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一章
二人歩く時間(1)
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謎の傷跡が残る樹の付近に、特に問題なく2つ目の筌を仕掛け終え、再び川の遡上を開始する。
りんねるらしき人物が目撃されたという「セドナ川下流域湾曲部付近」までは、まだしばらく距離がある。
景色の変化は乏しく、植物に覆われた川沿いの道は歩きやすい。
実にのんびりとした道中だ。
「あんまり、他のプレイヤーに出逢わない、ね?」
「いま、平日の昼間だしな」
マキノさんと出逢ったのは土曜の夜。
モンターナと出逢ったのは日曜の昼。
休日は昼夜を問わず多くのプレイヤーと出逢う機会があるだろうが……
平日の昼ともなれば、必然ダイブインしているプレイヤーも減るだろう。
この時間帯にプレイしている層は、フリータイムワーカーか、夜間勤務か。
俺のように休みを取っているか、それともいまだ長期休暇中の大学生か。
……考えてみると、けっこういるな。
通常のオンラインゲームなら、平日昼間でも多くのプレイヤーに出逢うことがあるのだろうが、このゲームは着陸地点ごとにプレイヤー人数が分割されている。
このセドナに存在しているプレイヤーは、いまだ100人に満たない。
そのうちのいったい何パーセントが平日昼間にダイブインできる有閑プレイヤーなのかを考えれば、プレイヤーに出逢わないのもむべなるかなと言ったところだろう。
今現在、この広大なセドナ内部で活動しているプレイヤーは……いったい何人くらいなんだろうな。
この現状は、決してこのゲーム自体が過疎っているわけではないと思う。
なにせゲーム開始直後の時点でも……たしか672地点だったかな、それくらいの数の着陸地点に分かれていた。
それぞれの着陸地点に平均100人ぐらいが降り立っているのだとしたら、ゲームをはじめたプレイヤー全体の母数は7万人近くということになる。
それに、672地点というのはあくまでゲーム開始時に提示された数だ。
恐らくはプレイヤー数の増大に応じて増えていき、今では四桁以上になっているのではないかと思う。
となると、このゲームをはじめたプレイヤーの人数は六桁に上るかもしれないということだ。
高価なフルダイブシステムデバイスと年齢制限という二重の篩に掛けられたうえでそれだけの人数にプレイされているのなら、滑り出しは好調といったところなのではないだろうか。
……いや、あくまで俺に見えているデータからの推測だけどな。
なかにはプレイヤーが早々に脱落しまくった過疎っ過疎の拠点とかあるかもしれない。
ここセドナがそうでないことを祈る。
MMOを謳っておいて他のプレイヤーと遭遇しにくいのは果たしてどうなのかという横やりが入るかもしれないが、それはこのゲームの設定上ある程度許容されるべき部分だろう。
それにこのゲームの序盤はマルチ要素のあるサンドボックスゲームみたいなものだしな。
人との出逢いももちろん楽しいが、ソロプレイでもまったく問題はない。
人によっては最後までソロプレイし続けることもあるだろう。
「……あ、れ?」
「どした、カノン」
このゲームのプレイヤー問題について少々考えていると、なにかに気が付いたかのようにカノンが声を挙げる。
「きょーじゅを探すのが、今回の目的、だけど。
きょーじゅって、お昼の間は、ダイブイン、してる? ……今日、平日だけど」
「……良いところに気づいたな、カノン」
うむ、実はそうなのだ。
モンターナは今日の朝に俺たちにメッセージを送ってくれた。
彼は社会人だと思うので、送ってくれたのは恐らくは出勤前だろう。
では、俺たちが探そうとしているりんねるはどうなのか。
「もうちょっと、拠点でゆっくりしてから、出発してもよかった?
今日の夕方以降に、探した方がよかった、かも」
「それでもよかったんだが、今回早めに出発した理由は3つある」
彼……いや彼女なんだっけ、彼女は平日昼間にダイブインしているような人種なのか。
もしそうでないなら、俺たちはちょっと出発を逸りすぎたのではないか。
結論から言えば、別にそんなことはない。
そもそもそのあたりも織り込んで、俺たちは早めにりんねる探しの道中に出たのだから。
「1つ目には、今回の探索の目的には食料探しも含まれるってことだな。
マキノさんには悪いが、見つかるかどうかわからないりんねる探しを探索の主目的に据えるのはちょっと厳しい。
それならいっそ、食料探しをメインにして、そのついでにりんねるに出逢えたらいいなってのが今回の基本姿勢だ」
「……たしかに、待ち合わせとかしてるわけじゃ、ないもんね」
「だから、りんねるに逢うためだけに出発を後らせる必要はなかった。
遅らせた結果、食料探しが十分に行えなくなったら本末転倒だしな」
たとえりんねるがダイブインしているとしても、この広いセドナにおいて、りんねるとばったり出くわせる確率はかなり低いだろう。
ましてや、りんねるがまだ目撃された地域に留まっているかどうかもわからないのだ。
それならいっそ、出逢えたらいいくらいの気持ちで予定を組めばいい。
今回は「セドナ川下流域湾曲部付近」を中心にして、あちこちふらつきながら食料探しをしていればいいということだ。
「で、2つ目の理由。
たぶん、りんねるはいまもこの世界にダイブインしている」
「えっ。でも、りんねるさんって、たぶん……大人、だよね?」
「ああ、恐らくは論壇の方だからな。
だが、だからこそ今の時期は時間が使える可能性がある。
なにせ世間の大学の多くは、まだ夏季休暇中だからな」
「あっ……そっか。きょーじゅって、どこかの大学の教授さん、なのかな?」
「うむ。マキノさんの口ぶりからしても、たぶんそうだ。
で、今の時期は、取り急ぎの原稿でもない限りは時間を作れるんだと思う。
実際どうなのかは知らんが、とにかく時間を捻出してこのゲームをやっている」
「……どうして、そこまで言える、の?」
「マキノさんが言ってただろ。『りんねるに連絡がつかない』って。
仕事で出勤してるなら、同僚のマキノさんの連絡を無視するなんてしないだろ。
連絡がつかないってことは、なにかに集中してるってこと。
で、そのなにかってのはたぶん、このゲームなんじゃないか」
あの人は破天荒で横紙破りで泰然自若とした人ではあったが、決して自分勝手な人ではなかった。
だから、マキノさんとりんねるが不通状態のままである以上、りんねるはこの世界にどっぷりの可能性が高い。
平日昼間のゲーム漬けライフも、受け持つ講義もゼミもない夏季休暇中なら、決して無茶な話とは言えないだろう。
……学会や雑誌の論文原稿や事務仕事は知らない。
たぶん俺みたいに、事前に手回ししてあるんだろう。そう信じよう。
「じゃあ、今も?」
「うん。平日昼間のこの時間も、この世界に降りているんじゃないかな」
マキノさんの「まだ連絡がついていない」というこぼれ話と、もしもりんねると連絡がついたのならマキノさんは俺たちに連絡してくれるはずだという期待に基づいた、確度の低い推測だが、決してありえない話ではないと思う。
畢竟、今もりんねるがダイブインしている可能性はある、という程度の話だ。
とはいえ、それでりんねるに出逢えるのかと言えば、それはまた別の話。
先に言った通り、目撃された地点にりんねるが留まっているかどうかはわからない。
移動するのはもちろん、たとえばりんねるがこの世界で寝落ちして、強制ダイブアウトか死に戻りの憂き目に合っている場合も出逢えないだろうしな。
つまり、もともと俺たちがりんねると出逢える可能性というのはかなり低いのだ。
それならなお一層のこと、りんねる探しを主目的に据えるのは難しいだろう。
そういうわけで、早めに出発して、りんねるという徘徊型レアキャラクターとのエンカウント率を少しでも稼ぎつつ、食料源の確保を達成しようというのが今回の平日昼間発の理由だ。
「ってなわけで、別に早めに出発してもよかったってわけだ」
「んっ。わかった。……きょーじゅ、逢えると、いいね?」
「なんとなーく、逢えそうな気はするな。根拠も何もない、ただの勘だが」
なんというか。
あの人は、俺の変人センサーにひっかかるからな。
あの人が存在した場所に、何の痕跡も見出せないということはない気がする。
*────
りんねるについての幾つかの推測を述べて、俺はそこで話を結ぶ。
さっきは少々口を滑らせたが、……これだけ説明すれば十分だろう。
「まぁそんなわけで、りんねるに関しては深く気にしなくていいと思うぞ。
……とにかくいまは食料だ。食料を探そう。魚取ろうぜ、魚」
「んっ。……でも。まだ、ある?」
「うん?」
「フーガくん、3つ理由があるって、言ったよね。早めに出発した、理由」
「うっ。……よく聞いてるなぁ」
俺の中ではたしかに3つの理由があった。
だが……実は、最後の1つは、カノンに話すつもりはなかったことだ。
口を滑らせた俺が悪いのだが、できれば聞き流してほしかった。
「……?」
カノンが、俺の言葉を待っている。
仕方ない、ここから誤魔化すのも不義理だし、言おうか。
どうせ今日のうちに、折を見て伝えておきたかったことだ。腹を括ろう。
「……ほら、俺、明日からのダイブインはたぶん夕方以降になるからさ。
そうしたら、次に一日どっぷりカノンと遊べるのは、早くとも次の土日だろ?」
「……。……うん」
「だから、せっかくだしこの世界を、カノンといろいろ歩いておきたいと思って。
別に歩かなくても、のんびり釣りしてても、ひなかぼっこしててもいいんだけど。
とにかく、今日この時間を最大限贅沢に使えたらと思ってさ」
平日にプレイするときは、少ない時間で目的を果たすために、テキパキと動くことが多くなるだろう。
寝るまでにだいたい何時間プレイできるから、今日はこれをここまでやろう、と、計画的に動くことが多くなるだろう。
そういう時間も悪くはないし、限られた時間の中で効率的に動く楽しさもあるのだが。
「……ようは、今日はゆっくりしたかったんだ。カノンと。
あと何時間遊べるかなんて気にしないで、贅沢に時間を浪費しつつ。
――この世界を、見て回りながら」
「……っ」
今日、恐らくカノンは、俺に合わせて、無理をして時間を作ってくれたのだと思う。
現実のカノンがいま何をやっているのかはわからないけれど。
平日昼間という時間に、なにも予定がない、ということもないだろう。
だから、俺は彼女との時間を最大限楽しむ日にしたかった。
二人して拠点でごろごろしているのもいいが、そういうのは平日夜からでも出来なくはない。
どこまで続いているかわからない川をのんびりと遡上しながら。
景色を楽しんだり、くだらない雑談に興じたり。
見つかるかわからない人を探しながら。
食べ物を探したり、互いの知識を交換しあったり。
そういう、膨大な時間があるからこそ許される、贅沢な時間を過ごしたかった。
だから、早めに出発したのだ。
このあてどもない旅路が、少しでも長くなればいいと期待して。
(――ああ、まったく)
自分の身勝手さに、頭が痛くなる。
俺がそうしたかったから。
俺が気持ちいい思いをしたかったから。
そこにカノンの視点などありはしない。
彼女という人格を目的としてではなく、手段としてのみ扱っている。
これにはかの哲学者も黙って首を横に振るだろう。
別に俺は理性主義者ではないけれど、得る教訓はある。
こういう考え方をしていれば、いつかは他者と、決定的に擦れ違うことがあるだろう。
その他者が、少なくともカノンであって欲しくはないのに。
ほかならぬカノンの前では、そんな自分が発露してしまう。
カノンの前では、俺はまだ4年前のガキのままだ。
置き忘れてきた青春など、とっくにこの手の中に帰ってきている。
(……。だけど、もう、ちがうだろ)
……だが、俺が4年前とはちがうところがあるとすれば。
遅れてきた思春期真っただ中のガキの頃から、少しは成長した部分があるとすれば。
ここで自己嫌悪に埋没したまま終わりはしないということだ。
俺を苛む理性の声は、決して彼女をも苛むものではありはしない。
いつの間にか立ち止まっていた足を、再び動かし。
同じく立ち止まっていたカノンに振り向き、言葉を掛ける。
「ありがとな、カノン。
カノンのおかげで、俺はいま、しあわせだよ」
「……っ!」
「できればカノンにも、一緒に楽しんでくれると嬉しいんだけど……。
カノンは、今回の探索でなにか、したいこととかある?」
「ぅ……、ぁ……」
足を止め、軽く俯いたままのカノンの表情は見えない。
彼女の長い前髪が、その瞳に浮かぶ色を隠す。
俺の辿った思考についてはだいぶ端折ったが、肝心な部分は伝えられていると思う。
ようは「ありがとう」なのだ。
彼女と再会したときから、それはずっと変わらない。
俺は彼女に、語り尽くせないほど、さまざまなことを感謝している。
その想いが尽きることはない。
彼女から俺へ行われた、いくつもの無償の贈与。
礼を伝えるのは当然として、なにか形でも報いたいところだ。
「……っそ、の。……あの……っ」
「うん」
彼女の言葉を待つ。
川を渡り、カオリマツの樹林へと吹き込む風。
樹々のざわめき。頬を撫でる冷たい感触。
そういえばカノンと再会したときも、こんな感覚を得ていたな。
この川沿いで、涼やかな風を感じていた。
……。
「……っんっ!!」
前髪の向こうに隠れた目をぎゅっとつむり、両の手のひらを前に突き出し。
絞り出すような声を発した、目の前にいる少女を見る。
「……これは、お好きな方をお選びください、という?」
「……っ!!」
こくりと、俯くように頷く彼女の――
そうだな、左手を貰おうか。
カノンの左手の革グローブを外す。
そうして、脱いだままの装備一式を左手に抱え。
すっかり乾いた右手で、彼女の小さな手を取る。
「……っあっ」
「さっ、行こうかカノン。……まだまだ先は長いぞぉ」
「……うんっ。……うんっ!!」
あてどもない旅路を、ともに行く。
これほど贅沢な時間の使い方もないだろう。
りんねるらしき人物が目撃されたという「セドナ川下流域湾曲部付近」までは、まだしばらく距離がある。
景色の変化は乏しく、植物に覆われた川沿いの道は歩きやすい。
実にのんびりとした道中だ。
「あんまり、他のプレイヤーに出逢わない、ね?」
「いま、平日の昼間だしな」
マキノさんと出逢ったのは土曜の夜。
モンターナと出逢ったのは日曜の昼。
休日は昼夜を問わず多くのプレイヤーと出逢う機会があるだろうが……
平日の昼ともなれば、必然ダイブインしているプレイヤーも減るだろう。
この時間帯にプレイしている層は、フリータイムワーカーか、夜間勤務か。
俺のように休みを取っているか、それともいまだ長期休暇中の大学生か。
……考えてみると、けっこういるな。
通常のオンラインゲームなら、平日昼間でも多くのプレイヤーに出逢うことがあるのだろうが、このゲームは着陸地点ごとにプレイヤー人数が分割されている。
このセドナに存在しているプレイヤーは、いまだ100人に満たない。
そのうちのいったい何パーセントが平日昼間にダイブインできる有閑プレイヤーなのかを考えれば、プレイヤーに出逢わないのもむべなるかなと言ったところだろう。
今現在、この広大なセドナ内部で活動しているプレイヤーは……いったい何人くらいなんだろうな。
この現状は、決してこのゲーム自体が過疎っているわけではないと思う。
なにせゲーム開始直後の時点でも……たしか672地点だったかな、それくらいの数の着陸地点に分かれていた。
それぞれの着陸地点に平均100人ぐらいが降り立っているのだとしたら、ゲームをはじめたプレイヤー全体の母数は7万人近くということになる。
それに、672地点というのはあくまでゲーム開始時に提示された数だ。
恐らくはプレイヤー数の増大に応じて増えていき、今では四桁以上になっているのではないかと思う。
となると、このゲームをはじめたプレイヤーの人数は六桁に上るかもしれないということだ。
高価なフルダイブシステムデバイスと年齢制限という二重の篩に掛けられたうえでそれだけの人数にプレイされているのなら、滑り出しは好調といったところなのではないだろうか。
……いや、あくまで俺に見えているデータからの推測だけどな。
なかにはプレイヤーが早々に脱落しまくった過疎っ過疎の拠点とかあるかもしれない。
ここセドナがそうでないことを祈る。
MMOを謳っておいて他のプレイヤーと遭遇しにくいのは果たしてどうなのかという横やりが入るかもしれないが、それはこのゲームの設定上ある程度許容されるべき部分だろう。
それにこのゲームの序盤はマルチ要素のあるサンドボックスゲームみたいなものだしな。
人との出逢いももちろん楽しいが、ソロプレイでもまったく問題はない。
人によっては最後までソロプレイし続けることもあるだろう。
「……あ、れ?」
「どした、カノン」
このゲームのプレイヤー問題について少々考えていると、なにかに気が付いたかのようにカノンが声を挙げる。
「きょーじゅを探すのが、今回の目的、だけど。
きょーじゅって、お昼の間は、ダイブイン、してる? ……今日、平日だけど」
「……良いところに気づいたな、カノン」
うむ、実はそうなのだ。
モンターナは今日の朝に俺たちにメッセージを送ってくれた。
彼は社会人だと思うので、送ってくれたのは恐らくは出勤前だろう。
では、俺たちが探そうとしているりんねるはどうなのか。
「もうちょっと、拠点でゆっくりしてから、出発してもよかった?
今日の夕方以降に、探した方がよかった、かも」
「それでもよかったんだが、今回早めに出発した理由は3つある」
彼……いや彼女なんだっけ、彼女は平日昼間にダイブインしているような人種なのか。
もしそうでないなら、俺たちはちょっと出発を逸りすぎたのではないか。
結論から言えば、別にそんなことはない。
そもそもそのあたりも織り込んで、俺たちは早めにりんねる探しの道中に出たのだから。
「1つ目には、今回の探索の目的には食料探しも含まれるってことだな。
マキノさんには悪いが、見つかるかどうかわからないりんねる探しを探索の主目的に据えるのはちょっと厳しい。
それならいっそ、食料探しをメインにして、そのついでにりんねるに出逢えたらいいなってのが今回の基本姿勢だ」
「……たしかに、待ち合わせとかしてるわけじゃ、ないもんね」
「だから、りんねるに逢うためだけに出発を後らせる必要はなかった。
遅らせた結果、食料探しが十分に行えなくなったら本末転倒だしな」
たとえりんねるがダイブインしているとしても、この広いセドナにおいて、りんねるとばったり出くわせる確率はかなり低いだろう。
ましてや、りんねるがまだ目撃された地域に留まっているかどうかもわからないのだ。
それならいっそ、出逢えたらいいくらいの気持ちで予定を組めばいい。
今回は「セドナ川下流域湾曲部付近」を中心にして、あちこちふらつきながら食料探しをしていればいいということだ。
「で、2つ目の理由。
たぶん、りんねるはいまもこの世界にダイブインしている」
「えっ。でも、りんねるさんって、たぶん……大人、だよね?」
「ああ、恐らくは論壇の方だからな。
だが、だからこそ今の時期は時間が使える可能性がある。
なにせ世間の大学の多くは、まだ夏季休暇中だからな」
「あっ……そっか。きょーじゅって、どこかの大学の教授さん、なのかな?」
「うむ。マキノさんの口ぶりからしても、たぶんそうだ。
で、今の時期は、取り急ぎの原稿でもない限りは時間を作れるんだと思う。
実際どうなのかは知らんが、とにかく時間を捻出してこのゲームをやっている」
「……どうして、そこまで言える、の?」
「マキノさんが言ってただろ。『りんねるに連絡がつかない』って。
仕事で出勤してるなら、同僚のマキノさんの連絡を無視するなんてしないだろ。
連絡がつかないってことは、なにかに集中してるってこと。
で、そのなにかってのはたぶん、このゲームなんじゃないか」
あの人は破天荒で横紙破りで泰然自若とした人ではあったが、決して自分勝手な人ではなかった。
だから、マキノさんとりんねるが不通状態のままである以上、りんねるはこの世界にどっぷりの可能性が高い。
平日昼間のゲーム漬けライフも、受け持つ講義もゼミもない夏季休暇中なら、決して無茶な話とは言えないだろう。
……学会や雑誌の論文原稿や事務仕事は知らない。
たぶん俺みたいに、事前に手回ししてあるんだろう。そう信じよう。
「じゃあ、今も?」
「うん。平日昼間のこの時間も、この世界に降りているんじゃないかな」
マキノさんの「まだ連絡がついていない」というこぼれ話と、もしもりんねると連絡がついたのならマキノさんは俺たちに連絡してくれるはずだという期待に基づいた、確度の低い推測だが、決してありえない話ではないと思う。
畢竟、今もりんねるがダイブインしている可能性はある、という程度の話だ。
とはいえ、それでりんねるに出逢えるのかと言えば、それはまた別の話。
先に言った通り、目撃された地点にりんねるが留まっているかどうかはわからない。
移動するのはもちろん、たとえばりんねるがこの世界で寝落ちして、強制ダイブアウトか死に戻りの憂き目に合っている場合も出逢えないだろうしな。
つまり、もともと俺たちがりんねると出逢える可能性というのはかなり低いのだ。
それならなお一層のこと、りんねる探しを主目的に据えるのは難しいだろう。
そういうわけで、早めに出発して、りんねるという徘徊型レアキャラクターとのエンカウント率を少しでも稼ぎつつ、食料源の確保を達成しようというのが今回の平日昼間発の理由だ。
「ってなわけで、別に早めに出発してもよかったってわけだ」
「んっ。わかった。……きょーじゅ、逢えると、いいね?」
「なんとなーく、逢えそうな気はするな。根拠も何もない、ただの勘だが」
なんというか。
あの人は、俺の変人センサーにひっかかるからな。
あの人が存在した場所に、何の痕跡も見出せないということはない気がする。
*────
りんねるについての幾つかの推測を述べて、俺はそこで話を結ぶ。
さっきは少々口を滑らせたが、……これだけ説明すれば十分だろう。
「まぁそんなわけで、りんねるに関しては深く気にしなくていいと思うぞ。
……とにかくいまは食料だ。食料を探そう。魚取ろうぜ、魚」
「んっ。……でも。まだ、ある?」
「うん?」
「フーガくん、3つ理由があるって、言ったよね。早めに出発した、理由」
「うっ。……よく聞いてるなぁ」
俺の中ではたしかに3つの理由があった。
だが……実は、最後の1つは、カノンに話すつもりはなかったことだ。
口を滑らせた俺が悪いのだが、できれば聞き流してほしかった。
「……?」
カノンが、俺の言葉を待っている。
仕方ない、ここから誤魔化すのも不義理だし、言おうか。
どうせ今日のうちに、折を見て伝えておきたかったことだ。腹を括ろう。
「……ほら、俺、明日からのダイブインはたぶん夕方以降になるからさ。
そうしたら、次に一日どっぷりカノンと遊べるのは、早くとも次の土日だろ?」
「……。……うん」
「だから、せっかくだしこの世界を、カノンといろいろ歩いておきたいと思って。
別に歩かなくても、のんびり釣りしてても、ひなかぼっこしててもいいんだけど。
とにかく、今日この時間を最大限贅沢に使えたらと思ってさ」
平日にプレイするときは、少ない時間で目的を果たすために、テキパキと動くことが多くなるだろう。
寝るまでにだいたい何時間プレイできるから、今日はこれをここまでやろう、と、計画的に動くことが多くなるだろう。
そういう時間も悪くはないし、限られた時間の中で効率的に動く楽しさもあるのだが。
「……ようは、今日はゆっくりしたかったんだ。カノンと。
あと何時間遊べるかなんて気にしないで、贅沢に時間を浪費しつつ。
――この世界を、見て回りながら」
「……っ」
今日、恐らくカノンは、俺に合わせて、無理をして時間を作ってくれたのだと思う。
現実のカノンがいま何をやっているのかはわからないけれど。
平日昼間という時間に、なにも予定がない、ということもないだろう。
だから、俺は彼女との時間を最大限楽しむ日にしたかった。
二人して拠点でごろごろしているのもいいが、そういうのは平日夜からでも出来なくはない。
どこまで続いているかわからない川をのんびりと遡上しながら。
景色を楽しんだり、くだらない雑談に興じたり。
見つかるかわからない人を探しながら。
食べ物を探したり、互いの知識を交換しあったり。
そういう、膨大な時間があるからこそ許される、贅沢な時間を過ごしたかった。
だから、早めに出発したのだ。
このあてどもない旅路が、少しでも長くなればいいと期待して。
(――ああ、まったく)
自分の身勝手さに、頭が痛くなる。
俺がそうしたかったから。
俺が気持ちいい思いをしたかったから。
そこにカノンの視点などありはしない。
彼女という人格を目的としてではなく、手段としてのみ扱っている。
これにはかの哲学者も黙って首を横に振るだろう。
別に俺は理性主義者ではないけれど、得る教訓はある。
こういう考え方をしていれば、いつかは他者と、決定的に擦れ違うことがあるだろう。
その他者が、少なくともカノンであって欲しくはないのに。
ほかならぬカノンの前では、そんな自分が発露してしまう。
カノンの前では、俺はまだ4年前のガキのままだ。
置き忘れてきた青春など、とっくにこの手の中に帰ってきている。
(……。だけど、もう、ちがうだろ)
……だが、俺が4年前とはちがうところがあるとすれば。
遅れてきた思春期真っただ中のガキの頃から、少しは成長した部分があるとすれば。
ここで自己嫌悪に埋没したまま終わりはしないということだ。
俺を苛む理性の声は、決して彼女をも苛むものではありはしない。
いつの間にか立ち止まっていた足を、再び動かし。
同じく立ち止まっていたカノンに振り向き、言葉を掛ける。
「ありがとな、カノン。
カノンのおかげで、俺はいま、しあわせだよ」
「……っ!」
「できればカノンにも、一緒に楽しんでくれると嬉しいんだけど……。
カノンは、今回の探索でなにか、したいこととかある?」
「ぅ……、ぁ……」
足を止め、軽く俯いたままのカノンの表情は見えない。
彼女の長い前髪が、その瞳に浮かぶ色を隠す。
俺の辿った思考についてはだいぶ端折ったが、肝心な部分は伝えられていると思う。
ようは「ありがとう」なのだ。
彼女と再会したときから、それはずっと変わらない。
俺は彼女に、語り尽くせないほど、さまざまなことを感謝している。
その想いが尽きることはない。
彼女から俺へ行われた、いくつもの無償の贈与。
礼を伝えるのは当然として、なにか形でも報いたいところだ。
「……っそ、の。……あの……っ」
「うん」
彼女の言葉を待つ。
川を渡り、カオリマツの樹林へと吹き込む風。
樹々のざわめき。頬を撫でる冷たい感触。
そういえばカノンと再会したときも、こんな感覚を得ていたな。
この川沿いで、涼やかな風を感じていた。
……。
「……っんっ!!」
前髪の向こうに隠れた目をぎゅっとつむり、両の手のひらを前に突き出し。
絞り出すような声を発した、目の前にいる少女を見る。
「……これは、お好きな方をお選びください、という?」
「……っ!!」
こくりと、俯くように頷く彼女の――
そうだな、左手を貰おうか。
カノンの左手の革グローブを外す。
そうして、脱いだままの装備一式を左手に抱え。
すっかり乾いた右手で、彼女の小さな手を取る。
「……っあっ」
「さっ、行こうかカノン。……まだまだ先は長いぞぉ」
「……うんっ。……うんっ!!」
あてどもない旅路を、ともに行く。
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青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
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