追放夫婦とドラゴンと

C t R

文字の大きさ
53 / 104

53 公爵令嬢




洋上にボートを漂わせたまま、カリンはブルーのペンでノートを取る。

「奇岩の形状を頭に叩き込んでおけば行ける、かな?」

言うのは簡単だけれど、意図された人工物と違って規則性のない自然の造形を記憶するのは至難だ。百パーセント把握しているのは地元ダイバーくらいだろう。
それで閃いた。

「教えてもらえたり?」

ルール上、人に訊くのは違反に当たらない。
カリンは一人で納得しつつ、コースの続きにボートを進めた。



コースの後半は、最後から二つ前のブイから一つ前のブイまでがバックストレートとなっている。各ドライバーが出し得る限りの最高速を発揮出来る、全開区間だ。
障害になるものは、今の海原には見当たらない。

「でもレース当日の明日は、王室専用船と観客のスタンドとオフィシャルの船もいる筈よね」

今ほど見晴らしは良くない。ごちゃごちゃするから距離感が変わるだろう。
明日は、カリンもVIPスタンドの置かれた船に乗り込むよう言われている。
常のレースであればサーキットの外側に置かれるスタンドが、このレースではど真ん中に来る。臨場感が凄い、とホテルの女性スタッフから聞いた。

「――年に一度の島民達の贅沢な楽しみですよ」

無料で特等席に座ってレース観戦が出来る。確かに贅沢だ。
最後のブイに着いた時、後ろからブラックカラーの船が近付いてきた。
「ごきげんよう」と声を掛けられて、カリンは相手を振り返った。

「ごきげんよう……」

返してみたものの、見知らぬ女性なので名前は出てこない。
カリンの困惑を読み取った彼女は気さくに笑み、唸るエンジンを止めた。会釈のようにして、白い麦わら帽子の鍔を軽く押さえる。

「ヴィクトワールと申します」

カリンはぎょっとした。彼女の名前に憶えがあった。
海外領土の総督にして公爵の一人娘、そして王弟の又従妹――つまり王族だ。

「お初にお目にかかります、ヴィクトワール様。わたくしは――」
「存じていますとも。フィヨン大佐夫人の、カリンですね。遠路遥々ようこそ」
「お気遣い、恐れ入ります」
「それほど畏まらなくてよろしいのですよ。こんな田舎ですもの」

そういう訳にはいかない。
頬のこわばりが解けないカリンに、ヴィクトワールは苦笑した。

「こちらにいる間だけでも、お友達になってくださると嬉しいです。なにせ年の近い女性に乏しくて。こんな田舎ですもの」

同じ文言を繰り返したヴィクトワールに、カリンは力なく笑んで見せた。

「私で良ければ」

頷いたカリンに、ヴィクトワールは笑顔を輝かせた。
今年で二十三歳と聞いていたのに、無邪気さと相俟って幼く見えた。



ビーチに戻ったクロヴィスは、砂の上に胡坐を掻いて座り込んでいた。
頭に叩き込んだコースレイアウトを諳んじている。傍らでスカイが砂に転がって遊んでいる。呑気でいい。
チャネルで繋がればクロヴィスの記憶を共有出来るから、自分が頑張って覚える必要はないのだ。うっかり岩に激突しても平気なので緊張感もない。ただで済まないのはいつだって生身を晒しているドライバーだ。
レギュレーションにより、甲冑や装甲を纏ってのドライブは認められていない。許される保護アイテムはヘルメットのみ。それとて必須ではない。
生身であればあるほどいい。不正し難くなる上、ドライバーの危険度が増す。
危険が増すほど、レースは盛り上がる。

――国が平和な証拠だな。

レースでしかスリルを味わえない。
今回、立ち上がりの奇岩一帯は手を焼きそうだ。海中は海上以上に道が狭く、岩陰の明暗差も性質が悪い。

――前半はダイブを控えるか。

安全に空中戦で勝負する。ポールポジションのアドヴァンテージに物を言わせ、下位をブロックする。

――あまり好きではないな。

安全と言うのは、どうしても工夫がない。

漣の音を掻き分けて「クロヴィス様あー」と呼び声が発した。
カリンが戻って来た。見知らぬ女性を伴っている。
遠目の方が返って高貴な面影が際立ち、その正体を察せられた。

――王族か。

クロヴィスは立ち上がり、彼女達のもとへ足を向けた。



カリンとクロヴィスは、ホテルのレストランでランチを取った。
同席するヴィクトワールの話はとても有意義で、参考になった。それもその筈、植物学のドクターである彼女は、島の自然環境を知り尽くしていた。
そして親切でありながらも、依怙贔屓はしなかった。

「――レースの時間帯は洋上の風向きが変わります。ですが、これは島在住の者なら誰もが知っている事です。レーシング・ドライバーの皆さんに公開している情報でもあります」

カリンは思わず気の抜けた笑みを浮かべた。この席はチャンピオン待遇の情報提供の場ではないって事だ。無論、公平は望むところなのだけれど。

食後、レストランの前で再びカリンとクロヴィスは別れた。
彼はドライバーズ・ミーティングに出る為、ホテル上階の会議場へと向かった。
その間、カリンは地元ダイバーを訪ねる気でいた。
それを知るや、ヴィクトワールはニッと笑んで見せた。

「熟練ダイバーならここにいますよ?」
「さすがにヴィクトワール様に探りを入れるのは……」
「閃いたアイディアを独占する事は、不公平とは違いますでしょう?」

カリンに、彼女の意見を否定する理由はなかった。

「よろしくお願いします」

一礼した拍子に、腕に引っ掛けたかごバッグが大きく傾く。
中で昼寝中の小鳥がころりと転がったのが、手応えで分かった。

「…………」

無言の訴えに対して、カリンは内心に詫びた。





感想 109

あなたにおすすめの小説

結婚式の翌朝、夫に「皇太子の愛人だろう」と捨てられました――ですが私は、亡き国王の娘です

柴田はつみ
恋愛
母の遺した薬草店を守りながら、慎ましく暮らしていたアンリ。 そんな彼女に求婚してきたのは、国内でも名高い騎士にして公爵家当主、アルファだった。 真っすぐな想いを向けられ、彼を信じて結婚したアンリ。 けれど幸せなはずの結婚式の翌朝、夫は冷たく言い放つ。 「君を愛していると本気で思っていたのかい? 」 彼はアンリが第一皇太子と深い仲にあり、自分との結婚は身を隠すための偽装だと誤解していたのだ。 アンリは実は、亡き国王の婚外子。 皇太子にとっては、隠して守らなければならない妹だったのである。

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

いくつもの、最期の願い

しゃーりん
恋愛
エステルは出産後からずっと体調を崩したままベッドで過ごしていた。 夫アイザックとは政略結婚で、仲は良くも悪くもない。 そんなアイザックが屋敷で働き始めた侍女メイディアの名を口にして微笑んだ時、エステルは閃いた。 メイディアをアイザックの後妻にしよう、と。 死期の迫ったエステルの願いにアイザックたちは応えるのか、なぜエステルが生前からそれを願ったかという理由はエステルの実妹デボラに関係があるというお話です。