親友は砂漠の果ての魔人

瑞樹

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錬金術師編

05錬金術師パルケルスス

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  ザルツブルグはオーストリア中北部の都市で標高が約四百二十メートルあるため、日本と比べると平均気温が年間を通じて十℃程低い。従って、上着もなしで寒さを感じないということは、季節はおそらく夏なのだろう。

「今は西暦千五百四十年らしいから、目的の人物は四八歳で亡くなる一年前らしいよ」

「それも、その神様から教わったの?」

「ああ、そうだよ。僕たちが会うパラケルススと言う男は、スイスのアインジーデルンという街で生まれたんだけど、すごく優秀な男だったらしく、スイスのバーゼル大学の教授の経験もある、医学博士だそうだ」


 医学博士? 神谷の中の錬金術師のうさん臭いイメージとはかなりかけ離れている。

「もっとも、大学を最後には追放になってるけどね」

「じゃあ、今は何をしているんだい」
「各地を放浪して、今はここザルツブルグで著作業をしているらしいね」

 アルハザードの右肩には小さな黒猫が鎮座していた。
「君の肩に乗っている黒猫は、例の偉い神様かい」
「そうだよ、あまり大きいと目立つからね。このくらいの方が面倒じゃないと判断したんだろう」

 土ぼこりが舞いあがる通りを行きかっている人々が二人に好奇の目を向けている。当たり前のことだ。この時代のヨーロッパに中東の民族衣装カンドウラを着込んだアラブ人や東洋人の姿があること自体があるはずのないことなのだから。
 アルハザードはそんなことを気にかけるそぶりも見せない。神谷もそれに倣うことにする。

「本名はフイリップス・アウレオールス・テオフラストウス・ボンバストウス・フォン・ホーエンハイムというらしいんだ。パラケノレススというのはペンネームらしいよ」
 長すぎて絶対に覚えられそうにない名前だ。そのあたりがペンネームを使うようになったきっかけなのだろう。

「現在はこの建物の一室で著作に耽っているようだよ」
「その著作というのは、賢者の石に関することなのかい」
「それは本人に訊けと言っているよ」
「その猫の恰好をした神様がかい」
「もちろん、こいつが言っているのさ」

 ネクロノミコンの中の世界とはいえ、最高の邪神をこいつ呼ばわりするのはいかがなものだろうか。
「別にかまわないと言ってるよ」
「そうなのかい」
「人間の基準でこいつらの考えを推し図ることなどできないよ。呼称なんてそんな小さいことに一々こだわっているはずがないだろう」

 しかし、神谷の生きている日本で神様を「こいつ」呼ばわりする者などいる害はない。仮に何の知識もない子供がそのようなことを言ったら、大人から「ばちが当たる」と言われて、こっぴどく叱られることだろう。
「さて、そろそろ行くよ」

 日本に例えるならば、家賃の安めの木造アパートといったところだろうか。見上げて窓の数を数えると、どうやら四階建てのようだ。
 アルハザードが入口の扉を開けて木で造られた階段を上り始めた。ギターケースを背負った神谷がそれに続く。

「この部屋らしいよ」
 三階の隅の部屋をアルハザードが指差した。一つのフロアに四つの部屋があるらしく、ドアノブが階段の両側に二つずつ取りつけられている、アルハザードが指差したのは左の奥の部屋だ。

 アルハザードが目的のドアをノックすると、中から野太い男の声がした。おそらくはドイッ語なのだろうがもちろん神谷には分からない。
「入っていいみたいだよ」

 ドアを開くと、八畳ほどの広さの部屋の中は床が抜けてしまうのではないか、と思われるほどの人量の本で埋め尽くされていた。
 本が崩れないようにそっと声のする方に近づくと、本に埋もれるように部屋の隅に匱かれた木の机の前に小太りの男が座って書きものをしている最中だった。

 アルハザードが男に話しかけた。神谷の分からない言葉、おそらくはドイツ語なのだろう。
「君はドイツ語も話せるのかい」
「いや、こいつが訳してくれるのさ。便利だろう」

 もじゃもじゃの髪の毛に覆われた丸顔に堀の深い目鼻立ち、五十に手が届く年齢だろうか、薄汚れた黒いガウンを身にまとっている。
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