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第三章 花の卷 嵐の前の静けさ
3-24 合気道
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女将が手を挙げると、さっきまでの怒号がすっと引いて、場内が静まった。
「さて、君に問おうか。」
女将は静かに瑚依の方へ向き直った。口調は穏やかだが、その眼差しは鋭く、真剣だった。
「君は、なぜ……さっきの曲を歌おうと思った? 相手が挑発を込めて歌ってきたなら、それなりに仕返しする方法もあったはずだ。君の腕前なら、罵倒に罵倒で返すこともできたろう?」
瑚依はしばし黙って、ほんの少しだけ視線を泳がせた。そして、ためらいがちに、けれど自分の言葉で丁寧に語り出した。
「……えーとね。私、まず……この場にいるお客様たちが、どんな人たちなのか、ちゃんと観察してたの。」
まるで内緒話を明かすように、瑚依は言葉を選びながら続ける。
「あの野郎……たしかに下品だったし、嫌な気持ちにもなったけど……でも、うまかったのは事実なの。だけどね、私……お客様たちの反応とか、ちょっとした呟きとかを聞いてて、すぐに分かったの。」
彼女の声は決して大きくなかった。けれど、そのまっすぐな言葉は、なぜかすっと胸に入ってきた。
「この場にいる人たちって……たぶん、戦士だったり、旅人だったり、いろんな思いを抱えてここに来てて。だから……ラブソングとか、誰かを罵るような歌より、きっと……元気が出るような歌の方が、嬉しいんじゃないかな、って……思ったの。」
言葉の最後は、まるで自分の予想が的外れだったらどうしようとでも言うかのように、声が小さくなった。
けれど、その説明は、あまりにも純粋で、あまりにも誠実で……誰の耳にも、彼女が嘘偽りのない本心を語っているのが、はっきりと伝わった。
沈黙。
そして――
「……いい子じゃねえか!」
「そうだよ、あんたの歌、沁みたよ!」
「ありがとな、空人の姉ちゃん!」
再び場内が拍手に包まれる。
今度は怒りや勝ち負けの感情ではなく、ただただ、彼女の歌と心に対する――感謝と称賛の音だった。
「……だそうだ。『本物の詩人』との格差、思い知ったか?」
女将が、呆けたように立ち尽くすフレデリックに向けて淡々と告げる。その声音に、嘲りはなく、ただ冷然たる事実だけが込められていた。
「私だってね、商売人だから。あんたの腕前を否定はしないよ。技術も、声も、確かに一流だ。でも、それだけ。お客様の顔も見ず、心に寄り添う気もない吟遊詩人なんて、この酒場には必要ないさ。約束通り、今夜中に荷物をまとめな。明日の朝には、ここを出てもらう。」
その言葉に、フレデリックが唇を噛み、次いで低く、震えるような声で呟いた。
「……インチキだ、そうだ、これはインチキだ……」
その声は、怒りに満ちているというより、もはや必死に自分を保とうとする、薄氷のような静けさだった。
「そうだ……お前が仕組んだに決まってる。最初から俺が彼女の挑発に乗るって分かってたんだろ? 全部、お前の仕込みだ……! 俺を陥れるための、見え透いた茶番だ!!」
彼の声が、次第に上ずり、叫びに変わっていく。
「このクソ酒場にいる連中、全員グルだろ!? お前ら、俺に嫉妬してるんだよ! 大学の連中と同じだ、俺が天才すぎるから、足を引っ張ろうって腹なんだ!」
フレデリックは観客席を指さしながら喚き散らす。
「芸術のかけらも知らねえ野蛮な猿どもに歌ってやったんだぞ! この恩知らずが! 猿は猿のままだ、どうせ分からねえよ、詩の深さも、人の魂も! お前らなんか――!」
「うわ……」松尾が呆れたように呟いた。「地上波アナログ放送が終了したせいで、誰にも使われなくなって捨てられたテレビみたいなやつだな。まるで自分だけはHDだと思ってる。」
「……どう見ても、猿はお前だろ。」
俺も思わず毒づく。女将が一歩踏み出して、凛とした声で告げる。
「いい加減にしろ。今なら、まだ場は収まる。これ以上、先祖の名を汚すような真似をするな。なんなら、旅費を出してやってもいい。」
「ふざけんなよ! たかが銅貨と銀貨で、俺の詩人としての誇りを買収しようってのか!?」
フレデリックの顔が、怒りで歪む。次の瞬間、叫んだ。
「そもそも、オーラヴとかいうヘタレを降ろして、俺を雇ったのはお前だろ! 今さら他人事みたいに突き放すなよ! 都合がよすぎるだろ!」
そして彼は、憎悪を剥き出しにして瑚依を指差す。
「なんだその歌! “昇る太陽”? ふざけんなよ! 二百年前から太陽が消えたのは、お前ら空人がこの地に現れてからだ! 太陽を語る資格なんか、お前らにはねえ! 太陽を返せ! 俺たちから奪ったすべてを返せぇぇぇっ!!」
その絶叫と同時に、フレデリックはリュートを高く掲げた。
――そして、女将の背後にいる瑚依に向かって突進する。
「俺の失ったものを、全部返せッ!!」
その刹那だった。
女将が動いた。
それは、俺の動体視力でもようやく捉えられるほどの速さだった。
彼女は熟練したステップでフレデリックの目前に滑り込み、リュートを握った腕を捻り、腰をひねるように回転。そのまま彼の手から楽器を奪い――
「離せッ! このアマアアアァッ!!」
フレデリックが叫んだ瞬間、彼の体が宙を舞った。
一回転しながら、頭から地面に叩きつけられた。
ドッ――という乾いた音とともに、酒場全体が凍りつく。
誰もが目を見開き、声も出ない。
俺がぽつりとつぶやく。
「……おい、見たか」
隣の松尾がゆっくりと目を細め、頷いた。
「……ああ。若干、荒削りだが――まぎれもなく、合気道だな」
「さて、君に問おうか。」
女将は静かに瑚依の方へ向き直った。口調は穏やかだが、その眼差しは鋭く、真剣だった。
「君は、なぜ……さっきの曲を歌おうと思った? 相手が挑発を込めて歌ってきたなら、それなりに仕返しする方法もあったはずだ。君の腕前なら、罵倒に罵倒で返すこともできたろう?」
瑚依はしばし黙って、ほんの少しだけ視線を泳がせた。そして、ためらいがちに、けれど自分の言葉で丁寧に語り出した。
「……えーとね。私、まず……この場にいるお客様たちが、どんな人たちなのか、ちゃんと観察してたの。」
まるで内緒話を明かすように、瑚依は言葉を選びながら続ける。
「あの野郎……たしかに下品だったし、嫌な気持ちにもなったけど……でも、うまかったのは事実なの。だけどね、私……お客様たちの反応とか、ちょっとした呟きとかを聞いてて、すぐに分かったの。」
彼女の声は決して大きくなかった。けれど、そのまっすぐな言葉は、なぜかすっと胸に入ってきた。
「この場にいる人たちって……たぶん、戦士だったり、旅人だったり、いろんな思いを抱えてここに来てて。だから……ラブソングとか、誰かを罵るような歌より、きっと……元気が出るような歌の方が、嬉しいんじゃないかな、って……思ったの。」
言葉の最後は、まるで自分の予想が的外れだったらどうしようとでも言うかのように、声が小さくなった。
けれど、その説明は、あまりにも純粋で、あまりにも誠実で……誰の耳にも、彼女が嘘偽りのない本心を語っているのが、はっきりと伝わった。
沈黙。
そして――
「……いい子じゃねえか!」
「そうだよ、あんたの歌、沁みたよ!」
「ありがとな、空人の姉ちゃん!」
再び場内が拍手に包まれる。
今度は怒りや勝ち負けの感情ではなく、ただただ、彼女の歌と心に対する――感謝と称賛の音だった。
「……だそうだ。『本物の詩人』との格差、思い知ったか?」
女将が、呆けたように立ち尽くすフレデリックに向けて淡々と告げる。その声音に、嘲りはなく、ただ冷然たる事実だけが込められていた。
「私だってね、商売人だから。あんたの腕前を否定はしないよ。技術も、声も、確かに一流だ。でも、それだけ。お客様の顔も見ず、心に寄り添う気もない吟遊詩人なんて、この酒場には必要ないさ。約束通り、今夜中に荷物をまとめな。明日の朝には、ここを出てもらう。」
その言葉に、フレデリックが唇を噛み、次いで低く、震えるような声で呟いた。
「……インチキだ、そうだ、これはインチキだ……」
その声は、怒りに満ちているというより、もはや必死に自分を保とうとする、薄氷のような静けさだった。
「そうだ……お前が仕組んだに決まってる。最初から俺が彼女の挑発に乗るって分かってたんだろ? 全部、お前の仕込みだ……! 俺を陥れるための、見え透いた茶番だ!!」
彼の声が、次第に上ずり、叫びに変わっていく。
「このクソ酒場にいる連中、全員グルだろ!? お前ら、俺に嫉妬してるんだよ! 大学の連中と同じだ、俺が天才すぎるから、足を引っ張ろうって腹なんだ!」
フレデリックは観客席を指さしながら喚き散らす。
「芸術のかけらも知らねえ野蛮な猿どもに歌ってやったんだぞ! この恩知らずが! 猿は猿のままだ、どうせ分からねえよ、詩の深さも、人の魂も! お前らなんか――!」
「うわ……」松尾が呆れたように呟いた。「地上波アナログ放送が終了したせいで、誰にも使われなくなって捨てられたテレビみたいなやつだな。まるで自分だけはHDだと思ってる。」
「……どう見ても、猿はお前だろ。」
俺も思わず毒づく。女将が一歩踏み出して、凛とした声で告げる。
「いい加減にしろ。今なら、まだ場は収まる。これ以上、先祖の名を汚すような真似をするな。なんなら、旅費を出してやってもいい。」
「ふざけんなよ! たかが銅貨と銀貨で、俺の詩人としての誇りを買収しようってのか!?」
フレデリックの顔が、怒りで歪む。次の瞬間、叫んだ。
「そもそも、オーラヴとかいうヘタレを降ろして、俺を雇ったのはお前だろ! 今さら他人事みたいに突き放すなよ! 都合がよすぎるだろ!」
そして彼は、憎悪を剥き出しにして瑚依を指差す。
「なんだその歌! “昇る太陽”? ふざけんなよ! 二百年前から太陽が消えたのは、お前ら空人がこの地に現れてからだ! 太陽を語る資格なんか、お前らにはねえ! 太陽を返せ! 俺たちから奪ったすべてを返せぇぇぇっ!!」
その絶叫と同時に、フレデリックはリュートを高く掲げた。
――そして、女将の背後にいる瑚依に向かって突進する。
「俺の失ったものを、全部返せッ!!」
その刹那だった。
女将が動いた。
それは、俺の動体視力でもようやく捉えられるほどの速さだった。
彼女は熟練したステップでフレデリックの目前に滑り込み、リュートを握った腕を捻り、腰をひねるように回転。そのまま彼の手から楽器を奪い――
「離せッ! このアマアアアァッ!!」
フレデリックが叫んだ瞬間、彼の体が宙を舞った。
一回転しながら、頭から地面に叩きつけられた。
ドッ――という乾いた音とともに、酒場全体が凍りつく。
誰もが目を見開き、声も出ない。
俺がぽつりとつぶやく。
「……おい、見たか」
隣の松尾がゆっくりと目を細め、頷いた。
「……ああ。若干、荒削りだが――まぎれもなく、合気道だな」
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