ワンダリング・ワンダラーズ!!

ツキセ

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一章

カオリマツを伐採しよう(1)

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 花崗岩の石斧の製作が完了したので、その性能を実際に試してみることにする。
 対象となる木は、カノンの拠点のすぐ近くにある、葉っぱを削ぎ取らせてもらったカオリマツの木だ。

「あれ、なんか、暗い……?」

 カノンの脱出ポッドのハッチを開いて外に出る。
 風はなく、まるでまとわりついてくるかのような――なまぬるいというには少しだけ冷たい空気。
 セドナはいま、夜だ。
 たしかに夜なんだが――目の前にあるカオリマツの樹林が、暗闇に沈んでぼやけて見える。
 目を凝らしてもなお、樹々の輪郭がはっきりしない。
 ……なんだろう。2日目に夜目を取得した時よりも――

「フーガくん、夜目、付け忘れてる?」
「あ、そうか」

 そういや岩壁方面の散策を行った時から、技能スロットを弄っていないんだったな。


 *────


 技能というのは取得しているだけでは機能しない。
 「武器や防具は装備しないと意味がないよ」という奴だ。
 拠点にいるときくらい、すべての技能効果を常時適用してくれてもいいのに……と思うかもしれない。
 だが技能スロットにセットしないと技能は効果を発揮しないというのは、プレイヤーにとって都合のいい面もある。

 たとえば「この黒い服は夜闇の中でどう見えるか」みたいな調査をしたいとき、【夜目】が常時効果を発揮してしまうと、拠点から出ないと調査できなくなってしまう。
 また、たとえば「この植物は人体に有害か」を試したいときに、【耐毒】を持っているプレイヤーは、その毒の効果を拠点内では正しく調べられなくなってしまう。

 要するに、場合によっては技能に効果を発揮してほしくないようなときもある、ということだ。
 そういうときは、単に技能スロットに技能をつけなければいいようになっている。
 最初は面倒に思うかもしれないが、技能スロットまわりの仕様は意外とプレイヤーにとって都合よくできている。


 *────


 カノンに言われて夜目を外していることに気づき、仮想端末を展開、夜目を技能スロットに――

「……いや、やっぱり暗いんじゃないか?」
「えっ、――あ。でも、確かにいつもより暗い、かも」

 いぶかるようなカノンの声を聴きつつ、頭上の空を仰ぐ。
 そこには、満天の星を抱くセドナの夜空が――見えない。

「……曇ってきてる、か?」
「……ほんとだ。星、見えないね」
「星明りがないから、夜目があってもちょっと視界が暗いんだな」

 【夜目】が行うのは視神経の強化。
 光量が減れば、当然夜でもものは見にくくなる。

「でも、視界が効かないほどではない、かも?」
「どれどれ」

 俺も技能スロットに【夜目】をつける。
 ついでに残りも【運搬】【危機感知】【聞き耳】【測量】に入れ替えておく。
 そうして改めて、暗闇に沈んだ世界を視れば――

「……確かに、これくらいなら探索に支障はないか」

 夜目によって、カオリマツの樹林帯をある程度先まで見通せるようになった。
 そのまま空を仰げば、そこには空を薄く覆う曇天の夜空。
 俺とカノンがこの世界を離脱している間に、どうやらセドナは晴れから曇りに天候が変わりつつあるようだ。
 岩壁付近の散策から半日以上経過しているから、急激な変化というわけではない。

「雨、降りそう、かな」
「んー、わからん。雲は流れてるみたいだが……」

 セドナに降り立ってはじめての、快晴以外の天候だ。
 どのように天候が変わるのかはまだわからない。

「……雨が降る前に伐採作業に取り掛かれたと思えば、これも僥倖、か」

 雨の中伐採作業をするのは流石に気を遣う。
 夜の中やるのもどうかって話だが、【夜目】もあるので問題ない。
 天気が荒れる前にやってしまおう。


 *────


 さて、気を取り直して……カオリマツの伐採に取り掛かろうか。
 花崗岩の石斧を片手に引っ提げ、カノンの脱出ポッドから数メートル離れたところにある、カオリマツの木のもとへ向かう。
 この木は以前、精油を抽出するために葉っぱをもがせてもらった木だ。
 約束通り、余すとこなくいただこう。

「この木を切り倒すぞ」
「40cmくらい、ある?」

 カノンの言う通り、目の前に立つカオリマツの幹の横幅は40cmほど。
 抱きつくように幹に腕を回せば、手のひら同士が重なりあう程度の太さの幹だ。
 腕の内側でささくれ立つ、ざらざらとした樹皮。
 息を吸い込めば、鼻腔をくすぐるカオリマツの香り。
 ……生きている、樹木だ。

「……いい香りがする」
「けっこう、太い、よね?」

 それでも、この樹林帯のカオリマツの中では平均的なサイズだ。
 針葉樹は細い幹が多いが、このカオリマツもそれに倣っている。
 少々太いが、これくらいなら、切り倒すのにも素材として使うのにも問題はないだろう。

「よっし、じゃあいくぞ。……カノンはちょっと離れててくれ。
 カノンもやってみたいなら、やり方見とくといい」
「んっ。やってみたいから、見ておく、ね」

 倒す方向は……脱出ポッドに対してだいたい平行に、でいいか。
 倒れる可能性がある方向に障害物はなし。
 他のカオリマツに接触するようなこともなさそうだ。
 破片が飛び散って危ないのは……俺だけか。

「斧振るぞー」
「いい、よっ」

 いつかやったように、両手を上下にずらして革のグリップを持ち。
 握り締めるのではなく、手のうちに自然に収めるようにして。
 水平に振るのではなく、幹に対してやや斜めに刃が当たるようにして。
 我武者羅に叩きつけるのではなく、遠心力、自然な力の流れを意識して。

 あら、よっ――


  ッコ――――ンっ


「おお……いい音するじゃん」

 耳を打つ、澄んだ快音。
 バッティングセンターというものに行ったことはないのだが、クリーンヒットしたときってこんな感じの手応えなんだろうか。

 快音を響かせて石斧を受け止めた木の幹を見る。
 花崗岩の石斧は、幹に1cmほど食い込んで止まったようだ。
 石刃は先端から徐々に太くなるように成形してあるので、少し揺すればそのまま幹から外れてくれる。
 斧が食い込んだ部分に目を近づけて見てみれば、周囲の樹皮はほとんど破砕されていない。
 つまり石刃は、周囲に余計な衝撃を逃がさず、まっすぐに突き刺さったということ。
 まるで鉄鉈を叩きつけたかのような切れ込み。

「あんまり、深く、切れなかった?」
「いや、いやいや。違うぞカノンさん。むしろ切れすぎなくらいだ」

 ……なんだこの石斧。切れ味が良すぎる。
 原始林業的な石斧による伐採って、本来あれだぞ。
 熊が木の幹をパンチしたような擦過傷を繰り返しつけて、徐々に掘り進めるような作業だぞ。
 その作業は、伐採というよりは掘削と呼ぶ方がいいくらいの実に強引なものなのだ。
 だが俺の目の前にある傷痕は、紛れもなく刃による切れ跡。
 恐ろしすぎるわ、グラナイトアクス。

 カノンが近くに来ていないのを確認して、再びのスイング。
 木の幹についた小さなV字の切れ込み付近目掛けて、石斧を振るう。

  ッッコ――――ンっ

 再びの快音。先ほどの音よりは少しだけ詰まったような音。
 どうやら切れ込みを綺麗に捉えることができたようだ。
 やけに狙いが正確に決まる。
 文字通り、昔取った杵柄ってやつかもしれない。
 あのときは千回以上は振った気がするからな……。
 地獄のような反復作業ってのは、たった一日でも人間の脳に刻まれるんだなぁ。

 再び幹を見れば、幹についた浅いV字型の切れ込みは更に深くなり1.5cmほどに。
 ……もう少しだけ深くするか。なんかこのまま切り込んで行けそうだし。
 ここまで切れ味がいいならば、打製石器を用いた原始林業的な伐採の仕方ではなく、まともな切り倒し方に倣う方がいいだろう。
 そうして再び、幹に刻まれた切れ込み付近を狙って、同じ角度を意識して十数回振る。

  カッコ――――ンっ ッコ――――ンっ

 やや左右にずらして、切れ込みが横に広く広がるように。
 流石に毎回ぴったりと同じ切れ込みを捉えられるわけではないが、切れ込みの深さは無事に3cmほどに達した。
 ここからはのこぎりなどを使って、切れ込みの先端まで別の部分から切ってやれば、簡単に切れ込みを広げることができる。
 切れ込みが広がれば、より切り込みを入れるのが簡単になる。
 だが、今はのこぎりがないので、自力で切れ込みを広げる必要がある。

 ここまでにつけた切れ込みよりも、やや下の位置に、やや水平に近づけた角度で石斧を振るう。

  ッコ――――ンっ  ッコ―――ンっ

 1度、2度、3度――

  ガコッッッッ

「お」

 どうやら行けたようだ。
 石斧を外して木の幹の一部を少し揺さぶれば、上下に切れ込みを入れられた部分が楔型に浅く欠け落ちる。

「カノン、こっち来てみ」
「んっ。もう、切れた?」

 カノンには悪いが、まだまだこれからだ。
 これからカノンに見せたいのは、原始林業的な伐採方法ではなく、ちゃんとした木こり斧を使った伐採の手順。

「ちょっとずらして、角度を変えて切れ込みを入れれば、こんな感じで木が欠ける。
 木の幹がぶい字に抉れるわけだな。包丁でV字に飾り切りするのと同じやり方。
 こうやって切れ込みを広げてしまえば、この先の狙いをつけるのが簡単になる。
 潰れた木の繊維が切れ込みに詰まって潰れて硬くなってしまうことも少ない。
 このあと、この切れ込みを広げながら、だいたい1/3くらいの深さまで切り込む。
 ここまでが、安全に木を切り倒すための下準備だ。
 ……ここまでに関しては、本当はのこぎりを使ってやるべきなんだけどな」

 この切れ込みは、木を倒すためのものではない。
 この切れ込み側に向かって、木が安全に倒れてくれるようにするためのガイド線だ。
 石工術の話に倣えば、このような切れ込みを作ることで、力学的に脆い部分を作るわけだ。
 そうしてあとは、この切れ込みの少し上あたりの高さを意識して、反対側からひたすら斧で叩いていけば、先に作っておいた切れ込み側に向かって木は自然に倒れてくれる。
 先に作っておくこの切れ込みは……たしか「受け口」とか言ったっけな。

「……難し、い?」
「ここまでの手順を斧でやるのは、ちょっと難しいかも」

 本来ならば、のこぎりがあると楽なんだがな。
 今現在のこの類がないから、こういうやり方で受け口を作らざるをえない。

「せっかくだし、カノンもちょっとやってみないか?
 この切れ込みをもう少し奥まで広げていくだけだから、案外できるぞ」
「えっ、でも……わたし、斧、振ったことない……かも」

 そりゃあ普通はないだろう。
 前作でも触覚は実装されていなかったから、自分の身体を使っての斧の振り方は誰もが未履修のはずだ。
 だが、身体の動かし方の見本としてはいい例がある。

「えーと、あれだ。前作で小夜が斧使ってたの覚えてる?
 あんな感じで、自分が動かしやすいように自由にやればいい」
「……あれ、木こりじゃない、よね?」
「まあ対象が木かそうじゃないかって話だから……。
 要するに、変にフォームを意識しなくていいってこと。
 木の幹についた切り口にまっすぐ刃先をぶつけられるなら、どんな振るい方をしてもいい」

 それでいいだろう。俺たちは別にプロの林業従事者じゃないからな。
 ここはゲームの中だ。
 どんな滅茶苦茶なフォームでも、最終的にその斧が対象に突き立てられればそれでいい。
 ……そう、あの小夜のように。

 あれ、やばかったなぁ。
 まるで台風のようだった。
 プレイヤーはプレイヤーを傷つけられないと知ってはいても、暴走中の小夜に接近すると生命の危機を感じざるを得なかったものだ。
 なんというか、稼働中のチェーンソーみたいというか……。

「……んっ、じゃあ、やってみる」
「気をつけてな」

 カノンに石斧を手渡すべく、カノンがいる脱出ポッドの方に向かう。

『新しい技能を取得しました。(2)』

 お、【伐採】来たか――いや、2つ?
 ―――――――――
 【 伐採 】new!!
 【 握力強化 】new!!
 ―――――――――
 ……ああなるほど、【握力強化】もこのタイミングで来たか。
 カノンに石斧を手渡しつつ。

「カノン、伐採と握力強化が出たぞ。
  この程度でも出るみたいだし、技能ないうちはあんまり本気で切り倒そうとしなくてもいい」
「わかった。でも、ちょっとやってみる、ね」

 石斧を受け取ったカノンは、握りの感触を確かめるように、革の巻きつけられた持ち手に手を這わせる。
 そうしてなにか確認できたのか一つ頷いて、俺が3cmほどの切れ込みを作ったカオリマツの木の傍に向かう。


「じゃあ、やってみる、ね」
「いいぞー」

 ちゃんと周囲の安全確認も行い、カノンが石斧を――

 ん、なんだあれ。
 カノンの姿勢は、たとえるなら、重たいものを両腕で引きずるときのように、身体を右後ろにねじり、斧の柄に添えた両腕を腰の後ろに回し、石斧のヘッドは地面につけたまま。
 斧が重いのか? ……いや、そんなことはないだろう。
 合計10kgの岩塊を運んだカノンだ。
 2kgあるかないかの石斧を重く感じるはずがない。
 訝しんでいる俺の前で、カノンは、

 ひねるように腰を戻し、
 両腕を伸ばしたまま前に引きつけ、
 当然石斧も合わせて引かれ、
 左足を踏み出し、
 そのまま肩を左に落とし、
 上半身を左下にねじり、
 腕に引かれた石刃は
 まるで半月を描くような軌跡で、
 カオリマツの切り口に――


  ッッッッッガッコ――――ン――――……


 ――突き刺さった。


「ッ――」
「お、おい、カノンっ!? 大丈夫かっ!?」

 慌てて駆け寄る。
 なんかすごい音したぞ!?
 いやそうじゃなくて、どこか切ったとか――

「……っ、ん、ごめん、フーガくん。だいじょうぶ、なの。
 ちょっと勢いをつけすぎて、腕の……すじ?が痛かっただけ、だから。
 どこも、切ったりはしてない、と思う」

 そう言って、自分の身体をあちこち確かめるカノン。
 確かに外傷はないように見える。
 遠目で見ていても、石斧のヘッド部分や柄がカノンの身体に当たったようにも見えなかった。
 だが――

「そりゃあ、あんなに勢いよく振ったら、さすがに身体を痛めるぞ」
「ん……、どのくらい力を籠めるか、迷った、から。
 小夜ちゃん、みたいに、やってみようかな、って」

 それを聞いて、俺は思わず頭の中で自分の頬を張る。
 ……そうか、そりゃあそうだ。
 自由にやればいいとは言ったが、例えが極端すぎた。
 あんな、全身を道具と一体化させて振り回すような挙動を見本にすれば、カノンが無茶をしてしまうのも無理はない。

「……ごめん。俺が悪かった。たとえが悪かった。
 小夜を引き合いに出したのは、振り方は自由でいいって意味だったんだ。
 カノンは、カノンがやりやすいような仕方で振ってくれればいい」

 謝罪する俺に対して、しかしカノンは首を横に振る。

「ん、フーガくんの言いたいことは、伝わってた、よ?
 わたしの、一番振りやすいやり方が、さっきみたいな感じだった、だけ。
 だから、フーガくんのせいじゃ、ないよ?」

 俺を気遣う、カノンなりの強がり。 ……じゃない、な、これは。
 どうやらカノンが振りやすいやり方を選ぶと、あの振り方になるらしい。

 ……。

 前から思ってたけど。
 カノンって、運動は好まないけど。
 身体の使い方は、上手いんだよな。
 勢いが良いというか、躊躇いがない。
 丸太橋を渡るのも。
 2mほどの岩塊の段差を乗り越えるのも。
 こうして斧を振るうのも。

 小柄なアバター。
 俺よりも、そうした行為の難易度は高いはずなのに。

 考えてみれば、それって。
 カノンが、あの岩壁の階段を、なんの迷いもなく登れたのと。
 もしかして、同じ理由なんじゃないか。

 ……。


「……カノン。
 カノンがやりやすいような仕方でやるのが、一番いいと思う。
 だけど……あんまり……無茶は、駄目だぞ。
 この世界は、フルダイブ、なんだから」

 ――駄目だ。
 この理由は、弱い。
 この言い方では、きっと彼女は止まらない。
 彼女は――止まることができない。

 だけど、彼女は、少し困ったような笑顔を浮かべて、

「ん。わかった。ありがとう。 ――気を付ける、ね?」

 そう言って、俺の言葉に頷いてしまうから。
 俺はそれ以上、なにも言えない。

 彼女から目を逸らすように、カオリマツの幹を見れば。
 叩きつけられた石斧が、深々と、木の幹に食い込んでいる。
 


 その傷は、深い。
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