだと聞かされた。外祖父は、その木陰に置かれた涼み台に腰を下ろし、紫煙をくゆらすのが何よりも好きだった。
「彦人、お前は、この島の連中とは少し違う。繊細で、優しくて、そして少しばかり気が弱い。このままでは、人生で苦労が絶えないだろう。わしが、鍛えてやる。」——低いけれど、深く響く声が耳元で囁き、皺だらけの温かい手が、俺の幼い肩をそっと叩いた。まだ外の世界のことなど何も知らない八歳前の俺にも、その言葉は不思議なほど鮮明に胸に突き刺さり、深く刻まれた。
貧しさが、若き日の両親を追い詰めていた。特に母が強く決意したのだ。俺を、古武術の道場を営む外祖父に預け、育ててもらう、と。汗と埃の匂いが染み付いたその古い建物は、遠い昔、日本人がこの島に流れ着いた時に建てられたと伝えられている。一番弟子であった外祖父が、長年の修行の末に免許皆伝を受け、その道場を受け継いだのだ。
鋭い金属音が空気を切り裂き、刀が鞘から滑り出る。薙刀が風を巻き起こし、槍の穂先が床を力強く突く。使い込まれた棒が手に吸い付くように馴染み、鍛えられた空手の拳が虚空を打ち砕く。柔術では、二つの体が絡み合い、呼吸すら忘れるほどの緊張感が漂う。研ぎ澄まされたナイフが、まるで生き物のように指先で舞い、冷たい光を放つ手裏剣が、寸分の狂いもなく標的を射抜いた。外祖父の大きく温かい手が、まだ力の弱い俺の腕を取り、正しい型へと導いてくれる。稽古に励むうちに、汗が畳の上にぽたりと落ちた。
稽古の合間の休憩時間や食事の時、外祖父はよく俺と一緒にテレビで時代劇やチャンバラ番組を見ていた。画面の中では、刀と刀が激しく火花を散らし、役者の熱のこもった叫び声が部屋に響き渡る。
「ねえねえ、爺ちゃん、この中で一番悪い人は誰なの?」
「将軍様って、いつも正義の味方なんだよね!」
「悪いお代官様は、斬っちゃってもいいんだよね!」
子供らしい素朴な疑問にも、外祖父はいつも真剣な眼差しで、丁寧に、そして時には少し説教じみた口調で答えてくれた。
「彦人よ。チャンバラは、あくまでも物語の世界のことじゃ。暴力で誰かを屈服させれば、全てが丸く収まるなどと、決して思ってはならん。」
「真の強者とは、己自身を守る力を持つ者、そして、その力で自分よりも弱い者を守る義務を負う者のことじゃ。誰かを一方的に悪と決めつけ、裁こうとするのは、わしらのような一般の者の仕事ではない。」
「己こそが正義であると、驕り高ぶってしまったら、人はどんな恐ろしい悪魔にだって成り得るのじゃ。いかに強大な力を手に入れたとしても、その一線だけは、決して越えてはならんぞ。肝に銘じておけ。」
幼い日の俺は、外祖父のこれらの教えを、完全に理解できていたわけではなかった。悪者を打ち倒すことこそが、武術を身につける唯一の理由だと、単純に考えていたのだ。しかし、外祖父の繰り返し語る言葉は、時を経て、俺の心の奥底に深く根を下ろすことになった。暴力や力で相手をねじ伏せるのが、常に正しい解決方法ではないということ。そして、独りよがりの正義感ほど、人を危険な道へと誘うものはないということ。外祖父は、まだ幼い俺にも理解できるように、根気強く、何度も同じことを言い聞かせてくれた。
しかし、振り返ってみると、そんな外祖父と外祖母との質素な共同生活こそが、俺にとって何よりもかけがえのない時間だった。他の子供たちと比べれば、毎日四時間以上に及ぶ厳しい鍛錬は決して楽ではなかったけれど、不思議と心から楽しみながら取り組んでいた。外祖父と一緒に時代劇を見ては、「余の顔を見忘れたか」という悪役のセリフに笑い、「上様と太刀交えるは武門の誉れ」という武士の誇りに胸を熱くしながら、 純粋な心で物語の世界に浸っていた。
だが、そんな穏やかな日々は、突然終わりを告げた。両親が、成長した俺を引き取りに来たのだ。庭のガジュマルの枝葉が風に揺れる優しい音は遠ざかり、俺の周りの全てが、音を立ててひっくり返った。
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