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12.波よ静かに
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第十二番 嬰ト短調 Presto
うだるような暑さの日。僕と聡は現代国語の補習に呼び出された。
「せっかくの夏休みなのによー」
聡がうめき声をあげる。
「別に何か予定があるわけじゃないだろ」
それは僕も同じことではあるわけだ。
教室の椅子に赤点組が座らせられると現代国語の無精髭を生やした体育教師のように屈強な体をした先生は
「いいかー先生も夏休み中なんだぞー。これからお前らの救済措置のための追試を配るからもう赤点なんてとるんじゃねーぞ」
なんだか聡と同じようなことを口にしているようにみえるが、先生は被害者なんだなと考えると少しだけ申し訳なくも感じる。
現代国語が苦手なのは、論説問題だと興味のない内容だと読むのが苦痛になってしまうからである。テストなんだからテクニックだけ考えればよいのに僕はじっくりと読もうとしてしまうのだ。そして眠くなって思考回路が停止しそうになってしまう。
小説問題はいつも駄目だ。「ここで主人公の気持ちを答えよ」だなんて質問、毎度のことながら何が聞きたいのかが分からない。
そうはいっても追試験はパスしないといけないので論説が興味ある内容であることを祈った。
問題は人工知能、AIについてだった。AIとはと始まり、AIにかわる仕事とかAIと人類はどう付き合っていくかなどといった論説で幸い興味を持つことができた。
小説問題はやはり頭を悩ませたが、『セロ弾きのゴーシュ』を何度か読み返しては解釈を考えていたことが多少は訓練となったようで以前よりは読めるようにはなった気はした。
「よし、時間だ。後ろのものから用紙を前にまわせー」
テストを受けている時間はいつもあっという間に終わってしまう。とりあえず追試はパスできるだろう。感触は悪くなかった。
一息ついて安堵しているとトイレにいっていた聡が戻ってくるなり
「なぁ響、観音崎女子高校の子がお前に用事があるらしく正門で待ってるってよ。いま部活に来てる陸上部の大浜が言伝してきてよー」
「観音崎女子高校の子が僕に用?」
「お前いつの間に他校の女の子と知り合いになんてなってたんだよ」
まったくもって記憶にない。そもそも今日は補習でたまたま学校にきているわけなので、どうして僕が登校している事を知っているのだろう。
僕は筆記用具を鞄にしまい、下駄箱で靴を履き替えると正門に向かって歩き出した。
観音崎女子高校。馬堀海岸駅最寄りの高台にある、その名の通りの女子高だ。もとは海軍子女のために作られた高校で、横須賀では珍しい全寮制の学校だ。偏差値は高く有名大学や医学部に進学する生徒も多々いる。
正門には髪を少し茶色に明るくしたショートカットボブの小柄な女の子が立っていた。観音崎女子高校は海軍縁もあってまさにオーソドックスなセーラー服。中学の同級生なのかなとか思ったけれど、会ったことはないとは思う。たぶん。その辺りはまったくもって自身はないわけで。
「あんたが波間響?ちょっと話があるんだけど」
女の子は僕と目が合うなり棘のある口調で話しかけてきた。
間違っても恋の告白だなんて雰囲気ではなさそうだ。
僕は校門を出るとそのまま学校の隣の三笠公園に連れていかれた。
公園の門を越え振り返るなり
「みーちゃんのことからかっているんでしょ?余計なこと言わないで!」
どすの効いた口調。東郷平八郎の銅像と戦艦三笠を背に仁王立ちでふんぞり返ってる立ち姿の迫力は小柄なのに半端ない。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ
だがこの立ち位置だとこちらがロシア軍のバルチック艦隊で連合艦隊に包囲された気分だ。
「えっと。みーちゃんというのは?」
猫ではないよな。
「潮崎美海よ。あんた最近ちょっかい出してるそうじゃない?美海もこんな男に病気の事しゃべるなんて」
僕はこの女の子にとってかなりの悪者扱いのようだ。
「たしかに最近、美海とは知り合ったけど」
「美海~!!!」
女の子の眉根が吊り上がり憤慨し始める。
下の名前で呼んだのはまずかったらしい。
「あ、いや潮崎さんとたしかに知り合いにはなったけど、とくに君が憤慨するようなことはしてないつもりだ」
「何もしてないですって。みーちゃんは、病気になる前はもっと明るい子だったの。音楽の時間になると一番に教室に飛んでいって、音楽の先生と話すのが楽しいんだって。だって小学生にクラシック好きな子なんていないものね。アイドルの曲だって好きだったんだよ。でも踊りは苦手って。私が教えてあげていたの。音楽以外はちっともなの。中学になってもおしゃれちっともしないから私が教えてあげたの」
「そうか、だから洋服一つ決められなかったのかな?」
この間のショッパーズの出来事を回想する。
「そうよ、あんた一緒に出かけたってのにみーちゃん何も買えてなかったじゃない、みーちゃんに外の世界を教えてあげられるのは私なんだから余計な事しないで!」
一気にまくし立ててくる。
僕は少しの間、言葉の意味を整理してから
「ようするに僕と仲良くなっているのが気にくわないってことなのかな?」
「嫉妬?」
僕はそう口にすると
「嫉妬じゃないわよ!」
顔を赤らめて否定してくる。今にも飛び掛かってきそうだ。まるで獰猛な虎のように。
「あんた、みーちゃんに演奏を録音しないかとか提案したそうじゃない?病気のこと知ってて言ったこと分かってるんででしょうね?体の辛さも知らないくせに簡単なこといって。許せないってことよ」
女の子はそう口にしながら歩幅を一歩僕に詰め寄ってくる。
「からかって言ったつもりはない。美海の願い事の手伝いをしたいと言っただけだ」
僕は反論する。
「願い事ですって?私はそんなこと聞いたことないもん」
録音したいという願い事は、この子には話したことはないようだ。
「はいはい、二人とも落ち着いて」
あと一歩でおでこが付くくらいの距離に縮まってしまっている僕らの間に聡が割って入ってきた。
「ほらほら東郷さんも二人を見て困っているよ」
聡なりの仲裁の台詞だったようだが、東郷さんよりも観光客の人達がこちらを何事かと見ているぞ。
「暑いし、お昼の時間にもなったから食事でもしながら落ち着いて話しない?」
聡はそう女の子を宥めながら場所の移動を促す。
女の子も観光客の視線が恥ずかしくなったのか少し冷静さを取り戻してくれた。
僕らがドブ板に向かって歩き始めると、それでも僕らの後を、睨みつけるような視線を這わせながら付いてくる。
僕と聡は恐怖に慄き無言のままだった。
ドブ板通り商店街。通称ドブ板。あらためて口にすると酷いネーミングな気はするが、かつて道の中央にドブ川が流れていたことに由来するらしい。もちろん今はそんな川はなく、商店街が立ち並ぶ。ここはアメリカ海軍とともに歩んできた商店街。アメリカ海軍さんの飲み屋街でもあるので昼間は開店していないお店も目にする。ミリタリーショップやスカジャンショップを横目に僕らは商店街を歩いた。
そして、僕と女の子は聡にネイビーバーガーショップARASHIに連れてこられた。
「お腹空いてない?今日は奢るからさ」
席に座ると聡がやむを得ずといった表情で機嫌取りをし始めた。
「録音計画の話は響から協力をお願いされてて、まだ日程は決まってないけど決して悪ふざけでやっていることではないよ」
聡が弁明をする。こういう時は間に入って取り持ってくれると助かるものだ。
「潮崎さんにはまだ内緒にして欲しいのだけど横須賀芸術劇場の大ホールを借りようと思っていて、利用料のためにここでアルバイトしているんだ」
聡がそう口を開く。僕は黙って女の子の反応をみていた。
女の子はメニューを捲りながら
「あんた奢ってくれるって言ったわよね」
会話のキャッチボールになっていないがそう聡に確認してきた。
「ん?ああ、奢る奢るよ」
聡は少し面食らった表情をしながらも先程約束したことを口にする。
どうせ女の子の食事量だ。とりあえず食べ物で機嫌をとる作戦は功をそうしてくれるといいのだけど。きっと聡もそう目論んでいることだろう。
「じゃ、これ」
メニューを開いて指を落とす。
「「ん?」」
僕と聡は思わずメニューを覗き込む。僕は一瞬息がとまった。
女の子が指さしたメニューには『太平洋艦隊バーガー』と書かれている。ハンバーグが第七艦隊にちなんで7枚挟まれた特大ハンバーガーだ。高さは33.3cmと書かれている。これは数人で食べるものなんだけど。
「太平洋艦隊バーガーで間違いないよね?」
聡が確かめる。
「そうよ」
「これ数人で食べるものなんだけど大丈夫?」
聡が念を押す。
「大丈夫よ。食べるのは私じゃないから」
「「え」」
僕らは耳を疑った。
「食べるのはあんたよ」
女の子は腕組みを解くと聡に向かって指さしてきた。
「あんたさっき、本気でやってるって言ったわよね。本気でやってるのならばカロリー必要でしょ。ならこれくらい摂取しておかない足りないんじゃない?」
「「・・・」」
僕と聡、二人して絶句の表情。
そして聡が僕にヘルプのアイコンタクトを送ってくる。
いや回避不可能だろう。僕は女の子の顔をもう一度みるなりそう思った。
「どうなの?奢ってくれるのかしら?」
女子はまた腕を組ながら虎のような視線で聡を追い込む。
「太平洋艦隊バーガーお願いしやっす」
聡がそう注文をした。声にまったく力がない。
数分後僕らのテーブルの上に太平洋艦隊バーガーが乗っけられたお皿が置かれた。高さ33.3cmのハンバーガーが見事にタワーを形成している。
ハンバーガーを目の前にして聡が涙目になっている。
「どうしたのよ。食べなさいよ」
ふん、と顎をつきあげながら今度はペンギンも凍るような氷の視線を送ってくる。
「あんたらの本気なんてそんな程度なものってことでしょ。さっさとギブアップして謝りなさい。そしてもう二度とみーちゃんを困らせるようなことしないで」
女の子が席を立とうとすると
聡が机を両手で叩き立ち止まらせた。
「こいつを食べたら僕らの本気を認めてくれるんだな」
聡が急に男気を出し始める。
「おい、よせって」
心配する僕に向かって手を出し静止してくる。
「食べきれたら認めてあげるわよ」
女の子は鼻で笑っている。
「わかった。太平洋艦隊バーガーを完食したら僕らに協力してくれよ!」
そう言うと聡の無謀な挑戦がはじまった。
ネイビーバーガーを普通のハンバーガーと思うなかれ。とにかく肉厚でボリュームたっぷりなのだ。そうこれはステーキをほおばるようなもの。それをましてや肉7枚。重さは合計1800グラムに及ぶ。このハンバーガーをおいしそうにほおばるプロレスラーのような巨漢の男の写真が店内には飾られているのをみるだけで無謀な挑戦だということが分かる。
まずは肉一枚。そして二枚。
なにこれくらいは有名チェーン店のビックサイズくらいなものだ。これくらいなら僕でも。
聡もまだまだ余裕の表情を浮かべている。
しかしもう一枚、二枚と続くと明らかにペースが落ちてきている。タワーを形成しているバンズも消化しつつ。トマトとレタスの処理は終えた。
なんといっても厚みがあってほおばれない。聡はふっくらとしたバンズに肉を挟んで潰す。体積は減っても重量は減らないが心理的操作がそうさせるのだろう。
「どうしたのよ、ペース落ちてきているみたいだけど。制限時間設定してなかったけど1時間以内にしてよね。私、あんたらみたいに暇じゃないんだから」
女の子は容赦ない条件を聡に突きつけてくる。
「ねえ?せめて僕と二人でってことにしない?」
僕はたまらず助け船を出したくなった。
「本気みせてくれるんでしょ?」
シベリアの永久凍土ですかと思えるくらい冷徹な台詞だ。
「お、おお、大丈夫、大丈夫。まだまだいけるから」
聡は額に脂汗をかきはじめてきた。
「お、おい、無理するなって」
僕はだんだん心配になってきた。
聡はそれでも食べ続ける。
「あと5分よ」
女の子の勝ち誇った笑みが聡の闘志に火をつけた。
「んごごぉーーーー」
フードファイトの結末はと言うと。
聡は見事に完食したのだ。
「うぷ。ど、どうだ。文化系の部活だからって高校男子の食欲を甘くみたな。ふはははあ・・・・」
といって聡はぶっ倒れた。
お前凄いよ。
*
次の日の出来事だった。
聡は今日もARASHIでのバイトに勤しんでいる。流石に胃もたれが酷いらしい。
僕はそんな聡が心配になり様子を見るためお店に足を運んだ。
「アーレイ・バーク級バーガーお待ちどうさまです」
聡がハンバーガーを運んできてくれる。
「おい、お前今日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「なあに。大丈夫だよ」
そう聡は強がるがあまり顔色はよくない。こんなになって聡の奮闘は実ったのだろうかと健気に思えてきた。
「おう聡、新しいバイトの子が入ったんでよろしくな」
背中からマスターの声がした。
僕らは振り返るとまたしても仁王立ちした小柄の女の子がこちらを睨みつけている。
「泊翔子です。よろしく」
ふんっ。といった態度で自己紹介してきた。
「えっどうして?」
僕らが驚きの表情をすると、
「あんたらだけじゃ心配だからよ。それと大ホールって結構お金かかるじゃない。一人だけじゃ足りないでしょう」
翔子と名乗った女の子がぶっきらぼうにそう話しかけてくる。
おいおい、こんな態度の店員で大丈夫か・・・
「それじゃ僕らを認めてくれたってことだね!」
聡はなんだか急にはしゃぎだした。
「約束は守るわよ」
翔子と名乗った女の子は相変わらず不機嫌なままだけど昨日よりは口調は穏やかに感じた。
「ようしこれで空母打撃群の完成だ!」
聡が口にする。
「なんだよそのネーミング」
僕が軽く突っ込んだ。
「潮崎さんが空母だろ。お前はイージス艦、翔子ちゃんは艦載機だ!」
「ちょっと何いきなり名前で呼ぶのよ!」
翔子のつっこみは置いておき、
「それじゃ、お前は何なんだ」
僕がそう聞くと、
「潜水艦」
聡は啓礼ポーズをしながらそう宣言した。
うだるような暑さの日。僕と聡は現代国語の補習に呼び出された。
「せっかくの夏休みなのによー」
聡がうめき声をあげる。
「別に何か予定があるわけじゃないだろ」
それは僕も同じことではあるわけだ。
教室の椅子に赤点組が座らせられると現代国語の無精髭を生やした体育教師のように屈強な体をした先生は
「いいかー先生も夏休み中なんだぞー。これからお前らの救済措置のための追試を配るからもう赤点なんてとるんじゃねーぞ」
なんだか聡と同じようなことを口にしているようにみえるが、先生は被害者なんだなと考えると少しだけ申し訳なくも感じる。
現代国語が苦手なのは、論説問題だと興味のない内容だと読むのが苦痛になってしまうからである。テストなんだからテクニックだけ考えればよいのに僕はじっくりと読もうとしてしまうのだ。そして眠くなって思考回路が停止しそうになってしまう。
小説問題はいつも駄目だ。「ここで主人公の気持ちを答えよ」だなんて質問、毎度のことながら何が聞きたいのかが分からない。
そうはいっても追試験はパスしないといけないので論説が興味ある内容であることを祈った。
問題は人工知能、AIについてだった。AIとはと始まり、AIにかわる仕事とかAIと人類はどう付き合っていくかなどといった論説で幸い興味を持つことができた。
小説問題はやはり頭を悩ませたが、『セロ弾きのゴーシュ』を何度か読み返しては解釈を考えていたことが多少は訓練となったようで以前よりは読めるようにはなった気はした。
「よし、時間だ。後ろのものから用紙を前にまわせー」
テストを受けている時間はいつもあっという間に終わってしまう。とりあえず追試はパスできるだろう。感触は悪くなかった。
一息ついて安堵しているとトイレにいっていた聡が戻ってくるなり
「なぁ響、観音崎女子高校の子がお前に用事があるらしく正門で待ってるってよ。いま部活に来てる陸上部の大浜が言伝してきてよー」
「観音崎女子高校の子が僕に用?」
「お前いつの間に他校の女の子と知り合いになんてなってたんだよ」
まったくもって記憶にない。そもそも今日は補習でたまたま学校にきているわけなので、どうして僕が登校している事を知っているのだろう。
僕は筆記用具を鞄にしまい、下駄箱で靴を履き替えると正門に向かって歩き出した。
観音崎女子高校。馬堀海岸駅最寄りの高台にある、その名の通りの女子高だ。もとは海軍子女のために作られた高校で、横須賀では珍しい全寮制の学校だ。偏差値は高く有名大学や医学部に進学する生徒も多々いる。
正門には髪を少し茶色に明るくしたショートカットボブの小柄な女の子が立っていた。観音崎女子高校は海軍縁もあってまさにオーソドックスなセーラー服。中学の同級生なのかなとか思ったけれど、会ったことはないとは思う。たぶん。その辺りはまったくもって自身はないわけで。
「あんたが波間響?ちょっと話があるんだけど」
女の子は僕と目が合うなり棘のある口調で話しかけてきた。
間違っても恋の告白だなんて雰囲気ではなさそうだ。
僕は校門を出るとそのまま学校の隣の三笠公園に連れていかれた。
公園の門を越え振り返るなり
「みーちゃんのことからかっているんでしょ?余計なこと言わないで!」
どすの効いた口調。東郷平八郎の銅像と戦艦三笠を背に仁王立ちでふんぞり返ってる立ち姿の迫力は小柄なのに半端ない。
本日天気晴朗ナレドモ浪高シ
だがこの立ち位置だとこちらがロシア軍のバルチック艦隊で連合艦隊に包囲された気分だ。
「えっと。みーちゃんというのは?」
猫ではないよな。
「潮崎美海よ。あんた最近ちょっかい出してるそうじゃない?美海もこんな男に病気の事しゃべるなんて」
僕はこの女の子にとってかなりの悪者扱いのようだ。
「たしかに最近、美海とは知り合ったけど」
「美海~!!!」
女の子の眉根が吊り上がり憤慨し始める。
下の名前で呼んだのはまずかったらしい。
「あ、いや潮崎さんとたしかに知り合いにはなったけど、とくに君が憤慨するようなことはしてないつもりだ」
「何もしてないですって。みーちゃんは、病気になる前はもっと明るい子だったの。音楽の時間になると一番に教室に飛んでいって、音楽の先生と話すのが楽しいんだって。だって小学生にクラシック好きな子なんていないものね。アイドルの曲だって好きだったんだよ。でも踊りは苦手って。私が教えてあげていたの。音楽以外はちっともなの。中学になってもおしゃれちっともしないから私が教えてあげたの」
「そうか、だから洋服一つ決められなかったのかな?」
この間のショッパーズの出来事を回想する。
「そうよ、あんた一緒に出かけたってのにみーちゃん何も買えてなかったじゃない、みーちゃんに外の世界を教えてあげられるのは私なんだから余計な事しないで!」
一気にまくし立ててくる。
僕は少しの間、言葉の意味を整理してから
「ようするに僕と仲良くなっているのが気にくわないってことなのかな?」
「嫉妬?」
僕はそう口にすると
「嫉妬じゃないわよ!」
顔を赤らめて否定してくる。今にも飛び掛かってきそうだ。まるで獰猛な虎のように。
「あんた、みーちゃんに演奏を録音しないかとか提案したそうじゃない?病気のこと知ってて言ったこと分かってるんででしょうね?体の辛さも知らないくせに簡単なこといって。許せないってことよ」
女の子はそう口にしながら歩幅を一歩僕に詰め寄ってくる。
「からかって言ったつもりはない。美海の願い事の手伝いをしたいと言っただけだ」
僕は反論する。
「願い事ですって?私はそんなこと聞いたことないもん」
録音したいという願い事は、この子には話したことはないようだ。
「はいはい、二人とも落ち着いて」
あと一歩でおでこが付くくらいの距離に縮まってしまっている僕らの間に聡が割って入ってきた。
「ほらほら東郷さんも二人を見て困っているよ」
聡なりの仲裁の台詞だったようだが、東郷さんよりも観光客の人達がこちらを何事かと見ているぞ。
「暑いし、お昼の時間にもなったから食事でもしながら落ち着いて話しない?」
聡はそう女の子を宥めながら場所の移動を促す。
女の子も観光客の視線が恥ずかしくなったのか少し冷静さを取り戻してくれた。
僕らがドブ板に向かって歩き始めると、それでも僕らの後を、睨みつけるような視線を這わせながら付いてくる。
僕と聡は恐怖に慄き無言のままだった。
ドブ板通り商店街。通称ドブ板。あらためて口にすると酷いネーミングな気はするが、かつて道の中央にドブ川が流れていたことに由来するらしい。もちろん今はそんな川はなく、商店街が立ち並ぶ。ここはアメリカ海軍とともに歩んできた商店街。アメリカ海軍さんの飲み屋街でもあるので昼間は開店していないお店も目にする。ミリタリーショップやスカジャンショップを横目に僕らは商店街を歩いた。
そして、僕と女の子は聡にネイビーバーガーショップARASHIに連れてこられた。
「お腹空いてない?今日は奢るからさ」
席に座ると聡がやむを得ずといった表情で機嫌取りをし始めた。
「録音計画の話は響から協力をお願いされてて、まだ日程は決まってないけど決して悪ふざけでやっていることではないよ」
聡が弁明をする。こういう時は間に入って取り持ってくれると助かるものだ。
「潮崎さんにはまだ内緒にして欲しいのだけど横須賀芸術劇場の大ホールを借りようと思っていて、利用料のためにここでアルバイトしているんだ」
聡がそう口を開く。僕は黙って女の子の反応をみていた。
女の子はメニューを捲りながら
「あんた奢ってくれるって言ったわよね」
会話のキャッチボールになっていないがそう聡に確認してきた。
「ん?ああ、奢る奢るよ」
聡は少し面食らった表情をしながらも先程約束したことを口にする。
どうせ女の子の食事量だ。とりあえず食べ物で機嫌をとる作戦は功をそうしてくれるといいのだけど。きっと聡もそう目論んでいることだろう。
「じゃ、これ」
メニューを開いて指を落とす。
「「ん?」」
僕と聡は思わずメニューを覗き込む。僕は一瞬息がとまった。
女の子が指さしたメニューには『太平洋艦隊バーガー』と書かれている。ハンバーグが第七艦隊にちなんで7枚挟まれた特大ハンバーガーだ。高さは33.3cmと書かれている。これは数人で食べるものなんだけど。
「太平洋艦隊バーガーで間違いないよね?」
聡が確かめる。
「そうよ」
「これ数人で食べるものなんだけど大丈夫?」
聡が念を押す。
「大丈夫よ。食べるのは私じゃないから」
「「え」」
僕らは耳を疑った。
「食べるのはあんたよ」
女の子は腕組みを解くと聡に向かって指さしてきた。
「あんたさっき、本気でやってるって言ったわよね。本気でやってるのならばカロリー必要でしょ。ならこれくらい摂取しておかない足りないんじゃない?」
「「・・・」」
僕と聡、二人して絶句の表情。
そして聡が僕にヘルプのアイコンタクトを送ってくる。
いや回避不可能だろう。僕は女の子の顔をもう一度みるなりそう思った。
「どうなの?奢ってくれるのかしら?」
女子はまた腕を組ながら虎のような視線で聡を追い込む。
「太平洋艦隊バーガーお願いしやっす」
聡がそう注文をした。声にまったく力がない。
数分後僕らのテーブルの上に太平洋艦隊バーガーが乗っけられたお皿が置かれた。高さ33.3cmのハンバーガーが見事にタワーを形成している。
ハンバーガーを目の前にして聡が涙目になっている。
「どうしたのよ。食べなさいよ」
ふん、と顎をつきあげながら今度はペンギンも凍るような氷の視線を送ってくる。
「あんたらの本気なんてそんな程度なものってことでしょ。さっさとギブアップして謝りなさい。そしてもう二度とみーちゃんを困らせるようなことしないで」
女の子が席を立とうとすると
聡が机を両手で叩き立ち止まらせた。
「こいつを食べたら僕らの本気を認めてくれるんだな」
聡が急に男気を出し始める。
「おい、よせって」
心配する僕に向かって手を出し静止してくる。
「食べきれたら認めてあげるわよ」
女の子は鼻で笑っている。
「わかった。太平洋艦隊バーガーを完食したら僕らに協力してくれよ!」
そう言うと聡の無謀な挑戦がはじまった。
ネイビーバーガーを普通のハンバーガーと思うなかれ。とにかく肉厚でボリュームたっぷりなのだ。そうこれはステーキをほおばるようなもの。それをましてや肉7枚。重さは合計1800グラムに及ぶ。このハンバーガーをおいしそうにほおばるプロレスラーのような巨漢の男の写真が店内には飾られているのをみるだけで無謀な挑戦だということが分かる。
まずは肉一枚。そして二枚。
なにこれくらいは有名チェーン店のビックサイズくらいなものだ。これくらいなら僕でも。
聡もまだまだ余裕の表情を浮かべている。
しかしもう一枚、二枚と続くと明らかにペースが落ちてきている。タワーを形成しているバンズも消化しつつ。トマトとレタスの処理は終えた。
なんといっても厚みがあってほおばれない。聡はふっくらとしたバンズに肉を挟んで潰す。体積は減っても重量は減らないが心理的操作がそうさせるのだろう。
「どうしたのよ、ペース落ちてきているみたいだけど。制限時間設定してなかったけど1時間以内にしてよね。私、あんたらみたいに暇じゃないんだから」
女の子は容赦ない条件を聡に突きつけてくる。
「ねえ?せめて僕と二人でってことにしない?」
僕はたまらず助け船を出したくなった。
「本気みせてくれるんでしょ?」
シベリアの永久凍土ですかと思えるくらい冷徹な台詞だ。
「お、おお、大丈夫、大丈夫。まだまだいけるから」
聡は額に脂汗をかきはじめてきた。
「お、おい、無理するなって」
僕はだんだん心配になってきた。
聡はそれでも食べ続ける。
「あと5分よ」
女の子の勝ち誇った笑みが聡の闘志に火をつけた。
「んごごぉーーーー」
フードファイトの結末はと言うと。
聡は見事に完食したのだ。
「うぷ。ど、どうだ。文化系の部活だからって高校男子の食欲を甘くみたな。ふはははあ・・・・」
といって聡はぶっ倒れた。
お前凄いよ。
*
次の日の出来事だった。
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「おい、お前今日は休んだ方がいいんじゃないか?」
「なあに。大丈夫だよ」
そう聡は強がるがあまり顔色はよくない。こんなになって聡の奮闘は実ったのだろうかと健気に思えてきた。
「おう聡、新しいバイトの子が入ったんでよろしくな」
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僕らは振り返るとまたしても仁王立ちした小柄の女の子がこちらを睨みつけている。
「泊翔子です。よろしく」
ふんっ。といった態度で自己紹介してきた。
「えっどうして?」
僕らが驚きの表情をすると、
「あんたらだけじゃ心配だからよ。それと大ホールって結構お金かかるじゃない。一人だけじゃ足りないでしょう」
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おいおい、こんな態度の店員で大丈夫か・・・
「それじゃ僕らを認めてくれたってことだね!」
聡はなんだか急にはしゃぎだした。
「約束は守るわよ」
翔子と名乗った女の子は相変わらず不機嫌なままだけど昨日よりは口調は穏やかに感じた。
「ようしこれで空母打撃群の完成だ!」
聡が口にする。
「なんだよそのネーミング」
僕が軽く突っ込んだ。
「潮崎さんが空母だろ。お前はイージス艦、翔子ちゃんは艦載機だ!」
「ちょっと何いきなり名前で呼ぶのよ!」
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言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
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「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
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支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
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