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一章
魚って、いるの?
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りんねるとの邂逅を終え。
セドナ中央部の丘陵地帯から、俺たちの拠点への帰路。
しとしと雨も降ってきている。
本格的に振り始める前に拠点に戻りたいところだ。
だが、拠点に帰る前にやっておきたいことがある。
それは往路でセドナ川の川底に仕掛けた筌の確認、あるいは回収だ。
この川に魚、あるいはなんらかの水棲生物が存在しているとしても、それらが昼行性なのか夜行性なのかはまだわからない。
今のセドナは昼。夜行性の魚種が多いなら、うまく掛かっているかは望み薄だが……
逆に、筌の暗がりをねぐらとして、入り込んでくれている可能性もある。
いずれにせよ、確認してみないことにはわからない。
筌を使った漁法。
筌自体は非常に単純なつくりをしているが、魚の生態をきちんと理解していれば簡単に魚を捕ることができるし、理解できていなければまったく捕ることができない、奥深い漁法なのだ。
「……魚って、いるのかな?」
「うん?」
二人並んで川沿いの道を歩いていると、カノンがそんな問いを発する。
「この星って、地球とちがう、よね。
地球みたいな姿かたちの、魚? ……って、いるのかな」
「……前作には、いたよな」
この星、惑星カレドは、環境こそ原始地球に類似しているが、あくまで別の惑星だ。
植物からは未知の成分が見つかるし、生き物に関しても未知のものばかりだ。
岩壁で出逢ったトンボモドキのような、既存の生命には分類しかねるようなへんてこ生物もいる。
では、魚もそうではないのか、というのがカノンの疑問。
たとえば、川の中を泳ぐ魚というものは存在せず、なにかもっと別のものが棲息しているべきではないか、と。
「やっぱり魚がいたほうが、都合がいいから?」
「まぁたしかに、俺たちプレイヤーにとっては好都合だが」
その可能性は確かにある。
ある、が――
「ファンタジーの世界ってあるじゃん」
「う、ん?」
「人間は想像の中に、いろんな世界を創ってきたよな。
文章の中だったり、漫画の中だったり、オンラインゲームの舞台であったり。
それらの中には、地球じゃない星の物語もたくさんある」
「うん」
「そういう物語の中では、生き物の姿もいろいろある。
獣人であったり、竜であったり、機械……無機生命体であったり。
それらのほとんどは俺たちが現実では見たことのない姿をしてる。
なんなら変わった能力を持っていたりする」
ドラゴンなんていうのは、その代表例だろう。
現実には存在しないのに、その姿かたちはもちろん、生態や能力まで、ある程度のイメージが共有されている。
空想上の存在、幻想生物。あるいは――神話の生物。
「でもさ……不思議なんだけど。
そういう異世界でもさ、魚は魚なんだよな」
「……どういう、こと?」
「大抵の世界には水がある。水が流れる川がある。水の中に生命がいる」
このあたりの話は、地球と似た環境の星を舞台とする物語に限られる。
しかし、そのような物語はかなりの数に上る。
特にオンラインゲームの異世界なんかは、まさにその通りだな。
狭義のハイファンタジーにせよ、ローファンタジーにせよ。
水のない星の物語というのは少ない。
そして、水のある星の物語では、その水の中に生命が棲むことが多い。
「で、そうした世界の川の中に棲んでるのって、なぜか魚なんだよな。
種類自体は地球のものとはまったく似ていない、まったく新しい魚種が多い。
中には爆ぜたり跳んだりする奴もいるし、魚竜みたいなやつもいるだろう。
七色だったり、透明だったり、手足が生えてたりするかもしれない。
用法にしても、単に食べるだけじゃなくて、薬や機械の素材になったりすることもある」
異世界が舞台で、魚が捕獲できるゲームでは、その魚の用法も幅広いことが多い。
俺の知ってるゲームだと、錬金術の素材になったりしてたな。
名称指定されてるから、その魚じゃないとダメなんだ。
魚釣りという趣味的な要素を、ゲーム内の別の要素に組み込むことで、世界に奥行きを持たせていたのだと思う。
「でも、どんなに個性豊かであっても、やっぱり川の中に棲んでるのって、魚なんだ。
細長い体格をしていて、流線型で、鰭と鰓があって、鱗があって。
水中呼吸ができて、陸に上がることができなくて、淡水と海水に分かれてて。
そういう特徴を持つ生命が、多くの異世界の川の中にもいる。
その異世界の創造主である人物が、そのように定めたんだ」
「たし、かに。……でも、なんで?」
人が創り出した異世界の川の中に、俺たちが魚と認識する生命が存在する理由。
俺はその理由を、人間の想像力の限界、とは思わない。
地球に存在するものを、異世界の中にも投げ入れてしまった、とも。
ハイファンタジーを徹底できていない、とも思わない。
「……カノン。カオリマツって、トウヒみたいだよな」
「えっ、……うん。わたしは、そう思った。マキノさんも、そう言ってた、よね」
「ああ。俺たちがそう認識しているだけじゃなくて、成分や植生の面でもたしかに似ている。
この惑星が、一からシミュレートされた別の惑星であるにもかかわらず、だ。
それはなんでだ?」
今度はこちらからカノンに問いかける。
カノンの問いに答えるためには、ちょっと回り道をした方がわかりやすそうだからな。
カノンにも思考の道行きに付き合ってもらおう。
「……そういう風につくられた、から?」
「誰に?」
「このゲームを、作った人。開発者さん、たち」
そういう考え方もできなくはない。
この星は、ある程度地球の環境に近くなるように設定された。
そうしなければ、人間が快適に生存できないからだ。
移民船の乗員が緊急着陸する惑星として、不適当だからだ。
では植物についても同様に、地球に存在する種に意図的に近づけられているのではないか、と。
カノンがそう考えるのももっともなことだ。
「たしかに、この惑星カレドの環境は、地球に近い。
でも、それはあくまで、地球の環境に近づけられている、という程度だ。
例えばこの星に生きる数千数万数億の生命種の、一つ一つの特徴を一から設定するなんて、とてもじゃないができないだろう」
そして――そんなことは、する必要がない。
「たしかにこの星には、ある種の指向性が与えられている。
人間が生存できる環境になるように、因子が投げ込まれている。
元素的な因子、質量的な因子、エネルギー的な因子、生命の因子……まぁいろいろだろう」
たとえば、星の構造とか。
地殻があって、上部マントルがあって、内部マントルがあって、外殻と内殻があって。
恒星からの距離、平均気温、大気成分、星の質量、自転の速度、重力の強さ。
そうしたものは、地球に近づけられている。
この星の環境が、より地球らしくなるように。
でもそれは、地球のようにすることが目的ではない。
人間という生命が、最低限生存できる環境にするためだ。
「だけど、因子を与えたあと、どこか途中からは放り出されているんだ。
地球と似たような環境になってから……何万年か何億年かはわからないが。
そこから先は、すべて物理演算的なシミュレーションに任せられている。
いまこの星に生きる生命種はすべて、この世界以外の誰の手にもよらない生命なんだ。
それが、一つの惑星をシミュレートするってことだろうから」
家庭用テレビゲームの黎明期にも、一つの惑星をシミュレートするゲームがあったらしい。
プレイヤーは、さまざまな因子を投げ込み、その星に起こる変化を観察するだけ。
文明が起こり、文化を築き、生存圏を広げ、科学技術を発達させ、最後には……滅ぶ。
ロボットが終末戦争したり海老が強かったりしてて非常にクールなゲームだったようだ。
どんなゲームだよ。
「誰の手にもよらない生命……って、植物も?」
「カオリマツも、だ」
カオリマツは、トウヒに似たものとして設定されたものではない、ということだ。
カオリマツを、トウヒのモドキとして設定した人間は、誰もいない。
「じゃあ、なんでカオリマツって、トウヒみたい、なの。
そのようにつくられていないなら、……なんで、地球のトウヒに似てる、の?」
「そこだ、カノン。それが今回の話の核心だ」
その問いに対する答えが、この話の目的地でもある。
カノンもここまではついてきてくれているようだ。
やはりカノンは頭の回転が速いな。
「マキノさんが言ってただろ。
カオリマツの生態を見ると、このセドナの気候環境がある程度推測できるって。
それがどういうことかと言えば、カオリマツは、このセドナの気候環境に適応しているってことだ。
つまり、このカオリマツは、セドナに合わせて適応したか、あるいは、たまたまそのような植生だったからこそ、このセドナで生き延びてこられたんだ」
カオリマツの樹林帯には、カオリマツ以外の樹木がほとんど生えていない。
なぜか。それは、カオリマツこそが、この環境における生存競争の勝者だから。
それ以外の種は、淘汰されたから。
古きダーウィニズムが否定された今でも、適者生存の摂理に変わりはない。
「カオリマツが生える場所は、一年を通じて比較的寒冷で、降雪量が少ない、だったっけ。
他にもいくつか、マキノさんはカオリマツの植生を教えてくれたけど。
それは、トウヒ……ドイツトウヒもそうだ。
2つの植物は、姿かたちも、植生も似ている」
それは、そのように恣意的に定められたから、ではない。
だが決して単なる偶然の一致でもない。
「カオリマツとトウヒが似ているんじゃなくて、実際のところは。
カオリマツとトウヒの生育環境、生存環境が似ているんだ。
だから、それぞれの星の長い歴史の中で、そのような姿かたちになった。
似たような環境で、似たような種が残った。
まず似たような環境があって、その環境における生存競争が行われて、似たような種が生き延びた」
ゆえに。
「カオリマツとトウヒが似ているのは、ただの偶然だ。
でもその偶然は、見方を変えれば当然でもある。
地球に似ているこの世界で、地球に似ている種が生まれ、地球に似ている種が生き延びた。
より環境に適した種が生き延びるのは、決して偶然じゃない、当然のことだ。
このセドナにカオリマツが生える理由もそこにある。
カオリマツが、このセドナ南部の生存競争においてもっとも力強い解を所持していたから。
その解ってのはつまり、他の誰よりもその場所で強く生き延びることができる特徴のことだ」
「……。」
「ここまでは大丈夫、カノン?」
「……だいたいわかった、と思う。
フーガくんが言いたいのは――魚も同じ、ってこと、だよね」
グレート。流石カノンだ。
ようやく結論に辿り着くことができる。
「水の流れの中という生存環境で生き延びるために、水中で呼吸する必要があった。
水の中で、酸素を得る必要があった。
水から酸素を取り込む必要があった。
そのために、鰓が必要だった。
別の手段で酸素を取り込む生命や、酸素を必要としない生命もいただろう。
だがそれらよりも、鰓を持つ生命の方が強く生きることができた。
鰓を持つ生命が、より力強く、生存競争を生き延びた。
鰓を持たない生命は、鰓を持つ生命に淘汰された。
魚という生命が持つ、他のすべての種族特徴についても、同じことがいえる」
流線型の方が生き延びられた。
鰭を持つ方が生き延びられた。
鰓を持つ方が生き延びられた。
鱗を持つ方が生き延びられた。
水流の中という環境で生存するために、そのようなより優れた種族特徴を兼ね備えていった存在。
あるいはそのような種族特徴を兼ね備えていたがゆえに、水流の中という環境で生き延びられた存在。
それが、魚という類。魚という生命種。
魚でない存在は、水底に這いつくばるしかなく。
魚だけが、水流の中を自由に泳ぐことができた。
水中のプランクトンを捕食し、水中に落ちてくる他の生物をより速く捕食できた。
……あるいは、魚類以外の一部の生命も、そのように適応しているかもしれない。
中には独自の進化を遂げ、水中で活動できるようになった種もいるだろう。
だがそれらも、この星の川の流れの中から魚という種を根絶するには至らなかった。
魚というのは、生命の姿かたちの一つの到達点なのだ。
「だから。――だから、ファンタジーの川の中には魚がいる。
俺たちが魚と認識できるような種族特徴を兼ね備えた生命が存在する。
それは、物語の作者が、うっかり地球で見かけた生き物を投げ込んでしまったのではなくて。
たぶん、その星では、そうあるべきだと思ったから、そうしたんだ。
それが、一つの星を描くということなんだろう」
ハイファンタジーの傑作。あの中つ国の物語もそうだ。
物語の舞台すべてを一から創り出したとしても、やはり魚という類はいる。
地球という、俺たちが棲む環境と似た環境を舞台にした時点で。
魚という種もまた存在するのが、より自然で、よりらしいのだ。
より厳密に言えば、現実に存在する魚という種に類似する種族的特徴を兼ね備えた類が。
その世界にも存在するのが、もっともらしい。
「ついでに言えば、拠点の南の岸壁付近で見かけたトンボモドキもそう。
丘陵地帯で見かけたはっか草のへんてこな茎もそう。
りんねるに食べさせてもらったブラックベリーもそう。
そのようにあるのがもっとも生き延びられるから、そのようにある。
……なんで生き延びられるのかは、俺たちのぱっと見ではわからないけどな」
特にトンボモドキ。なんなんだあいつ。
なにがどうなってああなるのか、進化の道筋がわからない。
いや、あいつに関してはなにもかもわからんが。生き物なのかさえ。
「だから、りんねるや、その辺のガチ勢はすごい。
この辺の話を理解したうえで、この星の学問を拓くから」
地球の生命という下地を使わずにこの星の生命を研究するのは、途方もない道のりだろう。
ましてりんねるは分類する。
もっともたしからしく、この星の生命を定義してみせる。
偉業も偉業、もはや呆れるしかない。
「……。」
「ごめん、カノン。最後の方、俺だけ喋っちゃって」
「ううん。わたしが聞いたこと、だし。それに――納得できた、と思う」
「あくまで、それっぽい理屈ってだけだけどな。俺が納得するための。
でも『この世界にも魚はいるはずだ』っていう結論だけ話されても、もやっとするだろ?」
「うん。……なんでだろう、って思う」
「よかった。そう思ってくれるのなら、長話を聞いて貰ってよかったよ。
俺はこの世界の生き物について、そんな風に理解してる。
どこまで合ってるかはわからないけどな」
現実世界については、今言ったような理屈で説明できるかはわからない。
だがそれは、人間にはどこまで言ってもわからないだろう。
より確からしい理論をもとめて、探究を繰り返し、随時刷新していくことしかできない。
なにせ人間は、現実世界の創造主ではないからな。
だが、少なくともファンタジーの世界の魚については、そんな風に理解できる。
作者の描写が容易なため。読者の理解がしやすいため。プレイヤーの役に立つため。
そうした合目的的な存在ではなく。
異世界の魚は、いるべくしているのだ。
この話は、この星でこれから出逢うすべての生き物についても、往々にして当てはまるだろう。
地球で見るのとまったく同じ種には、決して出逢わないだろうけど。
奇抜で、奇妙で、奇怪な生き物というのは、それほど頻繁には出逢わないだろう。
この星、惑星カレドは、それなりに地球に似ているのだから。
……まぁ、それでもトンボモドキみたいなやつはいる。
テレポバグ先の森みたいに、わけのわからんことになっている場所もある。
滅多に見られないからこそ、そういうワケわからんものに出逢った時の驚きも一入だ。
この星は、人間が生存可能な程度には地球の環境に近しいが、地球らしくはまったくない。
そもそも生成される地形が、地球に比べてスペクタクルすぎる。
そうなるように、なにかしらの因子を投げ込んであるのだろう。
だからこそこのゲームには、よくわからない生き物もたくさんいるし、よくわからない場所も無数にある。
そこに、単なる原始時代サバイバルに留まらない、このゲームならではの魅力があると思う。
進化というのは無限の未知に満ちている。
人間が頑張っていろいろと理由付けしたところで、それでもワケわからん生き物というのは無数にいるのだ。
現実でも、深海とか、異世界も同然だろう、あれ。
『魚って、いるのかな?』
そんなカノンの問いかけに、俺は結論だけ言うこともできた。
「いると思うよ」、と。
そうしなかったのは、カノンも納得したいのではないかと思ったから、ではない。
カノンにも、俺と同じ見方を共有して欲しかったから。
りんねるが俺たちに、ものの見方を示したように。
俺もまたカノンに、ものの見方を示したかった。
きっとりんねるも、俺たちに、彼女が見ている世界と同じ世界を見て欲しかったのだ。
「……あっ、あの木」
「お、最後に仕掛けた筌のとこだな」
カノンが、左前方の川の先を見て声を挙げる。
そこには、川の中に立つ、一本の老木。
行きがけに、その下の水底に筌の1つを仕掛けたポイントだ。
話ながら歩いている間に、いつのまにかここまで来ていたらしい。
「……魚、いるかな?」
「これで変な生き物が掛かってたら、さっきの話はすっぱり忘れてくれ」
あんだけ「この世界にも魚はいまぁす!」って力説しといて、魚がいなかったら立つ瀬がない。
いやそもそも、なにかが掛かってるとは限らない。
この際魚じゃなくてもいいから、なにかしらが掛かってて欲しい。
俺のちっぽけなプライドより、俺たちの食糧問題の方がよほど重要だからな。
セドナ中央部の丘陵地帯から、俺たちの拠点への帰路。
しとしと雨も降ってきている。
本格的に振り始める前に拠点に戻りたいところだ。
だが、拠点に帰る前にやっておきたいことがある。
それは往路でセドナ川の川底に仕掛けた筌の確認、あるいは回収だ。
この川に魚、あるいはなんらかの水棲生物が存在しているとしても、それらが昼行性なのか夜行性なのかはまだわからない。
今のセドナは昼。夜行性の魚種が多いなら、うまく掛かっているかは望み薄だが……
逆に、筌の暗がりをねぐらとして、入り込んでくれている可能性もある。
いずれにせよ、確認してみないことにはわからない。
筌を使った漁法。
筌自体は非常に単純なつくりをしているが、魚の生態をきちんと理解していれば簡単に魚を捕ることができるし、理解できていなければまったく捕ることができない、奥深い漁法なのだ。
「……魚って、いるのかな?」
「うん?」
二人並んで川沿いの道を歩いていると、カノンがそんな問いを発する。
「この星って、地球とちがう、よね。
地球みたいな姿かたちの、魚? ……って、いるのかな」
「……前作には、いたよな」
この星、惑星カレドは、環境こそ原始地球に類似しているが、あくまで別の惑星だ。
植物からは未知の成分が見つかるし、生き物に関しても未知のものばかりだ。
岩壁で出逢ったトンボモドキのような、既存の生命には分類しかねるようなへんてこ生物もいる。
では、魚もそうではないのか、というのがカノンの疑問。
たとえば、川の中を泳ぐ魚というものは存在せず、なにかもっと別のものが棲息しているべきではないか、と。
「やっぱり魚がいたほうが、都合がいいから?」
「まぁたしかに、俺たちプレイヤーにとっては好都合だが」
その可能性は確かにある。
ある、が――
「ファンタジーの世界ってあるじゃん」
「う、ん?」
「人間は想像の中に、いろんな世界を創ってきたよな。
文章の中だったり、漫画の中だったり、オンラインゲームの舞台であったり。
それらの中には、地球じゃない星の物語もたくさんある」
「うん」
「そういう物語の中では、生き物の姿もいろいろある。
獣人であったり、竜であったり、機械……無機生命体であったり。
それらのほとんどは俺たちが現実では見たことのない姿をしてる。
なんなら変わった能力を持っていたりする」
ドラゴンなんていうのは、その代表例だろう。
現実には存在しないのに、その姿かたちはもちろん、生態や能力まで、ある程度のイメージが共有されている。
空想上の存在、幻想生物。あるいは――神話の生物。
「でもさ……不思議なんだけど。
そういう異世界でもさ、魚は魚なんだよな」
「……どういう、こと?」
「大抵の世界には水がある。水が流れる川がある。水の中に生命がいる」
このあたりの話は、地球と似た環境の星を舞台とする物語に限られる。
しかし、そのような物語はかなりの数に上る。
特にオンラインゲームの異世界なんかは、まさにその通りだな。
狭義のハイファンタジーにせよ、ローファンタジーにせよ。
水のない星の物語というのは少ない。
そして、水のある星の物語では、その水の中に生命が棲むことが多い。
「で、そうした世界の川の中に棲んでるのって、なぜか魚なんだよな。
種類自体は地球のものとはまったく似ていない、まったく新しい魚種が多い。
中には爆ぜたり跳んだりする奴もいるし、魚竜みたいなやつもいるだろう。
七色だったり、透明だったり、手足が生えてたりするかもしれない。
用法にしても、単に食べるだけじゃなくて、薬や機械の素材になったりすることもある」
異世界が舞台で、魚が捕獲できるゲームでは、その魚の用法も幅広いことが多い。
俺の知ってるゲームだと、錬金術の素材になったりしてたな。
名称指定されてるから、その魚じゃないとダメなんだ。
魚釣りという趣味的な要素を、ゲーム内の別の要素に組み込むことで、世界に奥行きを持たせていたのだと思う。
「でも、どんなに個性豊かであっても、やっぱり川の中に棲んでるのって、魚なんだ。
細長い体格をしていて、流線型で、鰭と鰓があって、鱗があって。
水中呼吸ができて、陸に上がることができなくて、淡水と海水に分かれてて。
そういう特徴を持つ生命が、多くの異世界の川の中にもいる。
その異世界の創造主である人物が、そのように定めたんだ」
「たし、かに。……でも、なんで?」
人が創り出した異世界の川の中に、俺たちが魚と認識する生命が存在する理由。
俺はその理由を、人間の想像力の限界、とは思わない。
地球に存在するものを、異世界の中にも投げ入れてしまった、とも。
ハイファンタジーを徹底できていない、とも思わない。
「……カノン。カオリマツって、トウヒみたいだよな」
「えっ、……うん。わたしは、そう思った。マキノさんも、そう言ってた、よね」
「ああ。俺たちがそう認識しているだけじゃなくて、成分や植生の面でもたしかに似ている。
この惑星が、一からシミュレートされた別の惑星であるにもかかわらず、だ。
それはなんでだ?」
今度はこちらからカノンに問いかける。
カノンの問いに答えるためには、ちょっと回り道をした方がわかりやすそうだからな。
カノンにも思考の道行きに付き合ってもらおう。
「……そういう風につくられた、から?」
「誰に?」
「このゲームを、作った人。開発者さん、たち」
そういう考え方もできなくはない。
この星は、ある程度地球の環境に近くなるように設定された。
そうしなければ、人間が快適に生存できないからだ。
移民船の乗員が緊急着陸する惑星として、不適当だからだ。
では植物についても同様に、地球に存在する種に意図的に近づけられているのではないか、と。
カノンがそう考えるのももっともなことだ。
「たしかに、この惑星カレドの環境は、地球に近い。
でも、それはあくまで、地球の環境に近づけられている、という程度だ。
例えばこの星に生きる数千数万数億の生命種の、一つ一つの特徴を一から設定するなんて、とてもじゃないができないだろう」
そして――そんなことは、する必要がない。
「たしかにこの星には、ある種の指向性が与えられている。
人間が生存できる環境になるように、因子が投げ込まれている。
元素的な因子、質量的な因子、エネルギー的な因子、生命の因子……まぁいろいろだろう」
たとえば、星の構造とか。
地殻があって、上部マントルがあって、内部マントルがあって、外殻と内殻があって。
恒星からの距離、平均気温、大気成分、星の質量、自転の速度、重力の強さ。
そうしたものは、地球に近づけられている。
この星の環境が、より地球らしくなるように。
でもそれは、地球のようにすることが目的ではない。
人間という生命が、最低限生存できる環境にするためだ。
「だけど、因子を与えたあと、どこか途中からは放り出されているんだ。
地球と似たような環境になってから……何万年か何億年かはわからないが。
そこから先は、すべて物理演算的なシミュレーションに任せられている。
いまこの星に生きる生命種はすべて、この世界以外の誰の手にもよらない生命なんだ。
それが、一つの惑星をシミュレートするってことだろうから」
家庭用テレビゲームの黎明期にも、一つの惑星をシミュレートするゲームがあったらしい。
プレイヤーは、さまざまな因子を投げ込み、その星に起こる変化を観察するだけ。
文明が起こり、文化を築き、生存圏を広げ、科学技術を発達させ、最後には……滅ぶ。
ロボットが終末戦争したり海老が強かったりしてて非常にクールなゲームだったようだ。
どんなゲームだよ。
「誰の手にもよらない生命……って、植物も?」
「カオリマツも、だ」
カオリマツは、トウヒに似たものとして設定されたものではない、ということだ。
カオリマツを、トウヒのモドキとして設定した人間は、誰もいない。
「じゃあ、なんでカオリマツって、トウヒみたい、なの。
そのようにつくられていないなら、……なんで、地球のトウヒに似てる、の?」
「そこだ、カノン。それが今回の話の核心だ」
その問いに対する答えが、この話の目的地でもある。
カノンもここまではついてきてくれているようだ。
やはりカノンは頭の回転が速いな。
「マキノさんが言ってただろ。
カオリマツの生態を見ると、このセドナの気候環境がある程度推測できるって。
それがどういうことかと言えば、カオリマツは、このセドナの気候環境に適応しているってことだ。
つまり、このカオリマツは、セドナに合わせて適応したか、あるいは、たまたまそのような植生だったからこそ、このセドナで生き延びてこられたんだ」
カオリマツの樹林帯には、カオリマツ以外の樹木がほとんど生えていない。
なぜか。それは、カオリマツこそが、この環境における生存競争の勝者だから。
それ以外の種は、淘汰されたから。
古きダーウィニズムが否定された今でも、適者生存の摂理に変わりはない。
「カオリマツが生える場所は、一年を通じて比較的寒冷で、降雪量が少ない、だったっけ。
他にもいくつか、マキノさんはカオリマツの植生を教えてくれたけど。
それは、トウヒ……ドイツトウヒもそうだ。
2つの植物は、姿かたちも、植生も似ている」
それは、そのように恣意的に定められたから、ではない。
だが決して単なる偶然の一致でもない。
「カオリマツとトウヒが似ているんじゃなくて、実際のところは。
カオリマツとトウヒの生育環境、生存環境が似ているんだ。
だから、それぞれの星の長い歴史の中で、そのような姿かたちになった。
似たような環境で、似たような種が残った。
まず似たような環境があって、その環境における生存競争が行われて、似たような種が生き延びた」
ゆえに。
「カオリマツとトウヒが似ているのは、ただの偶然だ。
でもその偶然は、見方を変えれば当然でもある。
地球に似ているこの世界で、地球に似ている種が生まれ、地球に似ている種が生き延びた。
より環境に適した種が生き延びるのは、決して偶然じゃない、当然のことだ。
このセドナにカオリマツが生える理由もそこにある。
カオリマツが、このセドナ南部の生存競争においてもっとも力強い解を所持していたから。
その解ってのはつまり、他の誰よりもその場所で強く生き延びることができる特徴のことだ」
「……。」
「ここまでは大丈夫、カノン?」
「……だいたいわかった、と思う。
フーガくんが言いたいのは――魚も同じ、ってこと、だよね」
グレート。流石カノンだ。
ようやく結論に辿り着くことができる。
「水の流れの中という生存環境で生き延びるために、水中で呼吸する必要があった。
水の中で、酸素を得る必要があった。
水から酸素を取り込む必要があった。
そのために、鰓が必要だった。
別の手段で酸素を取り込む生命や、酸素を必要としない生命もいただろう。
だがそれらよりも、鰓を持つ生命の方が強く生きることができた。
鰓を持つ生命が、より力強く、生存競争を生き延びた。
鰓を持たない生命は、鰓を持つ生命に淘汰された。
魚という生命が持つ、他のすべての種族特徴についても、同じことがいえる」
流線型の方が生き延びられた。
鰭を持つ方が生き延びられた。
鰓を持つ方が生き延びられた。
鱗を持つ方が生き延びられた。
水流の中という環境で生存するために、そのようなより優れた種族特徴を兼ね備えていった存在。
あるいはそのような種族特徴を兼ね備えていたがゆえに、水流の中という環境で生き延びられた存在。
それが、魚という類。魚という生命種。
魚でない存在は、水底に這いつくばるしかなく。
魚だけが、水流の中を自由に泳ぐことができた。
水中のプランクトンを捕食し、水中に落ちてくる他の生物をより速く捕食できた。
……あるいは、魚類以外の一部の生命も、そのように適応しているかもしれない。
中には独自の進化を遂げ、水中で活動できるようになった種もいるだろう。
だがそれらも、この星の川の流れの中から魚という種を根絶するには至らなかった。
魚というのは、生命の姿かたちの一つの到達点なのだ。
「だから。――だから、ファンタジーの川の中には魚がいる。
俺たちが魚と認識できるような種族特徴を兼ね備えた生命が存在する。
それは、物語の作者が、うっかり地球で見かけた生き物を投げ込んでしまったのではなくて。
たぶん、その星では、そうあるべきだと思ったから、そうしたんだ。
それが、一つの星を描くということなんだろう」
ハイファンタジーの傑作。あの中つ国の物語もそうだ。
物語の舞台すべてを一から創り出したとしても、やはり魚という類はいる。
地球という、俺たちが棲む環境と似た環境を舞台にした時点で。
魚という種もまた存在するのが、より自然で、よりらしいのだ。
より厳密に言えば、現実に存在する魚という種に類似する種族的特徴を兼ね備えた類が。
その世界にも存在するのが、もっともらしい。
「ついでに言えば、拠点の南の岸壁付近で見かけたトンボモドキもそう。
丘陵地帯で見かけたはっか草のへんてこな茎もそう。
りんねるに食べさせてもらったブラックベリーもそう。
そのようにあるのがもっとも生き延びられるから、そのようにある。
……なんで生き延びられるのかは、俺たちのぱっと見ではわからないけどな」
特にトンボモドキ。なんなんだあいつ。
なにがどうなってああなるのか、進化の道筋がわからない。
いや、あいつに関してはなにもかもわからんが。生き物なのかさえ。
「だから、りんねるや、その辺のガチ勢はすごい。
この辺の話を理解したうえで、この星の学問を拓くから」
地球の生命という下地を使わずにこの星の生命を研究するのは、途方もない道のりだろう。
ましてりんねるは分類する。
もっともたしからしく、この星の生命を定義してみせる。
偉業も偉業、もはや呆れるしかない。
「……。」
「ごめん、カノン。最後の方、俺だけ喋っちゃって」
「ううん。わたしが聞いたこと、だし。それに――納得できた、と思う」
「あくまで、それっぽい理屈ってだけだけどな。俺が納得するための。
でも『この世界にも魚はいるはずだ』っていう結論だけ話されても、もやっとするだろ?」
「うん。……なんでだろう、って思う」
「よかった。そう思ってくれるのなら、長話を聞いて貰ってよかったよ。
俺はこの世界の生き物について、そんな風に理解してる。
どこまで合ってるかはわからないけどな」
現実世界については、今言ったような理屈で説明できるかはわからない。
だがそれは、人間にはどこまで言ってもわからないだろう。
より確からしい理論をもとめて、探究を繰り返し、随時刷新していくことしかできない。
なにせ人間は、現実世界の創造主ではないからな。
だが、少なくともファンタジーの世界の魚については、そんな風に理解できる。
作者の描写が容易なため。読者の理解がしやすいため。プレイヤーの役に立つため。
そうした合目的的な存在ではなく。
異世界の魚は、いるべくしているのだ。
この話は、この星でこれから出逢うすべての生き物についても、往々にして当てはまるだろう。
地球で見るのとまったく同じ種には、決して出逢わないだろうけど。
奇抜で、奇妙で、奇怪な生き物というのは、それほど頻繁には出逢わないだろう。
この星、惑星カレドは、それなりに地球に似ているのだから。
……まぁ、それでもトンボモドキみたいなやつはいる。
テレポバグ先の森みたいに、わけのわからんことになっている場所もある。
滅多に見られないからこそ、そういうワケわからんものに出逢った時の驚きも一入だ。
この星は、人間が生存可能な程度には地球の環境に近しいが、地球らしくはまったくない。
そもそも生成される地形が、地球に比べてスペクタクルすぎる。
そうなるように、なにかしらの因子を投げ込んであるのだろう。
だからこそこのゲームには、よくわからない生き物もたくさんいるし、よくわからない場所も無数にある。
そこに、単なる原始時代サバイバルに留まらない、このゲームならではの魅力があると思う。
進化というのは無限の未知に満ちている。
人間が頑張っていろいろと理由付けしたところで、それでもワケわからん生き物というのは無数にいるのだ。
現実でも、深海とか、異世界も同然だろう、あれ。
『魚って、いるのかな?』
そんなカノンの問いかけに、俺は結論だけ言うこともできた。
「いると思うよ」、と。
そうしなかったのは、カノンも納得したいのではないかと思ったから、ではない。
カノンにも、俺と同じ見方を共有して欲しかったから。
りんねるが俺たちに、ものの見方を示したように。
俺もまたカノンに、ものの見方を示したかった。
きっとりんねるも、俺たちに、彼女が見ている世界と同じ世界を見て欲しかったのだ。
「……あっ、あの木」
「お、最後に仕掛けた筌のとこだな」
カノンが、左前方の川の先を見て声を挙げる。
そこには、川の中に立つ、一本の老木。
行きがけに、その下の水底に筌の1つを仕掛けたポイントだ。
話ながら歩いている間に、いつのまにかここまで来ていたらしい。
「……魚、いるかな?」
「これで変な生き物が掛かってたら、さっきの話はすっぱり忘れてくれ」
あんだけ「この世界にも魚はいまぁす!」って力説しといて、魚がいなかったら立つ瀬がない。
いやそもそも、なにかが掛かってるとは限らない。
この際魚じゃなくてもいいから、なにかしらが掛かってて欲しい。
俺のちっぽけなプライドより、俺たちの食糧問題の方がよほど重要だからな。
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