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嫉妬、黒、黒。
しおりを挟む――side.K
『やだぁ!!たすけて!おかあさん!!』
助けに入った瞬間香呉の目に飛び込んできたのは、汚い大人に組み敷かれ服を剥かれた幼馴染みの姿だった。その目は恐怖一色で、聞いたこともないような声で叫んでいる。
香呉は目の前が赤くなり、気がついたら大事な幼馴染みを押し倒している男に向かって殴りかかっていた。
『もう大丈夫。もう大丈夫だよ。俺がいるから』
そう何度も言い聞かせ、小さな背中を擦る。警察に連れて行かれる男が幼馴染みの視界に入らないように、キツく抱きしめる。
『おにぃちゃん、おにぃちゃん』
『うん、ぬく、俺はぬくの側にいるから。ずっといるから、大丈夫』
あんなこともあったなと目覚めて一番に思い出す。あれから10年経った。香呉はしばらく自分の大きな手の平を眺めると、息を吐いて起き上がった。低血圧なためのっそりとした動きで制服の袖に腕を通す。
あの時はまだバース性が発現していなかったが、香呉はαと判定され、その種通り体格と頭脳に恵まれた。
用意されている朝食を終え、身支度を調え玄関を出る。直ぐさま向かいの家の呼鈴を押した。
すると数十秒後にバタバタと忙しない足音と共に扉が勢い良く開く。
「ごめん、寝坊しちゃった!」
「いいよ。忘れ物はないか?」
『ないよ!』寝癖をぴよぴよとさせながら駆けてくる姿はまさに親鳥を追って走ってくるひよこ。香呉は愛おしさに胸が痛んだ。
香呉の年下の幼馴染み、温。屈託なく笑う彼はΩだ。彼には10年前の事件の記憶は、ない。当時ショックによって一時的な記憶喪失になった温は記憶を取り戻したが、あの事件の記憶だけは消えたままであった。その方が温のためには良い、と香呉は思う。
ただ、その無意識なトラウマの為か、温は性的な話題を忌避する。保健体育の授業でも、性的な話になると震えが止まらなくなり、パニック症状が出てしまうのである。
香呉は出会った時から温が好きだ。運命の相手だと確信もしている。だから、彼を番にしたい。
まだ付き合えてさえいない中でこんなことを言うのもあれだが。
もし自分が温に告白をしたら、トラウマが発動し一生避けられてしまうかもしれない。そうなってしまったら、きっと自分は生きていけないだろう。
温のいない人生なんて、考えただけで呼吸するのさえ辛くなってしまう。
『ぬく、お前がいなかったらきっと俺は死んでしまう』
「香呉兄、どうしたの?早く行こ!」
「あ、ああ」
手を差し出してくる無垢な天使の眩しさに目を細め、香呉はその小さな手に自身の手を重ねた。壊してしまわないように、そっと。
***
「香呉兄、僕、雪人さんと付き合うことになった」
自分が気持ちをぶつけたら、きっと温を傷つけてしまう。ああ、こうやって自分は温への気持ちを押し殺しながら、彼が誰かと結婚して幸せに暮らす様を偽りの笑顔で見守るのだろう。と思っていた。
だが、温は照れてその白い頬を淡く朱に染めながら、幸せそうに恋人を紹介してきた。腕を組む相手は香呉の同級生だった。
「そうか」
辛うじてその一言を絞り出す。頭が真っ白になった香呉には、それが精一杯だった。
学校帰り、家路の途中。温に嬉しそうに恋人を紹介されてショックを受けた香呉は、そこから自分の家に帰るまでの記憶がなかった。気がついたら自分の部屋にいた。
頭を抱える。
何故・・・。なんでだ!!?
同級生の雪人は香呉の数少ない親友と呼べる者だった。雪人は絵に描いたようなできたαで、全生徒から好かれている奴だ。雪人と出会った当初、彼は家から求められる将来へのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。同じαとしての悩み。いつしか弱音を言い合える関係になっていき、香呉は雪人にだけ、温への想いを打ち明けていた。だから香呉の温への想いを知っていたはず。
それに雪人は――
「香呉――ッ!」
「なんでだっ!」
翌日の昼休み、いつも落ち合う人気の無い物理準備室近くの階段の踊り場。気まずそうに話しかけてきた雪人の胸ぐらを掴むと、香呉は彼の身体を壁に打ち付けた。
「雪人、お前っ――」
αが好きじゃなかったのか!?
以前、深刻な顔をして告げられた雪人の秘密。彼は“αの男”しか愛せないのだと聞いた。αが周りに臨まれるものの中に含まれるのが、自身同様優秀な子孫を残すこと。それ故暗に同姓(同姓且つ同バース性)との情事はタブーとされている。
社会の異端者であるという自覚と世間一般的な価値観に押しつぶされそうになっていた
雪人を何とか励ましたのは記憶に新しい。
なんとか言ったらどうなんだ!!
胸ぐらを掴む手に一層力を入れた。俯いていた雪人の口元を見ると、彼の薄く形の良い唇は信じられないことに弧を描いていた。
「ふふっ、だってしょうが無いじゃないか。香呉がだーい好きな温くんは、驚くほど繊細で傷つきやすいんでしょ?とても振るなんてこと、できないじゃないか。
でもさ、安心してよ。俺が好きなのは香呉だけなんだから。温くんには絶対手なんて出さないよ?」
香呉はその言葉にびくりとした。それを手伝いに感じた雪人は楽しそうに笑いながら、自身の胸ぐらを掴む香呉の手に自分の手を這わせた。
「気づいてたくせに。僕はずーっと香呉、お前のことが好き。愛してる」
ダンッ!
「巫山戯るなっ!温のことを弄ぶつもりかっ」
カッとなった香呉は再び雪人の体を壁に叩きつける。一瞬痛みに顔を歪めた雪人は、それでも愉快そうに嫌らしい笑顔を向けてくる。
「温に酷いことしても良いんだよ?」
その一言に香呉の身体が強ばった。
「憧れの僕にいきなり襲われたら、一体彼どうなっちゃうんだろうね」
さも楽しくて仕方が無いというように無邪気に笑う姿に思わず悪魔だと思った。こんな奴知らない。今まで親友だと思っていた奴が目の前にはもういなかった。
10年前、男に襲われた温は、思い出したくないほど憔悴していた。ショックで精神が壊れ、震えが止まらず泣きながら自分の髪を毟り頭を壁に叩きつけていた。何度抱きしめても、何度声を掛けても気を失うまでそれを止めなかった。今は事件の記憶がないから良い。だが、その記憶が何かのきっかけで呼び起こされてしまったら――・・・。
力が抜けた香呉の手がだらりと落ちる。そこにそっと添えられる雪人の手の平。
下を向いた香呉は雪人にちゅ、とキスをされた。
「ね、香呉。どうしたらいいか、わかるでしょ?」
それは紛れもなく、悪魔の笑顔だった。
――Side.Y
「すっ、好きです。付き合ってください!」
「あ、えーっと・・・・・・」
なんか可愛らしい子から告白されたなー。
温に告白された時はそんな感じだった。正直告白されまくっていて一々相手など見てもいないし、そもそも興味を引く奴もいない。今回も体よく振ろう、と思いかけたとき、相手の名前が頭に引っかかった。そして自分に告白してきた相手が、親友の幼馴染みだということに気づいたのだった。
雪人は申し分ない家柄に生まれ、何不自由なく育った。容姿良し、頭も良し、運動もできて性格も良い。自然とそうなったし、まぁ努力して叶えた部分も確かにある。αとして生まれたからには、αらしく優秀でいるべきだ。そう当然のように思っていた。だが、それは自分で思い込んでいただけで、無意識下の中では重荷になっていたのだろう。
雪人の恋愛対象はαの男性だった。世間的には赦されないセクシャリティだ。何の生産性もないと、一言で片付けられる恋愛観。自分はどうしてαに生まれてきたのだろうという無意味な自問自答と、家の顔として、“αの男”として生きなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
それを救ってくれたのが、香呉だった。彼の容姿に引かれたのも嘘ではない。男らしくも美しさが勝つ自分にはない、内側から滲み出る雄感。初対面でも頼りがいのある雰囲気を醸し出していて、隣にいるだけで心が安まった。
彼にだけは自分の弱みを晒すことはできた。性的指向も。『香呉は僕の恋愛対象じゃないけどね』と保険をかけて。
香呉に想いを寄せていることが知られたら、一歩引かれてしまうと思ったからだ。そうなることが怖かったからだ。
気持ちを伝えたい、でもこの関係を壊したくない。常に完璧を求められ、それに応える雪人にとって香呉は心の支えになっていた。彼を失ってしまったら命を絶ってしまうかもしれない。それほどまでに。
愛しい相手はよく「温」の話をした。彼が想いを寄せる年下の幼馴染みのΩだ。香呉の口からその名前が出る度に、殺意に似た感情が浮き上がった。
羨ましい。妬ましい。ただΩというだけで、香呉の恋愛対象になりやがって・・・。
男が怖いなら、セックスが怖いなら、・・・・・・そんな臆病で面倒くさい奴に気持ちを伝えられず悲しそうにする香呉を見て、雪人は苛ついた。
そっかぁ・・・こいつがあの“邪魔者”かぁ
「温くん、だっけ。うん、いいよ。付き合おう」
雪人は極上の笑顔を向けると、頬を真っ赤に染めて喜ぶ温に手を差し伸べた。
***
「でも驚いたなぁ。雪人さんと香呉兄が仲良しだったなんて」
3人での帰り道、雪人にべったりの温がのほほんと告げる。それに「そうだよー。僕ら親友だもん」と答える雪人。「ね」と言う雪人に香呉はぶっきらぼうに返した。雪人の意味ありげな流し目に、唇を噛みしめる。
「じゃあ温、また明日」
温の家の前まで着くと、温は雪人と離れがたい様子で雪人の制服の袖を摘まんだ。
「雪人さん、家、入らない?」
「ごめんね。今日は香呉と勉強会なんだ」
「そっか、じゃあまた明日ね!香呉兄も!」
「おう、」
バタンと扉の閉まる音を聞いた直後、雪人の顔が黒い物になる。
「じゃ、行こうか」
香呉の部屋に入った瞬間、雪人が唇を重ねてくる。舌を絡め合い、激しい水音を奏でながら二人の足はベッドへ向かう。
「いっぱい僕のこと愛してね、香呉」
ぬく、僕を好きになってくれてありがとう。だって、そのおかげで僕は香呉を手に入れることができたんだから
――Side.N
最近、もやもやすることがある。何が、とはっきりとはわからないのだが。
つい先日、僕には恋人ができた。格好良くて、憧れの先輩である雪人さん。嬉しくて、恋人ができたことを教えたら喜んでくれるかなと思って幼馴染みにもカミングアウトした。少し驚いていたけど、やっぱり喜んでくれた。後から聞いたところ、香呉兄と雪人さんは友達だったのだとか。
香呉兄は昔からの知り合い。家が近くて親同士も仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしている。いつも弱っちい僕のことを助けてくれて、守ってくれて、「香呉兄」と呼んでいる通り、まさにお兄ちゃんのような存在だ。そう、思っていたのに・・・・・・。
なんだろう、この気持ち。
最近雪人さんと香呉兄の距離が、近い気がする。
大好きな雪人さんを香呉兄に取られた、というのも違う感じ。もしかして、自分の“お兄ちゃん”を他人に取られた、みたいな気持ちなのだろうか?・・・いいや、これも違う。だけど、近い、気がする・・・・・・。
雪人さん、なんでそんな熱の籠った目で香呉兄のことを見るの
腕を組んだり、肩を組んだり、なんでそんなにベタベタ触るの
最近“勉強会”をすることが多いけど、二人は何をしているの
そんな目で香呉兄を見ないで
そんなにベタベタ触らないでよ
どうしてそんなに二人は仲良いの?
ああ、胸と腹の奥底が、黒くてなんだかもやもやしたもので溢れてて、胸悪い。
ああ吐きそうだ。苦しい。何だろうこの、黒い感情は――・・・・・・
これが、嫉妬なのかなぁ
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