宇宙をつくる少年

朝霞瑞穂

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宇宙をつくる少年

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 その少年の名は晴雄。



 ぼくと同じ小学5年生。あまりクラスメイトと話をせず、ぼくだけが友達のようだ。晴雄の話は難しく、小学生のぼくたちにはついていけないので避けられがちだった。それどころか先生までがあたふたすることがあり、やりづらそうに授業をしていた。特に理科や数学が好きな晴雄は「だーくまたー」のことや、質量の起源を説明できるとかいう「ひっぐすりゅうし」のことなんか質問していた。僕やクラスメイトは取りのこされる。先生も口をパクパクして汗をかいている。



 ある時、先生は、三角形の内角の和は180度になるという説明をしていた。なんでそうなるのか。先生は三角の模型をいくつも用意して説明。



「三角形をたとえば3つ並べて、すべての内角を足すように並べると一直線になるのが分かります」



 実際に模型を組み合わせて説明した。



 なるほど。三つの三角を合わせた内角の和は180度か。どう組み合わせても一直線、180度になるんだな。ということはどうやっても三角の内角は180度になるのかあ。ぼくは納得した。しかし。



「それは数学的な概念上ではそうなのでしょうが、実際のこの宇宙でなんで成り立つのでしょうか。ビックバン宇宙の時、理論的にはキヨクリツはゼロでなくとも成り立つはず。でもこの宇宙は平坦で三角の和が180度であることが成り立っています。なぜなんでしょう」



 先生絶句。晴雄のやつ……。



 晴雄は、このごろは自分が質問をすると先生が困ることに気を使い、授業中は静かにしている。とてもつまらなそうだ。晴雄にとってはぼくたちの授業なんて子供のあそびのようなものなんだろうな。晴雄も子供だけど。



 ぼくはSF漫画やアニメが好きだったので、そんな晴雄とは気が合ったのだろう。晴雄とはよく話をする。クラスでは変わりもの二人組といった立場みたい。



 ぼくはおとうさんの本棚にある大人のSF小説も借りて読むことがあるんだ。でもわからないことばかり。いつも晴雄に解説してもらっている。晴雄はとてもいっしょけんめいに、ていねいに解説してくれる。でもぼくはわかったようなわからないような気分。でもね、そのおかげでよりわけのわからない小説でもどんどんさきに進んで。晴雄とのその時間が楽しいということもあるかもしれない。大学で物理学の先生をしているおとうさんから借りた難しい小説も、晴雄と一緒になら最後までページをめくれるの。



 夜の食卓でおとうさんが、はしでちくわを持ったまま驚いていた。今日はおでんなんだ。



「え、オレの本棚にあった『重力の使命』全部読みきったの。小学生には難しすぎると思ったんだがなあ。SF小説の入門には星新一がいいと思うんだけど、この間買ってあげた『ボッコちゃん』はどうしたの」



「ぼくにはとってもおもしろかったよ。でも晴雄がもっと科学的なやつのほうが、解説しがいがあるといって」



「晴雄くんはよくPTAでも話題になっているわ。大学生並の学力があるって。先生方にも、日本にとびきゅう制度がないことがかわいそうだっていわれているのよ」と、おかあさん。



「とびきゅうってなに」ぼくはしらたきと格闘しながら聞いた。おいしいけど、ご飯にはあわないかな。



「とびきゅうは日本の義務教育期間にはない制度なんだが、ある国では小学生が大学に合格して入学できるんだな。そんな制度があれば晴雄君はもう大学生になっているんだろうな」



「晴雄が大学に行ったらさびしくなるなあ」



「でもうちの研究室に来て欲しいくらいだな」



 おとうさんが言うには晴雄はギフデットなのだという。晴雄が言っている話をおとうさんに伝えるといつも、ふうむ、と、うなるんだ。晴雄はなんだか特別な人間なのかな。日本の教育制度は晴雄のような才能の持ち主たちを持て余しているんだとか。おとうさんが知り合いの研究者だった人の話をしてくれた。



「学者の給料が安くて妻子を養えないとトレーラーの運転手を選んだ物理学の天才がいたんだ。無教習でけんいんの免許を一発合格するほど運転の技術も凄いんだが、運送業界はいつざいを得た代わりに、物理学の世界は天才を失ったということなんだろうな。オレは実家がいわゆる太くてのんきに自由にさせてもらえたけど、世の中そんな家ばかりじゃないからな」



「そうね、私も子どもの頃バレエをしていたけど、留学までして本格的にやれるのは裕福なうちの子ばかりだったわ。才能だけではやれないのね」



「晴雄のうちもお金持ちみたいだけど、ちょっとクラスでは浮いている感じ。頭がよすぎるのも困ったことがあるんだなあ」



「だめよ、晴雄じゃなく晴雄君っていわないと」「そうだ、それにミドリは女の子なんだからぼくなんていうのはやめなさい」と、おかあさんとおとうさんが、夫婦でぼくを追撃してくる。



「でも学校の先生は、男の子や女の子で態度や役割を区別するのは良くないと言ってたよ。ジェンダーとかいって」



「いやそうじゃない、一部の性癖を持つ人を刺激してだな、いや、そのゲフンゲフン」



 お父さんは咳き込みながらそういった。まるで何かを誤魔化すように。おかあさんはそんなおとうさんをにらんでいた。





 *



 SF小説のこともそうなんだけど晴雄の話は宇宙のことが多い。テレビにでるようなアイドルのことなんか日常の話はほとんどしない。宇宙の話にしてもぼくにもその内容がサッパリ分からないことが多い。ワープやブラックホールとかのことははなんとなくわかるんだけれどなあ。「りょうしりきがく」なんかが絡んでくると、ぼくにはちんぷんかんぷんだ。



 晴雄と話をするのは、いつも、お昼休みの学校の図書館。晴雄が、教室がちょっとうるさいのが苦手だからだ。クラスメイトからの変な介入がないのもいい。ぼくもアイドルの話なんかにはあまり興味はない。たまに授業のわからなかったところを教えてもらえるし。授業レベルの話だと晴雄の話はすげえわかりやすい。頭がいいってこういうことなんだろうな。



 晴雄は宇宙がなぜあるのか解き明かしたいという。「今の科学はだいぶ進んで、宇宙誕生0.1秒後はどんな世界かまで解明されている。現代的な宇宙論の始まりは一般相対性理論から始まり、だいたい100年。かなり進歩してきた。でも最終的な解明まで、ぼくが生きている間には研究の時間が足りなくて無理だろうな」晴雄は寂しげにいった。



 中二病というのがあるらしい。ぼくは小5病というのもあると思う。例えばフィナぼっち数列とか、マンデル風呂集合とか、そんなことばに憧れないかい。なんだかカッケー。晴雄によれば、それらは自然の仕組の基本に宿る数なのだという。晴雄はそんな理論を自由に操り話をしてくれる。



「数学的にはシンプルなんだぜ」



 ぼくには意味はわからないが、語感がかっこいいとしかおもえん。晴雄は凄いやつだ。



「宇宙誕生はビックバンから始まったんだろ。ビックバンって何なんだ」



晴雄は答えてくれる。



「現在わかっている宇宙の初期の段階は、始まって約0.1秒後、温度が300億度くらいの、高温の放射で満ちた火の玉だった事はわかっているんだって。そこから宇宙の爆発的膨張が始まった。それがビックバン」



 そしてビックバンから現在まで138億年たっているという。意味はわからないけど、すごいってことはわかる。でも宇宙が始まってまだ、たったの138億年か。意外と短いんだな。世の中には兆の単位でお金を持っている人がいるんだろ。一年を一円と考えると、宇宙の年齢より地球のお金持ちの方が偉く思える。



「そんなものと比べるなよ。ミドリは簡単な頭でうらやましい」



 晴雄はそんな冨岡さんみたいなアオリをしてくる。冨岡さんのほうはアオリのつもりでなく天然でうらやましがったんだろうけど。



「そんなこといったら地球の全アリは2京匹超えなんだが」「おおっアリさんすげえ? けいってなに」「兆の1万倍の数字さ」「ひいっ」



 そうこうしているうちに昼休みの時間は終わりに近づいてくる。もう教室に戻らないと。ぼくはこんな時間がずっとあるんじゃないかと思っていた。が、晴雄の顔は心なしか沈んでいるようだった。





 *



「晴雄君は病気でしばらく学校に来られなくなりました」



 ある日、担任の先生は朝の教室でそういった。なんで。ぼくは授業の後に先生の後を廊下で追いかけて聞いた。足がもつれそうでもどかしい。



「晴雄はどうしたの、いつ学校にもどれるの」あせって早口になる。



「先生にもよくわからないんだけど、前から晴雄君のご両親にはカラダが弱いことを配慮してほしいといわれていたんだが。今は市の病院に入院しているんだ」



 そういえば晴雄は体育の時間はいつも休んでいた。それが当たり前だと思っていた。スポーツが苦手といっていたし。それに晴雄の家も知らない。一番、晴雄となかがいいと思っていたぼくは、晴雄について何もしらなかったのか。



「先生、晴雄のお見舞いに行きたい」



「先生にも急なことで、ぼくも様子を知りたいし。晴雄君のご両親にうかがってみるよ」



「お願いします」



 そして次の日、教室にいるぼくを先生は「ミドリ君ちょっとこちらへ」そういってぼくを職員室に連れて行った。なんでわざわざなんで職員室なの。



 先生と椅子に座ってむきあい、ちょっと間をおいて先生は、ぼくにいった。「ミドリ君、晴雄君にどうしても会いたいのかい」



「どうして、どうしてそんなふうに言うの。会いたいに決まってるよ」



「そうか、いずれわかることだし。そうだな、晴雄君がいるところは、ほすぴすなんだよ」



「ほすぴすって」



「それは……いずれ死を迎える人が入るところなんだ。晴雄君はもうながくないんだ」



 ……あたしは。



 気がつくと、あたしは先生が差し出してくれたハンカチを目に当てていた。



「ミドリ君は一番、晴雄君と仲がよかったからな。ホスピスのある病院の住所はこれに書いてあるから」



 顔を上げると先生はメモを渡してくれた。あたしの手は震えながらそれを受け取った。



 あたし……ぼくは、頭の中で空回りする授業を受けながら休日を待った。



 晴雄のいる病院。晴雄はベッドに寝ているとかではなく、面談室みたいなところで会った。見かけは普通にしているようだけれど。



「熱が出てなければ、あんまり苦しいとかはないんだ」晴雄はいつも通りにとつとつと話す。



 ここでは一般的な病院と違い、食事なども制限はなく、お菓子を食べたりゲームをしたり普通の生活ができる。大人の人はお酒を飲むのも自由だって。



「中庭に行ってタバコを吸ってる人もいるよ」



 ぼくは先生からあずかったプリント類を晴雄に渡すが、興味なさそうに受け取る。



「それよりミドリのおとうさんにあわせてくれないかな。話がしたい。入院中ずっとぼくはキミのおとうさんの書いた論文を読んでいたんだ」



 お、おとうさんに晴雄が会いたいって。あたしなんだかはずかしい。



「何赤くなってんだよ。ミドリのおとうさんはすごい人なんだぞ。まるちばーす理論をコンピュータ上でシミュレーションするプログラムを……」



 ぼくの頭には晴雄のことばは入ってこなかった。



「とりあえず次の休みにはおとうさん、連れてくるよ」



 晴雄はうれしそう。なんだよ。ぼくが来たよりおとうさんの方が楽しみなのかよ。



「ミドリ、ありがとうな、ぼくは生きているうちにやっておきたいことがあるんだ。キミのおとうさんは、ぼくの希望なんだ」



 晴雄がそんなにいうほど、ぼくのおとうさんってすごい人だったの。絶対連れてこなきゃ。





*

 ぼくは家に帰り、晴雄のことを、おとうさんに話した。



 「おとうさん。晴雄と会って欲しいの。晴雄の願いを聞いて欲しい」



 あたし、いや、ぼくのことばの重みを感じたようでおとうさんの顔はすごく厳しくなった。おとうさんは晴雄の容態も知っている。



 おとうさんはむりやり笑顔をつくってくれて「次の休みに晴雄君と会おう」といってくれた。あたしはうれしかった。いや、ぼくですけど。



「ところでおとうさんってどんな研究してるの。晴雄はかなり評価していたけど」



「娘ながら、きずつくなあ。けっこう、おとうさんすごいことしてるんだぞ。今は国と企業、大学で大きなプロジェクトしていてな。しかしあの論文読んでオレをよびたいって……晴雄君は……」



「晴雄は……?」



「それは晴雄君に会ってから話をしたい。その前に少し大人の調整もあってな。オレの不得意分野だが」



 おとうさんはなにか決意をしたようだ。



 そして当日。おとうさんと晴雄は長く話をした。



「はじめまして、晴雄君」



「会えてうれしいです、村上博士」



 村上はぼくの家の苗字。そして二人は。



 宇宙のシミュレーション。意識のアップロード。国家的プロジェクト。法律。ご両親と。主治医と。



 ぼくには内容はわからないけどそんな単語が飛び交っていた。



 話が終わりそう。おとうさんと晴雄は見つめあい、うなずきあった。



「ちょっと晴雄君の主治医の先生と話があるからミドリは先に帰って」おとうさんはそういうと立ちあがり、晴雄と握手をした。



 おとうさんが部屋を出てから、ぼくは晴雄に聞いた。



「話がまとまったようだけど、どうなったの」



「なんだ、聞いてなかったのかあ。うん。ぼくの希望ががないそうなんだ。ぼくが動けるうちにキミのおとうさんの研究室にかようことになりそうなんだ」



 それは、よかったといっていいことなんだろうか。ぼくには何もいえなかった。



 そして3ヶ月たち、晴雄は亡くなった。



「晴雄君の納骨が終わったそうだ。晴雄君のお墓参りに行かないかい。おとうさんもミドリに話したいこともあるし」



 ……。



「そうか、次の土曜に行こうか」



 ……。



「ほらミドリ、バスが来たよ」



「ミドリ、こっちにお墓があるんだって」



「ミドリ、ここに晴雄君が眠っているんだ。ほら、お線香と花を」



「晴雄君とおとうさんがしてきたことを話そうかな」



「晴雄君とおとうさんは同じ想いを抱いていた。宇宙の成り立ちを知りたいと。今ね、りょうしコンピュータが発達して、精巧な宇宙のシミュレーションができるようになってきたんだ。でも何かが足りなくておとうさんたち研究者は試行錯誤していた」



「宇宙をシミュレーションするにはある意思のようなものが必要だとわかった」



「説明が難しいがそれは神のようなもので」



「宇宙をシミュレーションするためには宇宙を司る知性が必要だった」



「神のような。しかしそれには人の大脳を解析してコンピュータのプログラムを作らなければならない。そしてその大脳はあるレベルを超えたものではならなかった」



「その最適な大脳を持つ晴雄君は、志願してくれた。宇宙の成り立ちを知りたいという動機を持つ最高のプログラムとなり、今、宇宙のすべてを解明しようとしている。宇宙の成り立ちをコンピュータ上で再現しているんだ」



 晴雄の願いはかなうの。



「それはこれからなんだが、人類にかけがえのない貢献をしてくれた」



 そんな貢献より生きていてほしかったよ。



 晴雄の心はプログラムとなって、りょうしコンピュータにアップロードされたんだ、とおとうさんはいう。晴雄の宇宙の謎を解き明かしたいという動機がコンピュータを駆動させる動機となるんだって。晴雄は無限といえる時を得たと、おとうさんはいう。あたしにはわからないけど。けど。きっとこの宇宙の謎を解き明かすのだろう。



 晴雄の意思はその宇宙シミュレーションプログラムを司るのだ。まるでそのシミュレーション宇宙での神様のように。



「ねえ、おとうさん、ぼくも研究者になれたら晴雄のプログラムのことがわかるようになるのかな」



 おとうさんは最初うれしそうにして微妙な顔に変化した。



 ぼくは、ふと思った。このぼくのいる宇宙も、そんな晴雄のような誰かが司っているシミュレーション宇宙なんじゃないかと。

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