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31 元夫
ヴィオレットが口を開く前に、ヴァランティーヌが発した。
「まあ、オーギュスト!」
その喜色の籠った呼び声に、ヴィオレットはぎょっとした。
罪悪感も何もない。やらかしを放置して国外逃亡した自覚がないのか。
笑顔全開のヴァランティーヌは、弱弱しく地べたに座り込んだまま元夫に両手を差し出し「立たせて頂戴」と促している。
オーギュストの冷めた顔は変わらない。
無表情でも絵にしかならない元夫に、ヴァランティーヌは媚びる声でねだった。
「ねええ、オーギュストってば。以前みたいにわたくしを抱き上げて」
「勝手に立て」
「へ、――」
「勝手に出て行った貴女ならば出来るだろう」
「ちょ、ご、誤解よ」
「散々周囲に誤解を与えてきた貴女がそれを言うのか」
オーギュストの顔は、いっそ白けている。
ヴァランティーヌは一旦は蒼褪めたものの笑みを維持した。
「何の事か分からないわ。どうかわたくしを信じて」
「今の状況からしても貴女を信じられる材料がない」
「そ、――見てたの? この子がわたくしを地面に押し付けるトコ」
「貴女が彼女の腕を引いたところなら見た」
「んもう、逆よ逆!」
「私の目が良い事は知っているだろう? 私はたった今向かいのジュエラーから出てきた。見ての通り扉の前に警備員が二人いて、彼らも私と同じものを見ている」
「……向かい側の店舗から来たなら、ここは馬車の陰で見えないでしょ」
「見て気付かんか。ここらの高級店の多くがガラス扉を採用し、ショーウィンドウを備えている。鏡だらけだ。馬車の陰も反射してよく見えていたぞ」
徐に、オーギュストが背後を振り返った。
ジュエラーの警備員二人が同時に頷き、周囲の人だかりも目撃者然と王女に冷めた目線を注いでいる。
やっと旗色の悪さに気付き、ヴァランティーヌは頬を引き攣らせた。
速やかに立ち上がる。なんと彼女は無傷だ。肩が痛むヴィオレットとは大違い。
とりあえず被害者ぶるのはキャンセルらしいヴァランティーヌは、オーギュストに歩み寄った。
「ねえ、オーギュスト。どうか機嫌を直して頂戴。わたくしにも事情というものがあったのよ」
オーギュストの眉根が寄る。
ヴァランティーヌは悲劇の女優みたく続けた。
「離婚は仕方がなかったの。わたくしも自分の名誉を守らなきゃいけなかったし、今の婚家から熱烈アプローチがあって無下にも出来なくて。でも信じて。わたくしの心は今も昔も貴方だけのものよ」
ヴィオレットは、もう彼女の何に驚けばいいのか分からない。大混乱だ。
引き換え当事者のオーギュストは、冷静だった。
「貴女の心など、要らん」
ヴァランティーヌは、見事に惚けた。
元妻の惚け顔を無視して、オーギュストはヴィオレットの方に向かった。
「大丈夫か?」
「あ、はい」
「私の馬車でカプレまで送ろう」
「とんでもありません、辺境伯閣下」
ヴィオレットとオーギュストを交互に見て、ヴァランティーヌが「はあ?」と声を上げた。
「何なの、あなた達、いつの間に知り合って――」
ヴィオレットは妙な感じがして、ヴァランティーヌを見やる。
彼女はオーギュストと親し気なヴィオレットを見て嫌がっている。そして焦っているようでもある。
――元夫に未練があり過ぎるの?
だから「新しい女」がいては困るのだとしたら、逃げるように離婚した元妻とは思えない図太さだ。
未だ再婚していない彼に期待でもしているのだろう。望むのは勝手だが、相手にも都合がある。何を期待するにせよ、彼女の場合はせめて信頼を取り戻してからでないと始まらない。
ヴァランティーヌを無視し、オーギュストがヴィオレットの腕を軽く掴んだ。
「上がるか?」
「え、ええ。やってみます。――い、つ」
「少し袖を捲るぞ」
「え?」
ブラウスの片袖に彼が触れ、ヴィオレットは慌てた。
「え、閣下」
「心配するな。戦場で負傷兵を多く診てきた。脱臼の類なら治せる」
「あ、――」
呆気にとられる間に、オーギュストはヴィオレットの診断を始めた。
晒した白い二の腕から肩までをじっくりと診る。
「――骨に異常はない。痣もなく、とても綺麗だ」
やけに静かな彼の声音に、ヴィオレットは「ああ、はい」と自分でもよく分からない返事をした。
置いてけぼりのヴァランティーヌが戦慄き、徐に拳を振り翳した。
ガツンと叩いた、馬車のドアを。
「あなた達、このわたくしを侮辱するなんて許せませんわ!」
大きな音と声にヴィオレットがビクッとしたのに対し、オーギュストは無反応だった。彼の中で王女はもう空気か何からしい。
反応しない元夫に苛立ち、ヴァランティーヌはカツンとヒールを踏み出し、詰め寄ろうとした。
そこに「ちょっと、何事?」と車内から声が発して、硬直する。人が乗っているとは思わなかったのだろう。
のそりと車窓から顔を覗かせ、マリオンは迷惑顔で王女を見下ろした。
「何ですか、貴女。人様の車両を叩くなんて器物損壊ですよ。憲兵さーん」
マリオンの声にヴァランティーヌは大袈裟なほど飛び上がった。
慌てふためいて踵を返す。王族が憲兵に連行されるなどあってはならない。不名誉にも程がある場面を衆目に晒す訳にはいかないのだ。
「こ、これで済むと思わないでよ!」
「はあ? いやだから貴女誰? 通報するから名前教えてって――」
ヴァランティーヌの逃げ足は速かった。マリオンが言い終える前に角を曲がり、見えなくなる。お付きの者が先で待っているのだろう。
「何なのよ」とマリオンが呆れている。
ヴィオレットは色んな意味で惚けたままで、オーギュストは終始静かだった。
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