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60 図らずも
宴を終え、湖畔の離宮はすっかり寝静まっていた。
白い天井のレリーフを仰いでいたアベルは、顔を横に向ける。
同じベッドに横たわる寝顔は、少女のよう。ぬいぐるみのような仔豹を抱き枕にしている所為で余計に幼く見える。
――変わらないな。
今も以前も、寝顔だけは変わらない。無意識下の表情だからだろう。
――この寝顔があったから、私は長らく別人のキアラを突き放せなかった。
或いはナディアとやらは、アベルの葛藤を逆手に取り、好き放題していたのかもしれない。そしてアベルはまんまと彼女の手口に踊らされた。
キアラから八年を奪った。悪人でなくとも、ナディアに乗っ取りの意図はなくとも許せない。キアラの体で滅茶苦茶をした。
しかし本人が死んでしまっている以上、憤りのぶつけ先はない。
――終わった事を言っても仕方がない。
罪人は五千年前の人間。色んな意味で遠過ぎる。
そっと指先を隣に伸ばし、枕に波打つキアラの金髪を静かに梳く。
みゃむ……と仔豹が寝言を言い、もそもそとキアラの胸の中で背を丸める。
咎められたような気がしたアベルは苦笑し、内心で「お前から主人を奪い取るつもりはないぞ」と仔豹に告げ、彼女の髪に触れる手を浮かせた。
天井に顔を戻す。
晩餐の席を想念すると、アレキサンダーの声が脳内に発した。
「――先日、そちらの王室から古代人のアームに関する情報提供の呼び掛けがありましたね」
周囲のざわつき具合を見て、特に声を潜めず切り出した隣のアレキサンダーに、アベルは目を向けた。
「殿下は、何か情報をお持ちなのでしょうか」
「叔父の母方の父という人が、ある日を境に人格が激変したと言う話があります。当時既に高齢でしたから、病だと診断されたようですが」
「その方はもう」
「亡くなっています。手が付けられないほど暴れるので、精神科の病棟に閉じ込められていたとか」
「その方の墓を暴けば検体は得られますね」
「何の為に? 仮にアームの仕業だったと証明出来たとして、今更何の意味が?」
納得した。
「だからこちらの呼び掛けをスルーされているのですね」
「現在進行形で困っているのでなければ、近隣同盟国とて通報はしないでしょう。場合によっては身内の恥です。晒すのは、やはり抵抗がある」
高確率で身内の恥になる点は、アベルも理解出来た。
アームの憑依には魔力を持つ肉体が必須。それは古い血統に属する者、メイジの家系だ。家系だけでメイジにはなれない。覚醒には機会と才覚と、現象を発生させて維持する大量の魔力が要る。
キアラと氷河登山者の例からして憑依されるだけならメイジである必要はない。大事なのは魔力が発する波長が合うか否かで、その運用も量も度外視でいい。
つい最近まで妻に起こっていた現象を軽視出来ないアベルは、アレキサンダーに告げた。
「――キアラの学力がやや低いのは、アームがサボった所為です」
突然の告白にアレキサンダーはぎょっとした。
額を寄せ「良いんですか?」と声を潜めた彼に、アベルは頷いた。
「小鳥の戦力情報のお返しです。それに当のキアラに自分の体験を隠す気がないのです。むしろ広く発信してこれ以上の被害を防ぎたいと言っています」
アレキサンダーは「ほう」と感心する目で、アベル越しにキアラの横顔を見た。
「彼女は、平気なのですね? 察するに、貴婦人としての未熟さが、彼女から打算や見栄という思考を奪ってもいる」
「でしょう。元より優しい女性でした」
幼い部分を多く残したまま彼女は大人になった。
アベルは、キアラの仇を打ちたいのだ。だから情報が欲しい。
アレキサンダーは納得したように頷き、アベルを見据えた。
「叔父の母方の父について、思い当たる事があります。彼はアマチュアの海洋学研究者で冒険家を名乗っていました。遥か西の海を航行中に遭難したという記録があります。そこは無人島ばかりの海域で、遭難の多発地帯です」
アベルは「それだろう」と予感した。
「遭難中に何かに接触してしまった、と」
「でしょう」とアレキサンダーはまた頷いた。
「因みに、レディ・フェザーは西の海から帰還した我が国の軍艦に乗って来たと記録にあります」
アベルは、奇妙な符号を見た気がした。
ビーストが古代人のアームと関係があるとは聞いていない。仔豹の出身地は、古代の姫ナディアが祀られていた遺跡から遠くはない。が、近くもない。
――念の為、晩餐時に分かった事はテレグラフで送信しておいたが。
王国からの返答はない。まあ外国宛の返信に迂闊な情報は出せまい。
氷河のシャプレは新発見があったらしい。アベルらの出国後、因縁の海洋に向かったであろうエルマンも何か掴めたかもしれない。近代兵器満載の装備なら当時気付けなかった事に気付ける。
国家を挙げての一大プロジェクトになっている。
――帰国すれば色々と分かるだろう。
アベルは一旦瞑目し、再び天井を見詰めた。
――帰国したら、キアラをタウンハウスに呼び戻す。
使用人達は侯爵夫人の帰還を心待ちにしている。
キアラにはまだ告げていない。変なプレッシャーになってはいけない。
彼女は貴婦人として不十分、などと誰も言っていない。言っているのはキアラ本人だけだ。だからこそ説得は難しい。
――しかしこの国で、彼女は図らずも名門王家との繋がりを得た。
次世代の王族らと遊んで学んで、信頼を得た。
歴史的に問題を抱えている隣人であり大国だ。この縁は大きい。
――キアラは、それを仔豹の功績と言うのだろうな。
稀な仔豹とて手懐けたのはキアラだ。彼女はかなり凄い事をやってのけている。自覚がないのが惜し過ぎる。
自信を持って「貴婦人」をしてもらえたらと思う。
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