「刀には竜、花は咲かず」~孤独なおっさん武術家と毒舌アイドルの異世界タッグ~

アサバハヤト

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第三章 花の卷 嵐の前の静けさ

3-25 奢り

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 成人男性をまるで玩具のように投げ飛ばした女将は、まるで何事もなかったかのように、両手で服のホコリを払う。足元では、フレデリックが白目を剥いたまま床に転がり、微かに痙攣している。

 その姿を見下ろしながら、女将は静かに口を開いた。

 「……さて。傷つくかと思って今まで黙っていたけど、最後に教えてやろうか。」

 その声音は、突き放すでもなく、かといって優しさがあるわけでもなかった。ただ、事実を語る者の冷徹な調子。

 「お前を雇ってオーラヴを降板させたのは、べつにお前のほうが“うまい”からってわけじゃない。あいつが、単に未熟すぎたんだよ。どこかの娘さんに片想いしてるらしくてね。恋バナばっかり歌いやがるから。」

 ちらり、と彼女の視線が俺の隣にいたシーリスへと向く。彼女は苦笑を浮かべて肩をすくめた。思い当たる節があるのか、妙に潔い。

 女将は続ける。

 「……まあ、客を見ずに歌うって点では、同じヘタレだったかもしれない。でも、お前のほうがまだ技術はあった。それだけの理由さ。私だって、あのナンパ詩人をなんとかしろって、最近クレーム山ほど受け取っててね。うんざりしてたんだよ、本当に。」

 そこで、女将はわざと軽やかな足取りでフレデリックのそばにしゃがみこみ、ゆっくりと、耳元に囁くように言った。

 「本当は、もっとまともな歌い手を見つけたら、すぐにでもお引き取り願うつもりだった。でも……おかげさまで、もう待たなくても良さそうだね。」

 満面の営業スマイルで、最後に一言。

 「ご苦労さん。旅費出してやるから、明日はもう来なくていいよ。」

「う……ううう……わあああああああああああっ!!」

 床に転がるフレデリックが、突然両手で顔を覆い、しゃくり上げながら泣き出す。もはや憤怒も羞恥も通り越し、自尊心を根こそぎえぐり取られたような、幼児のような泣き声だった。

 その場にいた誰もが、言葉を失っていた。場内に響くのは、彼の嗚咽だけ。

 なるほど、これが「暴力でも、言葉でもない戦い方」か。

 気づけば、俺は唸るようにそう呟いていた。

 さっきまで喚いていたフレデリックは、まるで壊れた人形のように倒れたまま。場内は沈黙していて、ただ女将の足音だけが響いていた。あまりにも急展開すぎて、頭がついていかない。

 ふと視線を巡らせると、ステージにまだ立ち尽くしている瑚依と目が合った。彼女の表情――まるで「なんでこんなことになってるの?」と聞きたげな、ポカンとした顔だ。たぶん、俺も似たような顔してると思う。

 ……思えば、ボコボコにされたほうが、あの野郎にとってはまだ幸せだったかもしれないな。

 「さて、ブリョルフ! おい、ブリョルフ! 聞いてるか!」

 女将の声が場内に響いた。すぐに、「あいよ」と低く返す声。

 ブリョルフと呼ばれる大男が無言のままステージに上がり、片手でリュートを拾い、泣きじゃくるフレデリックの身体を「よいっしょ」と軽々と抱きかかえた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を見ても、特に驚くでもなく、淡々と作業をこなすのが彼らしい。

 「そいつを部屋まで運んでやれ。顔洗わせて、荷物の支度も手伝ってやんな!」

 「……裏ドアから投げ出したほうが、早くねぇか?」

 「冗談よしな。こっちだって鬼じゃないのよ。」

 女将が肩をすくめる。皮肉交じりの微笑みだったが、どこかにほんの少しだけ、情けの色も滲んでいた。

 「最後の一晩だ。……せめて、ゆっくり寝かせてやれ。」

 「了解、ボス。」

 ブリョルフは短くそう言うと、ひとつ深く息をつき、暴れもしない男を背に抱えて、奥の廊下へと消えていった。まるで、いつもの日常業務の延長かのように。

 そんな彼の背中を、誰もが黙って見送った。やがて、ぽつぽつと囁きがあちこちで漏れ始める。

 「セリャーナの姉貴、やべぇな……」 「女将さん、昔、帝国の秘密部隊だったって噂、マジなんじゃね?」 「嘘だろ。帝国なんてもう空っぽだろ? 二百年前に魔神キャドノイアムが帝都アズラを半壊にしてから、名前だけの亡霊国家じゃねえか」 「……だからこそ、影に潜む連中がいるって話さ。生き残った“戦鬼”とか、 “黒の紋章”とか」

 そんな飛び交う憶測を、ぱち、ぱち、と静かに打ち消すような拍手が響く。

 その場にいた全員の目が、音の主――セリャーナに向いた。

 女将は、まるで何事もなかったかのように整った姿勢のまま、変わらない営業スマイルを浮かべていた。息ひとつ乱れていない。だが、その場にいた誰もが、彼女がさっきまで人一人を吹き飛ばしていた事実を、忘れようがなかった。

 「……まったく、せっかくの夜に、こんな茶番を見せて悪かったな。皆さん。」

 その声は静かで、けれど不思議と遠くまで届いた。誰も、言葉を挟もうとしない。

 「お詫びに、今夜の酒と料理、ぜんぶ――私の奢りだよ。思う存分、楽しんでってくれ!」

 一拍の間を置いて――

 「うおおおおお!!!」
 歓声が酒場を揺らした。

 「セリャーナの姉貴に、乾杯!!」
 「勇敢な、ちっこい姫戦士に乾杯!」
 「いやぁ……マジで久々にスッキリしたわ!」
 「ほんと、あのフレデリック野郎のせいで来るの迷ってたんだけど……来てよかったわ!」

 ジョッキがぶつかり、グラスが掲げられ、笑い声が戻ってくる。誰もが、久々の“心からの祝杯”を噛みしめているようだった。
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