ワンダリング・ワンダラーズ!!

ツキセ

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一章

どろどろ(2)

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  サァァ…… 
     ヒュォォォ――

 ちいさな、あめのおと。
 おおきな、かぜのおと。
 くらくて、つめたい、ちのはて。

 わたしの、どろどろを、おとすため。
 わたしは、ここまできた。

 にげるように、
 かくれるように、
 おびえるように、
 ここまできた。

 でも、わたしは。

 いったいなにに――おびえているんだろう。


 *────


 わたしは、フーガくんの部屋の明かりが消えたのを、確認した。
 わたしは、かれの部屋の明かりが消えるのを待っていた。
 誰にも見られたくなかったから。
 フーガくんにだけは、みられたくなかったから。

 でも、どうして見られたくなかったんだろう。
 かれは、わたしのこのどろどろのことを、知っているのに。
 わたしのなかにある、歪な衝動のことを、知っているのに。
 『いぬ』で、それを隠すようなことはしなかったし。
 4年前のあの日、自分から暴露するようなこともした。

 だからわたしは、このどろどろを、かれに隠す必要がない。
 だからわたしは、このどろどろを、かれに隠したかったわけではないのだ。

 このどろどろを見られたくなかったんじゃない、なら。
 わたしは、いまのわたしを見られたくなかった、のかもしれない。

 どろどろを抑えきれなくなったわたしを、見せたくなかった――のかな。


 *────


 4年ぶりに再会したかれが、あのとき、わたしに掛けてくれたことば。

『よっ。 ――さっきから、こっち、見てたみたいだけど』

 あのときの、わたしは。
 もしかしてかれは、わたしのことを忘れてしまっているんじゃないかと、動揺してしまったけど。
 かれは、決して忘れてなんかいなかった。

 だって。
 この世界で再会したとき、かれが最初に掛けてくれた言葉は。
 わたしとかれが、はじめて出逢ったときに、かれが最初に掛けてくれた言葉だったから。

『ああ、知ってるよ。
 ――よく、知ってる』

 かれは忘れてなんかいなかった。
 それどころか、わたしとかれのはじまりの記憶まで覚えていてくれた。
 それを、わたしに伝えようとしてくれていた。
 わたしのことを、ちゃんと覚えているよと、伝えてくれた。

『4年ぶり。そして――俺を、誘ってくれてありがとう。カノン』

 かれは、かつてわたしと出逢ってくれたフーガくんだった。
 姿が同じだけじゃない。
 わたしのしっている、フーガくんそのものだった。
 あの頃の、まま。

(……。)

 あれから4年がたった。
 わたしが知らない、かれが過ごした時間。
 かれがなにを思い、どのような道のりを経たかなどわかろうはずもない。

 だけど、かれは、大人になっていた。
 大人になってしまって、いた。
 かれはもう、大学生ではない。
 社会ではたらく、れっきとした大人で。
 もう、こどもでは、ない。

(……ぅ)

『明日、おしごと?』
『うん』

 かれは、もう、すっかり大人になってしまった。
 『いぬ』から引き継がれたかれの姿は、4年前から変わっていないけど。

 わたしに向けるまなざしは、以前よりもずっとやわらかくなって。
 わたしに掛けられる言葉は、以前よりもずっと深い意味が込められていて。
 わたしの意図を察してくれる。わたしの手を握ってくれる。
 私の頭を撫でてくれる。わたしを気遣ってくれる。
 かつて「大人」に見えていたかれは。
 4年の月日を経て、紛れもない大人になっていた。

 かれは、変わっていないように見える。
 前と変わらずはしゃいでいるし、前と変わらず輝いている。
 だけど、そうした輝きはそのままに。
 4年分の経験を得て、より成長した。より大人になった。
 かれは、4年前から、たしかに変わったのだ。

 4年分、さきに進んで、しまった。

 その姿が、あまりにも――とおい。


(……ぅ、うう、ぅぅぅ――――)


 かれが、大人になったということ。
 4年分、進んでしまったということ。
 それ自体は、いいんだ。
 普通なら、それは問題にならない。

 でも、わたしはちがう。

 それが問題なんだ。
 すべては、そのせいなんだ。

 わたしは、変わっていないから。
 わたしは、変われていないから。
 わたしは、変われなかったから。

 どろどろ、

 どろどろ。

 わたしは、4年前のあの日から、
 たったの1歩すら、前に進めていない。
 わたしの時計の針は、あの場所で止まったままだ。
 わたしはいまも、あの日腐り落ちた、泥濘のなかにいる。
 どろどろの泥濘のなかから、足を引き抜けないでいる。

 わたしは、いまのわたしを見られたくなかった。
 それは、わたしのどろどろを見られたくなかったからじゃない。

 でも。
 どろどろを抑えきれなくなったわたしを、見られたくなかった――のでもない。

 それはもっと、稚拙な理由。

 わたしは、かれに。
 成長できていないわたしを、みられたくなかった。
 かわっていないわたしを、みられたくなかった。
 4年先に進んだかれに、4年前にいるわたしを、みられたくなかったんだ。

 わたしの身体は4年の月日を経た。
 わたしは高校生から大学生になった。
 かれと同じように、成人もした。
 4年前のかれと同じ、21歳になった。

 でも、わたしだけが、変わっていない。
 わたしのどろどろは、変わっていない。
 捨て去ることも、自分の力で抑えることも、
 どこか別の仕方、別の場所で吐き出すこともできず。
 かつて与えられていた、しあわせの残滓を感じることで、ごまかしながら。
 ふらふらと彷徨いながら、惰性のように生きてきた。
 そうしてわたしが、ふらふらしている間にも。
 かれは、4年分先に進み、立派な大人になった。
 わたしは、4年前の場所で立ち竦む、子どものままだ。

 だから、わたしとかれの間には、
 4年前のあの日、離れてしまった距離よりも、
 もっと大きな隔たりが出来てしまった。
 それは、わたしの4年分の停滞が生んだ距離。
 わたしが変われない限り、その隔たりはどんどん大きくなる。
 このどろどろをどうにかしない限り、わたしはかわれない。
 また、あのひをくりかえしてしまう。
 また、かれと、はなればなれになってしまう。

 だからわたしは、かわりたかった。
 かわって、はしって、おいかけて。
 こんどこそ、かれのそばをあるきたい。
 こんどこそ、かれといっしょにいたい。
 もうしっぱいしないと、そうちかって、このせかいにきたのに。

 じゃあ。

 なんでわたしは、

 いま、ここにいるの?


 なんでわたしは、

 ふーがくんから、にげてきたの?


 なんで、わたしは、

 ふーがくん、より、


 このどろどろを、えらんでいるの?


(ぁ、ぁぁ、ぁ――――ッ!!)


 どろどろが、あふれでる。
 おさえきれない。
 とまらない。

 なんで、わたしは、かわらないの。
 なんで、わたしは、こんななの。

 どうして、かわれないの。
 どうして、がまんできないの。

 いっしょにあるきたかった。
 かれのとなりにいきたかった。

 わたしのそばにいてほしかった。
 わたしのそばでわらってほしかった。

 てをにぎってほしかった。
 あたまをなでてほしかった。

 このせかいにきて、フーガくんとあえて。
 それからのひび。
 あたえられたもの。
 いままでのじんせいで、いちばんしあわせなじかん。

 いまなら、さよちゃんに言われなくてもわかる。
 よねんまえのあのひのわたしに、たたきつけてやる。

 わたしはただ、かれがいるそのときだけは、
 かれのそばにいるだけで、しあわせなんだ。

 どろどろなんて、わすれてしまう。
 かんたんに、ふりはらうことができる。
 だから、それをねだるひつようなんて、なかったんだ。


 でも――

 それが、わかっても。

 それって、わたしが、

 かわっているわけでは、ない、よね。

 わかっているだけじゃ、だめだった、んだ。

 ただ、かれに、あまえている、だけ、で。

 わたしは、よねんまえの、ままで。

 わたしの、どろどろは。

 いまでも、いつまでも、

 どこでも、どこまでも、

 どろどろ、わいてきて。

 かれがいないという、それだけで。

 たったいちにち、あえないだけで。

 こんなにもはやく、わたしをのみこんで。

 わたしは、どろどろを、がまんする、どころか。

 それに、あらがう、ことさえ、できて、いない。

 わたしは、よねんまえの、ままだ。

 そうして、わたしがとまっているあいだにも、

 かれだけが、すすんでいってしまう。

 かれは、どんどん、はなれていく。


「――うっ、ぅー、……ぁ、くっ、ん、ぅ――っ!!」


 だめだ。

 また――だめになる。


 だめになるまえに。

 わたしが、こわれてしまうまえに。

 わたしを、こわしてしまうまえに。

 このせかいを、うばわれるまえに。

 このどろどろを、おとしてしまいたい。

 わたしの、なかの、どろどろ。

 それをおとすのは、かんたん。


 痺れた足が、ずりずりと、冷えた身体を前へと引きずる。
 耳鳴りがする。風の音が聞こえる。
 心が震える。目がちかちかする。呼吸が乱れる。

 一度足を踏み外せば、もうぜったいに、たすからない。
 どんなにあがいても、わめいても、たすからない。


 ――しぬ。

 ――ことが。

 ――できる。


 よねんぶり、だよ。

 きっと、きもちいいよ。

 うでをきるよりも。

 くびをしめるよりも。

 つめをはがすよりも。

 きずをえぐるよりも。

 ちをながすよりも。

 きをうしなうよりも。


 じぶんでじぶんをこわすよりも。

 もっともっと、きもちいいもの。


 ――ぅ、あ、ぁあ――ああぁ――――


「っ……――ふっ、ふぅっ、ふーがっ、くんっ――――っ!!」






   ――――――、―――?






「――――っ」


 聞こえるはずのない声。

 そこにいるはずのない人。

 わたしがつくりだした、まぼろしの声。

 わたしは、その声を聴きたかったのだろうか。

 わたしは、なぜ、かれの名前を呼んだのだろうか。

 わからない。

 わからないけど。

 わたしは、

 わたしは――


 ふりかえる。




 *────




 そして、わたしは、みた。



 そこに、いるはずの、ない人を。
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