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05 さよなら
しおりを挟む降車したマクミランが馬車を振り返り、大きな掌を差し出す。
白い手が彼の手を掴むと、女の横顔としなやかなシルエットが車外に姿を現した。
ヴィクターは、今日一番唖然となった。
「は? レモン?」
ヴィクターの声を耳に拾い、女の顔が振り向く。
その端麗な顔には眼鏡など無かった。むしろヴィクターは、横顔から彼女がレモンだと判別したのだ。常々「地味ブスのクセに横顔は綺麗だよな」と思っていた。
昔読んだ本にあった内容を不意に思い出す。横顔が美しければ正面も美しい。ただし逆は必ずしもではない。
その通りだった。
正面を向いたレモンの顔は華やかで、眼鏡女と同一人物とは到底思えなかった。
けれど艶やかな髪も、瞳の色も形も知ったものと寸分違わない。
地味ブスに扮していただけで、実際のレモンは美しい。
何の為の偽装なのか。全く意味が分からない。
「なんで、お前――」
歩み寄ろうとしたヴィクターの前に、壁のような大男が立ちはだかった。
「彼女に近付くな、貴様」
「――、は?」
「彼女は私の大事な女性だ。以後は声も掛けるな。顔も晒すな」
「は? 大事?」
「消えろ。さもなくばこの場で射殺する」
ぎょっとしたのはヴィクターも嘗ての同僚らも同じだった。
「か、閣下。ここは王宮です」と慌てる衛兵らに、マクミランはぎろりと鋭い眼光で振り返った。
「陛下もお許しくださる。尤も、お許しくださらずともよい」
なんとこの男、ここで血生臭い私刑をやらかして折角手に入れた地位も名誉も捨てようとしている。
彼にとってそれらは価値のない、いつでもどこででも手に入るような、極々つまらない代物に過ぎないって事だ。
――化物じみてやがる。
ヴィクターは後じさったものの、恐怖のあまり歩みが固まってしまった。
腑抜けの若造に苛立っているのか、マクミランの手が腰のホルスターに回る。
その手に、背後から伸びた白い手が重なった。
「どうかお心をお鎮めください、閣下」
「――他ならぬ君の頼みでは、私は従うしかない」
化物じみた大男がさらりと殺気を消し、後ろを振り返る。
彼女を見下ろす顔つきは不愛想でも優しい。
どうあっても全く意味が分からない。
ヴィクターの混乱と硬直は続いた。
ヴィクターなど捨て置き、マクミランとレモンは王宮に入って行った。
去る寸前、レモンはヴィクターを振り返る素振りを見せたが、マクミランの太い腕が肩に回されて結局やめたようだった。
ただ、彼女の唇が「さよなら」と動いた事にヴィクターは気付いた。
先週、レモンを捨てたのはヴィクターだった。
あれからたった二日しか挟んでいない。何が起こって今に至っている。
どうあっても全く意味が分からない。
立ち尽くす中、嘗ての同僚らに追い払われたのでヴィクターはふらふらと下宿先に帰った。
下宿の部屋に入り、もしや裏切られたのでは、と閃いた。
レモンに裏切られた。ヴィクターがそうであったように、レモンもまたヴィクターという恋人がいながらマクミランと浮気をしていた。
――そうに違いない。
接点など無さそうな二人だが共に大人だし、飲食店などで出会う切っ掛けはあるだろう。
実は美しいレモンに、大物でも女っ気のないマクミランは逆上せ上がった。
そのマクミランのスケベ心を利用して、レモンは店先で待たされた挙句にドタキャンされた仕返しを権力ある男に乞うた。
――畜生、レモンが俺を逆恨みした所為で。
ヴィクターは名誉ある任を解かれ、自宅謹慎の憂い目に遭っている。
彼は自分こそが彼女に逆恨みしている事には気付いていない。
長らく彼女を待たせていた、そして彼は名誉と信用を失った。
その事実があるだけなのだ。
先週末の夕べ。
「まあ、そういう訳だ」と、彼は悪びれずに告げた――。
レストランに入店していく美貌の侯爵令嬢とヴィクターの後ろ姿を見送り、レモンはふらふらと川沿いの大通りを歩いた。
二股を疑った事がなかった訳ではない。そうでなくても、彼は恐らく夜の街でセクシーな女性達と遊んでいる。さもなくば借金も無く、高価な品物を買う趣味もない若者が万年金欠になんてならない。
歓迎すべき事ではなくても「仕方のない事」と半ば諦めていた。
婚前のレモンに手を出せない、彼なりの思いやりだと納得した。
だって彼は頻繁にレモンの手料理を食べにくる。残さず食べてくれる。子供みたいにガツガツと。
仮にも貴族家の次男が無我夢中になって、とレモンはいつも彼の食べっぷりが可笑しくて仕方がなかった。
嬉しかった。
「うお、美味い」
素で出た彼の言葉に嘘はなかった。
レモンは彼が長身のハンサムだから付き合おうと思ったのではない。あの言葉があったからだ。
付き合い出してから彼の態度は崩れた。遠慮がなくなったのは良い兆候だとレモンは気にしなかった。
期する想いがあった。家族が欲しかった。
だらしのない気分屋でもヴィクターの事がレモンは好きだった。便利に使われている自覚はあったけれど、家族とは無遠慮なものだろうと思った。
彼が衛兵でなかったとしても構わなかった。
合格報告より告白が先でも同意していた。
――なのに合格して欲しくて、私は。
サンドイッチケースに、必勝のハムチーズサンドを詰めた。
天罰かもしれない、と想念しながらレモンは夕べの道を進んだ。
華奢なヒールなんか履いて馬鹿丸出しだ。不格好な黒縁の伊達眼鏡がある時点で何をどう着飾ったって無駄なのに。
「お洒落して馬鹿ね……」
不意に、二の腕を掴まれた。
え、と振り仰いだ先でレモンは知った顔を認めた。
「――、マクミラン閣下?」
「ああ。レモン嬢、やっと見つけた。やっと会えたな」
精悍な彼の顔が、一瞬泣き出しそうに見えた。
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